第四章~自分探し~
五月 一〇日 リーン・スナー
ついに今日の日付が判明した! それを記念して日付を書いた! やっぱり日付をちゃんと書けるのは、嬉しい限り。
それはともかくとして。私達はしばらく、このランチェストという町を拠点にして活動することにした。
北だけでも二つの街道があり、東西にも、南にも街道が延びている。交通の要衝ともなっているため、様々な地方の情報が集まりやすい。そうした理由で、サティーがこの町を拠点にすると決めた。
私のルーツを探すのは、……正直言えば怖いものはある。
私の本当の親が一体どんな人たちなのか、何ら記憶もない。
私が見つけられた当時、私は一枚のボロボロな布を羽織っていたぐらいで、何ら手がかりになるようなものは身につけていなかったそうだ。
私を保護した両親と仲間の人たちは、すぐに森全体で手がかりになりそうなものを探したけれど、結局何一つ見つからなかったそうだ。例えば、馬車の轍や馬の蹄の跡など、或いは魔獣が人を襲った形跡がないかなど。ただ、これは産みの親と『はぐれて遭難した』ということが前提で、悪感情に乏しい村の人たちは、結局もう一つの考え方には及ばなかった。
私も旅を始めてから、悪い考え方があるというのを知って、ときに後悔したことだってある。怖いのは、私は『捨てられた』んじゃないかってこと。あの始まった村で、トランディアの人たちは、そうした人たちの集まりだったから。もしかしたら私もそうである可能性を考えてしまったのだ。
それでも。私は、私を知りたい。
第四章~自分探し~
ランチェストは、小さいが各方面に街道が延びる町である。そのため交易が盛んであり、規模の割にはかなり裕福な町だ。町の支配層も住民達には親身になって答える性格のようで信頼も篤いと聞く。実際町の人たちの表情は明るい。
「早速だけど、あちこちのギルドを尋ねてみないか?」
「ギルド、……ってなに?」
女性陣二人、同時に首をかしげた
「そこから説明がいるか」
ギルドとは、商人達が組織した団体で、良い面でも悪い面でも大きな組織である。簡単に言えば商人達専用の互助会のようなものだが、やや閉鎖的ではある。
まず、ギルドへの参加資格だが、商人である必要がある。そして、この町で商売をするにはギルドに加入しなくてはならないというルールがあった。そして加入するには、同じ商人からの紹介も必要だ。加入したら一番下の階級から始まるのは仕方ないが、上の階級の者からの言葉は絶対的なものとなる、厳しい上下関係がある。本来階級の低い者たちを守る義務もあるが、その部分は余り守られず、弱い立場の者たちは搾取されているのが実情だ。
どうしてこのような団体ができたかと言えば、過去の支配階層に対する不満があったからである。当時の支配階層は今よりもずっと傲慢で、商品をただ同然で奪い取ることは日常だった。それに物言いをした商人はその場で殺されてしまう事もたびたび起こるほどに、支配階層は腐りきっていたともいえる。そこで商人達は結束して立ち向かうことにした。
結束することで生まれた力はとても大きかった。支配階層が脅迫なりなんなりしたら、商人達全員がその支配階層への商売を中止するなどで徹底抗戦、時に経済戦争を仕掛けるなどして弱体化させた。元から親身になってくれていた者たちには逆にお手頃なお値段で商売をするなど、とにかく商人達に有利な状況を作り出すことで、政治基盤そのものを揺るがした。
かくして商人ギルドはこの町の政治にも影響力を及ぶ団体となり、今日に至る。
当然ながら、商人ギルド一強という状況を良しとしない勢力は一定数ある。それは農工など産業側だ。彼らからすれば、商人が異常なほど力を付ければ様々なものが買い叩かれ、自分らが生活できなくなるだろうとの懸念から、彼らもまた団体を作るようになった。それが酪農、農業、そして工業をはじめとしたギルドだ。以後、互いが互いをにらみ合う状況となり、平和に見えて裏側ではドロドロとした町ができあがった。
カース自身はそこまで詳しいことは知らないが、ギルド同士余り仲が良くないこと、そのギルド内でも一枚板ではない事を、リーンたちに伝えた。
「そ、そんなギルドを尋ねるとか、大丈夫なの?」
「ああ、話を聞きに行くだけなら紳士的だ。俺も何度か利用させて貰っている。……勿論情報料を払う必要はあるけど」
サティーは、お金の為ならなんでもしそう、という言葉が喉まで出かかったが、そこは飲み込んだ。
三人は、商業ギルドを訪れた。受付には恰幅のよい男が座っており、三人をチラリと見ても、愛想笑いの一つ浮かべず面倒そうに睨んでいた。
「少し高圧的でも良いぞ。舐められたら貰える情報も貰えなくなる」
カースがリーンに耳打ちした。
「解ったわ」
リーンも小声で返事し、受付へと向かった。
「すみません、尋ねたいことがありまして」
「なんだ?」
うん高圧的だな、とリーンはその一瞬でイラッとしたが、そこは表出させなかった。
「スナーって家系、要するに名字ね。そういった家庭に聞き覚えはないかしら?」
「ああ? 商人仲間でか? ……聞いたことネェな」
「別に、商人限定じゃないわよ?」
「他のことは知らねえよ」
ろくに考えるそぶりもせず男はそう言って、追い払うように手を振った。
「……」
リーンはそのまま受付から離れ、カース達に合流した。
「人の話聞かないタイプよね、あれ」
「まあ、ギルドの受付なんてあんなもんさ」
それでも、とりあえずの回答は得られたので、次に向かうことにした。
「……じゃ他でも聞いてみよう」
「ええ」
そして、三人は酪農、農業、工業のギルドを順に巡り、スナー姓に聞き覚えがないか訪ね回ってみた。酪農ではリーンが狩猟者であることから話が盛り上がり、農業ギルドではサティーと話が何故か盛り上がってしまった。なら工業ギルドならカースと話が合うんじゃ無いかと女性陣二人冗談を言ってみたのだが。
「……ええ、この剣のこの部分、ちょっと強度的な不安があって」
「なるほどなるほど。いや実際にいろんな動物、……魔獣? と戦っている人の意見は参考になりますね。酪農ギルドも強い動物、ええ、魔獣でしたね。そういった連中からの被害も出ているようで。ここは工業ギルドがもっと強い武器をこしらえて、戦える人を募集して、農業と酪農を守るような組織を作り上げることも視野に入れておかないと……」
本当に盛り上がってしまった。
「えっとカース様でしたね、いっそこの町に永住して、そういった団体を組織し、組織長としてこの町を守っていくのはどうでしょう?」
「誘うな誘うな」
リーンが思わずツッコミを入れてしまった。カースも話に引き込まれ、危うくそれに頷いてしまうところだった。
「あと、まだ質問に答えて貰っていないのだけど?」
「あ、ええと、なんでしたっけ?」
商人ギルド以外は愛想は良かったものの、各々のギルド員が揃いも揃ってコロッと話を忘れて話し込んでしまったことに、リーンはとても大きな溜息をこぼしてしまうのだった。
その後、三人は適当に宿を取り、体を休めることにした。
「取りあえず、収穫はあったかな」
「ええ、二カ所」
リーン姓について、二つ手がかりを得ることができた。農業ギルドは、東の少し奥まった地方に、スナー家が大きな農場を開いているという話を聞いた。ここからは東の町まで不定期便で馬車が出ており、農場はその町近くにあるそうだ。近くまで馬車に乗せて貰えれば、それほど歩く必要は無いし早く到着できる。なお片道三日ほどかかる。まずは町に移動してから農場を訪ねるという計画も視野に入れる。問題は便が不定期であることだ。今朝出たばかりなので、数日ほどは便がないことが予想される。
もう一つ、こちらは工業ギルドの方だ。西側へ馬車で四日かかる場所に、ちょっとした町がある。北に鉱山があり、その鉱石の販売網の中継地点となっている。この町にスナー家がある、というものだ。ただ、このスナー家は工業ギルドに直接関係しているわけではなく、相談したギルド員がたまたま個人的に知っていただけのものだ。他のギルド員だったら、おそらく聞き逃していたであろう情報だった。
