第1話
人間、死んだら死だ。何も残らない。
年寄りに言わせれば年数も経験も浅すぎる二十二歳の俺……仁科 歩が人生経験から導き出した真理が、それだ。
中学生の頃、親父が冒険者として潜っていたダンジョンの深層で死に、同じ日にお袋がトラックに轢かれた。
天涯孤独の身になった俺を引き取った叔父からは三年かけてじわじわと遺産の不動産をちょろまかされ、妙な新興宗教に傾倒した叔母に預貯金をダイナミックにちょろまかされた。
どうにか高校を卒業した翌日、ほぼ無一文の状態で叔父と叔母の家から追い出された時、俺は確信した。
親父とお袋が死んで残った物は、何もなかった。かすかに残った物でさえ、守り切れなかった。
あんなに毎日感じていた愛情も、声も、何なら顔も。今じゃ何も思い出せない。辛い毎日に記憶がすり減ってしまったんだろうか?
結局、人は死んだら仏にもならない。誰かを見守りもしない。死んだら死だ、何も残らない。
十八歳の春、俺は服と薄べったい古財布……それとさっき気付いたばかりの真理を鞄につめて、これまでとさして変わり映えのしない寒々しい世間へと飛び込んだ。
今時高卒で就職なんて珍しくもない。だが、無一文の住所不定となると話は変わってくる。
一刻も早く住み込みの仕事を見つけなければ……ホームレスになるのだけは避けたかった。
一縷の望みを賭けて飛び込んだ職安で紹介されたのが今の俺の仕事……第三セクターのダンジョン運営会社での雇われ冒険者だった。
就業場所は行政管轄のダンジョン巡回業務。時間は三交代のシフト制。資格不問。寮・食事補助アリ。昇給・賞与アリなれど過去三年以内の実績ナシ。総支給22万の内訳は基本給と職能手当で半々だ。
固定時間制ではあるものの業務の関係上大幅な残業になる事があり、サブロク協定を結ぶ必要がある……いわば、奴隷のような待遇だ。
それでも、家も資格もないガキを雇ってくれそうな所なんてそうそうある訳じゃない。
俺はすぐさま面接の日取りを決めてもらった。履歴書を買う金がないので、相談員さんに拝み倒して作ってもらい、プリントしてもらった。
……結局、翌日には面接をしてもらって即採用となり、俺の野宿生活は一日で終了した。
ただの一般人の俺も、ダンジョン横の石碑にタッチしたらステータス持ちの冒険者だ。親父も最初はこんな感じだったんだろうか。
これで俺もバンバカ魔物を倒して英雄のような力を得て無双状態……なんてうまい話はなかった。有り体に言うと、才能がなかった。
魔物を倒した際に放出される魔素と呼ばれる物質を体内に取り込む事で、人は強化される。
細胞を強く結びつけて頑丈にし、筋力を引き出し、独自の内燃機関を構築して新しいエネルギー……魔力の運用を可能とする……らしい。始業日にやらされた健康診断の案内にそう書いてあった。
……そして、どうやら俺は魔素を取り込む能力が乏しいようだ。常人の60%程度しか放出された魔素を取り込めない。
入社してすぐに健康診断によって厳しい現実を突きつけられ、足元が抜けたような絶望感を味わったのも今では遠い昔のように思える。
親の遺産を取りこぼし、魔物の魔素をも取りこぼす出来損ないの俺でも、一年二年と仕事を続ければ慣れてくる。
同時に、俺が配属された部署の悪評にも慣れてくる物だ。
俺が配属されたのは捜索部三課……捜索部はダンジョンから帰還予定日時を超えても帰って来ない冒険者を捜索する部署だ。
一課がメインとなり最短経路でダンジョンを降り、二課はそのサポート。三課は一・二課が通り過ぎた後の階層を数の暴力で押しつぶすようにローラー作戦で捜索していく。
ダンジョンで行方不明者が出た時、一・二課が急いで駆けつけて助けるパターンは多いが、三課が見つけた時には手遅れになっている場合がほとんどだ。
ダンジョンの天使と呼ばれることもある一・二課と違い、俺達三課は冒険者の死体に群がる虫のように扱われ、何なら「死番虫」なんて呼ばれたりもする。
どうも死番虫の鳴き声が、死神が臨終を看取る為に使う秒読みの時計の音に似てるからそう呼ばれているらしい。
何とも風流な理由だが、呼ばれるこっちはいい迷惑だ。
別に死人が出るのを待っている訳でもないし、遺品を根こそぎ引っぺがしてる訳でもない。
ちゃんと仕事をしているだけなのに、害虫呼ばわりは正直言って気が滅入る。
仕事を始めて一年くらいは不名誉な蔑称に腹を立てていたが、二年三年と続けていくとどうでも良くなってくる。
だって仕方がないじゃないか、実際死んでるんだから。
俺達に見つかる程度の場所で死んでるのが悪い。つまり浅い層で、俺達が数に任せて袋叩きにすれば勝てる程度の魔物に殺されてるんだから。
待機室で仲間達と雑誌やスマホを見ながら時間を潰し、たまに行方不明者が出たら愚痴をこぼしながらダンジョンを駆け回り、遺族に引き渡す為に遺体からIDカードと遺髪、それから持って帰れそうな装備を回収して戻る。
そんな生活を四年も続けていれば、人間らしい感覚なんてあっさりと麻痺する。今じゃ遺体の処理をした日の晩飯に焼肉を食えるようになった。
そんな日々が終わりを迎えたのは、夏の始まり。
エアコンの壊れた寮にいるよりダンジョンの待機所の方が涼しくて過ごしやすいと感じ始める、五月の終わり頃。
弛緩した空気の漂う、広さだけが取り柄の薄暗い三課待機所にもたらされた出動要請……国内有数のSランクパーティが、うちのダンジョンで行方をくらませたのが全ての発端だった。




