第七話 獄炎の魔導士 Ⅷ
『大地を揺らし、風を操れる』と先ほどあのボスは言っていたが、先ほどの風切り音はそれだろう。
「おい、もっとよく狙え」
ボスが少女の頬により強くナイフを当てる。
ぽろぽろと涙を流して、震え、怯えながらボスの言うことを聞かされている少女。
エーは殺される不安よりも、怒りの方が勝るのを感じている。
こんなちいさな、自分よりもずっと小さな子供に、こんな理不尽を押し付けていいはずがない。
だが魔法はエーにはさっぱりわからない。どこから風の刃が飛んでくるかわからないまま迂闊には動けない。
未だにかかってくる雑魚たちの攻撃をいなしながら、エーは必死になって考える。
「あっづ!!ぎゃああぁぁ」
背後で悲鳴が上がったために思考が中断された。
それは獄炎の魔導士のほうに行った雑魚が、灼熱の手で腕を捻り上げられたために発せられたものだ。
殺してはいないようなので、恐らくあの魔導士の皮を被った魔王でも"人間を殺さない"意図は察せているのだろう。
と思ったところではたと気づく。
魔法の対処は魔法のことがわからないエーより、魔法のことがわかっている魔導士にやらせたほうがいいのでは、と。
「まお……獄炎!この、魔法の攻撃どうにかできないのか!?」
つまらなそうに雑魚を放り投げている魔導士に、エーは声を投げる。
「……まあ、できなくはないが、」
「じゃあそれで!」
あまりに乱暴に指示をしたが、死ぬかもしれないし、死んだら勇者を殺したなんていう記憶を少女に背負わせることになる。エーは魔導士に気を使っている場合ではないのだ。
獄炎の魔導士は顎に手を当てて考える。その間三秒。
「まあいいか」と不安になる呟きをして、魔導士がパチンと指を弾いた。
その瞬間、
ゴゥ!と音を立ててエーの目の前に火柱が上がる。
確かに熱をもった本物の火だ。
ぎょっとするエーとエーを取り囲む雑魚たち、続くは再び風の切る音。
だがそれは、火柱に阻まれて勢いが殺され、エーには届かない。
「すげえ、ちゃんと防い、で……」
エーには届かない。そう、"風の刃は"。
火柱にぶつかった風の刃は、火柱を巻き込んで炎をあちこちにばら蒔きはじめるのだ。
火はまるで踊るように揺れ、木造の家のあちこちに飛び、燃やしはじめ……
「って、おい!なにしてんだ大惨事じゃねーか!!」
「どうにかできないかというから」
不満そうな勇者に不服そうな魔導士。
あまりに適当な指示だったことを後悔しながら、エーの望んでいた展開はそうではないのだ。
「どうにかなってるけども!!なんか他にあったろ?!風と風をぶつけて相殺する的な?!」
「私は"獄炎"だぞ、炎以外を使うのはちょっと事務所通して貰わないと……」
「事務所ってなんだよ?!」
エーのツッコミに心底嫌そうな顔を返してくるのがエーは尚更腹が立った。
しかしツッコミをしている場合ではない。
家は燃え、火に囲まれた状態だ。
雑魚は勿論ボスも慌てて火を消せと指示していて、少女は頭を抱えて屈んでしまっている。
最早付け焼き刃の戦略など考慮している場合ではない。
今すぐこの状況を変えなければ魔導士以外の全員の命があぶないのだ。
そう頭が考えるのに続いて足を動かす。
火と熱に怯えずに飛び込めるのはこの場の人間の中でエーだけにある特権だ。
熱に慌てる雑魚たちをすり抜け、炎を飛び越えて、
エーはタックルするようにボスの懐、そこにいる少女を引っ付かんでボスから引き離す。
驚くボスと、突然のことに目を丸くする少女。
そのまま少女を傷つけぬよう頭を支え、倒れこみながらエーは叫ぶ。
「"拾え"!獄炎!!」
その瞬間、獄炎の魔導士はにやりと口の端を吊り上げ、足元からは待っていたとばかりに炎が立ち上る。
「良い!合格点をくれてやろう!」
魔導士の背後でごうごうと燃える炎、それはまるで魔導士の真の姿のように。
白い服は炎のなかでもすすさえ付きはしない。
雑魚の一人がそれを見て震えながら呟いた。
「あ……悪魔……」
その呟きに、悪魔のごとき魔導士は赤い瞳を向けて、
もう一度、見せつけるように笑う。
「不正解だ」
その言葉と同時に、炎は嵐のように家中を飲み込んだ。
エーはけほりと咳をひとつして起き上がった。
すすまみれの部屋の中で強盗犯たちは皆倒れていた。同じくすすまみれだが外傷ら軽度の火傷程度で、呻き声をあげて気絶している。
おそらく、また街で使った幻の炎だったのだろう。だが今度は本物の炎をすこし交えての。
……やはり、人のふりをしているとはいえ魔王は驚異的だ。
エーだけではきっとどうしようもなかった状況を、こうも容易く変えてしまう。
手に残る炎をふぅと吹いて消す魔王を睨むように見ながらエーはそう思う。
腕の中で呻き声が上がったのを聞いて、エーは思考の海から引き上げられる。
そこには少女がしっかりと抱き締められたままで、エーは驚いて手を離した。
「わ、あっ、いや、大丈夫か?怪我は?」
顔をあげた少女。
柔らかな頬にはナイフを押し付けられたときの跡が残っており、血が滲んでいる。
大きな傷ではないが、傷跡が残ってはかわいそうだ。エーは懐からハンカチを取り出して少女の頬に当てる。
「名前は?家がどこにあるとか、わかるか……?」
おとなしくハンカチを受け取った少女に続けて質問をする。
少女はすこし黙ったあと、怯えながらも答える。
「……わたし、モルネ……おうち……」
モルネと名乗った少女の赤い瞳から、
見るまに涙が溢れだす。
「おうち……おうち帰りたい……ママ、ママぁ……!」
緊張感から解放されたためだろうか、
ぽろぽろと、どんどん溢れだす涙は止まるようすがない。
慌ててエーはモルネの頭を撫でる。
ここまで明確に不幸に見舞われている人に直面するのは始めてで、どうすればいいのかわからない。
安心させてやればいいのだが、無責任に大丈夫などいえない。言ってはいけない。そうして優しく頭を撫でているときだった。
「さあ勇者殿」
いつの間にか背後まで来ていた魔導士の声でエーは振り替える。
エーの顔を見て、魔導士はにっとわらった。
「次のクエストだ」
この場に不釣り合いな単語が聞こえて、
エーの口から思わず「は?」と声が漏れた。