第1話 少女との馴れ初め
空から見る、この世界は美しい。雲一つない空は蒼く、深く、思わず吸い込まれそうな錯覚を起こさせる。片や眼下の森、そして両側に聳える山嶺は白銀に輝き、空との見事なコントラストを描く。この絶景を独り占めにする快感。もう人には戻れない。
そう。今の俺は、蒼空に映える白の貴公子。細長く広がった翼が麗しい空の王者、カモメなのだ。かつて秘術と呼ばれる転生術を使ったら、どういうわけかカモメになっていた。ピチピチギャルになりたかったのに、なぜだ!? だが困惑したのも数年前のこと。今ではカモメ生活にも慣れたものだ。
ん? あれは?
一本の大木を中心に少し開けた場所だ。4匹のスノーウルフが少女を取り囲み、低い姿勢で威嚇しながら少女との距離をじりじりと詰めてゆく。対する少女は大木で背後を守りつつ、槍を構えて迎撃態勢を取っている。なかなか良い構えだ。しかし多勢に無勢、一度に襲い掛かられてはひとたまりもないだろう。
どうする?
少女は見た目麗しい。この子がここで獣の餌になってしまえば、人類の損失は間違いない。そう思うやいなや、俺はとっさに風魔法を放った。
空気砲
鈍い音とともに不可視の渦輪が三つ飛翔し、それぞれ魔物を吹き飛ばした。残るは少女に正対する一体のみ。間に着地し、少女を守るがごとく、羽を広げて魔物を威嚇する。同時に雄叫びを上げる。
「モケー!」
なんとも間抜けな鳴き声だが、これがカモメの鳴き声だ。
いきなり現れた俺の姿にスノーウルフは驚いて飛びのき、姿勢を低くして身構え警戒を露にする。だが、目の前に現れたのが唯のカモメだと気が付いたのか、再び前傾姿勢にもどってこちらを威嚇してくる。
確かに、普通ならカモメはスノーウルフに狩られる側だ。その反応は当然だろう。でも俺は、ただのカモメじゃない。飛ぶカモメ――は普通か。じゃなくて、前世同様、魔法が使える。そして俺は、かつては賢者とまで称された。さて、こいつはどう料理してやろうか……。
と、考える一瞬のうちに少女は距離を詰めて突きを放ち、スノーウルフの眉間を捉えた。一撃で最後のスノーウルフが沈む――いや、キャインと鳴いて、尻尾を巻いて逃げてゆく。流石は野生の獣。咄嗟に急所をずらしたか。それに、少女が突き出したのは穂先でなく石突だ。あの一瞬で槍を回して突きを放つとは……いい腕してるな、このお嬢ちゃん。それに、殺生を避ける優しさもある。
辺りを見渡せば、初撃で吹き飛ばした三体も姿が見当たらない。逃げたのだろう。これで一安心かと羽を収めて少女の方に向き直ると、
「助けて、くれたの……?」
少女はまだ槍を構えていた。だが、その表情は先ほどとは変わり若干の安堵の色が見える。
間近で見ると、この子はいわゆる美人系だな。背の中ほどまでの黒髪に青い瞳、そして均整の取れた顔つきにキリッとした目つき。クールビューティーってやつだ。まだあどけなさを残しているが、あと数年もすれば誰もが振り返る絶世の美女へと育つだろう。先ずは安心させるのが先決か。
「危ないところだったな。でも、もう大丈夫だ」
「カモメが、喋った……?」
そうつぶやいた少女は困惑の表情を浮かべ、きょとんとしている。見た目の印象とは裏腹に、なかなか表情豊かだな。
