第122話 :「《勇者編》聖国と宗教の認識が覆され、私たちは異世界にいる意味を考え直す」
私たちには、聖魔法や信仰について正しく判断する術はありませんでした。
正直なところ、信仰なんてものは、現代の日本人である私たちにとっては、あってもなくても困らないような存在でございます。
……けれど、もし本当に「信仰するだけで強くなれる」のだとしたら。万が一に備えて、私も学んでみるべきなのでしょうか?強くならなければ、仲間を守ることも、そして自分の理想を叶えることもできませんもの。
「既に女神さまの御慈悲とおっしゃいましたけれど、私たちのような異世界の人間も、その恩恵をいただけるのでしょうか?ただ信じればよろしいのですか?……まさか信者を増やすように強要されたり、収入の一割を教会へ納めろとか、毎日必ず何度も祈りなさいとか、そういう決まりごとはございませんよね?」エミリアさんがそう問いかけました。
彼女は宗教にいちばん詳しい方ですから、きっと地球での宗教にありがちな決まりごとを思い出して口にしたのでしょう。エイトソンさんは、私たちに向ける眼差しを変えました。
先ほどまでは「無知な人々に真実を教える」ような表情でしたのに、今は……少し複雑で、どこか懐かしさを帯びながら、そしてほんのわずかの哀れみを含んだ眼差しへと。
「確認させていただきたいのですが……それは勇者殿の故郷の宗教において、信者に課せられているものなのですか?」
「えっと……まあ、そうですね。ただし、全部が同じ宗教の話ではなく、色々な宗教ごとの決まりなんですけど……」私は気まずくそう答えるしかありませんでした。
「なるほど。勇者殿の疑問を聞いて、大体察することができました。――おそらく勇者殿の故郷は、連邦にとても似た文化や宗教を持っていたのでしょう」確認するような口調で、そう断言されました。
「どうして、そんなふうに断定できるのですか?」
「簡単な推測です。勇者殿が恐れていることは、すべて連邦の異教が定めたものに見られる、形式ばかりの義務だからです。たとえば――寄付が神への信仰だと言われたり、祈りを捧げればより神の庇護を得られると説かれたり、死後には永遠の楽園に行けると約束されたり。あるいは“この生き物は神が愛したものだから口にしてはいけない”“あれは罪深い生き物だから食べてはいけない”……そうした掟です」
その言葉を聞いて、私は思わず沈黙いたしました……やはり、どの世界でも人間は同じようなことをするのですね。
皆が思い浮かべていたことが、まったくそのまま当てはまってしまうなんて。エイトソンさんはさらに続けます。
「まあ、異教の話はさておき。女神さまは信徒に特別なことを求められてはおりません。ですから、ルナリア女神を信じたいと思われるなら、ただ教義に従って日々を過ごせばよろしいのです。祈りも、時間のあるときに時折ささげる程度で十分。食事の制限もございませんし、生活を縛るような決まりも一切ありません」
――そんなに簡単でよろしいのですか?
私は思わず感嘆してしまいました。地球には、むしろ「邪教」と呼ぶべき恐ろしい宗教さえありましたのに。信者を洗脳して、家族との縁を切らせるようなものまで……それに比べれば、なんて自由で優しいのでしょう。
「本当ですか? それなら、私……ルナリア教に入れそうな気がします!あの、《聖典》のような本をいただけますか?」真白さんが嬉しそうにそう申し出ます。
彼女は特に、自由を縛るものを嫌っていらっしゃいますから……その気持ちもよく分かる気がいたしました。
「ははは……私の手元には、人に差し上げられるような《聖典》はございませんよ。」
エイトソンさんは、少し意外なお言葉を口にされました。伝道のためなら、こういった書物を配るものだと、てっきり思っていたのに……。
「でも、普通の宣教師なら、信者を増やすためにそういうのを無料で配っているんじゃないですか?」
梨花さんが我慢できずに尋ねます。彼女は私たちの中でも一番信仰を好まない方ですから……。唯物論を信じているせいか、「世界は神のような存在が創った」という考え方そのものに抵抗をお持ちなのです。
「……どうか、我々をそういった者たちと同列にしないでいただきたい。彼らが《聖書》などと称するものを無料で配るのは、あくまで信じ込ませるための手段に過ぎません。心から信仰するようになれば、後からいくらでも理由をつけて、その費用を回収しようとするのです。我らルナリア教は、決してそのようなやり方で信徒を増やしたりはいたしません。」
エイトソンさんの口調は、どこか被害を受けたような響きを帯びていました。
「そ、そうですよね……。本当に、すみません。とても失礼なことを言ってしまって……。それでしたら、せめて《聖典》の入手方法を教えていただけますか?」胸の奥がちくりと痛んで、思わず謝ってしまいました。……私も同じように考えていたからこそ。
「勇者殿、それは普通の書籍を購入するのと変わりません。教会へ足を運んでいただき、《聖典》を求めているとお伝えくださればよろしい。」その声音には、まだどこか不機嫌さが残っておりました。
「承知しました。では、そのときはぜひ購入させていただきます。……本日は、どうもありがとうございました。」
これ以上は踏み込めない――そう皆も感じ取ったのか、会話はそこで途切れてしまいました。
「皆さま、本日の野営地に到着いたしました!」
外から聖騎士さんの声が届き、張り詰めた空気のまま馬車は止まります。居心地の悪さに耐えかね、私たちは慌てて外へ降りました。
その後、私たちは自然と先ほどの話題が再び持ち上がります。
「なんだか……聖国って、普通に思い描いていた宗教国家のイメージとは違う気がするな。」真白さんが、ぽつりと感想をもらしました。
「うん。だって、教義についても積極的に話してくれないし……。逆に秘密主義っぽく見えるじゃん。」梨花さんも同意します。
「これはつまり、外部の人間に対しては教義を積極的に広めない方針なのですわ。あるいは――信仰自体がとても保守的で、特定の人々だけが救われる……そんな制限があるのかもしれませんわね。」エミリアさんは意味深に言葉を切りました。
……けれど、私はなんとなく続きを察していました。
「もしかしたら、女神さまが最初に仰っていたことと同じなのかもしれません。――“自分の努力で真実を見抜き、自らの意志で道を選びなさい”。彼らは私たちに積極的に干渉しない。女神さまが約束してくださった“自由”を、本当に与えてくださっているのかもしれません。」
私がそう言うと、皆の表情は引き締まり、静かに考え込む様子を見せました。
私にとっての「自由」とは――誰にも縛られず、自分の意志で行動できること。
けれど、それは同時に「誰も責任を取ってはくれない」という意味でもございます。
選んだ結果がどんなものであろうと、最後にその責を負うのは自分自身。
だからこそ、自由とは「責任」なのだと思います。
もし私たちが怠け、ただ周囲に流されて王国や連邦に留まるのなら……その選択の果てに待つ運命もまた、彼らと同じように決まってしまうでしょう。
……私はどうすべきなのでしょうか。
勇者として力を与えられた以上、日本にいた頃よりも未来を選ぶ権利を持っているはずなのに。
異世界へ来たのに、勇者になったのに……どうしてこんなにも自分を見失ってしまうのでしょう。
深まる夜の気配の中で、胸に重たい思索を抱きながら、私は黙々と野営の準備を進めました。
――今日の夜は、これまで以上に静かで、そして重く、深く考えさせられる夜になるような気がいたしました。