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第五章④万策尽きて

『アンヴァー。……キミをそんなふうに作って、本当にすまない』

 アンヴァー――アクセルを使用するのに最適化された第二世代シータ・ロイド一号機は、アルファ討滅の初陣の前日、父にそんなことを言われた。

 彼は本当にすまなそうに頭を下げ、今にも土下座しそうな勢いだ。

『……どういう意味ですか?』

『言うまでもないことだが、キミたちシータ・ロイドは人間と同程度に応用の効く判断能力を与えるために、人間の人格――心を丸々再現している』

 そうだ、彼女たちがあまりにも人間らしいのは、それが所以。

 いわく、人格や心などという曖昧なものをプログラムで丸々再現する技術力はあったが、別のアプローチで高い判断能力を持つプログラムを作ることは西暦二〇六〇年の技術力を持ってしても不可能だったという。

 さらに生み出されたプログラムはおぞましいスパゲッティコードであり、少しでも内部から手を加えようものならば崩壊するという。おまけに製作者はとっくの昔にご臨終済み。

『……しかしキミたちには、これから人間らしい生活を与えることはできない。そうだ、キミたちには戦いだけが待っている。人間の都合で感情などという余計な重荷を与えられて戦わされる――私はキミたちにそんな過酷な運命を背負わすことを詫びたい』

 そうだ、ただの機械ならば、心がない存在ならば、そこには苦しみはないだろう。

『いいえ、頭を上げてください』

 下げられたままの頭を慈母のようにゆっくりとなでて、アンヴァーはそう言った。

『わたくしたちは、人がただ生まれるのと違い、明確な目的を持って作られました。人々が何十年も人生を使ってたどり着く目標を、わたくしたちは最初から与えられているのです』

『……アンヴァー』

『たとえそれが戦うことであっても、それは幸運なことだと、わたくしは思います。それに、わたくしたちの戦いは、人を守るための戦い、決して苦しいだけではありません』

 少女は顔を上げた父に微笑み、安心させるようにそう言った。

『――お父さま、わたくしは、シータ・ロイドに生まれてよかったです』


「……はぁ、はぁ、はぁ」

 右腕を斬り落とされたアンヴァーは、まっさきに逃走を選んでいた。

 目指す先は廃遊園地のデルタ・ロイドたち。

 本来これはシータ・ロイドとしてならば間違いない悪手だ。

 ヒスイのような危険人物から目を離せば、一体何が起きる?

「……なんですか、これ」

 そんな答えの一片が、目の前にはたしかに示されていた。

 それは、一言で言えば死体の山。

 幾人もの裸の女性がバラバラに斬り刻まれ、さながら複数のジグソーパズルがごちゃ混ぜになったかのように。

 餓死した死体、自殺した死体、あるいは抜け殻、少女が今まで見てきた数多の死体よりも遥かに凄惨であり、遥かに悪意を感じさせるそれ。

「……ヒスイ」

 アンヴァーは今さらに、己があまりにも巨大な失敗をしたと悟る。

 あの化物は、オメガにさえ劣る化物だ。

 どうして自分はあんな化物に少しでも情をかけて――

「呼んだか?」

 しかしそんな後悔は、真後ろからの忌々しい刃の回転音に塗りつぶされる。

「――ッ!」

 今回こそギリギリでそれを回避し、同時に振り返るとやはりそこにはヒスイがいた。

「……これをやったのは、あなたですか?」

 聞くまでもない、ネフライトと同じ質問。アンヴァーは距離を取りながら訊ねる。

 少なくとも、一万年前のヒスイは心優しい少女だったはずだ。

 もしかしたら、あるいは、ともすると、何かの間違いかもしれない――そんな一抹の吹けば飛ぶような期待。

「ああ」

 だがその淡い期待は、こともなげにうなずいたヒスイに容赦なく裏切られる。

「――ヒスイいいいいいいっ!」

 そうだ、たとえ己がアイディンティティを守るためにだけに戦っていた利己主義者だったとしても、命を失うのが何よりも恐ろしい臆病者であったとしても、この化物をこの地上に一秒でも存在させていいいはずがない。

