賢き者ども稚き議論せし
──バナーナ盗賊団による侵攻事件から一週間ほどが経過していた頃……
「やっぱアンタバカでしょ。水の都近郊の宿場町からは乗合馬車に乗り換えた方が安いのなんて料金表見れば明らかじゃない」
俺たちは屋敷の執務室でミーティングをしていた。
卓上に所狭しと並んだ資料は大きく種類分けして二つ。
一つは、鼠亜人の生息域の変遷に関連する論文の数々。もう一つは、隣国の首都である水の都へ接続する公共交通機関の料金表だ。
現在進行形でやらされ仕事を押し付けられているソフィアが、とうとう限界を迎えたとばかりに声を荒げた。
「落ち着けソフィア。旅費は貴族院持ちなんだからどうでもいいだろ」
大量の資料に紛れてなおその存在を主張する、豪華な紙に書かれた『水の都に潜伏している妖魔教団司教の動向調査依頼』の字。ソフィアではなく、そちらに視線を向けたまま返事をこぼす。豪華な紙の端には、これまた細部まで彫り込まれた判子が押されており、この街にいる大人なら誰しもが貴族院の文書であることがわかるだろう。余談だが、そうとは知らずにソフィアにバカにされた件についてはきちんと閻魔帳に記してある。
閑話休題、なぜかすごく冷めた視線を向けてくるマキに気づき正面から見据えると、やはりゴミを見るような目で話しかけられた。
「ケンジローらしいといえばそれまでですが、とんでもないクズ発言じゃありません?」
ひどい言われようである。
「確かにとんでもないクズに思われるだろうが、勝手にルート変更して差額をポケットに入れたらそれこそ横領になるだろ。そして、旅費を節約できることを貴族院に報告するのもめんどくさ……スケジュールの都合で間に合わないから仕方がないんだよ。はい、ソフィアの八つ当たりにもスマートに対応俺強い」
ついでに言うと、貴族院もたかだか数シルバー程度のために事務作業が増えずに済むという二段構えだ。
「はいはい、もういいわよ。どうせ私は頭が悪いですよー」
「拗ねんなって。ほら、この前のクエスト報酬で買ったマカロンやるから。これで機嫌直せよ」
「子供扱いしないでくれる?」
そう言いながらも、嬉々としてマカロンに手を伸ばすソフィア。
この調子だと、竜車と馬車の座席予約申請書を書き上げている間に俺の分はなくなりそうだ。
そんなことは別にどうでもいいのだが、このままでは俺のぶんまで食べ尽くされるのも時間の問題なので、マカロンを片手に書類と睨めっこを始めたソフィアの隣に座る。
「ちょっと、なんで隣に座ってくるのよ。普通にキモ」
普通じゃないキモさとはいったい何なのかを問い詰めて涙目にしてやりたいところだが、今は忙しいのでやめていこう。
「ったく、器もパーソナルスペースも狭いヤツめ。増大させた方がいいんじゃないのか? マカロン詰めまくって増大し続ける腹部のエントロピーみたいに」
言ってから後悔した。
隣から硬質な物体が破損する音が聞こえたが、恐ろしくて振り向けない。
ティーカップを床に落としてしまったのだと信じたいが、日本での生活では当たり前だったクーラーを想起させる冷気に恐怖を覚える。
「……ケンジロー、アンタって強心臓よね」
感情の起伏を感じられない声色に内心も体表もひやひやする。
「……そ、そうか? ありがとう」
笑って誤魔化すようにおどけてみるが状況がよくなる気がしない。それどころか、ますます怒らせてしまったようだ。
というか、机を挟んで反対にいるマキが寒がっていないので、ソフィアは俺だけを氷漬けにでもするつもりなのだろう。
氷の彫刻エンドだけは避けたいところだ。
いよいよ土下座を敢行するしかないかと考えてはじめていると、もはや色々諦めたようにため息をつかれる。同時に寒気からも解放された。
「……アンタあとで覚えてなさいよ」
ソフィアはそんな脅しを投げかけると、改めてため息をつきながら書類を手に取った。
どうやら許してくれたらしい。
ソフィアの怒りゲージを下げることに成功した俺は、二人と同じように書類を手に取る。
どうやらこちらは、妖魔教団の目撃情報と魔物組織の活発化における相関性についてまとめた論文らしい。
魔物組織というのは、先日のバナーナ盗賊団のような特定の魔物が組織的に害をなすことをいうのだとか。組織的に行動する魔物ということで、得てして狡猾で危険度が高いのだが、それらの活発化が妖魔教団によるものだとすれば一大事である。それに関しては貴族院も同じ考えらしく、今回の防衛戦で貢献しており貴族院との関係が強いソフィアに白羽の矢が立ったのだ。
「環境的要因で魔物が組織的に活発化するというのは別に珍しいことじゃないですよ」
