表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
敵国に嫁いだ長女は振り返らない  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/43

第1話 夫の遺言は、義妹の名前でした

 矢が来る、と思ったときには体が動いていた。


「――ヴィンセル様!」


 従者の声で叫び、従者の腕で彼を突き飛ばす。焦げた土の上を二人分の体が転がって、一拍遅れて、さっきまで彼の首があった場所を黒い矢が三本、貫いていった。


「……すまん、ヤニク。また借りができたな」


 泥だらけの顔で、私の夫が笑う。


 赤金の髪に、若葉色の瞳。ヴァルデンツ王国が誇る若き騎士、ヴィンセル・グランハルト。


 この戦場で彼の命を拾うのは、これで七度目になる。


 彼は知らない。


 従者ヤニクの中身が、入れ替わりの秘術で体を借りた妻――リディエンヌ・ヴァルデンツその人だということを。


 世界でいちばん、彼に嫌われている女だということを。


 *


 夜営の火は、いつも小さい。敵に見つからないように、掌ほどの焚き火を囲んで、兵たちは交代で眠る。


 私は眠らない。


 眠っている間に彼が死んだら、何のためにここまで来たのか分からないから。


 結界というものは、派手な魔法ではない。祖国では「使用人の魔法」と嗤われる、地味な、地味な力だ。それでも私の糸のような結界は、この数ヶ月、夜襲の刃を三度受け止め、毒矢を二度逸らし、崩れる岩壁を一度だけ支えた。


 誰も気づかないくらい、静かに。


「ヤニク。おまえ、恋人はいるのか」


 不意に、火の向こうから声がした。


 見張りのはずの夫が、眠れないらしく、膝に剣を抱いてこちらを見ていた。


「……結婚、しています」


 嘘は言っていない。


「へえ。会いたいだろう」


「どうでしょう。……相手は、自分のことを、好きではないので」


 言ってから、少しだけ後悔した。声が震えなかったのは、従者の喉が私のものではないからだ。


 夫は火を挟んで、呆れたように笑った。


「なんだそれは。そんな相手はさっさと別れちまえ。時間の無駄だ」


 ぱち、と薪が爆ぜた。


「想われてもいない場所で待つ人生なんて、無駄以外の何ものでもないだろう。おまえは悪いやつじゃない。次を探せ、次を」


「……覚えておきます」


 あなたに教わったと、いつか言う日が来るだろうか。


 来ないだろうな、と思いながら、私は火に枝を足した。


「俺の妻はな」


 夫は続けた。聞いていないのに、続けた。


「家の決めた枷だ。国と家門が結んだだけの、顔も見たくない枷。あれがリュシ……あの人の半分でも可愛げのある女だったら、俺の人生は違ったんだろうが」


 彼の手が、胸元のお守りに触れる。


 薄汚れた小さな布包み。彼が十一の歳から肌身離さず持っている、恩人の形見。


「その方のことを、愛しておられるのですね」


「ああ。……死んでしまったがな」


 義妹のリュシオラ。敵国に嫁ぎ、敵国で死んだ、可哀想な第二王女。


 夫はその仇を討つためにこの戦場にいる。彼の剣を振るわせているのは王命ではなく、とうに死んだ女への恋だった。


 私は黙って、結界の糸を張り直した。


 彼の寝顔のまわりに、誰にも見えない銀の糸を。


 時間の無駄と呼ばれた歳月を、今夜も一針ずつ縫うように。


 *


 その夜襲は、月のない晩に来た。


 三日三晩の行軍の後だった。私の魔力は擦り切れて、結界の糸は残り僅かで、それでも敵の第一波は防いだ。第二波も逸らした。


 第三波の矢を、防げなかった。


「――ヤニク!!」


 突き飛ばされたのは、私のほうだった。


 鈍い音がした。


 振り向いた先で、夫が膝をついていた。従者を庇った背中に、深々と、矢が生えていた。


「ヴィンセル様……っ」


 敵は退いた。味方が駆け回る。軍医が呼ばれる。誰かが松明を掲げる。


 その全部が、ひどく遠かった。


 私の腕の中で、夫は静かに血を失っていった。回復魔法は間に合わない。彼も、それを分かっている顔をしていた。


「……ヤニク。この一月、ずっと……お前に、守られてばかりだったな……今日、ようやく……俺が、守れた……」


「喋らないでください」


「聞け。……遺言だ」


 若葉色の瞳が、私を見た。


 私を見て、私を映して、最後まで私を知らない瞳が。


「俺は……リュシオラの仇を、討てなかった。それだけが……心残りだ。あんなに、綺麗な人は……いなかった。なあ、ヤニク……来世が、あるなら……」


 言うな。


 言わないで。


「来世があるなら……今度こそ、あの人と……結ばれたい……」


 夜空に、火の粉が昇っていった。


 夫は震える手で、胸元のお守りを外した。十一の歳から、二十一で死ぬ今夜まで、戦場にまで持ち込んだ、恩人の形見を。


「これを……あの人の、墓に……供えてくれ。頼む……」


 私の掌に、それは落ちた。


 布がほどけた。


 中から出てきたのは、焼け焦げた跡のある、小さな銀の髪飾りだった。


 ――ああ。


 見覚えが、ないはずがなかった。


 これは私のものだ。九歳の春、魔獣の炎から彼を庇ったあの日、私が落とした髪飾り。母の形見の、家紋の細工。


 あの日、彼を守ったのは私だ。なのに彼は、ずっとリュシオラだと信じてきた。


 彼が生涯かけて愛した「恩人の形見」は、最初から、私の落とし物だった。


 彼の恋は、最初の一秒から、宛先を間違えていた。


 恩人を、好きになったのか。好きだったから、恩人だと思い込みたかったのか。――今となっては、彼自身にも分からないのだろう。


「……確かに、お預かりしました」


 従者の声で、私はそう言った。


 夫は安心したように笑って、それきり、二度と動かなかった。


 泣かなかった。


 不思議なくらい、涙は出なかった。


 ただ、長いあいだ胸の奥で燃え続けていた小さな火が、ふ、と消えるのが分かった。九歳の春から灯りっぱなしだった、誰にも気づかれなかった火が。


 そこで私の恋は、音もなく終わった。

挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
華ドラでよくあるやつですね どれくらいまとまっているのか、はたまた良くある感じか読んでみます
挿絵邪魔ですしAIなんてさらにマイナス印象…
お話の先が気になるのに読むのに挿絵が邪魔です 挿絵がほしい人や入れたい作者の意向を否定したくはないのですがせめてあとがきに入れてください
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