最終章②虐殺
【????/??/??】
《この化物がぁ!》
「………」
ネフライトはいつものようにノイズのような音を声に翻訳しながら、しかして容赦なくガンブレードにてオメガを両断する。
全身に浴びせかけられる黒い血液は生臭く鉄臭くドブ臭いが、その表情は何一つ変わらない。当たり前だ、すでに何十年、何百年も浴び続けているそれは、彼女にとっては水のようなものなのだから。
「……次で最後か」
元は人間の地下シェルターだった、真っ黒に染まった長い廊下をネフライトは歩む。
(……何が正しいかなんて、もう遅い。考えるな。考えていたら、きっと自分がやられる。……でも、だからどうしたんだろうか。今の自分に存在価値なんて――)
「……これ以上はダメだ」
そんな鎌首をもたげる危険な思考を中断し、最後のオメガを狩るべく、レイダーに従いとある部屋の前に止まった。
そしてそのまま、鋼鉄製の扉ごと蹴りで突き破ろうとしたが、
「――ッ」
《うおおおおおおおおおっ!》
足を上げた瞬間、扉から触手が一気に伸びてきた。
回避する間もなく、合計で六つの触手によってネフライトの身体はあちこちに穴を開けられ、壁に激しく叩きつけられる。
《これでトドメだあああああっ!》
そしてそのままエンゲージリングの青の宝石に刃が迫り、
「――アクセル」
しかして決死の攻撃は壁を抉るだけだった。
《――ッ!?》
一方、少女はそのダメージの一切を無に帰して、青の粒子を放ち残像を生み出し、その鈍色の身体を作業的に分解する。
(……それにしても、恐ろしい不意打ちだった)
少女は地面に転がる、幾つもの水たまり、すなわちオメガだったものを見つめた。
まるで、仲間が殺されているのを冷静に観察して対策を考えたかのよう。
……そうだ、これならば、問題ない。
「とんだ卑怯者」
そのままホッとしたようにネフライトが言った瞬間、
《――ノゾミぃいいいいいっ!》
「――何っ!?」
唐突にレイダーが足元にオメガの存在を告げ、同時に断片の一つがこちらに向かって触手の刃を放つ。
完全な不意打ち、初めての経験、初めて覚える恐怖感、予感するはエンゲージリングが砕け散り機能停止に陥る光景。
「――!」
込められた凄まじい情念が、泥のように絡みつく――駄目だ、反応しきれない。
ゆえに刃はエンゲージリングの青い宝石に直撃し、少女の視界は真っ黒に染まった。
【二〇六〇/十/二十八】
花火でも近所でしているのだろうか、何かが爆ぜる音がした。
かなり大きな音だった。
それこそ、椅子に座ってうとうとと寝ていたミヤコの意識を覚醒させるほどには。
「……寝てた、か」
ミヤコは呟いて、頭をブンブンと何度か振ったあと、目の前のベッドに横たわる少女に視線を遣った。
「……こっちは相も変わらず起きてない」
なんとか運び込んだ自室のベッド。
ネフライトはそれこそ人形のように、ぴくりとも動いていない。
それこそ、寝ていれば多少は発生するはずの姿勢の乱れどころか、寝息や肩や胸の動きなど、人間ならば必ずあるはずの生理現象の一切が。
耐えかねて無理やり閉じさせた目だって、放っておけばまばたきもせずに虚空を見つめているのだろう。
「まあ、この子は人間じゃないみたいだし、なんとかなる……よね?」
そう言って、大きくヒビの入っている胸元の宝石を見なかったことにする。
以前宝石が破壊されて動作を停止した六本腕を見ているがゆえに、これがいかに危険な状態かは分かるのだが、しかし己にはどうすることもできない。
見捨てられることもできずに拾ってきてしまったが、これからどうすればいいかなど、全く欠片も考えてなかったのだ。
(……捨て猫を拾ってきた子供か)
いいや、そちらのほうが遥かにマシだ。