 ゆえに少女は憤怒の絶叫とともに、かつての盟友に斬りかかった、

 その手に握られるのは、地面に転がったシータ・ロイドの腕が握りしめていたナイフ。

「どこまでもネフライトそっくりな反応だな。甘すぎて反吐が出る」

 数多の偶然が彼女の元へもたらした刃。

 しかしそれはチェンソーに軽々と受け止められ、火花の向こう、ひどく冷たい目でヒスイはこちらを見ていた。

「なにがっ……!」

「忘れたのか、私とおまえは一度袂を分かっているんだ。なのに――」

 チェンソーにひときわ力が入り、ナイフにぎりりと亀裂が走る。そしてそのまま、

「どうしてそんなに哀しそうな顔なんだ!」

「――がっ!」

 刃は両断され、その勢いで少女の胸に斜めの深い傷が生まれた。

「おまえはいつも甘いんだ! 私が人類の敵だと思うなら、どうして封印なんて甘い真似をしたっ!」

 青い返り血を浴びて、ヒスイは死体の山に倒れ伏したアンヴァーに怒鳴り散らす。

「……だとしてもわたくしは、あなたを倒さないといけません」

 それでも、腐臭と冷たい肉たちをかき分けて、少女は立ち上がった。

 そうだ、アンヴァーは己に与えられた人間性を持て余している。

 暴走予備因子やネフライトには容赦なく敵意を剥き出しにするくせに、同じ敵であるはずのヒスイにはそれが向けられない。

 そしてそれは、こうして死体の山に立っていてもなおだ。

「だが、無理だ。父さんを殺せなかったおまえに、私は倒せない!」

「……!」

 それは、言外の責めを含んだ言葉だった。

 そうだ、アンヴァーはあのときヒスイに父を殺させたことを、己は全く動けなかったことを、心のどこかで後悔していた。

 あるいはそれこそがヒスイがおかしくなってしまった遠因だとさえ。

「いいえ、やります」

 それでも、いや、だからこそ、少女はそう覚悟した。

 父は『殺してくれ』と言っていた。だが、アンヴァーは動けず、挙げ句その辛い役割をヒスイに押し付けた。

 ならば、それがゆえに狂ってしまったヒスイを断罪するのは、自分でしかありえない。父がもし生きていたら、『ヒスイを倒せ』と言うだろう。

 そうだ、それこそが、シータ・ロイドとして生を受けた己が本当にやるべきことだ。

 ゆえに少女は今度こそ果たせなかった約束を守るために、己のやったことの責任を取るために、シータ・ロイドとしての責務を果たすために、言葉を紡ぐ。

「――リブート」

 言葉とともに残る左前腕が青の粒子を放ち再構成を開始する。

 同時、青の光を放つエンゲージリングの亀裂が、先ほどとは比べ物にならないほどに大きくなった。

「……がッ」

 全身を鋭い痛みが走り、死の影が色濃く迫る。

「……ずいぶんと、皮肉な武装ですね」

 そうして再構成された左前腕は、黒い鎧に包まれた、鋭い五指と前腕の牙のごとき巨大なアームカッター――どこかで見たことのある、忌々しい姿。

 だが、知ったことか。

 これしか今の自分が使える武装は存在しないのだから。

 勝つために手段を選ぶのは、己のために手段を選ぶのは、生きるために手段を選ぶのは、もう終わりだ。

「……そうか、それがおまえの覚悟か、アンヴァー!」

「ええ、わたくしはヒスイ、あなたを討滅します! シータ・ロイドとして、姉として、お父さまの娘としてっ!」

 口端が上がり、壮絶ながらも楽しげな笑みを浮かべるヒスイ。

 ひどく対称的に涙さえも流しながら、しかし琥珀の瞳に覚悟を宿すアンヴァー。

 二人の刃が交差した。


 そこは、錆の楽園じみた遊園地だった。

 あちこちの遊具が錆にまみれ今にも崩れ落ちそうになりながらも存在し、石畳の隙間からは雑草が溢れる、巨大な死体。

 かつては人々のために活躍した、しかして今では全くの無用の長物――シータ・ロイドたちも大差ない。ただ、それらが意思を持つか否か、その程度の違いしか。

 そんな廃遊園地に、いくつもの真新しい傷が生まれていた。

 あちこちの石畳には亀裂が入り、さらには激しい地震でも起きたかのように、錆だらけの観覧車が真後ろに崩落している。

