第一話 金色の勇者 Ⅴ [炎]
少年は非常に驚いた様子で、飲み込みかけていた牛乳を詰まらせ咳き込んだ。
分かりやすく登場したが、即座に正体に気づくあたりはなかなか評価に値する。
「なんだ、勇者さんと知り合いかい、お客さん」
店主が少年の驚きように驚いた顔で、レーヴェをみた。
「まあお互いに面識があるという意味で言うなら知り合いであろうなあ」
嘘は何一つない。
我々はただの"知り合い"だ。
「っ…!お、おま…!なんでここに…!!」
少年が剣に手を伸ばす。
レーヴェとしてはここで余計な体力を使う気はない。
だから気にもしていないようにおどけて見せる。
「そんなことより、ここのオススメはなんだ?あと、生憎私は金銭を持ち歩いていなくてな、物々交換だと助かるのだが!」
「おう、堂々と無銭発言か、すごいねお客さん。どういう物と交換かによるかねえ」
他愛もない話に乗ってくる店主。こんな裏通りに店を構えているのだ、この店主もなかなかに"手練れ"だろう。
でなければ剣に手を伸ばす勇者がいて落ち着いていられるわけもない。
そんなどうでもいい分析をしていると、少年がレーヴェの腕を掴んだ。
「おまえ、ちょっとこい!」
予想以上に力強く腕を引かれ、思わず立ち上がる。
そのままずいずいと引っ張られて、あっという間に店の外へと連れ出された。
「なんでこんなところにいるんだおまえは!!」
少年は剣を構え、青い瞳がキッと睨み付けるなか、レーヴェは引っ張られた腕をすこし擦る。
(存外強いものだな、あんな金の装備等つけていれば当然なのか?いや、いまのはただの力任せ……評価をあげるにはまだ早い)
そう思案してから、レーヴェはにやりと笑って見せる。
「私がどこに居ようとお前には関係あるまい」
「関係あるわ!魔王がこんなとこに居て良いわけあるか!!」
ぶんぶんと剣を振る少年。
先程までの落ち込んだ様子など何処へやら、勇者らしくあろうとする少年が戻ってきたので、からかい混じりにレーヴェはなおにやにやしながら少年を見下ろす。
と、もぞもぞもフードのなかが動いた。
「ひゃあ!やめてください!正体ばらしちゃだめですよう!」
バッとフードが跳ね、なかからH36番が血相を変えて、慌てるように小さな羽をパタパタさせて飛び出した。
"魔王"と勇者が言ったことにたいして慌てたのだろう。
だが当の勇者はターゲットを変更したようで、驚きつつもH36番に切っ先を向ける。
「おい!?それお前んとこの魔族だろ!こっちの世界に持ちこんでんじゃねーよ!!」
H36番はぴい!と短い悲鳴を上げて頭の後ろに逃げ隠れた。
元より小さい地獄鳥は戦闘を苦手とする種類だ怯えるのは仕方のないことである。
「来なくて良いと言ったのに私のことが心配だからと強引に着いてきたのだ。おかげでわざわざマントを用意してきたのだぞ」
「お前は元々は顔だす気満々だったのかよ!」
剣を振り回しながらツッコミを入れ続け、疲れはてた様子でゼェゼェと息を吐き、少年はレーヴェを睨み付ける。
「ふざけやがって、状況考えろよ、くそっ…」
少年が勇者らしからぬ悪態を突く。いや、むしろ少年が少年らしく弱音を吐いたとうべきか。
レーヴェは最後の確認と、ほんのちょっとのいたずら心で彼の悪態の真意を読み取れない振りをする。
「状況。そうだな、本当に悪い状況だな、この街は」
「…街の話なんかしてねえだろ」
困惑した様子の少年。
レーヴェは彼の方を見ないままに話を続ける
「だってそうだろう?どうしてこんなにも日の当たらない場所が多いのだ?」
この程度のことを理解できないようでは王などやってられない。だがそれはこの少年も同じ。
世の理不尽を理不尽だと地団駄を踏み駄々をこねるだけの子供であるなら早々に心を折ってやるべきだ。
彼が勇者なら特に。
この知らない振りは、そのための確認だった。
だが、
「表の建物が成長すれば、日陰ができるのは当たり前だろ…なにがそんなに不思議なんだよ」
あろうことか、この少年は同じように知らない振りしてきたのだ。
これは確認の仕方を変えなければならない。
「知らぬとは言わせんぞ勇者」
レーヴェは少年の青い瞳を見る。
その奥にある真実を知りたい。その思いに引き寄せられたように、再びレーヴェの悪い癖が鎌首をあげ始めたのを感じながら。
