9話
ルシアンたちが無事に戻ったとの報を受け、謁見の間に現れたハインリヒ王の顔に、安堵の色が浮かんだ。
「……よく戻った。何より無事であったことが嬉しいぞ」
その言葉はルシアンやユーリックに向けられたものであると同時に、とりわけジークベルトへと注がれていた。
若き王子は深々と頭を下げ、胸の奥で熱いものを噛みしめる。
そんな様子を横目に、ルシアンは一歩進み出て、低く言葉を紡いだ。
「……無理に兵を費やすより、後は我らに委ねた方が良い」
それは強い命令ではなく、あくまで王への忠告としての声音だった。
だが、その赤い瞳の奥には揺るぎない確信が宿っていた。
ルシアンの忠告を受けたハインリヒ王は、深く頷いた。
「……なるほど。人間に任せるには荷が重い、と言いたいわけか。確かに道理だ」
そう言いつつも、まだ探るように問いを重ねる。
「して、何か手がかりはあったのか?」
ルシアンは赤い瞳を伏せ、何も答えない。ただ薄く笑っただけであった。
その沈黙が、かえって多くを物語る。
ハインリヒは一瞬だけ考え込み、やがて静かに口を開いた。
「……皆。ここからは下がれ」
「陛下……?」
ジークベルトが目を見開くが、王の声は揺るがない。
「これは私とルシアンだけの話だ。お前たちに聞かせることではない」
父の厳しい眼差しに押され、ジークベルトは唇を結んで深く一礼した。
ユーリックも黙して従い、兵士たちもまた、謁見の間を後にする。
重い扉が閉ざされる。広間に残されたのは、王と始祖ただ二人。
「……そこまでして、ユーリックと真祖を会わせたくないのか?」
低く問いかけるハインリヒに、ルシアンはゆるく首を振った。
人間には対処できぬ――そう告げられた時点で、ハインリヒは察していた。背後に真祖が関わっているのだと。
「彼には――自ら考える力をつけさせたいだけだ」
ハインリヒはしばし沈黙し、深紅の瞳を真っ向から見据えた。
「理由はどうあれ、ユーリックを信じてやったらどうた?」
重みのある言葉が、謁見の間に静かに落ちる。
ルシアンはしばし目を細め、やがて口端をわずかに歪めた。
「……王はずいぶんと、信の置きどころに熱心なことだな」
嘲るようでいて、しかしどこか含みを残す声音。
その笑みの奥に何を秘めているのか、ハインリヒにも掴みきれなかった。
謁見の間を後にしたユーリックとジークベルトは、王宮の長い回廊を並んで歩いていた。
しばし沈黙が流れたのち、ジークベルトが口を開く。
「……あの、先程は助けてくれてありがとう」
横顔はまだどこか気恥ずかしげで、それでも真っ直ぐな声音だった。
ユーリックは足を止めず、ちらと彼を一瞥する。
「礼をおっしゃるなら、ルシアン様にこそ。あの場を収められたのはご主人様です」
「それでも……あの時、真っ先に声をかけてくれたのは君だ。だから、礼を言いたいんだ」
ジークベルトの言葉を受け、ユーリックは短く頷いた。
「……おそれ入ります」
それ以上は言葉を重ねず、再び静かな足音だけが回廊に響いた。
それきり口数の少ない従者は黙り込んだが、若き王子の好奇心は留まるところを知らなかった。
――いつからルシアンに仕えているのか。どうして選ばれたのか。普段はどのように過ごしているのか。
矢継ぎ早に向けられる問いに、ユーリックはそのすべてを巧みにかわし、具体を語ろうとはしなかった。ただ「昔から」「縁があった」「特筆すべきことはない」といった曖昧な言葉で受け流していく。
それでもジークベルトの瞳は好奇の光を増すばかりだった。
やがて城門が目前に迫ると、ジークベルトは軽く手を上げ、ユーリックと別れて城門の奥へと姿を消した。
残されたユーリックは無言のまま、背筋を伸ばしてその背を見送るのだった。




