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《人類の黄昏と彼女たちの蜜月Ⅲ》

 西暦二〇六〇年、人類は相も変わらず滅亡の危機に瀕していた。

「ひいいいいいいっ!」

 それは、とある地下シェルター。

 長い長い幅広の廊下も、等間隔に灯る電灯も、病院めいて純白。

 しかしてそこには純白から感じるはずの清潔感というものは皆無。

 廊下には一条のぬめりが走り、電灯に照らされてらてらと光っていたからだ。

 巨大なナメクジが歩いたあとのような惨状は、歩めば歩むほどに幅を広くさせていく。

 そして、幅が広くなる一点には、確実に存在するものがあった。

「くっ、来るな、化物っ!」

 廊下の奥、一人の若い男の悲鳴とともに銃声が響く。

 その手に握られるのはサブマシンガンであり、彼はその化物――アルファに向かって数十発の鉛玉をフルオートで叩き込んだ。

《いきゅうああああああ》

 しかしその赤い半透明の肌はその銃弾を弾き、何もなかったように前進を続ける。

 成人男性が三人並んで歩けるほどの広さの廊下の半分を埋め、中背の男を見下ろすほどの大きさでありながら、その足取りはひどく軽く早い。

「ちくしょう、なんでこんなことにっ!」

 銃弾を撃ち尽くした男は銃を捨て去り、足をもつれさせながらも背を向けて逃げ出す。

 痩けた顔は恐怖に支配され、まるでそれ以外の表情を忘れてしまったかのように。

 しかして男にとっては十数時間にも感じられる実際時間十数秒の逃走劇は、

「――がっ」

 男が転倒することでついに、あるいはもう終幕する。

《……めきぃい》

 ノイズのような鳴き声が響き、男の足に触手がまとわりつく。

「やめろ、やめてくれっ」

 そしてそのまま、男は引きずられ、ほとんど抵抗もなく、するすると吸い込まれた。そこから先は、もはや助けを求める声も届かない。

 赤いプールの中で男は藻掻きながらもどろどろに溶けていき、

《――ぎゅああいいいいいいっ!》

 耳を聾する絶叫とともに、代わりにアルファの身体が一回りほど肥大化した。

 これにより、最初は子供ほどの大きさだったはずのそれは、廊下の三分の二を塞ぎ、背はゆうに二mを越してしまう。

《……ぎいいいいっ》

 吸収の余韻を噛みしめるように数秒ほどぴくぴく震えてから、アルファは肥大化の目印をべちゃりと吐き出す。

 それは服であり、男が持っていた端末だった。これが廊下のあちこちに落ちており、そこを起点としてぬめりの幅が広がる、悪夢の象徴にして墓石代わり。

《きいいいいいあああああぅうう》

「………」

 赤い不定形の進行方向、廊下の壁に一体化するように作られた隠し部屋。

 一人の少女が耳をふさぎ、涙をどぼどぼと流し、ガタガタと小さくなって震えていた。

 少女は可能な限りドアから離れているが、それでもなお、哀れな被害者たちの悲鳴や化物のノイズめいた鳴き声が、ふさいだ手を貫通し耳を犯す。

(嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ! なんでみんなわたしを置いて行っちゃうのよっ!?)

『君はここで隠れていろ、俺達は戦う』と男たちは言った。

 男はいつも身勝手だ。

 父も兄も、そしてここで出会った連中も、最後は格好つけて死んでいく。残されたものの気持ちなど考えずに。

 もう嫌だ、誰かに守られて取り残されるのなんて。

《きゅああああっうう》

 気味の悪い鳴き声がひときわ大きく、近くなる。

「……そうだ」

 少女の脳裏に、とある考えが浮かんだ。

 今まで何度も考え、しかし実行に移さなかったアイディア。

「どうせもう、何もかも終わりなんだ」

 そうつぶやいて、少女は立ち上がる。

「……必死に女の武器を使って誰かを利用しなきゃ生きていけない、こんなひどい有様の世界でこれ以上生きていてどうなるの?」

 どうにもならない。

 生きているだけで丸損だ。

 生きていても、何の希望もない。

 ゆえに少女は部屋のドアを開けて、廊下へ躍り出た。

《いきゅうううあああああああ!》

 ちょうど目の前、目と鼻の先には人肉の煮こごりのごとき化物。

 少女は骨ばった両手を躊躇いなく広げ、そこに化物の赤い触手が伸ばされる。

(次に生まれるなら、もっと素敵な世界がいいな――)

