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デパートのレストラン街を、輝と雫は両側から海の手を繋ぎ歩いていた。
間に挟まれた海は居心地悪そうにしていたが、不機嫌な顔とは対照的に、瞳は好奇心で輝いていた。
海はデパートに来るのは初めてだったのだ。
和洋中、無国籍に並ぶ店舗。ガラスケースの中に整列する見本の料理達。店内から泳いでくる食欲をそそる匂い。休日の昼時ということもあり、海達と同じようになにを食べようかとさ迷う人々。店内に入る順番待ちをしている人々。
そういった些細なこと全てに興味を引かれ、先ほどから海の首はあちこちを行ったり来たりしていた。
そんな海の様子を見ていた輝が、笑いながら言う。
「海はデパートに来るのは初めてかい?」
輝の言葉で自分が浮かれているのに気づいた海は、はっとし、表情をより不機嫌なものへと変えた。先ほどまで瞳に浮かんでいた光はすっかり消えてしまった。
「……そんなこと、どうでもいいだろ」
「どうでもよくないさ。もし初めてなら、今日は初デパート記念日でもあるのだからね!」
海は不機嫌な表情を作るのも忘れ、輝を見上げた。輝の言葉に感動したからではない。呆れたからだ。
(こいつ、アホなのか……?)
本人が聞いたら傷つくであろう言葉を言わなかったのは、海の優しさではない。
呆れてものが言えなかっただけだ。
そんな海の胸中を悟った雫(実は彼女も呆れていたりする)が、苦笑いを浮かべながら輝に言う。
「輝さん。海が呆れていますよ。なんでもかんでも記念日にすればいいってものじゃありません」
「い、いや、しかし……」
「困った父さんね、海。それで、海はデパートは初めてなの?」
「……流された……」
立ち止まり、悲しそうな表情の輝。
しゃがみ、海の目線に合わせながら微笑む雫。
二人の力関係をなんとなく理解しながら、海は視線を雫から外し答える。
「……だから、そんなことどうでもいい……」
「駄目よ。私達は今日から親子で家族なの。私達はあなたのことをなんでも知りたいのよ」
「……っ」
海は下唇をぎゅっと思い切り噛んだ。そうしないと涙が流れてしまいそうだったから。
海の人生で今日まで自分のことを知りたいと言ってくれた人は、誰一人いなかった。
誰もきちんと自分を見てはくれなかった。誰も自分を知ろうとしてくれなかった。
自分の境遇に、人生に絶望した海であったが、それでも心のどこかでは求めていた。
自分を見てくれる人を。自分を知りたいと言ってくれる人を。
――自分を、求めてくれる人を。
……しかし、海の過ごしてきた日々は辛すぎた。そして、長すぎた。
幼い少年の心を傷つけ、人を簡単に信じられなくさせるくらいに。
(信じるな。心を許すな。そうすれば……もう傷つかずに済む……!)
海は涙を無理矢理抑え、雫が離した方の手を思い切り強く握り締めた。
七歳の少年とは思えないような鋭い目つきで雫を睨み、言う。
「ああ、初めてだよ!デパートどころかまともに外出だってしたことがないさ!これで満足か!?」
海のあげた声に、周囲の視線が彼らに集まる。
かつて海を引き取っていた人達は、海がこうして人前で声をあげると、決まって彼を人気のない所まで連れて行き、彼のことを殴った。
最初は痛みに泣いていた海であったが、いつのころからか泣かなくなった。黙ることが一番被害が少ないことに気づいたからだ。
今回海はわざと声をあげた。怖かったからだ。自分の知らない感情を向けられるのが。
彼らなら、と期待してしまう自分が。
だから声をあげた。そうすることによって、慣れしたしんだ感情を向けさせようとしたのだ。
しかし……。
「そうなのね。じゃあ、これからは一緒にいろいろな所に出かけましょう」
「……え?」
向けられたのは、彼が期待した反応ではなかった。
海の頭を撫でながら、変わらず優しい微笑みを浮かべている雫。
「そうねぇ。確か来週の日曜日は仕事が休みだったはずだから、みんなで遊園地に行きましょう!」
顔の前で両手を合わせ、少女のように雫は言った。
「それはいい考えだ!海!一緒にジェットコースターに乗ろう!」
雫の考えに同意し、楽しそうな笑顔を浮かべる輝。
「じゃあ私は海と一緒にメリーゴーランドに乗るわ。ふふ、楽しみね」
二人から向けられる優しい笑顔。優しい瞳。
全ての予想をことごとく裏切る輝達に、海はどうしたらいいかわからなくなった。
「でもまずはご飯を食べましょう。海、なにがいい?」
対応に困った海は、流されることにした。これも、彼が今までの人生で学んだ、自己防衛の一つだ。
自分に向けられた言葉に、海は俯いたまま「……あれ」と小さい声で指差す。
輝と雫がその指の先を追うと、そこには数種類のハンバーグがショーケースに並んでいた。
「ハンバーグね。じゃあ今日の昼ご飯はハンバーグにしましょう」
「……ハンバーグ」
雫に続く形で海が呟く。その反応で輝と雫は悟った。海は『ハンバーグ』という名称も知らなかったのだと。
これからは海にいろいろなものを海に教えてあげよう。いろいろなものを食べさせてあげよう。
輝と雫は、そう心に誓った。
「美味しいわよ。さあ、海。行きましょう」
差し出された雫の手を、海は逡巡ののち、ゆっくりと握った。
そんな海を、雫達は優しく、見つめていた。