彼女が今このようになっているということはつまり、カナエの危機を意味していると言ってもいい。
しかしそれでも、やはり、いつものように、例のごとく、ミヤコには何もできることなどなかった。無力は彼女のライフワークだ。
「……こうやって安全な場所で回復を待つのが最善だと思いたいけど」
いいや、最善なはずだと言い聞かせる。
あそこで放置していたら、敵が彼女を破壊していたかも知れない。
私が余計なことをしなければ、今頃カナエが彼女を保護していたかも知れないなんて、そんな事は考えない。
今こうしている間にも、敵は彼女を探し回っていて、ここを突き止められたらなんて、そんな縁起でもないことは考えない。
あるいはもうすべてが手遅れ――
「そうだ、私は間違ってない」
無理やり断ち切った。
この思考の連鎖は彼女の重い身体を引きずりながら何度も何度も考えたことだ。何度考えたって、結論は出ないのだ、無意味だ、不毛だ、ただ辛いだけだ。
「……そういえば、さっきの音は何だったんだろう――」
思考を無理やり切り変えるためにつぶやいた独り言を、手元の端末がけたたましい音が遮る。サイレンめいた音はまさしく、災害などを知らせる緊急警報。
「――ッ!」
慌てて端末を開くと、そこにはとある文面が踊っていた。
「……まさかっ」
猛烈に嫌な予感が走る。
そのまま自室のテレビの電源をつけると、そこには自らの最悪の予想を体現する光景が映っていた。
「………」
駅前の繁華街を、少女は見下ろしていた。
どれだけ待ったのか、もう昼だ。太陽はすっかり真上に昇っている。
この街で最も“それ”が集まる場所、その最も“それ”が集まる日取りと時間帯ともなれば、あちこちに“それ”がごった返していた。
急ぐもの、ショーウインドウに釘付けなもの、腕を組むもの、幼子の手を引くもの――そこには多種多様の“それら”が、多種多様の道々を、多種多様の気持ちを持って、多種多様の速度で歩んでいる。
そんな多種多様の“それら”には、しかし明確にたった一つだけ共通点があった。
「……やっぱり、女しかいない」
そう、全員が全員、もれなく女なのだ。
いや、女と呼ぶのはナンセンスか。そもそも性別が一つしかない時点で、そのような呼称をつけることには本来意味がない。雌雄同体と呼ぶべきだ。ゆえに女という言葉は意味を拡大し、“それら”にとっては、人間がヒトや者などと呼ばれるのと同様の意味になっていた。
それでも連中たちがつがいをなすという原則は変わっておらず、カップルはおろか、妊婦たちも眼下に広がる街にはいくらでも確認できる。
「……化物どもが。人間のふりをするな」
心底不愉快そうな声で、少女が吐き捨てる。
少女がいるのは、ここら一帯を見下ろすことの出来るビルの屋上。
「やるぞ」
そう言って少女は背後にいる単眼のデルタ・ロイド八体を一瞥する。
彼らが意思を表明するように灰色の単眼を輝かせた瞬間、少女は先陣を切り、ビルから落下した。
「――人の叡智を使うなっ! 化物風情がああああああっ!!」
勢いのままに、真下に停められていたトラックをチェーンソーが両断する。
「化物狩りの始まりだ、さあ殺せ! 討て! 滅ぼせ! 討滅しろ! 人類の敵――オメガは腐るほどここにいる!」
炎上するトラックを背に、少女――ヒスイは叫んだ。
「いやああああっ!」「助けて、助けて、助けてっ!」「嫌だ、嫌だ、嫌だああああっ!」
通報を受けたときには、すでに何もかも手遅れだった。
かつては街でもっとも賑わっていた繁華街はすっかり様変わりしてしまい、戦場のような――否、屠殺場のような様相を呈している。
炎があたり一面の建物を燃やし、あちこちに悲鳴が響き、アスファルトを元の色がわからないほどに血液や臓物が汚す。