 そのまま少女は目論見通りに赤い化物の栄養になり、晴れてこの地獄のごとき現世からおさらばできると思われたが、

「「――させない」」

 とある少女たちが彼女の運命に介入した。


《――いきゅああああああああああああっ!》

 アルファの絶叫を背に、ヒスイは腰を抜かす少女を見下ろす。

「……ああ、なんとか間に合った」

 その手には少女に迫る触手を寸前で斬り落としたナイフが、白の照明を受けて鈍く輝いていた。

 一方、アルファは未だに絶叫をし続け、中程から先を失った触手をリノリウムの床に叩きつけて地鳴りを起こしている。

 床には触手だったものの残骸が、完全な赤の液体になって水たまりと化していた。

 そう、アルファはある程度のサイズになると己を維持できずに、このような姿となってしまうのである。ゆえにアルファというのは生命を維持できる最小単位の集合体、つまりは個にして集団とも言えるだろう。

 ならばこのアルファの絶叫は、身体の一部を失った怒りによるものではなく、仲間を失った慟哭だろうか?

 そしてアルファはその哀しみの借りを返すように、無防備に背を向けたヒスイに向かって新たな触手を伸ばそうとして、

「――うるさい」

《ぎいいいあああああっ!》

 背後からの攻撃に動きを止めた。

 攻撃の主はアンヴァー。その両手に握られる二挺拳銃からは何十発もの青い光弾が連射され、そこには手心や容赦というものが一ミクロンたりとも感じられない。

 かの巨体からすれば豆鉄砲程度にしか見えない青の光弾の群れ。

《―――――ッ!!》

 しかしてそれは凄まじき威力を発揮し、アルファはついには声にならない悲鳴を上げて、ぐちゃぐちゃに爆ぜ、あちこちに飛び散った。

「この程度ですか、害虫」

 わずかに一瞬、たったそれだけ。何十人もの人間を一方的に虐殺していたアルファは、たった一人の少女に一方的に虐殺されてしまった。

 アルファの殺し方には二種類が存在する。

 一つは、先のようにその身体を知性体として構成できる最小単位より小さく切り刻むこと。

 もう一つは、こうして身体そのものを爆ぜさせること。

「ああ、目障りですねえ」

 アンヴァーはそれでも納得していないかのように、あちこちに散らばる赤い水たまりを執拗に撃ち続ける。

 その目に浮かぶのは明確な怒りであり、彼女はこの世にアルファが一片でも存在しているのが許せないかのように、ひたすらにトリガーを引く。

「………」

 長らく、銃声とアルファの死骸がしゅうしゅうと蒸発する音だけが白い廊下に響いた。

 

「……もういいでしょう」

 しばらくして、アンヴァーの肩をヒスイが叩く。

「……すいません、わたくしのしたことが、少し熱くなってしまいました」

「仕方ない。やっと見つけた残りの人類がこんなふうになっていたら」

 そう言って、ヒスイは視線の先にある、何百、あるいは何千、それとも何万は見た、服だけが残る人間の抜け殻を見つめた。

 とはいっても、この状態を見ることさえもが久方ぶりであり、生きてる人間を以前に見たのがいつかさえも覚えていない。

 ああ、『人類を救う鍵』を探す途中で偶然見つけた稼働状態の地下シェルターがこの惨状ならば、感情に任せてあのような行為に出てしまう気持ちは大いに共感できる。

(……せめて、アルファを探査する方法がもっとマシならば、ここまでの惨状は生まれなかっただろうに)