資料を読み進めていくと、いつの間にか覗き込んでいたマキから解説が入った。
なんでも、元々魔物とは自然界の魔力によって変性した動物なのだとか。それゆえ、魔物は周囲の魔力の変化に敏感で、強力な魔力の持ち主が近づくと警戒心から気性が荒くなるのだとか。
昨今、バナーナ盗賊団による被害が急増していたのも、盗賊団が強力な魔力の持ち主と──それこそ、妖魔教団の司教クラスと接触したのが原因ではないかという旨の論文だった。実際に水の都周辺で目撃されていた二体の司教のうち一体が霧の都周辺地域まで移動していることが目撃報告によって推測でき、相関性があるのだと主張している。
「この世の生き物はみんな強大な魔力に対して敏感なのよ。さっきだって、魔法の冷気にあてられてゾッとしたでしょ?」
マキの言葉を受けて論文を熟読していると、ソフィアが横から補足してくれた。
確かに、と頷くと、ソフィアはさらに続ける。
「正確には発動直前の魔力を練っていた段階から反応する人もいるんだけど、アンタは鈍感みたいね」
まるで悪口みたいに聞こえるが、話を聞く感じでは魔力に敏感すぎるのもよくないらしい。
もっとも、魔法や魔力といった概念に馴染みがないので実感がわかないのだが。
「その点は安心して下さい。アタシもソフィアも魔力の流れには敏感なので、いつでも警告できますよ」
ドヤ顔をこちらに向けてサムズアップするマキが恐ろしく胡散臭そうに見えるのだが。……まあ、気にしても仕方がないか。
それより、改めて俺自身の魔力量が少ないことを思い出した。
こっちにきた初日の段階で魔法の才がないと判明して以降、極力魔力を使わないようにしてきたせいで忘れかけていた。
「これは頼もしいな。さ、続きをやるぞ」
言いながら、未記入の各種申請書類をソフィアの前に一山。続けて、誰でもできるような料金計算を資料付きで一式マキの目の前に置いた。短い重低音が机から二回鳴ると、少女二人からの視線が再びネガティブなものに変わった。
「ねえ、アンタに人の心とかないの? もう六時間は書類と睨めっこしてるのに休憩すらないなんてやってられないわ」
「そうですよ! のらりくらりと誤魔化されてましたけど、アタシたちまだお昼ご飯すら食べてないじゃないですか!」
それはとても純粋で、真っ当な抗議だった。
魔法時計はその針をまもなく十五時を指すところで、思っていた以上に時間が過ぎていたようだ。
「俺がいた国では、昼食は打ち合わせや一人で完結する雑務をこなすための時間なんだ。ついでに反論しておくと、俺に人の心がないのではなく、いつも心を鬼にしているだけだ」
言いながら、時間経過に対する進捗の遅さに額に手を当てずにはいられなかった。
この様子だともう六時間はかかりそうだ。
そんなことを考えていると、少女たちは今にも泣きそうな顔で無言の抗議をしはじめる。子どもかコイツら。
「飯だってこれが終わったら食べればいいだろ。つーか、デスクワークしかしてないのにガツガツ食ったら太るぞ。ただでさえさっきマカロン食ったんだから少しは脳で糖分を消費したらどうだ」
手にしていた論文から目を離し、肩をすくめて言ってみる。
すると、まるで猛獣のような形相のマキがこちらににじり寄ってきた。
助けを求めようとソフィアへ視線を向けるが、なぜか微笑んでいるだけで無言である。謎のプレッシャーを放っている気がするが杞憂であると信じたい。
「ど、どうしたマキ。そんな顔してもマカロンはさっき出したので全部だぞ?」
少女たちからの凄まじい圧力に無意識のうちに声が震えてしまう。
おそらく、今のマキに掴まろうものなら骨の一本や二本くらい軽く持っていかれるかもしれない。というか命の保証すらあやしい気がする。
間合いに入れたら終わる。そう思いながら、普段から肌身離さず持っている屋内用の低威力な市販魔力玉に手をかけたちょうどその時だった。
「マキ、大丈夫よ」
なんと、優しい声色でソフィアがマキを制止させた。
まるで女神のような彼女の行動に一周回って不安にさせられるのだが、助かったことに変わりはない。
「大丈夫。懺悔を聞くくらいだったら私にもできるもの。きっと、終わる頃にはケンジローもすっかりおとなしくなってるわ。……ねえ、ケンジロー?」
マキの隣まで歩み寄り、頬を撫でながらそう言ったソフィアは次にこちらへ振り向く。その表情は、もし同意しなければ何をされるのかわからないほど邪悪な笑みで、無言でうなずくしかなかった。
【一言じゃないコメント】
本作の累計字数が五万字を超えました。
記念に次回は番外編やります。