ああ、阿鼻叫喚とはまさしくこのことだ。
「……やだ、やだ」
そして今も、こちらに背を向けた単眼の化物が尻餅をついた少女に迫っている。
「させるかっ!」
間一髪、警官たる彼女は震える手でピストルを撃つ。
「……!?」
銃弾は確かにその後頭部に直撃し、甲高い音を奏でた。
しかしかの化物は毫も傾がず、そのままその鋭い五指は少女に振り下ろされる。
ごとり、何かが地面に転がる音がした。
「このっ、化物がああああっ!!」
絶叫。
ありったけの弾丸を無防備な背中に放つ。
あっという間に弾切れになるが、それでも取り憑かれたように。
しかしそれでも、いいや、やはり。
「ひいいいいっ」
全くの無傷の化物が振り返り、無機質な灰色の単眼でこちらを見据える。
当たり前だ。デルタ・グラフェンにて構成される彼らを破壊することは、少なくとも華歴二〇六〇年の技術力では不可能なのだから。
それどころか、たかが警官が携帯を許される原始的極まりない回転式拳銃など、豆鉄砲にさえ劣るだろう。
「嫌だ、やめて、こないで――」
ただその単眼で見据えられただけで彼女は腰を抜かし、かちゃかちゃと無為に引き金を引く音だけが虚しく響く。
その間にも化物は距離を詰め、少女を屠ったかの鋭い一撃が迫った。
「――!」
警官は死を覚悟して目をつむったが、何も来ない。
「……がああああっ!」
代わりに響くのは、くぐもった悲鳴。
恐る恐る目を開くと、そこには右腕をすっぱりと斬り落とされた単眼の化物と――
《いきゅいうああああああっ!》
その後方に、新たな闖入者を見た。
遥か昔の古代兵器が陵辱する炎と屍の街に、新たな化け物が現れる。
水銀めいた、毒々しい鈍色。
湯呑を逆さにしたような、しかし不定形な形。
ちょうど少女ほどの小さな身体。
何やらぶよぶよしてうごめいている表面。
それは、それこそは、都市伝説に語られる、曰く“美少女を食らう”鈍色のスライムの化物にして、その実態は異形に変貌を遂げた美少女――すなわち、カナエ・リヴァーサスだった。
《――これ以上、させないっ!》
「ひいいいいいいいっ」
カナエは己にしか解読不能の叫びとともに、未だに腰が抜けたまま動かない警官を触手にて引っ張り、己の背後に避難させる。
「がああああああっ!」
気迫や怒りのようなものをたたえた灰色の単眼が前傾姿勢に駆けた。
巨体からは想像もできない自動車めいた速度、それはまさしくあの夜見たものと同等。
《――遅いっ!》
しかしそれでも、激戦をくぐり抜けた今のカナエにはあまりにも遅く見える。
ゆえに触手の刃はかの頭部を斬り落とさんと特攻するが、
《――!?》
突然鋭い痛みが全身に走り、動きが刹那停滞した。
(身体が反応についていって――)
《ぎいいいいいっ!》
そして次の瞬間には、その痛みをさらに鋭い痛みが埋め尽くす。
刹那などというあまりにも長大な隙に、触手がもぎ取られたのだ。
「がああああっ!」
痛みが身体を蝕み、さらには唯一の武器さえも失ったカナエに、真っ黒な返り血を浴びた敵が迫る。
《――!》
真後ろには未だに腰を抜かしている警官、ゆえに回避不可能。
新たに触手を生やしたところで間に合うはずもない、ゆえに防御不可能。。
ネフライトは超加速にて対処したが、己にそのような芸当は不可能。
ああ、まるであの夜の再現だ。
しかし防御も回避も高速攻撃もできない。ならば――
《受け止めればいいっ!》
言葉のとおり、鋭い五指は胴体に突き刺さった。
「ぎいいいっ!?」
しかしそれは鈍色の身体を貫けず、何かに掴まれたかのように抜くこともままならない。
腹の中で小さな触手がうなり、万力のように腕を固定する。
(そうだ、こっちに来るってわかってるなら、なんとかなる! ……すごい痛いけど!)