工業ギルドを後にする前、受付は三人にもう一つ話を聞かされた。スナー家には直接関係はしていないが、地方によっては台帳で市民を管理しているところもあるそうだ。かくいうこのランチェストでも、住民が増えてきたため台帳での管理を始めたばかりだそうだ。まだ全世帯が登録されているわけではないが、もしかしたら他にもスナー家があって、登録されている可能性もあるのでは、とのことだった。
その話を聞いて、サティーは少し考え込んでいた。
「さて、今後の計画だけど」
カースが切り出すと、サティーは手を挙げた。
「どうした?」
「私はこの町に残って、台帳を調べてみる。だから他の町には二人で行ってきて」
「えー?」
リーンは少し不満そうな声を上げた。
「そっちは帰ってきてから皆で調べれば良いんじゃないか?」
ランチェストという町は、コンパクトにまとまった町である。そのため町の広さに対して人口が多い。この町では市民を台帳で管理しているとすれば、地区ごとに複数冊あるのではと考えられる。そのため三人がかりで調べれば、その分早く住むのでは、というのがカースの考えである。
しかし、サティーは首を横に振った。
「私も私で色々調べたいことがあるの。なので今回は別行動でお願いしたい、かな」
リーンとカースは顔を見合わせる。
「まあ、サティーがそう言うなら、ここは任せた方が良い、のかしら?」
リーンが見上げると、カースは少し考えた後頷いた。
「解った。俺たちも気を付けていってくるけど、サティーも気を付けてくれな。人が多い町は良い奴ばかりじゃない、悪いことを考えている奴も多い」
「ええ、解ったわ」
こうして、翌日からの指針を決めたのだった。
二人と別れたサティーは、早速町の役場へと足を運ぶ。そこで早速、スナー姓について調べたいと申し出た。しかし、住民の住所などプライベートなことが書かれている台帳は流石に見せることはできないと、突っぱねられたが、代わりに役場の方で可能な限り調べてくれることになった。
但し、条件づきで。
「……その条件というのは?」
「ええ、エルフの魔法を少しでも教えてほしいという所です」
エルフの魔法というものは、存在自体はよく知られたものだ。しかし、その使い方などについては、人族にはほとんどが伝わっていない。だから魔法は、エルフ特有のものだと、これまでは言われ続けてきたものなのだ。
しかし、古い時代にはエルフと人族が交わり、その子らには魔法が教えられていたという時代もあり、少なくともその人族もまた、魔法がある程度使えたらしいと言う逸話が残っているのだ。そこから転じて、人族も魔法が使えるのではないかと、そう考えられている。
交換条件として出してきたこの男もまた、そうした考えなのだろう。
「……そうね」
サティーは考える。
すでに、自分が知るエルフの郷は一つとして残っていない。もしかしたら、すでにエルフという種は、サティー以外には残っていないのでは、何てことも考えてしまう。
ふと、レッドドラゴンに襲撃されたときのことを思い出す。
あの時、エルフのことをなんと言っていたのだろうか。確か、『スーナ・ナスリージ』とそう呼んでいたはずである。それが一体何を意味するのかは分からないが、レッドドラゴンは明確に、『スーナ・ナスリージ』として根絶しなくてはならない、と言っていた。そしてそれが矜持だとも。そこには驕りも何もなく、何かしらの強い思惑があって行動していたことになる。
サティーが知るエルフの郷は、自分が生まれた場所だけだ。親の世代では他にもあったらしいが、全て過去形で話していた。そして、とうとうこの郷だけになったのか、という言葉が、鮮明に思い出される。この時は一体何を言っているのか、意味は分からなかったが。
今なら分かる。
エルフは、人族に対して魔法を秘匿した。その理由は至極簡単だ。応用力の高い人族は、これを直ぐに戦闘の道具として使ってしまうからだろう。
人族は、確かに同族同士で殺し合うこともある、愚かな生き物だ。しかし、サティーはそれでも可能性を秘めた存在だと信じている。
だからサティー個人としては、人族に魔法を教えることに、拒む理由がない。
「まずは簡単なところから教える感じでいいかしら? 例えばそうね、鍋に水を出してみたり、竈に火を熾してみたりなんか」
「ええ、分かりました!」
サティーを担当した係は、興奮気味に返答するのだった。
それからサティーは、スナー姓について調べて貰う代わりに、役場の一室を借りて、まずは役場の人間から、次に商業などのギルド構成員に、魔法を教えることにした。
なお、上下関係がとても厳しいギルドだが、そうした上下関係関係なく全員が平等に学べるようにと、サティーは念押しするのだった。
かくして、こうしてサティーによる魔法講座が開かれることとなった。リーンとカースの二人が町を離れている数日間だけだが、こうして、人族に魔法というものが浸透し始める、第一歩が始まったのである。
カースとリーンの二人は馬車の発着場を訪れた。ここから北以外の様々な方面に定期便がでているようで、多くの旅人と思われる人たちが馬車の到着を待ちわびていた。
東方面の便は予想したとおりで、必然的に西の町を目指すことになった。
「町の名前は……、ゴルクスだったか?」
「うん。馬車で四日ほど。……歩きなら二週間ほど、かな?」
三泊四日の道中ともなれば、便の料金もそれなりにかかる。サティーも連れていくとなれば、もっと出費がかさんでいただろう。もしかしたら、このことも含めてサティーは遠慮したのではないだろうか、とカースは考えてしまった。
最近はリーンのおかげで稼ぎが多くなっているため、こうして馬車に乗るという贅沢ができるようになった。これまで魔獣の皮はともかくとして、骨や牙などが売れることを知らなかったこともあるが、皮もちゃんと処理して売ればもっと高額になっていたことに、カースは今更ながらかなり損をしていたんだな、と少し反省もしている。リーン様々だった。そのリーンの冗談に、カースも冗談を交えて答える。
「今更歩かないぞ?」
それから程なくして、リーン達は発券所でゴルクス行きのチケットを購入、指定された馬車に乗り込んだ。馬車は数台が一塊となって目的地へと向かう。また、馬車には専属の護衛がつくことにもなっていた。そのため、道中魔獣や盗賊などに襲われても、護衛の数で突破できるという算段である。
護衛は、商業ギルドからの派遣だそうだ。大きな商会では、腕に自信のある男達を警備担当として雇っているが、そうした者たちらしい。
馬車は八人乗りで、後ろが荷物スペースという貨客型三台と、完全に荷物しか載せられない平台馬車四台という構成だ。いずれも幌で直射日光が当たらないようにしている。
それぞれに御者二人、護衛が一人乗る。乗客は最大二四人。
一日目はちょっとした木陰で一晩、二日目は小さな村の敷地を借りて一晩、三日目は草原で一晩明かす。二日目の村で荷物の受け渡しが発生するのと、馬車の到着に合わせて美味しい料理が提供されることが、この行程でのアクセントであり楽しみでもあった。
貨客馬車の内部は、二人並んで座る座席が、真ん中の通路を挟んで左右にあり、それが前後ろの二列。その後ろに旅行者用の荷物スペースがある。その更に後ろは貨物が既に積み込まれていた。貨物用スペースの片隅に座席が設置されており、そこに警備の人間が座る。貨物は勿論乗客の荷物にも目を光らせているので、盗難などの心配は無さそうだ。なお、乗客用も護衛の人用も座席は狭く、とても鎧などを着て座ることはできない。カースの装備は鎧と剣。いずれも大きくて邪魔になるもののため、自分らの荷物と一緒に後ろの荷物スペースに置くことにした。リーンは元々鎧の類いは身につけていないし、武器も小型であることから座席の下に置いておくことにした。
