番外編 ヤエベニシダレザクラ
そこは王都から遠い、山間からも民家からも離れた穏やかな平地だった。
時間をかけてこの地を探したというカーライルは転移魔法を使って、王都の研究所から私と二人、この場所に降り立つ。
春先の肌寒い夜は、ドレス一枚の私を身震いさせる。私の様子に風防護の魔法をかけてくれて、その優しさと暖かさに安心してほっと笑みが漏れる。
闇の中、一本の木が光魔法で淡く照らされている。時を重ねた木は枝を垂らして、一見柳の木のようにも見える。
黒いフロックコートを着たカーライルが淡紅色のドレスを着た私の手を取り、大木に近づく。
「この木の周囲には結界が張ってある。結界の外からは、この木は見えない」
木の根本に立った彼が幹に手を当てると、木の周囲だけ春の暖かさに包まれ、枝垂れた枝に蕾がつき、ゆっくりと花開く。
「ヤエベニシダレザクラと言うんだ。東洋から取り寄せた」
小さな光魔法のランプがところどころで満開になった花をやわらかく照らす。とても幻想的な光景に目を奪われ、美しすぎて言葉が出ない。
「君の、髪と、瞳の色だ……」
枝を撫でる様に引き寄せ、淡紅色の花弁に優しく口付け言う。その瞬間、胸が高鳴る。
「…………」
(心臓に悪いわ……)
急に恥ずかしくなって、視線を逸らしてしまう。
「リリー……?」
何故彼が自分をここに連れて来たのか思い浮かぶが、そんなはずはないと思い、その考えを振り払う。
「……不思議……ここは、天国? こんなに美しい場所があっていいの?」
胸が熱くなるのをごまかしながら、花の中に埋もれてしまうような感覚に陥る。
(……夢を見ているようだわ……)
桜が天蓋の様に木の根元にいる私達を包み込んでくれる。カーライルの手に力が籠り、優しく微笑んだ彼と視線が交錯する。
「もちろんだ。ここは、君の為にある」
カーライルは私を抱き寄せ、耳元で囁く。
「リリー……君を味わいたい……」
私は驚きすぎて声が裏返ってしまう。
「なっ……なにを……何を言ってるのよ!」
甘やかな声は頭を痺れさせ、予感が的中していた事に混乱する。
(まだ早いわ……早すぎる……)
「わ……私達は……知り合ったばかりで……」
「……僕は、ずいぶんと長い時間、ずっと君を待っていた」
カーライルの目は捕食者の様で、私は身を捩って逃げようとするが、見えない糸で拘束されているかの様に何故か上手く行かない。つかまれた手首から彼の魔力が伝わり、全身の熱を高める。
「君の、すべてを見せて」
カーライルに見つめられると、緊張して私の目は潤んでしまう。心臓が早鐘を打つ。
「……駄目」
カーライルは座って、私を抱き寄せ、自分の上に乗せる。後ろから抱え込まれるように抱きしめられ、彼と私の熱と魔力が溶け合っていくのを感じる。
「どうして……?」
耳元で囁かれる声に眩暈がする。断る理由なんて、何も無いのを知っているくせに。
私は恥ずかしさに堪らなくなりなんとか抵抗しようとする。
「……………………桜が……………………見てるもの………………」
やっと口から出た言葉はとても子どもじみていた。
「………………………………………………」
カーライルは、きょとんとして私を見たが、やがてクスリと笑う。
「これは、失敗したな…………」
そう言うカーライルは、信じられないほど幸福な顔をしていて、それを見た私は彼ではなく自分が大失敗したのだと気づいた。
カーライルは私の頬を撫で、顎を持ち上げると、これ以上ないくらい優しい口付けをする。
膨大な魔力が流れ込んできて、痺れるような甘い感覚に酔わされ瞬時に全身の力が抜けていく。
言葉一つ発する事ができない。
「では、見られないところに……行こう?」
普通に、『待って』と言えば彼は必ず待ってくれただろう。
選択を間違えた事を伝えたいが、それを見越したのかあいにくと声を奪われた後だった。桜が無いところならばもはや逃げ場は何処にも無いではないか。
幻想的な淡い光の中、彼の熱が伝わってきて真っ赤になって、涙目になる。
「――――っ――」
追い込まれた私は目を逸らしながらも、諦めて微かに頷いた。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。これで完結とさせていただきます。
皆様に沢山いい事がありますように。