「なぜここの王は恵みを恵みとして捉えない者たちに恵みを与えているのだ?もっと必要としている民が大勢いるというのに」
少年は答える。
「そりゃあ、偉いから、色々あるんだろうよ。あと、ここに住んでるの王じゃねえから」
……これは真実だ。
少年はおそらく身分の高い生まれではない。『偉いやつの考えてることはわからない』という思いはたしかに彼のなかで正しい判断で、誤魔化しはない。
「偉くて至福が肥えるのならば私はゲームに埋もれて生きるぞ」
これではない、もっと奥へ、もっと真意へとレーヴェの心が騒ぎ立てる。
「お前はなんとも思わんのか。無関係な話ではあるまい」
この少年はあの日逃げた。勇者であることを求めながら勇者である意味を問われて。
この少年は今日逃げた。大人のやることに身を投じながら大人の理不尽に触れて。
「……仕方ないだろ」
諦めの言葉が溢れてでたようだった。
「なんで」
止められない心がまた問いたてる。
「………なんだっていいだろ。そういうもんなんだ」
うつむき、圧し殺すように、少年は言葉を吐いた。
その言葉を聞いて、レーヴェの騒ぎ立てていた心が急激に冷えて黙り混む。
(……あぁ、そうか)
堪えるように握られた少年の拳は、やはり勇者と呼ぶには小さな手だ。
だがその拳をレーヴェは知っている。
(私と、同じだったか)
抗いがたい理不尽を突きつけられて、それでもまだ、足掻いている。
そうした矛盾で、本当に消えてしまうのを心が拒絶するから、
まだ諦めていないから、彼は逃げるのだ。
レーヴェは無意識に己の手のひらを見た。
いつしか悔しさで握りしめることも忘れてしまった、
いつだって変身が行き届かず色が変えきれない赤黒い手。
「……魔王のくせに、魔王のくせになにも知らなさすぎなんだよ!どうにもできないことだってあるんだ!」
少年の叫び声でレーヴェは現実に引き戻され、はっとして顔をあげる。
うつむいたままの少年は、それでも魔王という理不尽を前に、固く拳を握りしめて、
今度は逃げなかった。
「…………」
レーヴェは見つめていた手を下ろして、
1拍置いてから言葉を紡ぐ。
「ああ、そうだ」
そう、なにも知らなかった
「私はなにも知らない。何故なら、私はお前達と住んでいる"世界"が違うからだ」
聖界と魔界の壁はあまりに分厚くて、
レーヴェには気づけなかった。
「だがお前は違うはずだ」
それ故に、大切な架け橋を無くしてしまった。
「お前はこの"世界"に生きている」
この少年はまだ"この世界に"生きている。
「ならば知っているはずだ。知ることができるはずだ」
まだ知らないからこそ、知る前にこそ、
"正しい勇者"になれるはずだと、
「お前が仕方がないということの真意を」
伝えることのできない真意を織り込んで。
「……そんな、そんなものは、ただの理想だ」
絞り出すように少年は言う。
「仕方がないもんは、どうしようもない。どうにもできないんだよ…」
いまだ諦めに捕らわれる少年を否定はできない。
諦めとは、一言二言交わされたところで簡単には拭えぬものだ。
であるからこそ、
レーヴェは自分の思うままの言葉をかける。
「おまえは勇者だろう。勇者が理想を抱いて何が悪い」
「……は……?」
少年はぽかん、と豆鉄砲を喰らったようだった。
これはレーヴェの"勇者観"だ。
勇者には魔王に求める理想像があり、
魔王たるレーヴェにも、勇者に求める理想像がある。
勇者とは、横暴にも自分の正義を振りかざし、
自分の理想で世界を変えるものなのだ。
「なんか、ものすごく嫌なやつみたいに言うなよ……」
レーヴェの言葉に少年は突っ込みをいれる。
当然だ、魔王にとって勇者とは嫌なやつなのだから。
だが、
「だが、その理想で人々が不幸になる話はあまり見ない」
そう、勇者の話はいつでも、
誰かを救う物語なのだから。
ここからさきは語る必要もないだろう。
話しすぎないよう「飽きた」で締めくくり、
レーヴェは少年の前から立ち去る。
少年はなにを選択するだろうか。
少年はどう動くだろうか。
「よかったのですかまおうさま」
H36番が顔を出す。
「ああ、これでいい、忙しくなるぞ。やつは大きすぎる穴を持ってる、それを補うのはただ事ではないからな」
レーヴェは夜の町を歩いていく。
どこかわくわくしたようなその様子に、H36番は人知れず嬉しそうに微笑んだ。
レーヴェの、消えかかっていたお節介に、
火がついたのだ。