初日は、リーンが窓側、カースが廊下側の席に座ることにした。
鎧を脱げば、二人並んでも多少の余裕はあった。リーンが小柄だということもある。だが座って顔を見合わせた瞬間、二人は同時に顔を背けてしまった。
「よ、よろしくね?」
「お、おう」
隣同士、それも肌と肌が触れあう距離で座ったのはこれが初めてのことである。それゆえ、お互い年の近い異性であることを、改めて意識してしまったのだろう。カースは気まずそうに、リーンにいたっては頬を少し朱に染めていた。
間もなく、馬車は出発した。馬車の速度は、人が小走りで走る程度の速度だ。一時間その速度で走り、一〇分ほど休憩させる。昼時は馬に食事を与える関係で、一時間近くの休憩となる。冬場の日照時間に合わせて運行スケジュールを決めているため、大凡八時間が、休憩を入れての一日の運行時間である。なので馬車といえど、そこまで移動しているわけではない。
出発してから、リーンはいつまでも気まずいままなのは嫌と感じて、ちらりちらりとカースの顔を盗み見する。カースもその仕草に気がついており、なるべく正面より通路側に顔を向け続けていた。しばらくすれば、リーンもカースがわざとそうしていることに気付くと、是が非でもこちらに顔を向けさせたくなってしまった。
少し身を前に出して、彼の顔を覗き見るようにしてみれば、カースはより一層反対側に顔を向けた。ほんの少しだけ、耳が赤いのを察したリーンは、イタズラ心に火がついたのか、更に身を乗り出す。
ここまで来ると、カースもどこか意地になってリーンの方に振り向いてやるものか、という考えになっていた。ここまで来れば、もうただのじゃれ合いだ。
リーンは席から腰を浮かして、更に更にカースの顔を覗き込もうと身を乗り出す。既にかなり無理な体勢となっており、右手は窓の縁を掴みながら、頭はカースの正面を越える。
ごんっ
馬車が、小石を踏んで大きく揺れた。
「わきゃっ」
不自然な体勢となっていたリーンは手を滑らせ、そのままカースの膝の上に落ちた。カースは、膝全体にリーンの柔らかい体を感じてしまい、思わずそちらに視線を移してしまう。リーンは彼の膝の上に横倒しの状態で、顔を向け見上げていた。まだ自分の状況がうまく理解していない様子だった。
「……大丈夫、か?」
すぐに、リーンは自分の状態に気付いたが、それよりもカースと視線が絡んだことが嬉しい様子だ。
「えへ。やっとこっち見た」
リーンは屈託なく笑い、その笑顔にカースは赤面して顔を背けた。
「またそうやって……」
「そ、それよりも。そろそろちゃんと座って」
「うーん?」
リーンは体をよじるが、うまく動けないでいた。そのまま膝の上で仰向けの状態になってから、動きを止める。状態としては、リーンの背中をカースの膝で支え、結構逸らしている状態だ。
「……おい?」
「お、起き上がれない……参ったねこれは」
リーンは苦笑した。こんな姿勢では、何かに捕まらないと無理である。カースは仕方ない、と思いながら手を差し出そうとするも、リーンを見て顔を逸らしてしまった。
「おーい、たすけてくれー」
急に顔を逸らされたカースに、リーンは手をバタバタとさせ、棒読みと笑みを浮かべながら訴える。
カースは仕方なしに、と下敷きにされていた腕で、リーンを軽く持ち上げて起こす。
「……っ」
途中までカースの力で起こされたが、踏ん張りが利くあたりになると、リーンはさっと立ち上がり、顔を真っ赤にさせながら手を後ろに回した。
「あ、ありがと……」
実際起き上がれなかったのは本当のことなので、一応お礼は言った。すぐに席に座った後、ぼそりと呟いた。
「でもお尻に触るのはまだ駄目だからね?」
「……すまん」
「……うん、許す」
結局、余計に気まずくなる二人だった。
昼食を兼ねた休憩時間は、乗客全員が携帯食糧を食べる。馬車の中で済ます人もいれば、降りて談笑と景色を楽しみながらの人もいる。
目の前には石造りの壁、いや、ちゃんとした城郭がある。
この城郭の向こうには、小さいながらも村がある。もともとは徒歩の旅行者が安全に夜を明かせるようにと築かれた、砦を兼ねた村らしいが、馬車便では丁度昼の休憩地点として、その外側で停車する。その壁にもたれ掛かって携帯食糧を囓っている人もいれば、その城郭そのものに興味を示して見上げている人もいる。
リーン達も馬車を降りて、壁にもたれ掛かって携帯食糧を口にしている。二人とも最初は無言だったが、ぽつり、とカースが呟くように話しかけた。
「なんか、悪い」
「……さっきのこと?」
リーンは首をかしげる。ちょっとだけお尻を触られたことは、アクシデントからの救出のためだったから、それはもう水に流している。
もう少し小さな頃に、村の悪ガキに尻を触られて激怒したなんて事もある。それはそれで懐かしい思い出だが、今回カースにアクシデントとはいえ触られてしまったが、嫌だったという気持ちが全く起こらなかったことが、逆に不思議でならないぐらいだ。
カースは首を振って。
「その、リーンに対しての今日の態度、全般かな」
手を組んだカースは、その指をもぞもぞと動かし、それを見ながら。
「正面からこうして話す分には平気なんだけど、隣に座られるとどうも、ね」
カースは苦笑し、それに対しリーンも同じだなと感じた。リーンだって、最初こそ恥ずかしくしていたが、それよりもカースと話をしたいという気持ちの方がすぐに上回った。それでちょっかいを入れていたのだ。
「……じゃ、せめて私の話を聞いてくれればいいわよ。一生懸命話すから、頷いてくれるだけでも良いからね」
リーンは腰に手を当て、笑った。
昼からの道中は、リーンが積極的に話しかける。カースも最初の頃はただ頷くだけだったが、少しずつ言葉も返すようになった。気がつけば、二人は自然に笑い合い、会話を重ねていた。
「じゃ、それからサティーと一緒に?」
「そう。まあ突然ついてくるってことになって俺もビックリはしたんだけど、サティーはサティーなりに色々考えていることがあるらしくてね」
いつしか、サティーがカースの旅に加わったときの話となっていた。カースも、こうして自然に話せるようになったことは嬉しく感じた。それとは別に、今の話の内容を改めて考えてみて、サティーは不思議な人物だな、と改めて感じた。色々と考えたいことはあるが、リーンとの会話では何となく、サティーの話題はそこそこにした方が良いと、と勝手に考えてしまった。
「なるほどね」
「……そうそう、エルフと言えば魔法のことなんだけど」
カースは、ごく自然に話題を変えた。リーンはそれに気付いているかは解らない。だがその話題の転換に素直に応じ、カースと話を続けることを選んだようだった。
夕刻。予定地店に到着した一行は、ここで夜を明かすための準備を開始した。
この場所にはあらかじめかまどが組まれており、一夜を明かす人たちに開放されていた。今回も馬車の乗客ではない、徒歩の旅人も数人いて、彼らと一緒に夕食を頂くこととなった。
徒歩で旅をする人たちは凶暴な野生動物、最近では魔獣という言葉が浸透しつつあるその相手に対し、戦う術を持っているのが普通である。ほとんどは剣を携行しているが、数人でチームを結成している場合は、弓矢などを装備している場合もある。彼らは、距離によって生まれる不利を埋め合うような戦い方ができると話す。
カースの故郷がある大陸では、魔獣という言葉は昔から使われていた。そんな魔獣が人を襲うようになってしばし経ち、多くの難民がこちらの大陸に渡ってきた。そんな彼らから、魔獣という言葉が広まり、浸透しつつあるのだ。
そんな中、彼らは気になる話をしていた。それは、二足歩行をする魔獣の存在だった。
リーンが知る限り、これまで二足歩行をする魔獣の存在は確認されていなかった。
野生動物が魔獣と化す行程を知っているリーンとカースは、顔を見合わせる。とうとう人間から魔獣になってしまった例が出てしまったのではないか、と。だが、彼らの話を聞いているうちに、その心配は無用のものとなった。