《――これでも、喰らえっ!》
振り切ろうにも、右腕がないデルタ・ロイド。
カナエの背から生えた新たな触手がその首を斬り落とした。
《……はぁ、はぁ、最初から飛ばしすぎたか》
腹に開いた傷口を無理やり塞ぎ、今にも倒れそうな震える身体を支えながら、動作を停止した敵を見つめてカナエは呟く。
おそらくアンヴァーと戦っていたときの自分ならば、数秒もかけずに倒せた相手。
一体今の自分がどれだけ追い詰められているのか、考えたくもなかった。
《でも、わたししかいないんだ。やるしかない――》
「へえ、これはまた懐かしい」
こちらに向かって、直接聞いたわけではないのに耳に張り付いた、あの忌々しい刃の回転音が聞こえてくる。
《……!》
音の方向へ視線を遣ると、そこにはとても見慣れた外見の少女。
ひどく美しい、鈍色のスライムとはまさしく真逆の存在。
黒の艶髪をポニーテイルにまとめた、翡翠の双眸の人形めいた彼女。
欠けていたはずの右腕はもとに戻り、その姿は初めて出会ったときと同じ。
(だけど、違う。断じて違う。同じでたまるか)
こちらを見つめる炯々とした瞳は殺意と敵意と狂気に満ち満ちて、その手に握られたチェーンソーには本来ついてはいけない真っ赤な血がこびりついている。
(断言できる。……きっと何も知らなくても、わたしはこの女がヒスイ――ネフライトじゃないと絶対に分かった)
「自ら殺されに来るとは、ずいぶんと殊勝じゃないか。まったくもって化物らしくない。そんな“らしくなさ”が癇に障るな。やはり狩るべきだ」
《……大ボスだけでのこのこやってきたってわけじゃないみたいね》
四方をデルタ・ロイドが包囲し、灰色の単眼が規律正しくこちらをにらみつける。……合計六体。
《……はははは》
乾いた笑いが思わず漏れる。
一体倒すだけでもかなり消耗した敵が六体に加えて、ネフライトを倒すほどの実力を持つヒスイが控えている、勝率など考えるのも馬鹿馬鹿しいだろう。
(……悲鳴がさっきと比べて静かになった、ということはこれで全部か。わたし以外のみんなはとてつもなくラッキーだな)
あるいはこれこそが、美少女であり続けた取り立てだとでも言うのか。
《先輩っ!》
そんなふうにどこか自虐的な思考を展開するカナエに遠くから声がかかった。
見やればこちらに向かって駆けてくる鈍色のスライムがもう一体。
戦闘ではなく救助のために着いてきたカオルだった。
《私も戦いますっ! 流石にこの数は――》
《――カオルっ! この人を頼むわっ!》
言葉を遮り、カナエは警官を触手で掴み、カオルに向かって投擲した。
《は、はいっ、先輩っ!》「ひいいいいいいっ!!」
カオルは触手にて空中で彼女を掴み、まるでクッションのように受け止める。
《あなたはむしろ邪魔! わたしはいいから、早くっ!》
《……わかりましたっ、逃げ遅れた人たちは私に任せてください、先輩っ! だから、絶対に! 絶対にっ! 死なないでくださいねっ!》
《ええっ、わたしは死なない!》
カオルは今にも泣きそうな声音で言い残してから、こちらを離れていった。
しかし敵はただ、包囲をこちらに向かってじりじりと狭めるだけ。まるで眼中にないかのように。ああ、何もかも好都合だ。
ただし、自分以外に。
《……わたしが言うことじゃないけど、追わなくていいの?》
「この程度の無力な化物、何十億いようとも一万年もあれば滅ぼせる。だから今は――」
ヒスイのエンゲージリングが青く輝いて、
「――おまえが逝ね」
デルタ・ロイドが四方から襲いかかった。




