03 ロールキャベツの中身は憂鬱と優しさ
あの偽アルムに見つからないタイミングとなると、誰かがアルムを引き付けている時しかない。
そう考えて、リリーナは夜営業をたった1時間で切り上げた。
本当は休業にしてしまいたかったが、偽アルムに不信感を与えるのを避けるためには、ほんの少しでも営業したほうがいいと考えたのだ。リリーナの店の主要客は、村人というよりも、王都へ向かう途中の旅人や商人だ。
だが、今日はその中に、たまには外食をするかという趣向の村人がいたので、リリーナはロールキャベツを持ち帰り用の容器にねじ込んだ。
「アルムに渡してきて!」と、そう言ってロールキャベツを押し付ける。何か揶揄われそうな気配がしたので、睨みつけて黙らせた。お喋り好きで有名な村人なので、ある程度の時間は稼げるだろう。
サーシスは徒歩だった。途中の詰所で馬を拾うのだろうが、そこまでは猶予がある。サーシスが詰所に行く前に追いつければ、なんとか話せるかもしれない。
村を歩いていれば、ちょうど、弾幕のような語りになんとも言えない顔をしているアルムを見つけた。偽アルムが、リリーナに気がついたようで、大きく手を振ってきた。
「リリーナーーー!!!」
このままついてこられるのは困る。
そう思ったが、特に偽アルムはリリーナの行動を不審がっていないようだった。
「ありがとうーーーーーー!!!」
ちくりと、胸が痛んだ。彼の水色の瞳を見る気がしなくて、リリーナは目を逸らす。食べもしないくせに、お礼はちゃんと言うのねと、そう思ったが、うれしそうに笑うその顔を、正面から見ることはできなかった。
✴︎
結論から言えば、サーシスには追いつけなかった。騎士団の詰所を尋ねたが、ちょうど10分前に出たと言われてしまった。
王国随一の騎士、それも勇者の唯一の同行者が馬を走らせたら、リリーナが追いつける見込みはないだろう。そもそも、ただの村娘のリリーナが馬に乗れるはずもない。
あたりは宵闇がとっぷりと落ちていた。
まだ、詰所に来るまでは夕暮れ時だったが、気が付けば日が暮れていた。王都へ行くという手もあるが、魔物がいなくなったとはいえ、夜に女が一人で歩くというのはあまり褒められた行為ではない。
こうして詰所まで来ているのも、本来ならばリスキーなのだ。いっそ王都にとも思いたくなるが、王都まではまともに歩けば四時間はかかる。到底、現実的な距離ではない。
王都に行く時は、いくらかを払って商人の馬車に同乗させて貰うのが一般的だった。だが、この暗さでは商人たちも出歩かないだろう。
大人しく帰路につくことにする。
だが、どうしたものか。
今日の言い訳はなんとか効くだろうが、明日の朝にはまた、あの偽アルムが来るだろう。リリーナに自由が効く時間は、ほとんど無い。
どうしたって気持ちが沈んだ。
「(………アルム)」
今、アルムは無事なのだろうか。
どうしてあたしは、ご飯なんか作っているんだろう。どうして、それしか出来ないのだろうか。
✴︎
アルムは、小さい頃はリリーナよりもずっと泣き虫の男の子だった。
昔から勇者になって魔王を倒せるぐらい強かったかと言われるとそんなことはなかったし、村人はアルムよりもむしろ、サーシスに期待をかけていた。
サーシスは魔法の覚えもよく、10歳になるころには王様に仕える魔法使いたちが使うような魔法を使いこなしていた。唯一、光魔法だけは使えなかったが、それ以外の全ての魔法属性を習得しているのは、異常なほどだった。
それだけに留まらず、サーシスは剣の腕前も卓越していて、村始まって以来の希望の星だった。
一方アルムはといえば、至って一般的。
剣はサーシスから稽古をつけてもらっていたが、サーシスに勝ててはいなかった。魔法の方も、リリーナと一緒に、下級魔法のファイアーボールの大きさがどっちの方が数センチ大きかったかとか、そんなしょうもない事で争うレベルだった。
転機は、明確に思い出せる。
リリーナとアルムが10歳の時だ。
✴︎
今でこそ、ボケ倒すアルムと、それを制するリリーナという幼馴染二人だが、幼少期は逆転していたのだ。
幼少期のリリーナという少女は、たいそうな暴れん坊で、村人から口々に、
「オークはリリーナの先祖にいないはず」
「リリーナと飛び回るスライムを並べたら、まあまあいい勝負になる」
「暴れ馬」
と、不名誉に評されるようなおてんば娘だった。
村の外へ遊びに行ってスライムを鷲掴んで帰ってきた時には、笑ってくれたのはリリーナの母だけだった。騎士である父が一刀両断してくれなければ、今頃村は魔王領・辺境地区になっていたかもしれない。
そんな母が、病で急逝した。
何をしようにも胸に大きいものがつかえたようで、食べる気にもならない。見かねたリリーナの父が、彼女に沢山の美味しいものを持ってきたり、自分で作ったりもしてくれたのだが、リリーナの喉には何も通らなかった。ただ、天井と空をぼーっと見上げて過ごす日々。
「(さいごにごはん、たべたの、いつだっけ…)」
その日も、リリーナはこっそり村を抜け出して、木の上に登りながら、呆けたように青空を見上げていた。雲一つない快晴が、木々の隙間から覗いて見える。
「(おなか、すいてないな……)」
父が出してくれた朝食も、ろくに食べることができなかった。だが、お腹は空いていなかった。昨日も、サーシスがキラキラしたかわいらしいクッキー缶を持ってきてくれたが、結局は一枚も食べられなかった。
ママ。