背丈は人間の半分ぐらい、細身で木の棒などを棍棒代わりに装備している。衣服とはいえないような、拾い物のぼろ布や木の皮などで体を覆って服代わりにしている。その辺りを聞けば、ごく原始的な文化はあるようだ。しかし知能は決して高くはなく、人間をやたら敵対視しているような雰囲気があった、と話した。またある程度の意思疎通も行っているが、それはほとんどが鳴き声のようなもので会話ともいえないようなものだった。
「……よく見ている、というか、研究しているわね」
リーンはその話が気になり、彼らの会話に参加していた。
「新種っていうなら、もっとふわっとした、それこそ見た目だけとか、どんな鳴き声を上げるのかーとか、そんな断片的なものだって思ってたのだけど」
「うん。まあ、ここよりももっと西側では結構前から出没している。俺たちも実際に戦ったことあるからな。奴ら、ゴブゴブ鳴くからゴブ野郎って呼んでいるけどね。ああ、学者は『りん』を付けて、ゴブりんって響き可愛いだろうってことから、本当にゴブリンって学名を付けたらしいぞ」
「そんなかわいらしい見た目をしているの?」
リーンは目を輝かせて彼らに問うも、そんな彼らは目を伏せてしまった。
「……思いっきり気持ち悪い姿だぞ? 見たことないんだったら、せめて覚悟しておいた方がいいな」
「そうなの? でもどちらにしても、見てみたいな」
リーンはウキウキと期待するのだった。
「あと、見てみたいとか会いたいとか、思っていても言わん方が良い」
後ろから声をかけられた。
「ん、何で?」
カースの一言に、リーンは振り返って尋ねると。
「そういった話をしていると、本当に出てくるというジンクスがあってだな?」
「ふーん? ……ゴブリン見たいゴブリン見たいゴブ」
ごつ。
リーンが口走ったところで、カースは思わず拳をその頭に落としていた。力を入れていないので、音と見た目ほど痛くは無いはずだが。
「……」
リーンは恨みがましい目でカースを見上げた。
「一般の人もいるんだからな? 皆が皆戦えるわけじゃないんだからな? 冗談でもあまりそーゆーことは言うな」
カースは少し本気で叱りすぎたかな、と言ってから後悔するも。リーンは素直に頷いた。
「……うん、ごめん。気を付ける」
「いや、俺たちも悪かった。ま、あんな奴と出くわしたくはないのは同感だな」
その後しばらく話をしてから、皆それぞれ眠るために場所を移動した。リーンとカースは自分らの席に戻り、先ほどの一行は焚き火の面倒を見つつ、交代で見張りの番を立てるとのことだった。
取りあえず、平穏無事に朝を迎えることができた。
簡単な食事を済ませた皆は、焚き火も始末し、皆それぞれのタイミングと方角を目指し、出発した。二日目ともなると、二人とも隣の席に座ることも慣れ、会話も弾むようになった。
「ゴブリンなんだけど」
「まだその話続けるのか」
リーンは昨夜から、ゴブリンの話ばかりしている。そんな魔獣にどうしてそこまで執着するのだろうか、とカースは不思議がる。
「というより、二足歩行をする魔獣というのは、ゴブリンだけなのかなって」
リーンは、声のトーンを落とす。
「あと、……本当に、人間って魔獣にならないのかなって」
リーンの心配事は、そこにあるようだ。
魔獣、という言葉は、元々はガドネアの人たちがこの大陸に持ち込んだ言葉だ。リーン達は魔法の元となる魔素を取り込み、野生動物から変化してしまったものを魔獣と呼んでいる。
そして人間もまた、この魔素というものを取り込み続けている動物の一種だ。だから、もしかしたら人間もまた魔獣に変化してしまう存在ではないかと、リーンは心配している。
人間が何か別の存在になってしまったという物語は幾つかある。だがどれも荒唐無稽な話ばかりだ。月夜限定で狼になってしまうもの、吸血鬼になるもの、生きる屍になるものなどだ。明らかに人間という枠を越えた存在ではあるが、しかし物語以外でそうした話は聞いたことは無かった。
それでも、二足歩行する魔獣は確かに存在する。そこに、人間との関連性があるのかどうか。それが知りたかった。
リーンの問いかけに、カースは答えることはできなかった。
馬車の一行は順調に森を進み、もう少ししたら昼食の休憩となる。
馬の蹄の音と馬車の車輪がゴトゴトと音を響かせ、静寂な森に響いていた。馬車の幌は、前後とも大きく開かれており、風通しはしっかりしていると同時に、視界も良好だった。そんな中、リーンは先ほどから表情を曇らせていた。
「……妙、ね」
リーンは、呟いた。
「妙?」
「ほら、耳を済ましてみて?」
「……?」
カースは、リーンの言われた通り、周りの音を聞いてみた。馬車が立てる音以外に、特に何ら変わった音は聞こえなかった。が、確かに違和感はあった。しばらく考えて、その違和感の正体に気付いた。
「鳥か」
リーンは頷く。
森の中は、いつでも季節折々の鳥がけたたましく鳴いているものである。が、今に限りそれらを耳にすることはできなかった。
「私もそんなに多く経験はしていないのだけど、こういうときって、決まっておかしな動物が近くに潜んでいるの」
「変わった動物、か。因みにそいつを倒したことは?」
「村の大人が数人がかりでね。でも捕縛後に粉々に砕けたから美味しいかどうかは解らなかったわ」
相変わらず食に結びつけるリーンに苦笑するが、しかし近くに何かがいることを察したリーンは顔を強ばらせた。鳥が鳴き声を潜めるような存在は、決まって凶暴な何か、だった。現に、今のリーンの話では、相手は魔物だったようだ。
「……あの茂みの向こう辺り。御者さん、もう少し右側に寄れないかしら? あの茂みの中に何かいる感じ。襲われないよう距離を」
リーンが言い終わらないうちに、その茂みから数体の小柄な生物が出てきた。
背丈は人間の半分ぐらいだろうか。腹だけが突出した、痩せ細った体。その身体も森に溶け込むためだろうか、暗い緑色をしていた。そして頭は歪な逆三角形で、ぎょろりとした黄色い目が馬車を睨んでいた。それらは次々と茂みや木陰から、その姿を現した。皆一様に、ボロボロの布を身に纏い、比較的太い木の幹だろうか、乱暴に枝を払っただけのものを手に、やや猫背の姿勢で、二足歩行で馬車へと近づいてきた。
「ひぇっ……!?」
リーンが、その醜悪な姿に、全身鳥肌が立ち震え上がった。他の乗客もそうだが、特に女性陣からの悲鳴が大きかった。そんな中、馬車の護衛に乗り込んでいた人物がぽつりと、リーン達に声をかけた。
「あれが、君が期待していたゴブリンだ。どうだ、可愛いか?」
真っ青な顔でで半分涙目のリーンが勢いよくその男に振り返り、それ以上の勢いで首を横に振った。
「……取りあえず迎え撃つぞ。お嬢さんは、……無理そうだな。カース君だったか、悪いが手伝ってくれ。一匹見たら一〇〇匹は隠れているとみておけ」
ゴブリンを、まるで水回りにはびこる、ぬめりと光るあの虫と同じように呼ばわり、男は剣を手に馬車から飛び降りた。それに続いてカースも馬車から飛び降りた。
他の馬車からも、武装した者たちが降りてくる。合計一〇人。大して、茂みなどから出てきたゴブリンは、それを上回る数だった。
ゴブリンは、鳴き声なのか威嚇なのかは解らないが、ゴブゴブギャアギャアと人間達に叫んでいた。
「小さいからって油断するなよ? 見た目はともかく力は強い。あの棍棒で殴られたら骨を砕かれるぞ」
先ほどの護衛が、周りに声をかける。やはりゴブリンという存在を目の当たりにするのは初めて、という人物が大半を占めているようだった。
ひときわ大きな声でゴブリンが声を上げた。それと同時に、周りのゴブリン達が一斉に走り出した。走る、といっても人間のようなスマートな走り方ではない。ドスドス、と大股になって駆けてくる、という所だろう。