「うん。何というか、俺は特別なんだよ。魔法が使えるカモメだ。今も魔法で人間の声を出してる。運が良かったな、お嬢ちゃん。俺が通りかからなかったら、今頃ヤツらの餌になってたところだ」
「そう、ね……。確かに、助かったわ。ありがとう。不思議なカモメさん」
途端、少女の顔には満面の笑みが浮かんだ。まさかあの涼やかな真顔から一転して、ここまで柔らかな笑顔を見せるとは。この調和は紫陽花を彷彿させる。少女が次々と繰り出す魅力に、俺の心は思わず引き込まれてしまう。吸い寄せられるようにゆっくり歩いて少女に近づくと、おもむろに少女は俺を抱きしめてきた。少女特有の柔らかさに包まれるが……悲しいかな、少女の少女は少女だった。当たり前か。
だが俺だって別にそんなことを期待していたわけじゃない。少女の好意に応えるべく、俺も頭を少女の肩に乗せて密着する。すると、少女は俺を抱きかかえて立ち上がり、耳元でささやく。
「改めて、助けてくれてありがとう。私はシェリサンドリカ。あなたは?」
舌を噛みそうな名前だな。それにしても、俺の名前か。考えたことなかったな。せっかく転生したのに前世の名前を使うのもちょっと気が引ける。どうしたものか……。
「名前? う~ん……名前は、まだない」
「そっか。じゃあ、私が付けてあげる」
そう言ってシェリサンドリカは俺を胸から離し、両手で支えながらじっと見つめてくる。真剣な顔は神々しさすら感じさせる。この子は……女神の生まれ変わりなのか? いや、きっとそうに違いない。
「ジョナサンはどうかしら?」
「え? それはちょっと……安直すぎるというか……。もっと格好いい名前が良いんだが」
「ん~、ピッタリだと思ったんだけど……。そうねぇ。じゃあ、あなたの鳴き声から取って、モーゼスはどう?」
モーゼスか……、海を割りそうな名前だな。中身が賢者の俺には丁度良いかもしれん。そうだな。俺はコクコクと頷いて同意を示し、答えた。
「モーゼスか、気に入ったよ。ありがとう。シェリサンドリカ」
「シェリーで良いわよ。舌噛みそうでしょ。あなたに舌は無さそうだけど」
え……思ったことがバレてる? まさか、この子は心が読めるのか? 少女の少女が、とかバレてたら気まずい。
などと思案するうちに、つい固まってしまった。気づくとシェリーはじっと俺を見つめていて、目が合うなりクスクスと笑い始めた。
「ふふっ。安心して。私は別に、あなたの心が読めるわけじゃないの。ただ単に、私も10歳くらいになってやっと自分の名前を言えるようになったから。3年くらい前ね。その頃は、難しい名前だなって思ってたわ。だから、みんな思うことは一緒かなって、ね」
そういうことか。命拾いしたぜ。危うく変態かと誤解されるところだった。それにしても妙に聡いな。女の子の13歳ならそんなものか? 男所帯で育った俺には想像が及ばない。しかし、13歳。ということは、少女はこれから大人になってゆく。つまり、諦めるにはまだ早いどころか勝負はこれからだ。頑張れよ、シェリー。
「だから、さっきモーゼスを抱きしめたときに、悲しいとか聞こえたような気がしたけど、きっと気のせいね。私、頑張るわ!」
やっぱり全部バレてる……。この子はエスパーか?