「………」

 もはや廃遊園地という体さえも保てなく成りつつある遊具の死体の園、その一角にある薄汚いプレハブ小屋。

「さあ、起きろ」

 翡翠の瞳の少女が扉を開き、呼びかける。それだけで部屋中に鎮座する七つのガラス筒が開き、青の液体にまみれた灰色の単眼どもが静かに目を覚ました。

「――化物どもの息の根を止めに行くぞ」

 シータ・ロイドの走狗として生み出された彼ら――デルタ・ロイドは新たな主人の命令に即して、部屋を後にする背中にぞろぞろと従っていく。

 ただ、己の責務を果たすべく。

「………」

 そうして街を目指して行軍する彼らを、感情や動きはもちろん、何から何まで欠けた瞳で見つめるものがいた。

 濁った琥珀の瞳、エンゲージリングを巻き込むように両断された首――それは、ただ己の責務を、果たせなかった約束を、アイデンティティを本当の意味で果たしたかっただけの少女だったもの。

 少女はただ、己が守るべきだと定義していた人々を容赦なく殺戮せんと進む集団を、もはや見つめることさえもできなかった。


《――い!》

 誰かが呼んでいる。

《――起きてくださいっ!》

 必死な声で、こちらの身体を揺すっている。

《――先輩っ、カナエ先輩っ!》

(……先輩?)

 そうか、このノイズめいた声は――

《……ごめん、寝てた、カオル》

 回復した視界が捉えるのは、横たわった己を必死に触手で揺する一体のスライムだった。

 壁に開いた大穴から差し込む、だいぶ高くなった日差しが眩しい。

 どうやら、それなりに長い間寝ていたらしい。

《『寝てた』じゃないですよ、どう見ても気絶してたでしょうが!》

《大丈夫、大丈夫、ほんと、ちょっと疲れただけだから。……それより、カオルはどうなの?》

 うろたえた様子のカオルに、なるべく穏やかな声で問いかける。

 そうだ、身体が熱くて動かないとか身体が真っ二つにされて痛みに悶ているとかと比べれば、これは大したことがない。

《私のことはどうでもいいですっ! 私、先輩がこのまま二度と目覚めないんじゃないかって、すごい心配だったんですよ!》

 スライムの化物じゃなかったらさぞかし可愛らしかっただろう一幕。

《まあまあ、そう心配しなくても大丈夫――》

《――先輩っ!》

 そういって身体を起こそうとしたが、まるで言うことを聞かなかった。

 思わず倒れかけるのを、カオルがすんでのところで支える。

《……ごめん、思ってたより不味いことになったかもしれない》

 これではふたたび元の姿に戻るどころか、まともに動くことさえできない。

《どどどどど、どうしましょうっ! そっ、そうだ、ヒスイさんなら――》

《……あ》

 すっかり忘れていた。

 そうだ、今回の一連の戦いはヒスイが行方不明になったからに起きたことではないか。

 あれからもう何時間も経ったのに、未だに行方知らず。

 彼女を呼び寄せたのは、間違いなくアンヴァーではない。

 ……一体、彼女に何があった?

《探しに行こう、ヒスイを! ……くっ》

 そのままカナエはカオルの触手を振り払い、勢いのままに駆け出そうとしたが、突然身体に激痛が走り、再び転倒した。

《先輩、無茶ですって! 私だけで探しに行きますから!》

《ダメだ、わたしも行く!》

 カオルはそれでもなお立ち上がり進もうとするカナエを止めようとするが、しかしカナエもまた譲らない。

 こんなところでおとなしく寝てなどいられるか。

《動けないでしょうが!》

《でもあなただけでも不安だわ!》

《不安!? 私は先輩にとってそんなに不甲斐ないですか!》

《そういう意味じゃないわよ! あのね、わたしはただ――》

 まったくもって不毛な議論という名の口喧嘩が続く。

《……って、何あれ》

 しかしそんな口喧嘩は、とある闖入者によって遮られた。

《青い、小鳥?》

 そう、それは青い小鳥だった。

 青い一匹の小鳥が、壁の穴から廃ビルに侵入し、まっすぐこちらへ飛んでくる。

(……あれ、この青って、エンゲージリングの青に――)