リーンも、馬車の縁から頭を出して、ゴブリン達を改めて見る。醜悪な姿にまたもや悲鳴がでてしまいそうだったが、しかし出会った以上は観察だ。しっかりと目を開き、その声、その動き。そして魔素の流れを隅々まで調べ上げる。
ゴブリン二体が飛び出してきていた。ゴブリンは棍棒を振り回し、近場にいた剣士に飛びかかる。しかしその攻撃は単調で、剣士はあっさりとそれを躱し、お返しとばかりに剣を振るう。ゴブリンは自ら振り回した棍棒に翻弄され、蹈鞴を踏んでいたため、その一閃を躱すこと何てできなかった。
「……あれ、弱い?」
もう片方のゴブリンも、状況は同じようなものだった。大ぶりに棍棒を振り回した直後に大きな隙が生まれ、また別の剣士によって切り伏せられた。
倒されたゴブリンは、ほんの少しの間もがいていたが、直後止めを刺されて絶命した。それと同時に体が崩壊し始め、数秒の間には粉々になっていった。その死に際は、まさしくあの食べられなかった動物、魔物と同じだった。
「っ、こいつら一体どうなってやがる!?」
「動物にもたまにいるだろ? 屍体なんて残らん奴らが。ゴブリンというのはそういう連中だ」
護衛同士でそんな言葉を交わして、また次のゴブリンへと剣を向けていく。そしてリーンが見守る中、一五体ぐらいいたであろうゴブリンは、本当にあっという間に全滅した。
リーンは、この戦いの様子を反芻する。ゴブリン自体の強さを分析し、魔素の流れを分析した。
戻ってきたカースに、リーンは口を開く。
「お帰り」
「ああ、ただいま。どうだった」
カースはどこかにやけたような表情でリーンに答えた。その表情の裏の感情には気付かず、リーンはゴブリンを見ていて感じたことをそのまま話した。
「普通の動物よりも、そして何かしらの魔獣と比べても、魔素の量は桁違いに多い感じだったわ。だけどその魔素で身体を構成している所為なのか、魔素を効率よく使えないから結果として弱かった、という感じ。あと、これは他の動物でも一緒なんだけど、核みたいなものがあって、それに魔素がまとわりついている感じなんだけど、ゴブリンはそれが際立って目立っていた感じだったわ。倒され絶命したとき、その核が砕けて魔素が離れていった結果、身体が砕けていった、そんな感じだったわ」
カースは真面目な答えに肩透かしだったが、それでもリーンの考察には驚かされていた。
「ゴブリンが、何かしらの動物から変化した、というのは考えにくいわね。お猿さんとは全く似ても似つかないし、そもそもお猿さんが二足歩行するのはそんなには無かったはずだし。変化するにしても、余りにも原形を留めていないから」
リーンは考え込んでしまった。そしてリーンが非常に真面目に考察していることから、どうだとっても可愛かっただろう、なんて揶揄はしないことにした。
馬車の点検が終わり、皆が馬車に乗り込んで出発したところで、リーンはようやく考えがまとまったようだ。
「普通の動物は魔素の影響を余り受けていない、そこそこ影響を受けて変化したのが魔獣。魔物は……多分だけど、元々魔物として生まれてくるものと、魔獣が更に魔素の影響を受けて変化したもの、二種類あるんじゃないかな。ゴブリンの事を考えると、どうもね」
カースを見上げていたリーンは、ふとあることに気付く。
「魔獣や魔物って、元々ガドネア大陸の言葉なのよね?」
「ああ、そうだが?」
「もしかしたらなんだけど、私と同じものが見えていて、私と同じ感性で、魔獣や魔物って呼び始めた人がいるんじゃないかな」
「……かもしれないなぁ」
確かに、とカースは思った。
少なくともカースが物心ついた頃には、その言葉は存在していた。おそらくは、もうずっと昔からあるのだろう。
魔獣にしても、魔物にしても。どちらにしても、最初にそう呼んだ人物がいるはずだ。それが誰かは全く分かっていないし、それを特定する術もない。ただ、カースが生まれ育った時点ではガドネア全体で定着した呼び方となっている。ただ何となくではあるが、その最初の人物もまた、魔素を感じ取り、普通の動物と魔獣、そして魔物との明確かつ根本的な違いが見えていた可能性は非常に高かったと、推測できた。
おそらくリーンは、その人物と同じものが見えている、とカースは改めて思った。
魔素を感じられることから、魔獣や魔物に対しての言及をする。そして、よく考えているし、自分からは想像もできない発想もする。そういった面においても、リーンは天才肌ではないか、とさえ考えた。
そこで、カースはリーンに尋ねる。
「で、ゴブリンの見た目はどうだった?」
「……ぴっ」
途端に顔を引きつらせるリーンだった。
どうしてそんな質問をしてしまったのか。何となく頭の良さを見せつけられているようで悔しくなったからかもしれない。
「……意地悪いなぁもうっ」
そして肘鉄を繰り出すリーンだった。
それからの道中は、魔獣に数回ほど遭遇した。護衛の者たちは屍体を街道から退かして放置すると話したところ、リーンは捌くから少し待ってほしい、と声をかけた。少しだけなら、という事で一〇分ほど時間を貰い、リーンは猪型の魔獣をあっという間に捌ききった。
次に到着する村も結局は車中泊だ。少し離れたところでキャンプを張るので、肉は全てそこで食べきってしまう予定である。昨夜が携帯食の味気ない食事だったため、今晩は豪勢に行ける、とリーンはほくほく顔だった。
そして村に到着後、リーンは余る素材を村に売りに行った。すると大層喜ばれ、リーンが思っていた以上の価格で買って貰うことができた。普通の猪よりも魔獣化した猪のほうが遙かに強靱な牙であり、皮である。普通のものよりも上等な農具が作れるのだ。それが次期の豊作に繋がるかは彼らの腕次第ではあるが。
基本的に、多くの村は旅人に食糧を売らないし交換にも応じない。いや、できないといった方が正しい。自分らで消費する量しかないのだ。だから無理なことは言えないが、逆に食糧に変わる食べ物があれば融通が利く。そこで、リーンは食べきれない分の肉を、同量の穀物と交換することを提案した。村の人の中にも猟師はいるが、さすがに猪型魔獣は彼らの手に負える相手ではない。村の食糧事情とそれでも熟成された魔獣肉が天秤にかけられたが、なかなか食べられない肉に傾き、等量交換の交渉が成立した。
結果として、今晩の食事は村人も含め結構贅沢なものとなった。
「……うんめぇ!?」
猪魔獣肉を初めて食べた旅行者は、一口入れるなり思わず声が出てしまった。他の人たちにもなかなかの評判で、食べきれないかもと考えていた肉はあっという間に食べ尽くされてしまった。この分なら、もう一頭捌いて持ってきても良かったぐらいだった。
「猪の、……魔獣、だっけか。こんなにうまいものだなんて知らなかった」
「だな。これもひとえに……えっと、名前何だったか?」
「リーンよ」
「リーンちゃんと出逢えたことに感謝ってな」
護衛の人たちも絶賛していた。
「こんなに美味しいものとは私も知りませんでしたね。新鮮ということもあるのでしょうが」
ある旅行者は食べ終えてから考え込んでいた。
「これを専門にしたお店というのもありかもしれませんね。ただ簡単に捕まえられるような相手ではないですから、狩りをする人たちを雇って……」
そして彼はブツブツと呟きながら、自分の世界へと入っていった。
普段よりも豪勢な食事も終え、旅行者も村人も、眠りについた頃合いだった。
リーンは、馬車の車内、椅子に腰掛けていた。
耳を澄ませば、近くの草むらで虫が鳴いている。近くの小川で蛙が鳴いている。どこか遠くでフクロウが鳴いている。故郷とは種類が違うな、とリーンは思う。虫や鳥が鳴いているときは、近くに敵性生物は潜んでいない。安全が確保されている証明でもあった。
旅をはじめて、まだまだ数週間ほどである。カースが重ねた一〇年という時間にはほど遠い。それでも、いろいろな発見が新鮮で、そしていろいろなことを考えるようになった。自分のこと、サティーのこと、カースのことだ。彼は他の護衛達と一緒に、馬車の外で眠っている。そのためリーンの隣の席には誰もいない。