――――
俺を地面に優しく下ろし、今度はシェリーが屈んで目線を合わせてくる。微笑を浮かべて小首を傾げる仕草が、年相応の可愛らしさを醸し出す。この子はまるで、魅力の玉手箱だな。
「ところで、あなたがもしよかったら、私にお礼をさせて欲しいんだけど、どうかしら?」
「ん、お礼? そうだな。当てのある旅でもないし、シェリーみたいな美人さんがお礼をしてくれるっていうなら断る理由はないさ」
俺は羽根を僅かに揺すって畳み直し、首を真直ぐに伸ばして姿勢を整える。うむ。キマッた。これが賢者の貫禄だ。今の俺はカモメ紳士に見えてるに違いない。ついでに魔法で後光を射しておこう。光魔法だ。
「まぁ。モーゼスは口も魔法もお上手ね。ありがとう。私も、こんな可愛くて頼りになって……素敵なカモメさんと知り合えて、嬉しいわ」
そう答えると、シェリーはふたたび破顔してみせた。俺みたいな紛い物じゃない、本物の後光が射して見える。この子の笑顔は、本物だ。大人になったシェリーにこの笑顔を向けられたら、一瞬で恋に落ちてしまうだろう。だが、シェリーはまだ13歳。そして俺にも幼女趣味はない……はずだが、それでもここまで心惹きつけるとは。末恐ろしい少女だな。
「じゃあ、まずはお家に帰りましょう。
ちょっと離れてるけど、あなたと一緒なら安心ね。
よろしく、モーちゃん。あっちよ」
そう言ってシェリーは颯爽と歩きだす。この方角は南か。町とは反対方向だがこれいかに。シェリーは方向音痴なのか? 俺はやんわりと釘を刺すことにする。
「なぁシェリー。この方向は町とは反対の気がするんだが、こっちで合ってるのか?」
「うん。合ってるわ。町から離れる方向だけど、決して私が方向音痴なわけじゃないわ」
俺を見てシェリーは意味深なはにかみを見せる。……恐ろしい子だ。賢者ともあろうこの俺が、手玉に取られっぱなしじゃないか。誤魔化そう。話題を変えるか。
「シェリーはこんな森の奥深くに住んでるのか。ご両親も一緒に?」
「うん。お父さんとお母さんも一緒に暮らしてるわ。2年前に町から引っ越して、 それからずっとお父さんの教えで槍の修行をしてるの。でも、お父さんは剣の達人なのよ。剣聖って呼ばれてたこともあるんだって。なのに、私には剣じゃなくて槍を使わせようとするの。変なの。なんでも私が生まれる前に薙刀の達人と果し合いをして、コテンパンにやられたらしくて、これからは長物の時代だって」
なるほど。お父さんと一緒に修行してるのか。ということは、さっきから感じてる気配は、シェリーのお父さんか。そりゃそうだ。こんな天使みたいな娘がいたら、一人で森に向かわせるわけはないもんな。さっきのピンチもギリギリのところで助けに入るつもりだったんだろう。合点がいった。いや、むしろ安心した。手助けは余計だったか。それにしても――
「剣と薙刀か。それは確かに得物の差だな。シェリーのお父さんの見立ては正しいと思うぜ。剣聖とまで呼ばれるに至って、剣へのこだわりを捨てられるとは、大した武人じゃないか」
「そういうものかしら?」
「多分、な。少なくとも俺はそう思うぜ」
「ありがとう。その言葉を聞いたら、きっとお父さんも喜ぶわ。ところで、今更なんだけど、モーちゃんはどうして魔法を使えるのかしら。それに、武術についても詳しそうだし……。カモメが魔法と言葉を覚えてそうなったようには見えないのよね。 もしかして、人が化けてるとか?」
相変わらず鋭いな。でも、この聡い少女ならそう考えるのは当然か。まぁ、別に隠すことでもない。
「シェリーは冴えてるな。お察しの通り俺は元々人間で、魔法使いだった。自分で言うのもなんだが、なかなかいい魔法使いだったと思うぜ。それである時、転生法ってのを知る機会があって、使ってみたらカモメになってしまった、というわけだ。中身はオッサンだよ。ガッカリしたかい?」
「そうねぇ……。私、昔からカモメさんと仲良くお話できたらいいなって思ってたの。だから、中の人が居るとしてもモーちゃんはカモメさんにしか見えないし、今は夢が叶ってうれしい気持ちで一杯よ。でも、普通のカモメさんの生活とか聞いてみたかったんだけど、モーちゃんは特別っぽいから、そこはちょっと残念ね」
「そういうことなら、俺は3年くらいカモメの群れの中で暮らしてたから、あいつらの生活はよく知ってるぜ」
「ホント?」
「ああ。アイツらは本当にアホでな……」
俺たちは他愛もない話をしながら森の奥へと進んでゆく。そして、2時間は経っただろうか。急に視界が開け、目の前に空間が現れる。そこには、無数の切り株に囲まれた、三角屋根の丸太小屋が建っていた。
「着いたわ。ここが私のお家よ。
さあ、入りましょう」




