朝焼けと夕焼け
このタイトルのフォルダをスマホの写真内に作成しています。
私はわりと朝焼けや夕焼けの空の写真を撮るのが好きみたいで、数が溜まってきたので。
特に台風の前後の空がドラマチックで素敵です。
台風自体は勘弁ですけど。最近の気象は暑すぎたり、雨も強烈だったりと、まあ大変な時代になってきたなと思ってます。
ひとまずは朝焼けから始めましょう。
朝焼けに見えないかもしれませんが、一部の空を写そうとしたらこんな感じになりました。
時間と共にどんどん空と雲の色合いが変わっていくのも、美しいなと思います。
ピンク色に染まった雲は西洋の宗教画を思い出します。
昔、必ず明日が来ると信じてる人がどのくらい居たのかな、なんてふと考えたりします。それともそんなことを考える余裕もなく、生存するのに必死だったんでしょうか。
「月が遥か上空から、静かに街を見下ろしている」
そんな文章が浮かんでくる写真です。
去年の今頃撮った、一応は夕暮れの写真ですね。
前の職場にいた頃は、朝焼けも夕焼けも見ては美しいと思っていました。だけど、記録に残そうとか、感じたことを言語化しようだとか、そういう余裕が無かったんだなと今は思います。
必要のなかった苦労だとは思わないです。艱難辛苦汝を玉にすでしたっけ、苦労が人を磨くということわざがありますが。
苦労したって別に人格者になる訳でも無いです。
何というのかな、人間の嫌な甘さというのはあって。
自分の抱えているそれが、多分なくなった訳ではないけど、だいぶ御し易くはなったのかな。
それだけでも、前の職場で踏ん張った価値はあった、それでいいんじゃないかと思ってます。
私よりも遥かに高次の存在がもしいるとしたら、きっと私の幸不幸なんて意識もしていないでしょう。
私がどれだけ恨み言を言おうが、もし何かを憎んだとしても、世界は変わらず過ぎてゆく。
世界のその変わらなさは、私にはかえって救いだと感じられます。
そして、実は私は、まともに何かを憎んだことがないようです。
怒りは何度もあります。でも私を怒らせた相手は、大抵の場合は憎悪までの強い感情を向けるような対象では無い。もともと関係性が薄いような相手がほとんどです。
怒りの対象が身内の一部ですと、まず真っ先にくるのは諦めと無力感になります。またこれか、という。
私が何をどう訴えようと彼らには響かず、何も変わらず彼らの都合を優先させ続けることを、よく知っていますので。
こういう言葉の通じない相手には、距離を置くしかありません。
相手に私に対する悪意があった場合も、それはこの先も私を侵害する可能性があるので、こいつは敵だなとは認識します。
でも、別に憎悪はない。
単に要注意で、隙を見せられない相手というだけです。
後は私にとって一度敵と認識した相手は、もう二度と信頼できる可能性のある人にはなりません。
仕事などで仕方がない状況であれば、そういう人とも付き合えなくは無いのですが、大きなストレスは感じます。そして私の中で敵認定する前と同じ立ち位置には、二度と戻らないです。
なんと言うのかな、その人にかける期待のようなもの、エネルギーみたいなものが無駄に感じてしまうので。
別に悪意や嫌悪を向けられた報復というつもりも無いですけども。
相手の感情は相手の自由なので、好きに嫌えばいいと思っていますから。
それを言えば、好かれることも考えてしまいますけどね。好意を持ってくれた相手は何か私に期待があって、そこから私が外れたら、その好意は無くなっていくんだろうなと思ってしまう。
無償の好意なんて、そうあるものでは無いし。
向けられたら嬉しいだけに、かえって好意の方が取り扱いが難しいなとか、考えてしまうのですよね。
好意は有り難いものではありますが、人を縛ることがあると思います。自分が受けるにしても、相手に向けるとしても。
他の人は、ここらへんはきっともっと軽やかに捉えているんでしょうけど。
向けられる感情が嫌悪だから敵だ、また、それが好意だから味方だ、とはならないです。
そういう単純な話でもない。
嫌いだったら出来るだけ関わらなければいいのにな、と思ったことはあります。その人なりの何か理由があったんでしょうが。
こういう自分がときどき面倒くさいようにも思いますが、私は自分のことが嫌いではありません。
よくここまで何とか生き延びてきたなあと、しみじみ思っています。
その2はこれにて終了です。
(本日12時10分更新のおまけがあと一話あります)
写真があるのもいいですね。
次回があるか分かりませんが、思いついて余裕がある時にでも、また書こうと思ってます。
それでは。