外のいろいろな音に耳を傾けながら、ふとリーンは考える。
今は、自分のルーツを探す旅をしている。完全に自分の我が儘のようなものだ。それでもカースはその我が儘に付き添ってくれている。サティーには振られてしまったため、結局二人の旅となってしまったが、サティーには悪いけどそれはそれでいいかな、とさえ思っている。
自分のルーツはどこにあるのだろうか。もしかして捨て子だったのではないか。そんなことはもう何度も考えた。考えた末で、訪ねることにしたのだ。そしてどちらかの家庭が自分を捨てた家庭だった場合、どうするか。それも色々考えている。
もし本当に捨てられた子供だった場合が一番簡単だろう。リーン本人は記憶がない。ある程度の怒りを覚えたとしても、それだけだ。リーンはあっさりとその場を辞して今の生活に戻るだけだ。だが、事情があって手放した後リーンが行方不明になった、というパターンは、悩みどころだ。今でもリーンのことを探している可能性がある。そこにふらっと顔を出せば、泣いて喜んでくれることだろう。そして記憶を失った彼女を引き取りたいと申し出た場合、これまでの生活がここで終わる可能性もある。それは嫌だな、とリーンは心の中で呟き、はっとなる。
何故嫌な気持ちになってしまったのか。すぐに答えは出た。
カースやサティーと離ればなれになるのが嫌なのだ。
まだ短い間ではあるものの、そこには確かな絆が芽生えているのだ。出会ってから、大した時間は経っていない。それでも、リーンにとって二人の、そしてカースの存在はとても大きなものとなっているのだった。
そして、もっと考えれば、カースのことを異性として気になり始めている、その事に気付いてしまった。だからこそだろうか。サティーが付いてこなかったことが、少しだけ嬉しく感じてしまったのは。
リーンは、反省する。サティーを蔑ろにしてごめんなさい、と。
それから二日後、午後。
一行は、ようやく目的地となる町に到着した。丁度昼食時ということもあって、町の中はそれなりに賑やかだった。リーン達も発着場近場の宿屋兼食堂に入り、今晩の宿の予約と昼食を済ませた。
「やっぱりギルド員にならないと、肉も買って貰えないみたいね」
「ああ」
この町にも各種ギルドがあることは、他の旅人から聞いて解ったことだ。ここの商人ギルドはランチェストほど幅を利かせてはおらず、逆に工業ギルドのほうが強い。これは工業が盛んなことが理由だろう。そして体力自慢の労働者が多いこともあり、肉の需要が高い。そのため、酪農ギルドも連鎖的に発言力を持っている。
そのため他から肉を持ち込んでも、酪農ギルドがそれを拒否する可能性は高い、というのが旅人の話だった。
食事中、自分は猟師だからもっと良い肉を仕入れられる、と冗談交じりに話したところ、店主からは、肉は酪農ギルドが牛耳っている、牛なだけに、と冗談を交えてやんわりと断られたことを受けて、旅人の話は正しかったことを痛感した。
「じゃ、早速出発しましょ」
「ああ」
二人は宿を後にし、北の商店街を目指した。まずはそちらで聞き込みをするつもりなのだ。どこかの店主あたりなら、スナー家の人と知り合いでもおかしくないだろうし、もしかしたら場所も分かるかもしれない、と考えてである。次に、井戸端会議を開いている主婦達。普通に友人がいる可能性がある。そちらの方が家を知っている可能性は高いだろう。
問題は、この町全体の気質だ。閉鎖的なのか開放的なのかはまだ解らない。これはいろんな人に声をかけて見極めるほかない。
間もなく二人は商店街に到着した。大きな通りを挟むように、様々な商店が並ぶ。野菜や果物、肉など各々の専門店が建ち並び、その中に金物や家具などの店がない交ぜで並ぶ。リーンはマスカヴとランチェストの町しか知らないが、それでも金物屋の比率が他の町よりも多いなと感じた。
店が多ければそれだけ町中で流通しており、もしかしたら飽和している可能性もある。それでも露店で様々なものを売っているのは、おそらくは行商人の買い付けを目当てにしているのであろう。商人の目に適えば、もしかしたら購入して貰えるし、他の町まで運んで売ってくれれば作った人の名や、この町の名前も売れる。そうした公算が入っているのだろう。
リーンは工芸品をチラ見しながら、近くの八百屋に入った。
「いらっしゃい! 今日は良いジャガイモが入荷しているよ! ……ってお嬢ちゃん見ない顔だね?」
「うん、今日町に到着したばかりなの」
「って事は、旅人かい?」
「うん」
「……そうかい」
リーンが返事すると、店主の顔は俄に曇った。携行できないものは基本的に買わないというのが、旅人である。そのため何も買ってくれないんだろうな、という気持ちがそのまま溜息になって出てしまったようだ。
「一つ聞きたいことがあってね」
「なんだい?」
そのため、打って変わってリーンの問いかけには、やや沈んだ調子で答えた。
「スナーって人に聞き覚えないかしら?」
「スナーさん? ……裏通りの?」
いきなり情報を掴めた、と内心ほくそ笑むリーン。その嬉しさを何とか我慢して会話を続ける。
「うん。私ちょっと遠い親戚でね、ちょっと遠いところから訪ねてきたの」
店主は首を捻る。暗に、親戚なんていたかな、という疑いの表情だ。この人嘘はつけないひとだな、とリーンは、そして遠目で見ているカースも思った。
「お土産代わりに、そのジャガイモを四つ貰えるかしら?」
「お? 毎度!」
リーンは代金を支払い、ジャガイモを購入した。それらを荷物袋に放り込みながら、スナー家の場所を尋ねると、裏に四つほど入った路地のどこかだが、詳しい場所までは解らないとの回答を得られた。リーンは、これ以上の情報はないだろうと考え、その場を後にした。
「いきなりビンゴだったわね」
「ああ」
もう少し手こずるかと考えていたカースだったが、本当に拍子抜けだった。早速という感じで、リーンはその路地へと向かおうとする。そこを、カースが引き留めた。
「もう少し情報を集めてみないか?」
「え? 大体の場所は……」
「他にもスナー家があるかも、と思ってね」
確かに、とリーンは頷く。
「それに、少し焦っているだろ?」
「え?」
そちらは実感はなかったが、カースに指摘され、改めて気付かされた。
「少し気分を落ち着かせてから、一緒に向かおう」
「……うん」
リーンは頷いた。
町の規模に対して、商店街は意外に広かった。さすがに工業が発展していることもあって、金物や家具などは勿論、衣服を取り扱っている店も多かった。そんな中、装飾を専門に扱っている店を発見した。おそらく普段の生活には不要な、ただ自分を着飾るためだけのものだ。首から提げられるように動物の皮を加工して紐にし、そこに飾りをぶら下げたものが多い。
「これは?」
「ペンダントというものですよ。女性が付けても、男性が付けても良いようなデザインにしています」
ペンダントと呼ばれたものは、他にも様々な種類があった。飾り部分が金属ではなく木製のものだったり、或いはガラスのような球をはめ込んだ形のものなど、リーンの目を引くものばかりだった。 ここにあるペンダントは、身につけて旅をしてもそれほど邪魔にはならないサイズばかりだ。服の中に入れてしまうと目立たなくなるが、こうした装飾品を身につけて、着飾ってみたいと彼女はそう思ってしまった。
リーンだって、女の子だ。ちょっと気になる人ができたし、その人のために着飾ってみたいなんて、そんなことを思うようになったのだ。
リーンはカースを見る。彼は諸手を挙げ、好きにしろ、という感じだった。リーンは商品に向き直り、良さそうなものを探す。そんな中、風を彷彿とさせるデザインとなっている、木彫りのものを見つけた。
「……これがよさそう、かな」
値段を見ても、大したものではなかった。それを手にして店員を見れば、彼女はとてもにこやかに話しかけた。
