マナー講習
工房から戻ってきたら、さっそく村作りの準備をしないとな。なんだか、楽しくなってきたな。
「エア。いるかぁ?」
メイド長のエアを探したが、屋敷のどこにも見当たらない。エアだけじゃない、誰もいないんだけど。一人、ぽかんと突っ立っていると、ようやく一人が帰ってきたようだ。
「どちら様でしょ?」
見たことがない人が部屋の前で突っ立っていた。二人して突っ立っていて、会話が全く続かない。
何者なんだ? 見た目は……おばちゃんだな。スラムでもよく見かける感じがしたので、少し安心感を感じる雰囲気がある。しかし、格好はとてもその辺にいる感じではない。
少し派手さがある服に、なにやら髪がくるくるしている。まるで鳥の巣のようだ。それに……なんか、臭い。体臭とは違う、独特な臭いを放っていた。
さて、どうしよう。もしかしたら、新しいメイド? 父上あたりが押し付けてきたという可能性も否定できないな。
すると、おばちゃんがなにやら僕を指差し、下から上、上から下となぞり始めた。
「ダメね」
何が!? というか、開口一番がそれ? とりあえず、一言目は挨拶か、天気の話っていうのが定石なんじゃないの?
「はぁ、全然ダメ」
だから、何が!? おばちゃんから出てくる言葉を全く理解することが出来ない。そもそも、このおばちゃん、何者だよ。
「あの……どちら様でしょう? 一応、二度目なので、答えてくれない場合は衛兵に突き出しますけど」
「あなた!!」
急に語気を荒くなったな。
「な、なんでしょ?」
「私が誰だか分からないと?」
……誰だよ。さっきから、その疑問ばっかり頭にあるわ!!
「申し訳ありませんが、貴方のような知り合いはいなかったと思うんですけど。もしかして、どっかでお会いになりました? もし、そうなら申し訳ないんですけど……」
「あなたなんかに会ったことがある訳ないじゃない!!」
話が進まないな。これは本気で衛兵に突き出すことも考えないとな。まったく、よりにもよって誰もいないときに来るとは。
「いい加減にして!!」
いや、それはこっちの台詞なんですけど。
「さっきから待っているのに……淑女の前で服の乱れを直さないとはどういうつもりなの!?」
……は? いや、まぁ……うん。確かに乱れているとは思うけど、自分の家だし、急に来ておきながら、その言い方はないんじゃないの?
まぁ、直すけどさ……。
「ようやく、これで話が出来ますね。私はシャンドル公より遣わされたマナーの講師を務めさせて頂きます、マリーと申します。ロラン様を一から教育するように言われておりますから、ビシバシ教えますわよ!!」
なんか、凄く鼻息が荒くなってきて、過呼吸みたいになっているけど、大丈夫かな。それより……状況を飲み込めていなのは僕だけ? といっても、このおばちゃんと僕しかいないけど。
「すみません。質問なんですけど、マナーってどういう意味ですか? 何も話を聞いていないので……」
「マナーもわからないなんて……公爵家の子息であることを理解しておられるのですか? これから三日間でマナーを覚えてもらいますから」
押し付けてくるなぁ……
「そうではなくて。どうして急にそんな話になったんですか?」
「全く……いいですか? 今より三日後に、ロラン様のお披露目を兼ねた公爵家のパーティがあります。そこには公爵様を慕うお貴族様方が集まってきます。そこで、スラム出身の……いえ、失礼。マナーに疎い方がいると、シャンドル公の品位を下げることになります」
へぇ。そんなパーティがあるんだ。マナーか……なんだか面倒そうだな。
「別に気にしなくてもいいんじゃないかな? 父上もそこまでマナーを重視しているとは思えないんだよね」
「まぁ!! マナーは貴族の全て。マナーで始まり、マナーで終わる。これは常識ですわよ。まったく、スラム出は……」
そうなのかな? 王に会った時もマナーにうるさいって感じはなかったけど。
「まぁ、父上が寄越してくれたんだから、教えてもらおうかな。覚えておいても損はないでしょ」
「なんという口の聞き方なのでしょ。所詮は庶民という訳ですね。まったく、これだからスラムは……」
さっきから、これみよがしにスラムの言葉が出てくるけど……スラムが嫌いなのかな?
