プロローグ・リーン
プロローグ・リーン
「子供が倒れているぞ!」
誰かが叫んだ。その叫び声に呼応するかのように、叫んだ男性の元に何人かの大人が集まってきた。
ここは、森の奥。彼らはこの近くに住む村人で、今日もこの森には狩猟のためにきていた。
彼らの住まう村以外に、この森には人里はないはずである。だからこそ、こんな場所に子供が倒れていること自体が、謎だった。
「どういうことだ?」
「わからん」
大人数人が、その子供の周りへと集まるなか、そのうちの一人が子供の介抱をする。
その子供は、小柄な少女だった。耳が尖っていることからエルフだろうか。人間なら推定五~六歳だが、エルフもこれぐらいなら人間と余り変わらない成長速度であることから、見た目通りの年齢かもしれない。
「どうだ?」
「ああ、息をしているし、安定もしている」
男達は、周りを見渡す。
「だが、こんな近くにエルフの里なんてあったか?」
「いや、俺らは長年ここで猟をしているが、そんな話は聞いたこともないな。……取りあえず猟は中止だ。この娘を村に運ぼう」
「ああ、わかった」
森のほとりにあるブルック村。村とはいっても立派な診療所はあるし、人口もそれなりに多い。狩猟で得られた可食部は村でほとんどを消費してしまうが、皮や骨など素材になる部分は近くの町へと売りに行き、それなりに生活が成り立っている、そういった村だ。
猟師達がいつもよりも早い時間に戻ってきたことで、誰か怪我人でも出たのかと集まってきたが、森の中でエルフらしい女の子を保護した、という事でさらに騒ぎとなった。
見た目怪我などもしていないし、危険な感染症も起こしていないことは現地で確認を取っているが、昏睡状態であることから、一度診療所で詳しく見て貰おうと決めたと、猟師たちが話す。
診療所のベッドに寝かされた少女は、衣服としての体を成していないぼろ布から、診療用の衣服へと着替えさせられた。その時に全身をチェックされたが、やや栄養失調ではあるが外傷などもなく、特に問題は無いと診断された。
やがて彼女は病室へと運ばれ、そして彼女が目を覚ましたのは、保護されてから三日後の午後だった。
「……?」
「やあ、目覚めたかい?」
医師は嬉しそうな表情で、少女の顔をのぞき込む。
「私はこの医院の院長、ドミニク・メルガノフと言うものだよ。話せるかい?」
少女は、身体を起こす。ずっと眠っていた割には軽々とした動きで、ベッドの上で膝を崩す座り方へと姿勢を変える。
「……?」
少女は、状況を飲み込めていないのか、周りをキョロキョロと見回し、そして先ほどから話しかけている医師に視線を戻し。
「ぐ、グジェー…、グジェー、エータ? クトー、ヴィ?」
何か言葉を発した。
医師には、一切理解できなかった。医師が首をかしげると、彼女はもう少しゆっくりと、しかし確りと彼を見て、訪ねた様子だった。
「クトー、ヴィ? グジェー、エータ?」
やはり、一切が理解できない。
何処か遠い異国の言葉なのだろうか。しかしそれもおかしいと、医師は考えてしまう。
ほとんどの地域では、今現在は標準言語とされるものが使われている。但し、ごく一部の部族においては標準言語を使わず、自分たちの言語で話されているらしい。もしかしたら、彼女はそうした部族一人なのだろうか。尖る耳から、エルフかと考えたが、しかし古くから住まう老人たちも、この辺りにはそうした郷はないことを聞き及んでいる。それに、エルフも標準言語を使うので、意思疎通が一切できないなんてこともないのだ。
本当に何者なのだろうか。そしてどうしてあのような場所に倒れていたのか。知りたいことはたくさんある。しかし、どうも言葉は通じない。
医師が名前を尋ねても、どうしてあの場所に倒れていたのかも、優しく語りかけるように尋ねてみたところで、彼女は首をかしげるだけだ。
それで医師は困惑し、少女も不安そうに医師を見上げる。
こうしていても埒はあかない。
訪ねたいことはたくさんあるが、何をするにしても、まず名前だけは知っておきたいところだ。
もう少し、簡単な意思疎通の方法を考えてみて、それを実行することにした。
医師は自分を指さし。
「ドミニク。ドミニク・メルガノフ」
「……!」
少女は、その仕草と彼の言葉を理解したのか、ぱあっと明るく笑顔になって、自分を指さす。
「リーン・スナー」
そして彼女は、自分の名前を伝えたのだった。
数日経って。
少女は若干の衰弱は見られたが、それ以外は至って健康そのものだった。ただ、推定七歳と判断された彼女は、身寄りがない事がこの時点で判明していた。
猟師達は狩猟をする傍ら、彼女を保護した場所を中心に、手がかりになりそうなものを探していた。しかし、彼女がどこから来たのか、どこで親からはぐれたのか、もしかしたら自分たちが知らないだけでエルフの里が近くにあるのではと、できる限りの探索が行わたが、結局何も見つけることは敵わなかった。
