お風呂直前なのでサブタイトルは手抜きです
◆
……少しだけ前。
「狼君っ!」
闇代は戸を蹴破った部屋に転がり込むなり、そう叫んでいた。彼女は優達と別れ、狼を探しているのだ。しかし、この部屋に求めていた者の姿はない。
「慌てすぎダ」
その後ろから一片が走ってきた。彼も優とは別行動を取っている。無論、狼を探すためだ。
「だって、狼君が……!」
「お前は除霊師ダロ?」
その言葉に、闇代は口を噤まざるを得なかった。
「集中して、正確に気配を辿ればすぐに見つかるはずダ。手当たり次第飛び込んでいては時間の無駄でしかない」
正論を言われるが、今の彼女にそんな精神的余裕はない。
「これは、お前にしかできないことのはずダ。お前がその様では、向坂狼も失望するぞ」
だが、狼のためには落ち着くしかない。闇代は深呼吸して心を強引に落ち着けると、狼の気配を辿るために目を閉じる。
「……多分、あっち」
言うなり、闇代は全力で走り出した。
「まったく、困ったものダ」
その後を、一片が溜息混じりに追いかける。
(あそこ……!)
行く手を塞ぐ壁を蹴破り、勢いそのままに右折した先、扉の開いた部屋へ向かって疾走する闇代。この中に、狼がいるのだ。
「狼君っ……!」
そこへ飛び込んだ彼女は、一瞬、自分の目を疑った。まず、部屋には三人いた。内二人は紗佐と上風。何故二人がここにいるのかと思ったが、確かにさっきから別の気配もしていた。今まで気に留めなかったが、なるほどこの二人だったのかと合点がいった。しかし、問題は残る一人。気配から察するに、これは狼のはずだ。しかし、その姿はあまりにも彼とはかけ離れている。全身を黒い体毛が覆い、変形した耳がおかしな場所にあり、更には尻尾まで生えている。だがそれ以上に、そいつの右腕が、今にも振り下ろされようとしていたのに気づき、闇代は咄嗟に駆け出した。彼と、少女達の間に割って入り、その凶器と化した右腕を、手にした霊刀の鞘で受け止める。このくらい、霊術で体を強化した彼女なら造作もないことのはずだった。―――だったのだが。
(お、重い……!)
その強い衝撃に、思わず鞘を取り落としそうになる。それをすんでのところで堪えて、正面にいる怪物に目を向けた。その顔はやはり毛むくじゃらで、口先が少し尖っており、瞳は黄色く、耳の位置からも、それはまるで―――
(狼、みたい……)
それこそ、本物の狼男を見ているかのように思えてくる。満月の夜に本性を表す、狼男そのものだ。
「そんな、どうして……?」
問い掛けるも、彼がそれに答えることはなく、右腕に込められた力が緩まることもない。それどころか、この狼男は空いている左腕を振り上げた。
(まずい……!)
今、闇代の右半身は右腕を止めるのに費やされて、まともな行動が取れない。つまりがら空きだ。だというのに、右側から更に追撃されようとしている。これを防がなければ、闇代の小さい体はこの鋭い爪に引き裂かれてしまうだろう。
(何とかして、防がないと……うっ!)