 アルファが人間を捕食して肥大化するときにだけ放たれる特殊な放射線、それを探知してから動くという、あまりに後手に回りすぎた探査方法。

 それは最低でも一人を犠牲にすることを意味し、多くの場合犠牲は一人だけでは収まらない。例えば、今のように。

「……大丈夫ですか?」

「――――」

 改めて壁に背を預けて何やらぶつぶつと呟いてる生き残りの少女に問うが、答えは帰ってこない。

「……私たちは生き残りを探してきます。あなたはそこでじっとしていてください」

 そう言って彼女たちは二手に別れて廊下を探そうとするが、

「――いませんよ、そんなの」

 その背中に少女の声が突き刺さり、次の瞬間、銃声が響いた。

「「――ッ!?」」

 振り返ると、そこにはあまりに予想通りの惨状が広がっている。

「………」

 己のこめかみを自動小銃で貫き、果てる少女。

 それは、あたりに散らばる人間の抜け殻以上に見慣れた景色。

 もしかしたらアルファに食われた人間よりも、自ら命を投げ出した人間のほうが多いかも知れない。

 しかし何度見ても慣れることはなく、見かけるたびに複雑な感情がうごめく。

 彼女が自死を選んだのは、アルファの殲滅という責務を己が十全に果たしていないからだという自責の念。

 生きたくても生きれなかった人間が何億何十億人もいるのに、どうしてお前はそんなに貴重な命を自ら投げ出すのだという疑問。

 そして、どうして戦う手段を持ちながら、戦わずして死を選ぶのだという怒り。

「……ッ」

 ヒスイはそんなごった煮の感情に肩を震わせ、それを押し殺すように唇を噛みしめる。

「……なんで、そんなに簡単に命を捨ててしまえるんですかっ!? 自分が大切じゃないんですかっ!」

 そんな彼女とは対称的に、アンヴァーは思いの丈を叫んだ。

「なんでっ、銃を敵じゃなくて自分に向かって撃つんですかっ! その銃は誰かを理不尽な暴力から守るために作られたはずなのに!」

 次いで吐き出されるのは、己――シータ・ロイドがアルファを討滅し人類を守護するべく製造されたがゆえに感じるのであろう、特異な怒り。

 少女はそんな思いの丈をせいいっぱい、声の限り叫んだ。

「……落ち着いて、それは持つものの傲慢。彼女は別に戦うために生み出されたわけでもない普通の人間なのだから、私たちのような心構えを求めるのはお門違いだ」

 ヒスイはそう言って、肩を叩く。

 そうだ、だからこそ彼女はアンヴァーのように叫ぶのを躊躇した。そのような覚悟をさせないために、私たちシータ・ロイドは生み出されたのだから。

「……すいません、そのとおりですね」

「私も少なからず思ってたことだ、気にするな。それより、生き残りを探そう?」

 少女のすでに濁り始めた瞳を隠すようにまぶたを閉じさせると、ヒスイはにっこり笑ってそう提案した。

 無理のある笑顔だった。


「……結局、誰も見つからなかった」

 あの地下シェルターにいたであろう人間は推定十五名。格好から察するに十四人――つまりはあの自殺した少女以外は男だろう。

「でも、きっとこれで最後になりますから」

 地下シェルターの外。彼らの遺留品と少女の遺体を地面に埋め、墓石代わりに突き刺した即席の十字架を見つめて、すっかり落ち着いたアンヴァーが言う。

「……父さんの言う『人類を救う鍵』が本当ならね」

「本当ですよ。だって他ならぬお父さまの言うことですもの」

「……私もそう信じたい。でも、こんな世界を救う方法なんて本当にあるのだろうか」

 この惨状を見せつけられて、それを信じ続けられるほどヒスイは強くない。

 たとえ救う方法があったとしても、それを扱う人々を今のヒスイは信じられなかった。

「救えますよ。……例えば、別の星に行くとか、過去に戻るとか、それとも別の世界に行くとか。お父さまはそんな装置を開発したんです」

 アンヴァーはしばし思案したあとに、そんなことを呟く。自分でも無理があると分かっているのか、徐々にその語気は弱まっていった。

「……流石に、過去や別の世界に行くのは無理ですよね」

 別の星に移住するのだって、出来るならばとっくの昔にしているだろう――そう言いたいのをヒスイは我慢する。

「だけど、それでも、です。お父さまはわたくしたちを建造した大天才です。その大大天才が出来ると言っているんです、なんとかなります」

 己に言い聞かせるような、痛ましささえ感じさせられる口調。

「……そうだな、なんとかなるな。なにせ、あの父さんなんだから」

 これ以上アンヴァーをいじめても仕方がない、どのみちここで悩んでいても現実は変わらないのだからと、ヒスイは納得したふりをする。

「ならば、善は急げです。早く行きましょう、こんなふざけた世界を一刻も早く終わらせるために」

 そう言ってアンヴァーは東に向かって一人歩き出し、ヒスイもその後ろを追う。

 あとほんの少しで、『人類を救う鍵』のある座標にたどり着く。

 果たしてそこに何があるのかはわからないが、それでも少女たちはひたすらに目指した。

 ただ、こんな惨劇を二度と起こさないために。


                      《人類の黄昏と彼女たちの蜜月Ⅲ》・完 第四章へ続く


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