第147話 :「《勇者編》世界を変えるのは、剣ではなく一筋の歌」
――あのとき、私はつい、どうでもいいことを考えてしまっていました。けれど、その間にも皆さんの会話は続いていきます。
「私はね、(負化大地)の処理を担当しているわけじゃないのですよ。私の役目は、そこに残ってしまうアンデッドたちの処理なんです、嬢ちゃん♪」エルフェストさんがそんな調子で陽気に言いました。
どうやら、自分の表情が他人に伝わらないことをよく理解しているようで、声のトーンや抑揚で感情を表しているみたいでした。そのあと、ミレイアさんが一歩前に出て、今回の作戦について説明を始めました。
「さて、皆さんも顔合わせが済んだところで、早速始めましょうか。今回の件は――私が大地に足りなくなっている負属性の魔力を補います。その後は、エルフェストが他のアンデッドたちを聖国の境界の森に誘導して、(アンデッド保護区)にする予定です。これで、この辺りの負化現象を一時的に抑えられるはずです。」
なるほど……と、私は思わず頷きました。確かに、アンデッドたちをそのまま放置すれば、生者を無差別に襲ってしまう。けれど、彼らがいなくなれば、今度は(負化現象)が拡大してしまう――
だから、両方を共存させるというこの案は、とても理にかなっているように感じました。
「なるほど……それなら確かに有効ね。でも、エルフェストはそのアンデッドたちをどうやって扱うつもりなの? あれほど理性のない存在たちよ?」
梨花さんがそう尋ねると、エルフェストさんはゆっくりとうなずいて答えました。
「アンデッドのすべてが理性を持つわけではないんだ。私たちの種族の違いは、魂にある。君たち“正の存在”が肉体によって分類されるのに対して、我々アンデッドは“魂が負属性の(魔力)にどれほど適応できるか”で分類されるんだよ。私たち不死者の魂が、(負属性)の魔力に適応できれば、死後にアンデッドとして転生できるというわけです。」
その説明を聞いた瞬間、私たちは顔を見合わせてしまいました。
「転生……なの?それってつまり、死んだ後に別の存在に生まれ変わるってこと?ってことは――アンデッドは、元々私たちみたいな生者が死んで転じた存在なの?」
エミリアさんが核心を突く質問をしました。
「その通りです。アンデッドの多くは繁殖などはできません。ですから、新たなアンデッドは、生きていた方が亡くなった後、肉体が(負化)して変化することで生まれます。そして、その魂が新しい体に適応できた場合にのみ、“不死者”として生まれ変わるのです。もし適応できなければ、その魂は女神様の元にお還りになり、再び導きを受けることになります。」
――その言葉を聞いたとき、私は息を呑みました。
まさか、アンデッドの口から「女神さま」という言葉を聞くなんて。信仰を持たぬ連邦の人たちよりも、不死者のほうがよほど神を理解しているなんて……皮肉ですね。
そして、ミレイアさんが最後に補足を加えました。
「ふふ、エルフェストさんの種族は正確には「アンデッド・ネクロマンサー」です。魂を持たない不死者を操ることができますの。ですから、彼が命令すれば、彼らは森の外に出ることなく、そこに留まりますわ。そうして「アンデッドの棲む森」を作ることで、一定の負属性の魔力の供給を維持するのですよ。」
ミレイアさんがそう締めくくると、皆が「なるほど」と頷き、納得したようでした。全員の理解が揃ったところで、ついにミレイアさんが復元の儀式を始めることになりました。私たちは彼女のあとに続き、ゆっくりと(負化大地)の境界まで進みました。
――そこは、まるで大地そのものが病んでいるかのような、不気味で沈んだ場所でした。
「ここから……どうやって再生させるんだろう?」
皆が息を呑んで見守る中、ミレイアさんは静かに膝をつき、両手を胸の前で組み合わせました。
「女神さま……どうか、私の祈りをお聞きください。
この地に再び命の流れが巡りますように……心から、祈りを捧げます――」
その祈りは、魔法の詠唱とはまったく違うものでした。普通なら、魔法を唱えた瞬間に魔力の流れが生まれるはず。
けれど、ミレイアさんの祈りからは、そんな気配が感じられませんでした。
――むしろ、それは「魔法」ではなく、「願い」そのもの。
彼女の声には、まるで光のように澄んだ響きが宿っていました。
(……女神さま、本当にこの方の声、聞いていらっしゃるのでしょうか?)
