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71 黄泉の刻印



 ”送転陣”を抜ければ――、そこは空宙だった。

 全身を包む大気の質の違いが瞭然りょうぜんたるもので。


「ぐべっ」


 大広間の高い天井付近からの落下なのだから、衝撃がすごい。

 肉体に痛がる暇を与えることなく、転がって飛び跳ねる。


 唐突に嵐のような戦場の中に放り込まれたからか、身体の器官が悲鳴を上げる。

 鯨波げいはのうねりと猛り狂う者が引き起こす地響きに、目まい、動悸どうき、吐き気、耳鳴り。


 それらに構うことなく、バッ、バッと手早く目に焼いた光景を脳みそへ送り、素早く咀嚼そしゃくする。

 狭間の大広間――、冒険者達は半数近くに減っているような――、先に赤い受転陣、ここは”青”寄り――、周り、カレン、猫耳、赤毛、黒髪少女が動揺。


 天井から転移(落下)したことか。


「アッキーっ」


「はいっ、送り側だったあそこは『玉座の間』だけあって、何か他の場所より強い”乱れ”の干渉が起きたのかも」


 そういうことにするしかないよな。

 魔王、魔王、魔王――冒険者の群れ、魔王、魔王、魔王。

 何度見回しても、足りない。


「カレンには幾つに見えるっ」


「上も下も物陰も。私の眼にも四体目が映りませんっ」


「ルーヴァも焦ってるにゃっ」


 声だけを飛ばし合い、臨戦態勢のまま気配を探る。

 回る回る、回る戦場に、長い柄のハルバードが弾け飛ぶ。

 広間の中央から、水切り石のごとく地面上を跳ね、転がる肉の塊。

 戦闘中のデカルト隊隊長は発見。

 マサさんはむくりと起き上がれば、武器を見捨て魔王から敗走する。


「マサさんっ、マサさあああんっ」


 叫びながら、マサさんを捕まえに駆ける。


「おお兄ちゃんっ、やっと来たか。これで赤の魔法陣を守らなくて済むなっ。結構大変だったん――」


「マサさんっ、まずいことになったかも知れないっ。魔王が、魔王の転移が上手く成功しなかった」


「魔王なら、俺の後ろにいるだろ」


「三体はいる。けど俺達が送ったはずの黒の魔王がいないんだよっ」


 俺は相手の太い肩を掴み、揺すった。

 やはり肩越しで映る光景に、四体の影はない。


「ああ兄ちゃんは、見てなかった――見れるはずもねえか。それだがよ」


 戦いの誇りに塗れるドロドロの顔。

 広角が上がれば、泥の白粉に亀裂が走り、まさしく破顔となったそれだが。


「すまねえな。あんまりにも魔法使いの兄ちゃんがもたもたしてっから、今しがた俺達で一体仕留めた」


 言葉の意味を理解した瞬間、脱力してしまう。


「あはは、じゃあ、あそこにいるのは俺達が召喚した魔王なんだね」


「おう。あの野郎がそうだ」


 大広間の大半を陣取る三体の魔王。その真ん中の異形の獣が指される。


「まったく魔王ってのは、とことんムカつく、空気読めねえド畜生野郎でな。仕留めた矢先、士気が最高潮の時に空から降って――」


 ほんと、空気が読めない相手だ。

 マサさんの愚痴に平静を取り戻そうとした時だった。


 世界が紫色に染まる。


 魔王を取り囲む冒険者達、マサさん、俺、傍らの仲間達が『黄泉の刻印』の閃光を浴びる、


 体中が、一度きつく縄で縛られ解かれた後のそうな感触に蝕まれる。

 俺をのぞく顔を確認しなくても分かる。

 これが刻印なのだろう。

 

『――врагっ』


 憎悪を孕むような魔王の声。

 俺はそれに苛立ちを感じていたが、一方で『黄泉の刻印』が正しいものだったんだと気付かされる。

 世界が、命のやり取りを等しくしようとしている。

 

「……一体倒したんなら、早く残りも倒さないとな。分裂したら厄介だ」


 俺は睨み返す。

 巻き角の獣へ死を与えるべく、覚悟しろよと睨み返す。

 そうしてから、カレンを見た。

 凛々しい彼女の顔に、紫の印は刻まれることはなかった。


「やっぱ、カレンだな。日頃の行いがいいんだろうな」


「神頼みなどせずとも、戦況は押し切れます」


 俺は魔王を一体仕留めた彼らを賞賛する。さすがは討伐に選ばれた冒険者だと。

 けれど、魔王の数は変わらず三体、その内”黒”の魔王は元気なものだ。それに引き換えこちらの人間側は刻印者と離脱者を増やすばかり。

 激は激として、最善を曇らせてはいけない。


「カレン……滅殺魔法を今すぐ使おうと思う」


 黒の魔王はまず無理だろうが、他は十分に体力を削れている。

 一対全戦力なら勝機はぐっと近くなる。


「広範囲魔法は”巻き込み”だから、念のため、刻印持ちの人を下げて欲しいっ」


「駄目です」


「あとは、魔王を追い込む人にも体力回復を、ん? 今『ダメです』って言った?」


「ええ、そう言いました。イッサの状態が変わりましたので。イッサが言ったのですよ、滅殺魔法は”生命力”を使うと。SPはともかく、HPの全ての消費は私達でいう死です。そして、今イッサの顔には刻印がありますっ」


 叱られる感じで言われる。

 カレンに『ふんばーる』での対策まで言ってなかった気もするので、彼女を興奮させた原因は俺にあるような気がしないでもないけど、俺がお馬鹿さんみたいに思われてそうで、釈然としない。


「俺は命に代えてでもっ――とかの熱血キャラじゃないから安心してよ。頭脳で困難を乗り越えるクールキャラだから」


 使用消費量の設定がない分、ゼロでない限りいつでも発動できそうな滅殺魔法。

 ただ、生命力と言い換えられるように、HPとSPを同時にすべて失うことになるようだ。


 なかなかHPとSPを同時に使うスキルなんてない。というか初なのだが、ゲーム的に考えると、よくある自己犠牲でとんでもない力を行使するやつだという解釈になる。


 それゆえに、俺の最強魔法への期待値は高い。


「刻印持ちになる予定はなかったけど、『ふんばーる』でHPは1残るから大丈夫。できればカレン達には、HPが1、SPが0の役立たたずになる俺を守ってほしいかな……なんて」


「分かりました。命に代えてでも、私がイッサを死なせません。アッキーもいいですね。ルーヴァも」


 カレンは自分の意気込みを、周りへと伝染させた。

 カレンらしい。

 ありがと。まあ、女の子達に守ってもらうことには情けなさを感じるんだけど。


「気負いしていたものが、楽になったよ。……俺達は冒険者。魔王を討伐するため立ち上がった魔法使いは、杖をかざし雷鳴を轟かす」


「騎士の刃は折れない。この身は仲間の盾となる」


「獣人の拳に砕けないものはないにゃ」


「僧侶の癒やしが届かない背中はありません」


「さあ、最後の頑張りどころだっ。行くぞ、皆っ」

 


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