「なるほど、確かに彼に合いそうなデザインですね」
「……彼?」
「ええ、彼へのプレゼントには最適ですよ。彼もどこか風を感じる雰囲気ですもの」
リーンはよく分からない、と首をかしげると、店員は微笑みながらリーンに話す。
「気になる異性にプレゼントをするのも、アプローチの一つですよ」
「っ!?」
その一言に、リーンは顔を一気に真っ赤にさせてしまった。
「き、気になるとかそんなことを言われるとそれはそれでですねあのっ」
そして慌てふためくリーンに、店員は続ける。
「ペアというのも有りですね。同じものをお安くしておきますがどうしますか?」
すっかり舞い上がってしまったリーンは、さりげなく掲示されたプランにまんまとはめられ、あれよあれよという間に購入してしまうのだった。
「……こんなはずじゃ……」
リーンの手元には、風をモチーフにしたペンダントが三つある。ペアだと言われたはずなのに、何故か三つだ。途中、他の町に残してきた女の子がいる、と話したような気がしたので、おそらくそれを聞き逃さなかったのだろう。これで村で稼いだ分も、育ての親から出立時に持たされたお金もほぼ無くなってしまった。
「ご愁傷様」
カースは、ぷるぷると震えるリーンに、そう呟いた。
「そう思うなら、これ受け取って頂戴」
「まあ、ありがたく頂戴するよ」
カースはペンダントを受け取り、早速それを身につけた。全く嫌がるそぶりを見せないカースに喜ぶべきか、照れず平然と受け取ったことに悲しむべきか。それもまた悩ましく思うリーンだった。
別の意味で静かになってしまったリーンを引っ張り、例の路地を目指して歩き始めた。
目的の路地に到着した頃には、リーンも大分落ち着きを取り戻していた。そしてすこし気合いを入れる。これから自分の親族と考えられる人物と対面するのだから。そこでどんな会話を交わすのだろうか。もし自分を捨てたことを後悔していないような人物だったら、行方不明になってずっと探していたりしたら。考えが逡巡してしまい、直前になると、やはり落ち着かなくなってしまった。
そんなとき、前を歩くカースが振り向く。そして彼はリーンの手を取った。
「何があっても、今は俺が側にいる。ランチェストに帰ればサティーもいる。俺たちのことを家族だって思ってくれれば良いさ」
その言葉に、リーンは彼を見上げる。そしてカースは、言ってからしまったと内心冷や汗ものだ。これはまるで遠回しのプロポーズになっていないかと。
そんな彼の心配を余所に、その言葉通りに理解して、胸に刻んだ。『冒険者』仲間、家族が一緒にいる。それだけで、なんと心強いことだろうか。
「うん、そうね」
だからリーンは、強く頷いて見せた。
そして、二人の目の前に、スナー家の扉が見えてきたのだった。
リーンは扉の前に立ち、一度深呼吸をする。一度カースに振り返り、互いに頷く。そしてリーンは正面に向き直り、扉をノックした。
しばらくしてから、扉の向こうから声が聞こえた。
「はいはいはいはい、どちら様ですか?」
「えっと、リーン・スナーっていいます」
「……リーン、さん? 珍しいですね、うちと名字が同じなんですね?」
扉越しの会話は続く。扉の向こうは女性だ。声の質からして、若そうである。リーンは見た目があれなので比較はできないが、おそらくは二十歳辺りではないかと、彼女は考える。
女性を狙った犯罪率は分からないが、しかし知らない人物が尋ねてきたら警戒する、というのはある意味正解だろう。
それゆえ、扉を開ける気配は全くなかった。
「それで、我が家にどの様なご用件でしょうか?」
「私、拾い子でして。拾われたときは名前以外のことは全く覚えてなくて」
リーンがそう話すと、しばらく沈黙が訪れた。ややあってから、扉の鍵が外される音がした。そして扉がゆっくりと開かれ、女性がそこから顔を出した。
「込み入った話になるのでしたら、どうぞ上がってください。えっと、お連れの方もどうぞ」
「ありがとうございます」
リーンとカースはそろってお礼を言って、家に上がった。
二人はリビングに通され、席に座る。その正面に先ほどの女性が座った。年齢は、おそらく二〇代前半ぐらいだろうか。予想通りだった。それなりの美人さんで、自分が男だったら放って置けなさそうな儚さもある。
「改めまして、私はリーン・スナーです。こちらは旅の連れのカースです」
カースは頭を下げ、女性も頭を下げた。
「こちらも改めまして、マリエッタ・スナーと申します」
マリエッタと名乗った彼女は、二三歳と語った。彼女はこの家に嫁に来てまだ日が浅く、彼女自身はスナー家がどの様な系譜をたどってきたかは、把握し切れていない。そのため、彼女の夫に尋ねるべきことだと、そう話した。
ただ、その夫は今は仕事に出ており、夕方に帰ってくる予定とのことだった。そしてマリエッタは、せっかく家に招き入れたのだから、夫が帰ってくるまで色々お話しして時間を潰すことを提案した。最近は一人で留守番なので、少し寂しいとのことだった。
旦那と一緒に外出するときは良いのだが、一人で買い物に出かけると、男によく声をかけられてしまうそうだ。そのため警戒してしまい、足も遠のいてしまっているそうだ。リーンですら何となく見蕩れる美人さんだ。推して知るところだろう。
そんなことで、彼女は話し相手に飢えていたのだ。
リーンは、これまでの経緯を語りはじめた。
拾われたのが猟師の家で、リーンも猟師になるべくその腕を磨いてきた。そしてカースと出会い自分のルーツを探す旅に出たことを話した。今のところ手がかりとなっているのが、この家と、ここからならかなり東となる大農家のスナー家、この二つだけである。
「ええ、東のスナー家については、話ぐらいは聞いたことがあります。同じスナーの名を持つものとして、夫が憧れていまして」
リーンも、軽く話は聞いてきている。ランチェストの東側に小さな町があるのだが、その町の面積よりも、そのスナー家が所有する農場の方が広いとまで言われている。そしてその大農場は、その町とランチェストの食糧事情を支えきっている程の収穫量らしく、その収入も莫大な金額にのぼるのだろう。
同じスナー姓の人間としては、憧れて当然だ。
「……なるほど」
リーンは、家の外に気配を感じた。その気配は扉をノックし、ただいま、と声をかけてきた。
「はーいっ、今開けますねーっ」
先ほどまでのマリエッタの静寂な雰囲気は一転、花が咲かんばかりの笑顔になりウキウキのステップで扉へと向かっていった。そして扉を開け、旦那の姿をみるなりそれに抱きつく。客二名、唖然。
二人抱き合いながらリビングに現れ、ここでマリエッタは客人がいたことを思い出してはっとなる。一方旦那も、ばつが悪そうな表情となった。
新婚さんごちそうさま、とリーンは心の中でツッコミを入れながらも、カースと共に一度席を立ち上がって、旦那に挨拶した。
「はは、どうも見苦しいところを見せて申し訳ない。俺はガロン・スナーという。我が家を訪ねていただき、ようこそです」
旦那は苦笑しながら、テーブルに着席した。それからリーンがここに来た経緯を話す。
「……なるほど、それでスナー家を訪ねてきた、と」
ガロンは渋面となって、リーンを見つめる。
「まず結論から話せば、俺は君とは全く関係が無さそうだ」
「ガロン、言い方ってものが」
マリエッタが注意するも、リーンが宥めるように口を開いた。
「いえ、ここははっきり言って貰った方が助かります」
「そう言ってくれると、こっちも助かるよ。……さっきも言ったとおり、俺は一人っ子で兄弟はいない。ついでにいえば、父も一人っ子で、祖父も一人っ子だから。俺の知る限りでは親戚に当たる人物すらいないんだ。……まあ、曾祖父に兄弟がいれば、解らないんだけどね」
ガロンはそこまで話してから、小さく溜息を吐いた。
「父にも祖父にも、もう確認しようがないのがね」