ママの作るご飯はいつだって、とびきりおいしくて、うんと遊んだあとは、ママのご飯を早く食べたくて、走って家に帰った。
家の扉を開けても、母の「おかえり」という言葉は無い。それがどうにも、奇妙な感覚だった。
リリーナは、首から下げたペンダントをつまみあげた。鍵のようなチャームがついたそれは、母のお気に入りのペンダントで、リリーナがずっとねだり続けて、8歳の誕生日にようやくもらったものだった。
「……………ナ〜…」
だがまさか、形見になるとは。
8歳の少女はとうてい思いもしなかった。
「リリーナ…………」
「……ん?うわ、なによアルム…何してるの…」
下から聞こえてきた声に視線を下ろせば、木に、虫のように幼馴染がしがみついていた。
「……まさか、のぼれないの?」
「片手がふさがってるんだよ!みろよこれ!」
腰には商人から騙されて買った彼の愛剣。
子供用を買えばよかったのに、そうしなかったせいでやけに重そうだ。アルムはいつも、体の半分以上はありそうなこの愛剣を引きずるようにして歩いている。
アルムは、右手の肘に、籠のようなものを引っ掛けていた。登ろうとしているが、愛剣と、籠と。その二つが邪魔になって登れていないようだった。リリーナはひょい、と木から降りる。アルムもそれに倣って、しがみついていた木から降りた。
「………………なにそれ?」
「俺のひるめし。やんねえぞ」
「……いいわよべつに。お腹すいてないの」
アルムが木の幹を背もたれに座り込んだので、リリーナもその後ろ側に座った。木を間に挟んで、彼と背中合わせのような格好になる。
この幼馴染は、何をしにきたのだろう。少し考えたが、父に、気にしてやってくれと頼まれているのだろうなと思った。それを律儀に守るあたりが、なんともアルムらしいが。
ふと、何か、野菜が煮えたような匂いが漂ってくることに気が付いた。アルムの方からだった。
「……スープでもつくったの?」
「うん。俺のひるめしだぞ」
「とらないわよ!……スープもちあるくって、どうなの?」
「おいしい以外にことばはありません」
「なにそれ………?」
呆れた声を出したが、アルムは笑うだけだった。
空が青い。
鳥の囀りが、少し遠くから聞こえてきた。
さっきは無かった雲が、ゆっくり流れてきている。雲を運ぶ風は穏やかに、リリーナの頬を撫でていく。
静かな昼だった。
アルムは、特に何一つ言葉を発することなく、黙々と昼食を食べていた。それが、彼の気遣いなのだろうとは、リリーナには分かった。アルムも、覚えていないだろうとはいえ、両親が亡くなっているのに。リリーナに、気を遣ってくれていると、すぐにわかった。
悲しいだろうと言われれば、涙がまだ出ない自分が悪いのだろうかという気持ちになる。辛かったなと言われれば、胸の奥の苦しさを思い出してしまう。そうではなく、ただ、そこにいてくれるだけ。それが、リリーナには少し、うれしかった。ずっと苦しかった呼吸が、少し、凪いだような感覚に陥る。
「…………それ、もしかして、トマトスープ?」
何に遮られることもなく、五感を研ぎ澄ませていたからだろうか。何か、煮えたトマトの香りが混ざっているようなことに気がついた。
「なんと、そこにキャベツでまいた肉を入れてる」
「……さも、自分が発明しました、みたいないいかたして……」
「うるさーいぞリリーナ」
ロールキャベツ。母の得意料理だった。
リリーナも、一緒に手伝って、キャベツで肉だねを包む工程をやったことがあるが、中々難しかった。
それをこの、アルムが?
全然料理をしたことのない、こいつが?
少し、アルムの方に身を乗り出した。流石に少し、見てみたくなったのだ。まともに食える味がするのだろうか。原型が保たれているのだろうか。好奇心が勝った。
「ねえ、あたしにもちょうだい」
「……………………………………いいよ」
すごく良くなさそうに許可が出たので、遠慮なくアルムが差し出したスプーンを手に取る。
アルムが差し出した器を受け取ると、また彼と背中合わせになって、ロールキャベツに手を伸ばす。切ろうとすると、中々硬くてスプーンでは切りづらかった。アルムは煮込み時間を端折ったに違いない。
口の中に、ぱき、と音が伝わった。
そのまま噛み砕くと、じんわりと染み込んだトマトの甘さが口に広がる。
中に詰まった肉は、火の通りとしてはギリギリ及第点。スープを見れば、ところどころ肉が浮いていた。アルムの包みが甘くて、煮込んでいる途中で解けてしまったのだろう。
「(……あったかい)」
スープの温度ではない。
キャベツでも、トマトでもなく。
なんとなく、脳裏に包丁を握りしめるアルムの姿が浮かんだ。小さな鍋でコトコト煮込んだ時間が、やさしく詰まったような、そんな味がした。
無我夢中で、リリーナはロールキャベツを食べた。気が付けば、器の中身はすっかり空で、スープまで飲み干していた。スプーンを器に置く。アルムは、何も言わなかった。
「……っぐ、う…うう〜……、」
嗚咽が漏れて、リリーナはそこで、自分が泣いていたことに気が付いた。胸の中の氷が、あたたかさで溶けたように、溢れ出た涙が止められなかった。
「う〜…、うわ、うああああん……!!!」
アルムが、背中を向けたまま、リリーナの手に、そっと自分の手を重ねた。ロールキャベツと同じぐらい、とても、暖かい手だった。
思えば、明確にこの後から、アルムは強くなった。魔法の修行にも精を出して、自分の強さを磨くことに真摯になったのだ。
次回、話が結構動きます。
ついでにリリーナも相当動きます。物理的に。