それからマナーの特訓と称した指導が始まった。初日はテーブルマナー。二日目は舞踏会での振る舞い。そして三日目は試験だった。
「よくぞ私の特訓に耐えられましたね。正直に言って、スラム出身の庶民だから途中で辞めてしまうのではないかと思っておりましたよ」
どうやら僕のマナーは、おばちゃんの審査をクリアしたようだ。
周りにはマリアの他にメイドたちも集まり、僕とおばちゃんを含めて健闘を称え合った。マリアは特に僕の成長に喜んで、涙を流していた。
これでマナーは完璧だ。ふふっ。公爵家のパーティとやらが実に楽しみだ。おばちゃん秘伝のナイフとフォークさばきを父上に見せつけてやろうではないか。驚く顔が目に浮かぶな。
「おばちゃ……いや、マリー。今までよくぞ、マナーを教えてくれた。礼を言うぞ」
「あら? スラム出のくせにそういうこと言葉は知っているのですね。でも無用です。今回は仕事でしたが、本当はこんな仕事……」
あれ? せっかくいい雰囲気だったのに、険悪になってきてないか?
「全く穢らわしい。スラムの臭いが移らないか、いつもヒヤヒヤしていましたよ。これで仕事が終わると思ったら清々。金輪際会わないと思いますが、どうかごきげんよう」
なんて酷いことを言うおばちゃんなんだ。あの秘伝のマナーを教えてくれた時は、本当に……嬉しかった。なにか、熱い繋がりのようなものを感じていたのに。
「なんで、そんなことを」
「言ったでしょ? 私はマナーに生きる女。マナーがない世界の住人だった貴方が気持ち悪くてしょうがないの。これだけは絶対に変わらないでしょうね」
言うだけ言って、すっきりしたのか、おばちゃんは屋敷を離れようとしたが、それを遮る者……いや、者たちがいた。
マリアを筆頭に、全員がおばちゃんを囲い込んだ。
「な、何をしようっていうの? まさか、私に危害を加えようとしているのではないでしょうね? いいこと? 私はシャンドル公の指名によって来ているのよ。手を出したら……ぶへっ」
おばちゃんが、マリアのきれいは正拳突きで吹き飛ばされていた。
「貴方こそ、分を弁えない態度、許されるものではありませんよ。聞いていれば、好き勝手と。ロラン様は、貴方のような凡人が勝手に計っていほどの方ではないのですよ!!」
うん。まぁ、言っていることは何となく分かるけど……気絶するほどの正拳突きはもっと許されないんじゃないのかな?
マリアはスッキリした顔をしているし、皆も納得している様子だから、……まぁ、いいか。成り行き次第では、父上に謝りに行けばいいしね。
結局、お沙汰は下らなかった。メイドたちの報告により、マリアの行為に非はないということになった。むしろ、おばちゃんには、公爵家の子息に対しての暴言と受け止められ、刑罰を受けることになった。
一応、僕の方から嘆願はしたよ? 一応ね。秘伝を教えてくれたお礼のつもりだったけど、父上が意外と怒っていたみたいで、刑は速やかに執行された。
お元気で……おばちゃん。それから、おばちゃんの姿を見たものはいなかった……。
「マリアはなんで最終日に殴ったの? 暴言と言うか、嫌味みたいのは最初から言ってたと思うんだけど」
「実はあの人、王国でも有名なマナーの講師なんですよ。なかなか来てもらえないようですよ。さすが公爵家と言ったところですね」
そんな人を牢屋送りにしたの? ダメじゃん。あれ? 今更ながら、かなりマズイんじゃないの?
「そんなことはありませんよ。一応、三日分の暴言は記録していましたし……それにマナーは覚えておいたほうが。ふふっ。あの人もまさか、最後の教え子がご主人様とは思ってもいなかったでしょうね。なんかウケますね」
だろうね!! まぁマナーも習得できたし……今回の教訓は……暴言は気をつけよう。
「ところでマリアはマナーに詳しいの?」
「聞いちゃいます? 実は、それなりに出来るんですよ。本当は私が教えたかったんですけど、とても三日では教えられなかったので諦めたんですけど」
へぇ。さすが、長い年月を生きていることはあるな。折角なら、ちょっと教わりたいな。
「いいですよ。じゃあ、夜に部屋に伺いますね」
ん? どういうこと? ああ……分かったよ。
「ごめん。やっぱいいわ」
「どうしてですかぁ!!」
夜のマナー講習はもうちょっと大人になってからお願いしよう。