その一言に、リーンもカースも状況を理解した。彼より上の世代は、病気か何かで既にこの世にいない。それだけのことだ。
「すまないが、これ以上君の力にはなれそうにないかな」
「……いえ、ありがとうございます」
リーンは頭を下げ、席を立ちあがる。すると、マリエッタが慌てて声をかけた。
「まあまあ、せっかくですから、もう少しゆっくりしていってください。クッキーでも焼きますから、ね?」
「そうですか?」
リーンはカースに顔を向けると、彼は軽く頷いた。
「そうですね、ではお言葉に甘えます」
マリエッタがクッキーを作るため席を離れ、代わりにガロンとの話となった。
彼は家具工場で働いているそうだ。この町の外には出たことがなく、リーン達の旅の話を楽しそうに聞いていた。
「魔獣、魔物。不思議な生き物がいるんですね」
「魔物は砕けて何も残さないんだけど、魔獣は肉が熟成されてて美味いの。ただ、この町の商店街を軽く見てきたけど、魔獣の肉は売ってなさそうだったわね」
ガロンは残念そうな表情をした。
「なるほど、一度味わってみたかったのですが」
そんな話をしていたとき、奥からマリエッタが盆を抱えて戻ってきた。そこには焼き上がったばかりのクッキーが盛り付けられていた。甘い匂いがリーン達の鼻腔をくすぐり、今にも涎が垂れそうになった。
「魔獣肉も良さそうですけど、今はクッキーをどうぞ」
「ありがとうございます。いただきますっ」
リーンは早速手を伸ばし、一つ口に入れる。
「……ふくーすなっ」
「……え?」
美味しそうに頬に手を当てるリーンに、ガロンとマリエッタは不思議そうな表情となった。
「……ああ、リーンは感情が高まると、よく分からない言葉を発するんです。本人も思わずという感じで自覚がないんですよね」
カースの説明は、リーンにも丸聞こえだ。そのためリーンは少し恥ずかしそうにしてカースを睨んだ。それでもクッキーを頬張るのはやめない。
何となく。何となくだが、カースはリーンのそんな姿を見て、安心感を覚えた。それがどんな感情なのかは解らない。ただ、いつまでもこんな光景を見ていたい、そんな気分になるのだった。
クッキーを頂き、話も丁度良いところで切り上げて。リーンは買ったジャガイモをクッキーとお話しのお礼にと渡して、その場を辞することにした。
そして、宿への帰り。
リーンは、少し寂しそうな表情で歩く。今回は結局外れで、自分のルーツは一切分からなかったからである。ただ、カースは一つだけヒントを得た気がした。
「リーンって、時々よく分からない言葉を発するよね?」
「もう……、弄らないで」
頬を赤らめ、リーンはそっぽを向く。
「ああいや。……その言葉が、リーンの出生に関わりがあるんじゃないかって思うんだけどさ」
それについては、リーンも昔から理解している。
「うん、私が助けられたときは、むしろそっちの言葉しか話せなかったの。今の言葉は育てのお父さんやお母さんから一生懸命習って、今はこの通り話せるようにはなったわね。……まあ、カースが考えたことって、もうずいぶん小さな頃から考えてるわよ」
と、リーンは口の前に手を当ててほくそ笑む。弄られた復讐だ。カースはばつが悪そうに、視線を逸らす。
「……なんだけどね」
直ぐにリーンは真面目な顔になり、続きを話す。
「ただ、あの言葉について触れているものなんて、早々発見できる気がしないのよね。本にせよ何にせよ」
そんな話をしながら歩けば、宿はすぐだった。話を中断して二人は鍵を受け取り、部屋へと上がる。
「……スナー家もそうだけど、言葉に関しても平行して調査するつもりではいるのだけどね」
「分かった」
カースは頷く。
「……えっと、ありがとね」
そしてリーンは、お礼を述べた。
「えっと、何に対してのお礼だ?」
リーンは、少し照れくさそうに苦笑して。
「少し落ち込みかけていたところを、元気づけてくれたこと。後この町まで連れてきてくれたこと、かな。……何かお礼しないとね」
リーンに、カースが答える。
「お礼は貰ったさ」
彼は、胸元からペンダントを引っ張り出して、それをリーンに軽く見せた。リーンの買い物失敗の産物だが、それでもカースは、何となくそれが嬉しかった。
そしてリーンもまた、プレゼントしたものを早速身につけてくれていることが嬉しく感じるのだった。
翌日。
二人は出発前に、もう一度スナー家を訪れた。別れの挨拶をするためである。
まだ親しい、というほどでもないが、一定の関係は築くことができた。だから挨拶をしたい、とリーンが願ったからである。
「それでは、私たちはランチェストに戻ります。三人とも元気でいてくださいね」
リーンは、夫婦に挨拶をして頭を下げた。が、その言葉に夫婦が、そしてカースも同じく違和感を覚えた。
「……ええ、それは勿論。ですが三人というのは?」
「え?」
聞き返されたリーンも同じく首をかしげて。
「お腹の赤ちゃんですよ? え、気付いていなかったのですか?」
さも当然、という様子でリーンはそう語る。
夫婦は目を合わせ、再びリーンに顔を向ける。とても真剣な表情だ。そこでリーンは気づき、さっとカースに振り返る。目が泳いでいた。やべえ余計な事を言っちゃった、と。
「リーンは、何故かそういう所の勘がよく働くそうです」
カースは、リーンが魔素を感じ取れることを知っている。魔素は、どんな生物にも宿り、蓄積するものだと聞いた。なら、赤子に宿っていても不思議ではなく、リーンはそれを感じ取って気付いたのだろう。そこまで考え、カースは咄嗟にそう誤魔化した。すると、再び夫婦同士で視線を絡めていた。
「ただ、ちゃんと医者に診て貰った方が良いと思います」
「あ、ああ、そうするよ」
「そうですねっ」
返事しつつも、夫婦はとても嬉しそうにしていた。
ひしっと抱き合う夫婦に、馬車の時間が迫っているからと、二人はもう一度別れの挨拶をしてその場を辞することにした。
「……気をつけろよな?」
「うん、ありがとね」
カースは軽く注意し、リーンは素直に頷いてお礼を言う。
「さて、また馬車旅だな」
「そうだねぇ」
リーンは、どこか儚げに微笑む。やはり、今回のスナー家は空振りになったことが、やはり寂しいらしい。が、それを振り払うかのように、リーンは数歩ほど前へと駆け出し、そこで軽く振り向く。先ほど買ったペンダントが胸元で揺れ、陽光を反射させた。そして気持ちを切り替え、リーンは微笑む。
「サティーの元に帰りましょ」
「ああ、そうだな」
そして二人は並び、馬車の発着場に急ぐのだった。
五月一八日 リーン・スナー
子供の頃から手記として書き込んでいたこの手帳も、ついに最後になってしまった。
読み返せば、子供の頃は本当に拙い文字だ。所々で今の文字ではない物が混じっている。
この手記として使っている手帳は、父が文字の勉強のため、ということでプレゼントされたもの。紙の手帳なんて高級品だったのに、万年筆とインクまでセットにして。今にして思えば、子供の生まれなかった両親に、とても愛されていたんだなって、改めて思う。
皆と旅を始めて、色々考えることが増えた。
どうも、私は普通じゃない。魔素を感じられるのは私にとってはごく当たり前のことだったけれど、それは私だけの特別みたい。だから今後はもうちょっと気を付ける必要はあるかな。今回スナー家を尋ねたとき、カースがうまく誤魔化してくれたから本当に助かった。
あと、カースのこと。
肩が当たるぐらいの至近距離で馬車に乗ることになったのだけど、不思議と嫌な気持ちにはならなった。……その、ちょっとしたアクシデントがあって、ちょっと恥ずかしい格好になってしまったけれど、それを含めても。逆に、もっと一緒にそうしていたかったなって、そう思える時間だった。……お尻を触られたことじゃないからね!?
その、私。カースの事が気になっているみたい。これが恋心なのか、友情なのかはまだはっきりとしていない。はっきりさせるには、もっと時間が欲しい。
あああ、もうページがない。次は新しい手帳で。




