第151話 :「この楽しい時間は、嵐の前の静けさ」
不安を胸に抱えつつも、俺たちは授業を続けることにした。学院全体の(霊素)が薄くなっている気配は拭えないが、まずは目の前の課題を片付けるしかない。
「さあ、子供たち、授業を続けるわよ。みんなが(霊素)の操り方を覚えた今、そのエネルギーをどう扱うかを学ぶのはとても重要な段階よ。だからしっかり聞くのよ〜」ルリエ先生はいつも通り柔らかく微笑みながら言った。
今回の実技はいつもと違った。あの輪の中での稽古に戻るのではなく、案山子が並んだ列の前に一列に並ばされたのだ。そしてルリエ先生が再び投影され、目の前に現れた――しかし、今回は皆その異変にすぐ気づいた。全員、目を見開いて彼女を見つめる。
以前は人間と見分けがつかないほど完璧だったルリエ先生の姿だが、今は明らかに「ホログラム」の色合いだ。青みのかった、どこか既視感のある虚像になっている。
「えっと、先生……表示レベルが急に落ちてませんか? どこか調子が悪いんですか? やっぱり学院のエネルギーが不足してるんでしょうか?」誰かがそう問いかけると、先生の声がいつもと違う機械的な断片で返ってきた。
「――学業に関係のない問題を検出、データベースより解答を検索中……」まるでAIが自動応答しているかのような言い方だ。俺たちはざわつきながら顔を見合わせる。
「先生、一体どうなってるんですか?それに、さっきから先生の周りでも(霊素)が断続的に感じられるんですけど……非生物が(霊素)を発するなんてあり得ますか?普通、非生物は魔力すら生成できないはずじゃ――」
しかしその問いかけにも、ルリエ先生は答えを返さず、ただ淡々と計算を続けるかのように画面の中で動きを繰り返していた。緊張の色が漂う中、数分ほど待っただろうか。突然、ルリエ先生の投影がはっとしたように戻り、そしてそのまま崩れるように床に崩れ落ちた。
「う……」
俺は咄嗟に駆け寄り、心配で彼女に手を伸ばす。しかし、触れようとした瞬間――手は空気をかき分けるだけで、ルリエ先生の肩に触れることはできなかった。投影が透けて、指先がその中をすり抜けていく。
「今まで普通に触れて、物も受け渡せてたじゃないか。どうして急に何もできなくなったんだ。ルリエ先生、いったい何が起こってるんですか!」
俺の声は焦りを帯びる。返事はなく、投影は荒い息を繰り返すだけだった。だがやがて、彼女の表情がゆっくり戻り、いつもの「ルリエ先生」の佇まいと口調が復活した。
「瑛太君……大丈夫よ。心配しなくていいのよ」彼女は震える声でそう言った。
だが俺にははっきりわかった。ここあたりの(霊素)濃度が、確実に下がっている。訓練で使ったからか、それとも別の原因があるのか――問いかけずにはいられなかった。
「でも先生、明らかに周囲の(霊素)が減ってきてます。これって、俺たちが(霊素)を操れるようになったことと関係あるんじゃないですか?一体どういうことなんですか、先生!!」
俺はもう一度、ルリエ先生の体に手を伸ばした。今度はちゃんと、触れられた。かすかに震える肩を支えながら、ゆっくりと彼女を立たせる。
「わ、私は大丈夫よ、瑛太君。ただ……少し疲れただけ。みんな、心配しないで。さぁ、続きをやりましょうか」
苦しそうに息を整えながらも、先生は無理に微笑んでそう言った。その笑みは、どこか儚くて、見ているだけで胸が締めつけられるようだった。ルリエ先生は俺の肩に軽く手を置き、ふらつきながら皆に向き直る。
「みんな……案山子の前に立ってるわね? じゃあ、今日の練習は“活性化”よ。自分の(霊素)を通して、案山子を元気にしてあげるの。正(霊素)を使って……もっと生き生きとさせるのよ〜」
「先生……いや、今日はもう休んだ方がいいです。顔色が本当に悪い。少し休みましょう。先生の(霊素)、すごく乱れてます。俺が整えてみます」
そう言って、俺は(神聖魔法)を発動した。だが、その瞬間、奇妙な感覚が走る。エネルギーは確かに流れ込んでいる――けど、それはどこへ?
(……おかしい。ルリエ先生はホログラムのはずだ。実体も魔力もない。なのに……)
俺の感知には、確かにルリエ先生の内部に濃密な(霊素)が存在していた。けれどその(霊素)はどんどん不安定になっていく。
「ルリエ先生……あなた、いったい何者なんですか。どうして(霊素)を持ってる?どうしてこんなにも人間らしいんですか? 本当に……ただのAIなんですか?」問い詰める俺に、先生はかすかに微笑むだけだった。
「瑛太君……ありがとう。おかげで少し落ち着いたわ。さぁ、練習を始めましょう。三人は案山子で試してみて。瑛太君、あなたは……私と一緒に(霊素)の訓練をしましょう」
それ以上、彼女は何も答えなかった。俺も、無理に聞き出しても無駄だとわかっていた。だから素直に頷き、彼女の言う通りに行動するしかなかった。
少し離れた場所では、美月たち三人がそれぞれ(霊素)を稻草人に注ぎ込んでいた。美月の前の稻草人からは芽が伸び、凛の稻草人は体積を増やし、梓の稻草人はまるでゴーレムのようにぎこちなく動き始めた。
ルリエ先生はそれを見届けると、そっと俺の腕を引いた。彼女の手は、驚くほど冷たかった。
「瑛太君……あなたは四人の中で、いちばん才能がある子よ。だからこそ、あなたに託したいの。先生の時間は……もうあまり残っていないの」
「え……ルリエ先生……?」
「先生の持つ(霊素)の運用技術、すべてをあなたに伝えるわ。全部、吸収して。いい?」
「でも……先生――」
「瑛太君。これは(私)、(ルリエ)のお願いなの。どうか……今は何も聞かずに、ただ、私の願いを聞き入れてくれる?」
その言葉を聞いた瞬間、何も言い返せなくなった。ルリエ先生の瞳の奥に、確かに“覚悟”があった。
「……わかったよ、ルリエ。やろうか。」
「ふふ……ありがとう、瑛太君」
微笑んだルリエの輪郭は、わずかに揺らいで見えた。まるで、光の粒が少しずつ空気に溶けていくように――