第七話 獄炎の魔導士 Ⅹ
日も暮れて、星が輝き始める頃、夜営の準備が終わった。
用意されているのは一人が寝るためだけの簡単なテントと焚き火。
テントは寝るときに風を遮るため程度のものだが、モルネが寝る用にする。エーと魔導士は交代で見張りをする手筈としている。
交代で見張り、という単語に魔導士は冒険感があっていいとわくわくしはじめたので、とりあえず機嫌は損ねなかったようだとほっとした。
焚き火の方は、獄炎の魔導士が獄炎の魔導士などと名乗っておきながら「枝と板を擦り合わせて火を起こすアレをやってみたい」などと言い出し、簡単にできるものではないと止めたにも関わらずやりはじめ、結局一時間待っても火は着かなかったのでエーが火打ち石で着けた。
続いてエーは焚き火に鍋をかけて簡単な晩御飯を作る。
水をいれ、沸騰しはじめたら乾燥させた豆と、干し肉を入れる。
しょうがをいれて更に煮てから、塩コショウで味を整える。
エーとしては野菜や卵を入れたいところだったが、エーは鎧や剣の重量が相まって持ち歩ける荷物が限られている。
生の野菜など重くて省かざるを得ないし、乾燥野菜は値段が張るので手を出せず、生卵なんて潰すリスクのほうが高くて論外だ。
だから「卵があったらいいんだけどなあ」などと呟いたときに、魔導士が懐からゆで卵を取り出してきても、一体何の卵なのかというツッコミは飲み込んで、体に害があるかどうかだけ聞いてスライスして鍋に投入し、
「おいしい!」
そんな葛藤も、モルネが一口飲んで嬉しそうにあげた一言で吹っ飛んでいった。
「む、美味いな……」
魔導士までがぽつりとそう漏らしたのがエーの耳にも届く。
見た目は到底格好の良いものではないが、エーの作ったスープは予想外に高評価を貰えたようだ。
「ありがとう、勇者のおにいちゃん」
モルネの笑顔での感謝の言葉に、ちょっと恥ずかしく、ちょっと誇らしくなって、エーは頭を掻いた。
そうして月が登り、周りでは風と虫の鳴き声しかしなくなるころ。
ぱちぱちとか細く鳴く焚き火の火を消さないように時々小枝を投げ入れる。
交代で見張り、とは言ったものの魔王の横で寝るのもどうなのだろうと思いつつ、
しかし当の本人が寝る気配もないので、
結局エーと魔導士は夜の静寂のなか特に会話もなく向き合っている。
(……気まずい)
エーはちらりと魔導士の様子をうかがった。
魔導士はぼんやりと夜の空を眺めているだけで、昼間のように騒ぐこともない。
きっとモルネが隣で寝ている影響もあるのだろう。
この魔王をこうしてまじまじと見ることもはじめてな気がした。
いつもは走り回ったり歩き回ったり振り回されたりすることばかりだったから。
こうしてなにも喋らず、ただ空を仰ぎ見るそいつはまるで、
(……なんだか、人形みたいだな)
赤い目は星と月を捉えているが、そこに感動や感嘆はないように思うし、普段の印象よりも細い体は息をしているかさえ不安になる。
……そう、沈黙が長引くほどに不安になるのだ。
(あれ?まさかほんとに人形に変わってたり……)
よく見たら瞬きさえしていないようなので、エーの不安はついに動きだし、エーの口を突いてでる。
「お、おい、まお……」
「なんだ」
エーの勝手な不安に背いて、間髪入れずに返事をされてエーは予想以上に驚いてしまう。
返事をしたというのに呼び掛けてきたエーから返事がないことに、魔導士は夜空からエーに、眉を寄せながら目線を移す。
「用もないのに呼んだのか」
「あ、いや、その」
その表情は不機嫌そうだ。
これはいけないと、頭をフル回転させてなにか話題をひねり出す。
「……あー……今日はなんで、俺を助けるような真似が多いんだ?って……ほら、結局最後に締めたのはお前だったろ」
たしかに疑問ではあったのだ。
街で強盗を追い払ったときも、モルネを助けたときも。最後の一撃を決めたのはこの魔導士だ。
今日一日のことはきっとエーひとりでは解決できなかったし、きっと首すら突っ込むことはなかっただろう。
明確な人助け。
だがそれを率先して行ったのは勇者ではなく、魔導士に扮した魔王なのだ。
魔王は直ぐに返答を返さなかった。
暫く、返答に悩むように焚き火を眺めて、ようやく口を開いた。
「お前を、強い勇者に仕立てるため」
それはあまりにも予想外の返答だった。
もっと適当な返しをされると思っていた。
なんなら怒られでもするだろうと身構えていた。
だからエーは、一瞬息をするのを忘れさえした。
魔王はそんなエーの様子を見ることなく、焚き火を見つめながら続ける。
「お前は弱い、あまりにも弱い、吹けば飛ぶような紙切れだ」
「あ、なるほど、バカにしてるな?」
あまりにもな謂れにエーは納得する。
だが炎の魔王はいつもの適当そうな顔ではなく、
初めてあったときのような魔王らしいものでもなく、
いつかみた、真剣で、真っ直ぐに見つめる顔だった。
「ああ、あととんでもない馬鹿だな」
どこか悲しそうにいう姿も、あのときと同じようで、
「目の前の危機に尻込みすればいいのに、それが真っ当な人間だというのに、簡単に火の中に飛び込もうとする」
ただひとつ違うのは、
魔王の赤い目が、エーのことを見ていないことだ。
「命とは有限だ、お前が無茶を平気でするのは勇者という異常性に浸かりきっているから……」
だが、そこまでしゃべったところで、魔王はきゅっと口を結んでしまう。
膝を抱えて小さく丸まって、
「……しゃべりすぎた」
そうぽつりと呟いて、また黙り混んでしまった。
むすっとした表情は、いつもの唐突な感情変化のようにも思えるし、なにかずっと抱えてきているものの鱗片のようにも感じる。
夕食の支度で忘れていた、なんともいえないもやもやした気持ちがまた沸き上がってくる。
(やっぱり、心配してくれているのだろうか)
エーのゾンビアタックを知ったときの魔王を思い出す。
あのときはものすごい勢いで怒られたが、命の話をするということはそういうことなのだろうか。
しかし、魔王が勇者の命の心配をするなど聞いたこともない。
もやもやしたものを覚えながら、
それでもひとつわかるのは、魔王はまだ一言も「飽きた」とは口にしていないということだ。
エーとした約束を守っているからかどうかはわからないが、
少なくとも、「しゃべりすぎた」ということは、"話す気はあるが話せない内容である"ということではないだろうか。
……どれも答えはでなかった。
この感情の答えも、魔王の様子の答えも、そしてそれにかけるべき言葉も。
「……お前に心配されてもうれしくねーぞ」
だから、いつもの調子で返した。
「心配などしてない殺すぞ」
「命は有限だとか言ったの何秒前のお前だ!?」
むすりと顔をしかめたまま返ってきた言葉に思わず全力でツッコミをいれる。
「もう煩いから寝ろ、火の番は私がやるから。明日は大変だぞ」
「煩いってなんだよ!お前はほんとにどこ行っても自分勝手だな!大体お前な……」
エーの説教が続いたのは、
ぱちりぱちりと焚き火がはぜる音と共に、
いつもの調子で問答をしているうちに、拗ねて寝たふりをしたエーがうっかり寝てしまうまで。
そうして森の夜は更けていくのであった。