森の奥にある、泊まり込みで狩猟をするための休憩所としている洞窟がある。その奥で崩落しているのが見つかった。少女が発見された時期と重なることから、最初こそ何か関連があるのではとされた。しかし、その先を知る長老に話を聞くと、昔はそこに狩猟に必要な道具が保管されていたぐらいで、元々行き止まりとなっていた場所だ。なので、少女とは特に関係はないだろうと、村の会議で結論づけられた。
一方、少女の扱いについてもまた、村一同で相談した。そして、医師の兄弟となるヴァルス・メルガノフの夫婦が引き取る事となった。夫妻には子供ができなかったこともあり、彼女を養女にしたいと、そう願い出たのである。
リーン・メルガノフ=スナー。それが、彼女の新しい名前となった。
◇
リーンがメルガノフ夫妻の娘となり、九年が経過した。薄い紫色で、肩甲骨辺りまで伸ばしたストレートヘア。そして、髪色と同じ色の瞳。どちらも非常に珍しい色合いだった。やや尖った耳の後ろも、同じ色の産毛があり、僅かに色が染まっている。
とりあえず推定だが、彼女は一六歳となった。
彼女は小柄だが器量よし、裁縫炊事洗濯掃除と何をさせても良しで、村の誰からも愛される女性に成長していた。猟師をしている両親をみて、彼女も猟師への道を踏み出してから既にもう何年過ぎただろうか。最初こそ武器の扱いも危なっかしいところはあったが、今ではそれも懐かしいと笑うことができるぐらいには、上達していた。
ただ、身体の方はあまり成長していない。小柄で華奢、残念胸にあまりくびれのない腰。幼児体型そのままに、この年を迎えてしまった。
かん、かんっと木の枝同士が当たる音が響き渡る。
この日も、リーンとヴァルスが訓練を行っていた。
ヴァルスは手加減無しに木の枝を振り払ってくるが、リーンは身体を反らせてギリギリに躱し、変わった持ち方をした木の枝を彼に突き込む。ヴァルスはやや焦りながらそれを躱すが、リーンの攻撃範疇から逃れることができた。
矢継ぎ早に、リーンはジャンパースカートを翻させながら身体を回転、間合いを見極めつつ鋭い突きを繰り出す。木の枝でも躱さなければ突き刺さるぞ、という勢いだ。
ヴァルスは、その瞬間にあるリーンの隙を突き、自ら間合いを狭め、すれ違いざまに枝を鋭く振り払った。
バキッと音が響く。
ふたりは少し離れた位置で振り返り、手にしている得物を構え直した。
「……またか~~」
リーンは、根元から折れた枝を見て、落胆の声を上げた。ヴァルスの手にしている枝はまだ折れてはいないが大分ダメージを蓄積しているようだった。
「まだまだ詰めは甘いところはあるが」
ヴァルスはリーンの腕前について総評する。彼女の攻撃速度は、既にヴァルスのそれを大きく上回っている。対応できているのは、長年の経験があるからこそである。リーンがもう少し速度を上げてくるか、ちゃんとした武器を持っていたとすれば、もうヴァルスは敵わないかもしれないと、そう思うのだ。
リーンが手にしていた枝は、ちょっと変わった組み方をしていた。二本の同じ長さの枝を先端で結び、中間は別の短い枝を挟み込むように、間隔を空けて縛っている。そして握り手は、この間に挟んだ短い枝だ。構造的に縛っている部分が弱いため、訓練中にばらけることもあるし、衝撃で割れることもある。
これは、彼女が愛用する狩猟用武器を模倣した形状だ。この地方よりもずっと南方にある、ごく一部の部族だけが使用している武器、ジャマダハルだ。医師のドミニクがたまたま武器コレクターだったこともあって、リーンはいたくこのジャマダハルというものを気に入ったらしい。
コレクションではあったが、ドミニクはこれをリーンに快く譲り、以来彼女の主武装となった。
腕についてはもう申し分はない。後は若干残る詰めの甘さと、ジャマダハル使い特有の隙をどう克服するか、この辺りが課題だろう。
それによって懸念が増えてしまった。
ヴァルスを除き、リーンは村でも最強の部類に入ってしまったのだ。彼女に並べる男がこの村にはもうおらず、そしてこの体型だ。嫁の行き先はどうなるのか。親馬鹿だな、と彼は苦笑し、リーンは首をかしげる。
「あ、もしかしてまた余計な心配してる~?」
「さて、何のことやら?」
ヴァルスは適当にはぐらかすが、リーンは鋭い。嫁の行き先がどうたらこうたらと、余計なことを考えていたことを瞬時に悟り。
「解ってるんだからっ! もうっ、余計なお世話よ!」
ヴァルスは、跳び蹴りを躱しながら、がははっと笑うのだった。
時折変に強い動物が出てくるが、それでも平和な村だった。
誰しも、この平和はずっと続くものだと、信じて疑わなかった―――




