第12話
我が社には味よし値段よしな食堂がある。
本気を出せば250円で腹を満たせる、この企業随一の福利厚生だ。
食費が浮くことビート板の如し、新卒時代からここにはお世話になっている。今なお役員のみなさんには足を向けて眠れないな。
だがしかし、この食堂を語るならば唯一にして最大の欠点にも触れておかねばならない。
盛況過ぎて混む、それも激的に。
だから相席上等、譲り合いの精神が育つって訳だ。いやぁそこまで考えてこの広さの食堂にしたなら、社畜の教育が上手すぎるって。
「ここ空いてるかしら?」
人気メニューのカレーをもちゃもちゃと頬張っていると、後ろから声をかけられる。
「はい、どうぞ」
答えはもちろんイエスだが、この声最近聞いたような……例えば昼休みに入る前の電話とか。
「空いてるってさ〜!ありがとね〜だん……藍野くん」
隣に座ったのはもちろん失言しそうになった鳴宮。
最近会う頻度が高くなってないか……?
家でも会っているせいでそう感じるなら百歩譲って許せるんだが。
「やっほー藍野、久しぶりな感じするね〜」
鳴宮の後ろからもう一人女性が現れた。
肩口に切りそろえられた髪がふわっと揺れる。
トレーの上に大きなうどんを乗せて登場したのは花巻しずく、今となっては数少ない俺たちの同期だ。
「お、花巻か。確かに会わなくなったな〜俺が異動してからは特に」
真面目な委員長みたいな見た目のくせに、意外とイタズラ好きではっちゃけたタイプの女性だ。トレードマークは大きなめがね。
企画課時代、よく愚痴を言いに鳴宮と人事課に遊びに行ってたっけ。懐かしい。
「私は寂しいよ、君たちの夫婦漫才が聞けなくて」
「夫婦」という言葉にドキッとする。待てよ、今日結婚したって騒がれてる(らしい)俺と鳴宮が同じ席に座るのはまずいんじゃないか。
しかも目の前には人事の同期。
そこまで考えたところで、にたぁと笑った花巻の顔が目に入る。
こいつまさか……。だめだ鳴宮、既に俺たちは花巻の掌の上だ。
「私、全部知ってるから大丈夫だよ、存分にイチャついてもらって。いや、私の精神衛生上存分にはやめて、ちょっとにしてね」
「だってさ、旦那様」
その呼び方、会社では絶対だめだろ。しかもこんな混んでる食堂で。
鳴宮め……花巻が俺たちの結婚を知ってることをわかってて、敢えて俺のところに来たな、策士かよ。
「え!ひなちゃんってば藍野のこと旦那様って呼んでるの!?」
小声で叫ぶ花巻。その訳のわからない技術はどこで習得するんだ。
「えぇ、家ではもう……ね?」
艶やかな雰囲気を纏って、流し目でこちらを見る鳴宮。
「おい、嘘情報を流すのやめろよ鳴宮。花巻、お前は誰にも言ってないよな……?」
「当たり前でしょ、仕事で知り得た情報は死んでも漏らさないわよ……たぶん、ね」
最後の一言が怖すぎる。
その仕事ぶりは信頼しているが、こいつは「おもしろいから」という理由で何をするかわからんからな。
「……頼むぞ、俺の社畜人生がかかってる」
「あ、社畜って自覚はあったんだ〜!」
ケラケラと笑いながらうどんを啜る花巻。
刹那、足に何かがコツンと当たる感覚。
隣を見ると鳴宮と目が合う。
何かを伝えるような強いまなざし。
おいおい、結婚を提案された時でもこんな情熱的な視線は向けられなかったのに……一体何を伝えようとしているんだ。
だめだ、何を言いたいのかわからない……仮にも夫婦なのに……。
どうやら俺は鳴宮検定落第らしい。
(すまん、降参だ)
白旗を降って彼女の耳元に囁く。
鳴宮は肩をビクッと震わせながら口元に手を当てた。
(カレー、私にも一口ちょうだい?)
腹ぺこなだけかよ!!
仮にも旦那として、せめてカレーには勝ちたい人生だった。
とまぁ頭の中では大騒ぎだが、求められた以上渡さない訳にもいかない。
俺はすっとお皿をスライドさせて水を飲んだ。
鳴宮は目を輝かせながらカレーを掬うと、大きく開けた口にスプーンを放り込んだ。
「ん〜〜〜美味しい!やっぱり夏野菜って最高ね!」
人が美味しそうに食べているのを見ると、こっちまで満たされる。
「そうだろそうだろ、ここのカレーは最高だよな!」
完全同意、異論を挟む余地なんて1mmもない。
「いいねぇ〜!藍野が企画課にいる時からアレだったけど、いい感じに仕上がってるね、二人とも!」
ぐっと器を持ち上げる花巻、手を下ろした時には麺どころかつゆまで綺麗さっぱり無くなっている。
この速さで汁完だと!?
「ま、バレないように頑張ってね〜!あと今度のコンペ期待してるから!」
コンペ……?
聞きなれない単語をばらまいて、花巻は未だに混んでいる食堂の入口へと消えていった。




