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第22話

side:鳴宮ひな


 今日の藍野くんはどこかおかしい。

 電車に揺られながら朝の彼を思い出す。


 いや、熱が出ているからってのはあるんだろうけど、心の壁が低いというか距離が近いというか。

 私としては万々歳なんだけど!


 熱が下がったあともどうにかあのままでいてくれないかしら?


 彼はまだこの結婚が偽装だと思ってるらしい。おばかね、仕事では聡明なのに。

 私だってもう20代も後半、30代に片足どころか両手両足を突っ込んでる状態だ。

 近付いてくる有象無象のあしらい方くらいは心得ている。


 変に近寄られるのが面倒だというのは本当だが、それだけの理由で突然結婚なんてするはずがない。


「伝えたい人には伝わらないものよね〜気持ちって」


 雑踏に紛れて吐いた言葉が朝のアスファルトに吸い込まれていく。


 彼が企画課にいる時あんなにアピールしたのに、何も無いまま……多分企画課の他のメンバーとか親しい人にはバレてたけど。

 結局「背中を預けあった戦友」とかいう意味不明なポジションに収まってしまった。


 違う、私が求めたのは背中合わせで寄りかかる関係じゃなくて、向かい合って愛を囁く関係だったのに。


「あれ、今日は一人なんだ」


 肩に手を置かれる。

 振り返れば私たちの、今となっては数少なくなってしまった同期の一人、花巻しずくがそこにはいた。


「私、いつも通勤は駅から一人だけど?」


 暗に会社の最寄り駅までは一人ではないことを匂わせる。

 あーあ、しずくちゃんだけじゃなくて、会社の人間全員に彼と結婚したことを自慢したい〜〜!


「おーおー今日もおアツいですな」


「まぁオシドリ夫婦って私たちのためにある言葉だから」


「……数年前より悪化してない?」


 悪化だなんて失礼な。愛が深まったと言って欲しいわ。


「むしろ結婚してるんだから寛解でしょ」


「その自信がどこから来るのか……どうせあれでしょ、お付き合い始めましょうって正攻法じゃなくて、『試しに結婚してみない?男避けが必要で』とか訳のわからない詭弁ですぐ結婚したんでしょ?」


「ウッッッ……ど、ど、どうして」


 彼女はエスパーなんだろうか。もしかしてあのレストランにいたりした?

 動揺を悟られまいと表情を引き締めるも、誤魔化すのは無理だろう。


「そりゃあ藍野の顔みてりゃね〜、あれまだ偽装結婚だと思ってるよ。っていうか藍野、仕事はできるのにどうしてこうも恋愛になると物分りが悪いのか……社内の他の人からのアピールからにも素で返してるし」


「え、まだ藍野くん狙ってる人いるの?私と結婚したのに?」


 新しい事実が私の頭を揺らす。何それ、聞いてないんだけど。


 彼は……その、お世辞にも派手なタイプとは言えないけれど、結構人気は高いのだ。

 30代に足を突っ込んでると、無茶する人よりも安心感のある人を求めるのだ。まぁ私は昔から彼の良さに気付いていたけれども?


「あー、同性の同期の前で乙女の顔するのやめて貰えます?」


「してないけど」


「そんなに頬ゆるゆるで口角上がったひなちゃんなんか、会社じゃ見れないよ」


 口元に手を当てる。確かに持ち上げられた唇。

 悪いのは藍野くんだ。


「ま、藍野が結婚したって噂が流れてたから表立っての動きはないけど。まだ狙ってる、というか仲良くしたいと思ってる人はいるでしょ。そもそも結婚相手知ってるのって人事と君ら二人だけじゃん」