そう胸の中で思いながら、私は静かに手を合わせました。
――それは、あまりにも静かで、あまりにも美しい光景でした。
ミレイアさんの身体からは、魔力の流れがまったく感じられませんでした。
本来なら、強力な魔法を使うときには、体内を走る魔力の奔流が誰にでも分かるほど顕著になるはずです。けれど今、彼女の周囲にはそんな気配は一切なく、ただ……柔らかな光が、静かに彼女を包んでいました。
「ねぇ、澪。ちょっと変じゃない? ミレイアの魔力、まるで動いてないのに……なんか空気が変わってる気がする。」真白さんが、少し不安そうに囁きます。
「ええ、確かに……。魔力の流れは感じませんけど、彼女は確実に何かを“使って”います。」私も小さく答えながら、胸の奥がざわついていました。
そんな中、静かにエルフェストさんの声が響きました。
「当然のことですよ。ミレイア聖女が行使しているのは(聖魔法)ではなく、もっと上位の――(神聖魔法)です。どちらも“魔法”と呼ばれますが、その本質はまるで別物です。」
そう告げると、彼も言葉を止めました。
まるで、その先にある“神域”の現象を、畏れ敬っているかのように。
ミレイアさんの身体が、次第に光を帯びていきました。
やがて、その輝きは昼の陽光をも凌ぐほどに強くなり、
白銀の炎のような光が大地に降り注いで――
彼女は、ゆっくりと立ち上がりました。
そして――歌い始めたのです。
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「大地が泣いても 誰も気づかぬまま
悲しみは 新たな絶望を呼ぶ
けれど――人が人を赦しあうとき
光は 再びこの世界に降り注ぐ
違いを抱いて 認めあえるなら
この地は 希望の時代へと還る――」
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ミレイアさんの歌声は、まるで風そのものが祈りを運んでいるようでした。
彼女が歩むたびに、黒ずんだ(負化大地)が白く輝き、
闇が溶けていく。
不思議でした。
あの禍々しい大地が、彼女には何の害も与えない。
まるで――大地そのものが、彼女を“受け入れている”ようにさえ見えました。
彼女は、闇の中に立つ一つの太陽。
その小さな身体が放つ光は、どんな闇よりも強くて、
見る者すべての胸に、静かな感動を灯していました。
アンデッドたちがざわめき、ゆっくりと彼女に近づいていきました。
しかし――誰一人として、彼女に触れようとはしませんでした。
その周囲、五メートルほどの範囲が、まるで“聖域”のように守られていて、
誰もその結界を越えることができないのです。
そして、ミレイアさんは微笑みながら、再び歌い出しました。
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「太陽は世界を照らし 命を育み
月は眠りを与え 明日を紡ぐ
世界はいつだって この調和の上に在る
歪めてはならない この巡りを――」
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彼女の声は、遠く離れた私たちの耳にも、はっきりと届きました。
まるで空そのものが、歌声を運んでいるかのように。
そして――大地が、応えるように震えました。
漆黒の地面が、ゆっくりとその色を失っていく。
暗闇が退き、太陽の光が再び砂の上を照らす。
死に絶えていたはずの大地が、
まるで“生き返る”かのように息を吹き返していきました。
ミレイアさんの歌は、さらに力強く響きます。
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「夢を失くした世界に もう一度 明日を――
努力の灯を絶やさずに
願いを繋ぎ 幸福へと歩もう
生きることは 祈ること――
愛することは 希望を紡ぐこと――」
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その瞬間――彼女の身体から、まばゆい光が爆発的に放たれました。
空まで届くような純白の輝きが、大地全体を包み込み……
(負化大地)は、完全に消滅しました。
光がゆっくりと収まると、そこには新たな生命の息吹が満ちていました。
草原のような柔らかな風、淡く揺れる砂の音。
――まるで世界が“再び息をし始めた”かのように。
私は胸の奥が熱くなって、ただその光景を見つめていました。
(……ミレイアさん。あなたこそ、本当の“希望”をもたらす人なのですね。)
そう思った瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなりました。
私は“勇者”と呼ばれているけれど、
――本当の意味で世界を救っているのは、きっと、あの人なんです。