最終章①悪夢
【????/??/??】
西暦――そんなくだらない年号が全く用を成さなくなってから、一体どれだけの時間が経っただろうか? 少なくとも、もう数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの時間が経ってしまったと、少女には断言できた。
『……』
白く染まりつつある東の空の下、街中のレンガ造りの建物からは巨大な炎が広がり、街の外れにある小麦畑を含め、ありとあらゆる物を燃やし尽くそうと領土を広げている。
あちこちに撒き散らされた鈍色と黒が渦巻く液体は炎で焼け焦げて、まるでドブ川に顔を突っ込んでいるかのような悪臭が漂っていた。
《……どうしておまえは、こんなひどいことが平気でできる! 私たちはただ普通に暮らしていただけだろう! 私たちが、いったい何をしたんだ! 答えてくれよ!》
最後の生き残りであるオメガが、この惨状を生み出した張本人を見上げ、息も絶え絶えに叫び乞う。
『そうだ、あなたの言うとおりだ。……もう私には何もわからない』
全身に真っ黒な返り血を浴びた、翡翠の瞳の少女。
彼女は独り言のようにつぶやいて、真っ黒に染まったガンブレードに目を遣ってから、あたり一面の惨状をぼうっと遠い目で見つめた。
《……な、何を言って――》
怒りと困惑に震えた声はしかし最後まで紡がれず、真後ろから唐突に振り下ろされた刃に物言わぬ死骸となった。
『どうした、ネフライト、マシントラブルか?』
刃の主――ネフライトそっくりな少女が訊ねる。翡翠ではなく、紫紺の瞳でこちらをじっと見つめて。
彼女の名前はガーネット。
ネフライトとともに生み出された、この世にたった二体しか存在しない第三世代シータ・ロイドの片割れ。その手に握られているのもまた、全く同じガンブレードだ。
『いいや、大丈夫』
今まで命を預け続けてきた相棒に対し、ネフライトは本当になんでもないかのように答えた。
本当は何もかも大丈夫ではないくせに、今にも頭がおかしくなりそうなくせに。
(きっと、このままでは私は――)
『――ネフライト、聞いてるか?』
ノイズ混じりの声が無為な回想を遮り、頭の中で響く。
「……ああ」
荒野の中でひどく浮いた鉄製の開閉式の扉――地下シェルターの入り口を見つめ、ネフライトは心ここにあらずと言ったふうに返答した。
『大丈夫か、ずいぶんと上の空のようだが。最近様子がどうにもおかしいぞ』
通信の主――ガーネットは心配そうに、しかしどこか呆れたように言う。
「すまない、ただ……」
『ただ?』
「……いいや、なんでもない」
さんざん言いよどんだ末に、ネフライトは言葉を濁した。
(こんなことにもう意味はないんじゃないか――なんて、その言葉にさえ意味はない)
ただ疲れていた。
もはや存在しているかもわからない人類のために、無辜のオメガを狩り続けることに。
『しっかりしてくれ、この規模の棲み処だ、同時に突入しないとかなりの数を逃してしまう』
そうだ、今ガーネットは数㎞先のもう一つの入り口にて待機している。
狙う先は以前攻め滅ぼした街の数倍の人口を誇る地下シェルター。
二つの入口からの同時制圧こそが、今回の任務である。
『とにかく行こう、ネフライト』
「……ええ、ガーネット」
「『私たちの使命は人類を守護し、オメガを討滅することだ』」
作戦開始の直前にいつも紡がれる言葉とともに、ネフライトは、ガーネットは、地下シェルターの入口の扉を破壊した。
【二〇六〇/十/二十八】
「――ッ!」
ミヤコ・ナイキバラは白昼、雑踏の街角でとある人影を見た。
ミヤコは人混みを突っ切り、その人影へ駆ける。
それはそれは、美しい少女だった。
腰まで伸ばしたふわふわした栗色の髪は、ふと近づくと甘やかな匂いがいつもする。いったいどうやってこんなふうに整えているんだろうか。
お人形みたいに整いすぎた顔は、近くで見ていると本当に同じ人間なのか怪しくなる。それこそ、アンドロイドのようにさえ。
漫画みたいに長いまつげに縁取られた大きな青い瞳のサファイアは、迂闊に見つめられるとすべての動きがブリキじみて硬化してしまう。
しかしそれらが奏でる表情はあまりにも多彩で、そこには人形めいた生気のなさもサファイアめいた無機の輝きもない。
思い出す。ケーキを食べているときの幸せそうな顔、鏡を見ているときのだらしない顔、土下座されながら告白されているときの困り顔、ふとしたときに見せる憂いを帯びた顔――彼女はどの表情も命の輝きの魅力に満ち満ちていた。
ならば、そんな美しい外見が内包する人格は?
さぞや高潔で、さぞや慈しみ深い、聖母のような人間なのだろうか?