「だって他の人には言うなって藍野くんが」


「あーもうこの二人は……どうしてここまで恋愛が下手なのか」


 やれやれと首を振るしずくちゃん。

 私だってわかってる、今の状況がベストではなくベターでしかないことを。

 でも部署を離れてしまってどんどん関わりがなくなる彼を繋ぎ止めるには、これしかなかったのだ。だって突然呼び出して「付き合ってください」なんて恥ずかしいし。


 会社の自動をドアを通り抜けて、社員証をタッチ。

 ピロンッと音が鳴るが、どうせまたすぐ聞くことになるだろう。


「まぁでもゆっくりでいいんじゃな〜い?」


 エレベーターに誰もいないことを確認して、彼女は口を開いた。


「どうせ藍野、ひなちゃんのことしか見てないしさ」


「さっきと言ってることが違うじゃない」


「んー……なんていうか、旦那が旦那なら嫁も嫁って感じ!」


「どういうことよ〜〜!」


「まだ教えなーい!そっちの方が楽しいから!あ、でも」


 しずくちゃんは廊下に足を踏み出しながら振り返る。

 あぁ、私たちがいつも見るいたずら好きな笑みを浮かべて。


「ちょっとずつでも前に進まないと。停滞は敗北だよ」


 歯に挟まるような言葉を残して、彼女は人事課へと消えていった。


 一人になったエレベーターで思考を巡らせる。


 「停滞は敗北」。


 まさに、まさにそうだ。仕事も人間関係も同じ。

 私が止まるのと同時に世界も止まれば問題ないが、残念ながら世の中そんなに甘くない。


 私が止まれば、止まってない人間が前をゆくだけ。


 不器用な私にできるのは、遅くてもいいから着実に次の一歩を踏み出すこと。

 結婚という法的な縛りでもって城の内部は占拠した。ならばあとは、外堀を逆に埋めていくのみ。


 早い話、私たち二人のことを知ってる人間に、結婚のことを知ってもらえればいいのだ。

 それも彼が不可抗力だと諦めるようなやり方で。


 今日はその第一歩、止められてることを進んでするのは気が引けるけど、最後は許してくれるだろう。

 そう、いつもみたいに。


◆ ◇ ◆ ◇


 企画課とは異なるフロアに足を踏み入れる。目指すは経理課。


 ここって朝は電気ついてないんだ、なんて新たな発見を頭の隅に追いやって、ずんずんと課長席を目指す。


 やがて大量に積み上がった稟議書類の山の奥で、経理課のボスと目が合った。

 ちょっとだけ緊張する。彼が今の藍野くんの上司。この会社の予算コントロール権の半分以上は彼にあると言っても過言ではない。


「珍しいな、企画課のエースさん」


「お世辞はやめてください、私の他にも優秀な人は山ほどいるんですから」


 目線を今は空いている席に向ける。今日に限っては、そこに誰も座ることはないだろう。


「あぁ、なるほど。じゃあ場所変えようか」


 経理課の奥の奥、小さな部屋へ。

 まぁ私が課長に直接話があるなんて珍しいからか、それとも全部しってて気を遣ってなのか、会議室を使わせてくれるらしい。


「今日藍野くん、体調不良でお休みです」


 伝えたいことはこれだけなんだけど。


「はぁ〜〜〜〜慎重なあいつのことだ、自分で電話してくると思ったが……まさか嫁さん使って報告とは」


 自分の目が広がるのを感じる。


「ご存じで?」


 何が、とは聞かない。


「いや、予想だよ。結婚したって噂が誰かが意図的に流したかのように同時に回って、二人が元々同じ課、しかも同期で仲が良くて、女性の方が好き好きオーラ撒き散らしていたことを知ってる人間はすぐに分かるって」


「ちょっと、上席に『好き好きオーラ』とか言われるの恥ずかしいんですけど……」


「数年前の自分を恨んでくれ。まぁいい、藍野の休暇は了解した。全然有給使わないし、これを機に数日休み取るか?」


「それって私が決めていいんですかね?」


 夫婦とはいえ他人。そんな休暇取得の権利まで私は持っていない。夫婦だけど。えぇ、本物の。


「鳴宮さんなら藍野のことコントロールできそうだしいいんじゃない」


「まぁ妻なので」


 誇るように胸を張る。


 課長の言った「聞いてたけど相当だな」という呟きの意味はわからないが、普段頑張りすぎてる彼にはしっかり休んでもらおう。


「じゃあとりあえず明日も休めと伝えてくれると助かる」


「承知です」


 話は終わりとばかりに、課長が会議室のドアノブに手をかけた。

 少しだけ彼は振り返って口を開く。


「あ、そうだそうだ。上層部会議でプレゼンの結果決まったんだった」


 心拍数が上がる。

 並び立ったやる気のある社員達の中で、簡単に一位を取れるなんて私も藍野くんも思ってはいない……いないが、もしかしたらという淡い希望は捨てられずにいる。


「いいんですか?もう聞いちゃっても」


「あぁ、どうせ今日発表だったし」


 そこから彼の口から語られた結果は、想像の斜め上で。

 聞いた彼はきっと、頭をガシガシとかきながらも頷くんだろう。


「鳴宮さんの方から藍野に伝えるか?」


「……いえ、うーん……どうしよう。これうちの課長から言ってもらった方がおもしろくないです?」


「確かにな!じゃあ企画課長には私から話は通しておこう」


「ありがとうございます」


 会議室から出ると、もう部屋に電気はついていた。

 少しの時間しか経っていないはずなのに、緊張で疲れた。ほとんどの原因はプレゼンの結果だけど。


「失礼しました〜」


 小さな声で挨拶だけして、経理部屋を後にする。


 あーあ、疲れたからこれは私もお昼で帰らなきゃな〜、誰かさんのお昼ご飯作らなきゃだし。

 なんて誰に聞かせるでもない呟きを空中に浮かべながら、私は企画課へと足を向けた。

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