しかし、次の手に気を取られたため、急に力を増した右腕に押し飛ばされそうになる。
「きゃっ……!」
鞘を取り落とすことはなかったが、それでも、華奢な闇代の体は後方の壁へと打ち付けられてしまう。
紗佐と上風の間で、壁に寄りかかる格好となった闇代。全身を強く打ったせいか、手足の動きが鈍い。これでは追撃を防ぐどころか、躱すこともできないだろう。
「狼、君……」
苦痛に顔を歪めて、変わり果てた愛しき人に、必死に呼びかける闇代。だが、振り上げられた左腕が下げられることはなかった。
「狼君、わたし、だよ……? 闇代、だよ……? 分から、ない……?」
いや、振り下ろされないだけではなく、彼の左腕が、振り上げられたまま硬直しているのだ。
「狼君、何でこんなこと、するの……? もう何も、分からないの……? わたしも、紗佐ちゃんも、上風ちゃんも、もう誰も、分からないの……?」
もしかしたら、まだこの中に狼の心が残っているのかもしれない。それが、最後の一撃を思い留まらせているのだろうか。
「狼君っ! お願いだから、戻ってきてよっ! 狼君っ!」
闇代の声が狼に届けば、この怪物も動きを止めるかもしれない。そんな淡い期待は、数秒も持たないのだった。
怪物の左腕が、微かに揺れた。躊躇いではなく、それを振り下ろさんとするためだ。闇代もそれに気づくが、彼女の右腕は疲労のせいか、既に言うことを聞かなくなっている。左腕は利き手でないため、防ぎきるのは難しい。かといって避ければ、他の二人に狙いを変えられるかもしれない。要するに、彼女には、これを防ぐ手立てがないのだ。
「……狼君」
最早諦めムードだが、最後の悪あがきにと、左手に持った鞘を構え、盾とする。だが、それが役立つことはなかった。
「霊鎖封縛」
突然、怪物の動きが止まった。そして、その後ろから現れたのは―――
「まったく、無様ダナ」
「ひ、一片君……」
一片が、闇代に追いついたのだ。彼が手にした銃は、何故か口が下に向いていた。
「霊鎖封縛で動きを止めた。これで暫くは安泰のはず」
霊感のある者なら、銃口の先にある、小さな穴の開いた地面から白い鎖が飛び出し、怪物の左腕に巻きついているのが見えるだろう。霊銃『キューピットの矢』が持つ捕縛術、『霊鎖封縛』である。
「にしても、これは……向坂狼、なのか?」
「うん、多分……」
闇代は、腰を抜かして動けなくなっていた紗佐と上風を、一片の後ろまで連れてくる。因みに、闇代の霊刀は鞘から手を離しても彼女の周りに浮いているが、それは恐らく仕様だろう。
「でも、まだ狼君の意識もあるみたいなの」
「それは厄介ダナ。一思いに、というわけにもいくまい」
「意識がなくても駄目っ!」
ご尤も。
「まあ、こういうことはあれに任せるとして、お前はそいつらを外に連れ出せ」
「一片君は?」
「鎖の維持があるからな。あまり離れられない」
鎖は未だに、怪物の左腕を縛り付けている。それが解ける様子はない。
「分かった。気をつけてね」
「言われるまでもない」
と答えた直後、一片は何かただならぬ気配を感じた。
「今のは……」
「これって……」
闇代も、同じ気配を感じたらしい。緊張で顔を強張らせている。
「二重霊鎖封縛」
一片の声に応じて、地面の穴からもう一本の鎖が飛び出して、怪物の胴体に絡みつく。だが、怪物は低い唸り声を上げて、左腕を動かそうとしている。
「三重霊鎖封縛」
更に鎖が飛び出し、今度は右腕に巻きつく。しかし怪物は、鎖から逃れようと力ずくで引っ張りに掛かった。
「暫くは安泰じゃなかったの!?」
「おかしい。霊鎖封縛はこんなに脆くないはずダガ……」
と言っているが、鎖はみしみしと音を立て、今にも千切れそうだ。
「四重霊鎖封縛」
新たな鎖が飛び出して、怪物の首を締め付ける。だがそれは寧ろ、怪物の力を強めてしまうのだった。
「どうするの!?」
慌てた様子で問い掛ける闇代。対する一片にも焦りの表情が浮かんでいる。
「馬鹿な。霊鎖封縛は霊体を縛る鎖。肉体の身体能力で破れるはずが……」
言い争っている間にも、鎖にはどんどんひび割れていき、崩れ去ろうとしている。
「こうなったら、一発撃って弱らせるしか……」
銃を構え、右肩に発砲するが、厚く盛り上がった筋肉に弾かれてしまう。
「そんな……!」
そしてとうとう、鎖が砕けてしまった。
解き放たれた怪物が、ゆっくりと、二人のほうを振り返る。
「……っ!」
一片は、右手の銃を左手の鞘に宛がい、『見えざる刀』を抜き放った。即座に風が辺りを満たし、彼らを守護する。
「予定変更ダ。この二人は俺が守る。お前は、あれを止めろ」
「……分かった」
闇代は一歩踏み出し、両手の霊刀を抜き放つ。
「わたしが、狼君を元に戻す」
空になった鞘を構え、怪物の懐へ飛び込んだ。