 ぼうっと二人が小鳥を見つめている間にも彼我の距離は縮まり、小鳥がカナエの身体に止まると、

《《――――!》》

 二人の意識に“何か”が侵入してきた。


「……リヴァーサス、リヴァーサス」

 青い鳥がカナエたちに現れるよりも、少しだけ時間は戻る。

 かなり高くなった陽の光を浴びて、一人の少女が息も絶え絶えに、うわ言のようなものをつぶやきながら、危うい足取りでアスファルトの道々を歩んでいた。

 その手には半ばで刃が折れたガンブレード。

 そしてその胸元には、大きな亀裂の入った青の宝石――動力炉にして製造工場たるエンゲージリングの惨状。青の輝きがわずかにチカチカと、朝陽の光に飲み込まれる。

 誰かの力を借りねば二度と武器や身体を再生できず、それどころか己を駆動させるための動力炉の出力さえも安定しない――シータ・ロイドとして限りなく終わった状態。

 しかしそれでも、ネフライトは歩む。

 ノイズだらけのレイダーをたどり、カナエの元ヘたどり着くために。

(早くしないと、何もかも間に合わなくなる。……あの化物が、ヒスイが、野に放たれてしまう)

 ヒスイ――己そっくりの化物、この世でもっとも邪悪な化物、何が何でも討滅せねばならない化物、人類の敵。

 しかし現実には、ネフライトはヒスイに無様にも敗北し、今や生死の境をさまよう状況になっている。

(……どうして私はいつもこんなにも情けないんだ。記憶を失っていたときも今も、大差ないじゃないか。肝心なところで何もかもしくじって、結局役に立たない、一人では何もできないジャンク品だ)

 体力などほとんど残っていないくせに、己を責め立てる言葉だけは泉のように湧き出る。

 あるいは、己を糾弾することで意識をかろうじて保っているかのようにも見えた。

 そんな彼女の言葉を、唐突に誰かが肯定する。聞き慣れた、ノイズめいた声。

《まったくもってそのとおりね、ネフライト! いつもいつもわたしに肝心なところで助けられてばっかりだもの!》

 顔をあげるとそこには、鈍色のスライム――カナエ・リヴァーサス。

 ネフライトが求めてやまなかった、かの少女。

「リヴァーサス! そうだ、私にはあなたが必要なんだ! だから――」

 早歩きにさえも劣る速度で彼女を求め走り、震える手を伸ばすが、しかしそれは虚空を切るだけだった。挙句の果てに、前のめりに彼女は勢いよく倒れる。

「……くそっ、幻覚か!」

 今の自分はそこまで追い詰められているのかと、改めて思う。

「動け、動くんだこのジャンクっ! このままじゃあ、名実ともにジャンクだぞ!」

 いくら叫んだところで、現実は何も変わらない。

 それを証明するかのように、立ち上がろうとする身体に全く力が入らなかった。

 腰が少し上がっては、また重力に引き寄せられる、そんな繰り返し。

 それと同期するかのように、エンゲージリングの光はさらに弱まり、今や動力源としての役目を完全に放棄しようとしている。

「……ダメだ」

 なんども立ち上がろうとしているうちに、身体そのものが固まったかのように動かなくなった。それこそ指のひとつさえ動かず、視界さえも定まらない。

 今の自分は、立ち上がることさえも一人ではできない。

 いいや、あるいは誰かの力を借りたところで、致命的に。

「……ならば」

 ゆえにネフライトはひとつの決断を下す。

(今の私にできるのは、これだけだ。……これだけなんだ)

「――クリエイト」

 エンゲージリングが最後の力を振り絞り、スパークさえも放ち青に輝く。

 同時、ガンブレードだった残骸が青の粒子となり、全く別の形を取った。

 それは、一匹の青い小鳥。

 ネフライトの記憶のうち、ヒスイに関連するものを圧縮データとしてコピーし、特定の対象――この場合はカナエのところにまでたどり着き、接触、以後データを速やかに伝えるデバイス。

 そうだ、今のネフライトにできることは、ただ危険を知らせることしかなかった。

「……逃げてくれ、リヴァーサス」

 ああ、今の自分には、たった一人をなんとか救う力があるかすら怪しい。

 このままでは間違いなくそれ以上の人々が死に絶えるというのに、今の自分にできることはこれくらいしかない。

 無責任で、無力で、恥知らずで、どうしようもないジャンクの私には。

「これくらいしか、今の私には――」

 最後の言葉が途切れた直後、ヒスイの記憶とネフライトの最期のメッセージを携えた青い小鳥ははばたく。

 同時、ネフライトの瞳が、エンゲージリングが、光を失った。

           

                                   第五章・完 最終章へ続く

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