いいや、違う。断じて違う。
『ねえ、わたし、すごいキャッチコピーを考えたわ』
『キャッチコピー?』
『森羅万象が恥じらい花は腐り落ち宝石は砕け散り星は堕ちる乙女。わたしにぴったり』
そんな美しい外見が内包するのは、どうしようもないナルシストだった。
そんな二面性が愛おしい、ミヤコの一番の友人の名は――
「――カナエっ、カナエ・リヴァーサス!」
そうだ、カナエ・リヴァーサス。
姿が変貌してしまったがゆえに、己のもとに帰ってこられない、帰ってこようとしない、ミヤコにとって一番の友人がそこにはいた。
「……ッ!」
カナエは振り返り、互いの視線が絡み合う。
しかしそれは一瞬。
次の瞬間には、ミヤコに背を向けてどこかへ駆けていった。
「――待ってよ、カナエっ!」
すかさずミヤコもその背を追う。
せっかく再会できたのだ、こんなところで逃げられてたまるか。
歩幅の差か、それとも運動神経の差か、視界の先でどんどん小さくなっていくカナエの後ろ姿は薄暗い路地裏に入っていき、ミヤコもそれを追う。
「……はぁ、はぁ、やっと、行き止まり」
それからどれくらい走っただろうか、目の前の高い壁にカナエはやっと足を止めた。
「………」
「ねえ、なんで逃げるの、カナエ。……やっぱり、化物呼ばわりは簡単には許してもらえないよね」
ミヤコは肩で息をしながら、後ろを向いたまま沈黙するカナエに歩み寄る。
「ごめんね、カナエ。でも私は、本当はカナエがどんな見た目でも――」
そう言って伸ばした手は、何かに遮られた。
「え?」
ぺたぺたと触る。まるで壁のように、見えない何かがカナエへ向かおうとしている己を阻んでいた。
「――ごめん、ミヤコ」
現実を受けいられず呆然とした表情のミヤコに、カナエが振り返る。
その表情は逆光で伺うことはできず、その身体はぐんにょりと変化していく。
そして現れるのは、あの鈍色のスライム。
その身体はそのまま不自然に風船のように膨張していき、
「ねえ、カナエ! これは一体――」
まるで現実のように彼我を阻む壁は微動だにせず、
「――もう会えない」
カナエはぐちゃりと爆ぜた。
「――カナエっ!!」
毛布を派手に蹴散らし、ベッドから身体を起こす。
そのままキョロキョロとあたりを見渡すが、そこには見慣れた自分の部屋があるだけ。
「……夢、か」
それも、とびっきり最悪の夢。
そのまま端末で時間を確かめてみるが、時刻は朝の八時。今日は休みだと言うのに。
なんとかして寝たのが六時頃であり、つまりは二時間しか寝ていないということだ。液晶にはあまりにひどい隈の自分が映る。
「……寝ないと死ぬな」
そのまま再び毛布にくるまるが、一向に眠気はやってこない。
通常、休日のミヤコは夜中の二時過ぎに就寝して午後二時過ぎに起きるという黄金プログラムを執り行う。ミヤコらしい自堕落と栄華を極める休日の過ごし方だろう。
なのに今の自分といえば、ろくに睡眠を取ることさえもできなかった。
「……どんだけ繊細なんだ、私」
毛布から顔を出して、天井を見つめながらつぶやく。
待つことしかできないというのは、すなわち時間が凶器となって襲いかかるのと同義だ。
これだったらまだ、自分に何かが出来ると錯覚していた、ほんの数日前のほうが遥かにマシだった。カナエのことがすごく心配なのに、自分には待つことしかできない――どうしてこんなにも辛いのだろう?
「……カナエが相手だから?」
思わず頭を振った。顔が熱い。
「それじゃ私がカナエ以外友達がいないみたいじゃないか。……いやでも、いないかも? いやいや、他にもカオルとか――」
そこでミヤコは今さらに彼女もカナエと同じ状況になっていることを思い出した。
「……うわあ」
奇しくも、自分自身で先ほどの推察を証明してしまう。
そんな事を考えているだけで、さらに頭は冴えていき、時間は過ぎ去っていく。どうしようもなく悪循環だ。
時計を見ると、先程起きたときから一時間ほど立っている。
ああ、これは間違いなく眠れないパターン。下手をすれば日中ずっと起き続けることになるやつだ。
「……気分転換に散歩でも行こう。疲れたら眠くなるだろ」
そういうわけで、ミヤコは散歩へ向かうことにした。
「……まぶしい」
その憂鬱な心とは裏腹に爽やかすぎる朝の日差しを浴びて、ミヤコが目指すのはいつもとは全く別の方向。
ミヤコは駅前の再開発ですっかり活気を失ってしまった旧市街の方へ気まぐれにも足を進めていた。
無論のところ、少女が一人でふらりと行くような場所ではなく、あたりに使われなくなったビルや工場などの建物が林立するだけの、つまらない寂れた場所だ。
それでも彼女はあまりに淡い希望を抱き、歩を進めていた。
(もしかしたらカナエに会えるかもしれない)
彼女たちが潜伏している場所は、きっとこの街ならばここに違いないと。
別に話せなくてもいい。ただ遠目にでも元気にぐんにょりしているのが見れば、きっとこの心配は消えるかも知れないと。
そうはいっても宝くじを買うような感覚で。
「……いや、確かに期待してたけど」
そしてミヤコは確かに発見した。
『二人とも必ずあなたのもとに戻ってくることだけは保証する』
あの夜、力強くそんな約束した少女がアスファルトに倒れているのを。
「――って、そんなに落ち着いてる場合じゃない!」
そこでやっと、ミヤコは少女に駆け寄った。




