02 工藤家の悲劇
幼少の頃を振り返れば、これまでの自分の人生は、我ながら典型的な上り坂だった。
類照は、父親の顔を写真でしか知らない。
父は、有名なサーカス団に属しており、空中ブランコの演者という花形だった。
また、母は、売れっ子モデルとして、国内外を問わず活躍していた。
その二人が結婚し、兄の新巣家が生まれた。
そして、新巣家が二歳の時、類照は、この世に生を受けた。
当然ながら、工藤家は、超が付くほど裕福で、なおかつ、父も母も、人目を引く容姿だったため、常に、周囲から、羨望の眼差しで見られる家庭だったという。
だが――、その工藤家に悲劇が訪れる。
現代の魔術社会においては、常人でも、魔術を用いて、あっと人を驚かせるような芸当を見せることができる。だから、サーカス団員には、身体的にも、魔術の能力的にも、常人には、到底、成し得ないような、超人技が求められる。
むろん、空中ブランコの演目の際、命綱を着けるなど論外で、下に張られる安全網すら、無粋なものであるとして用意されていない。しかも、サーカス団体は、有名であればあるほど、過激さを売りにする傾向があった。
なので、おそらく、父の仕事は、九死に一生を得たと、人々に本気で思わせるような、そんなパフォーマンスの連続だったに違いない。
そして、ある時、父は、ブランコへの飛び移りに失敗し、その際、魔術を用いて、重力を制御するだけの冷静さを失いもしたがゆえに、地上、約四十メートルの高さから転落したのである。
見ないほうがいい――。
警察にそう説得され、身内の誰一人として、その遺体の顔を確認することなく、父は、荼毘に付された。
それまでに、本当の意味での逆境というものを、一度たりとも経験してこなかった母は、幼児退行したかのように自制心を失ったという。
無邪気なまでに酒を欲し続け、父の死後、四、五ヶ月も経った頃には、完全なアルコール依存症におちいっていた。
だが、ある日、このままではまずい、と最後の理性が働いたらしかった。
禁酒外来に通い始めたのである。
後々、祖母から聞いた話なのだが、その後、母は、酒を断つために、塗炭の苦しみに耐えていたとのことだった。
酒にだけは手を出さない、酒にだけは手を出さない……、と念仏のように声に出し、自分自身に言い聞かせる。また、どうしても酒を飲みたくなった時には、別のことで、フラストレーションを発散させる、という習慣を身に付け始めた。
そうして、めでたく、真人間に戻っていくかと思いきや、しかし、酒を飲まないのなら、何をしてもいい、という思考回路が形成されていたので、それが、はるかに大きな災いをもたらすことになった。
元、売れっ子モデルとしての派手な交友関係を、一回り外側に広げれば、黒い人脈に連なるなど、造作もないことだ。
やがて、母は、覚醒剤に手を染めたのである。