第29話 小さな来訪者
翌日からの1週間、月の国の教会はそれはもう大忙しであった。
星巡りにはどんなに急いで回ったとしても三ヶ月は掛かる。
それ程長い期間トップであるシエルが不在になるのだ、色々と準備も必要なのだろう。
「あの、シエル様!私も今日こそ何かお手伝いをっ……」
「いやはや、これから神聖な旅路に出掛ける聖女足る貴女に雑用なんぞさせられませんよ!
不在前に民心をがっちり掴む為にもいつも通り聖堂での聖歌発表と聖典の読み聞かせ。
来訪者の治癒業務に当たってください!」
『無論、新聖女の偉大さアピールの為しっかり着飾ってくださいね!』
また大量の上質な衣装や宝飾品の箱をセレーネに手渡したかと思えば、シエルは残像を残して走り去っていった。
元より機敏な上、忙しさに対処するためか今は身体能力を魔力で底上げしているようで。呼び止めれば返事はもらえるが、最早顔はちゃんと見られないほどの速度で仕事を裁いているシエルなのだった。
もちろん、シエルの指示に合わせてリオンを筆頭に部下達も多忙な訳で。
結果、セレーネは月の国に来てから初の放置プレイ状態を経験している。
(皆様があれほどに働いていらっしゃるのに、私だけ普段通りだなんて心苦しいです……)
祖国にいた頃の扱いから、セレーネは組織の一部や一人にだけ仕事の負荷がかかることが如何に不合理かを身をもって知っていた。
もちろん、シエルや皆がそのような愚策を行うなんて思っては居ないけれど。一人でいる時間が多いと、どうしても過去の不安がふと襲ってきてしまうのだ。
そうこう考えながら歩く内に、大聖堂へと繋がる門まで着いてしまった。
"聖女"の歌声を楽しみに集まった民衆のざわめきを聞き、セレーネは背筋を伸ばし直す。
「いけませんね、私が不安な顔をしていては」
彼等まで、悲しくなってしまう。
指先で口角を引っ張って、しっかり笑えるよう頬の筋肉をほぐす。
「……よし、私は私の役割を果たしましょう」
ふわっと優雅に笑みを浮かべ、聖女はゆっくり扉を開けた。
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月の国は聖歌の数も豊富。単純に楽譜だけを見れば百にも及ぶのだとか。
王宮学士と神官たちが書き上げてきたいくつもの楽譜。
それらが長年……、聖女不在であったこの国を影から支えてきた。
一定値以上の魔力保持者を集めた聖歌隊が歌うことで発揮される様々な効果によって、国の安寧に一役買ってきたのだーーと。
そう教えてくれたのは、受付係であるリラだった。
事務作業と情報精査も担当している彼女は、まだ13歳とは思えないほどに博識で驚いたことは記憶に新しい。
(それにしても、シエル様の直属部下の方は皆さんお若いですね……)
何か事情があるのだろうか。
そもそも全部で何人で、男女の比率や役割は?
改めて考えてみると、全然知らないことを思い知る。
「……っ?胸焼け、でしょうか?」
嫌な圧迫感で痛んだ胸元を押さえ、自室前の廊下にて首を傾ぐセレーネ。
まだ自分の気持ちに名前をつけることに不慣れな彼女は、『今朝は何か良くないものを食べただろうか』とトンチンカンな思考になってしまう。
「胸焼けなんて初めてですね、本日のお夕飯は少なくしていただきましょう」
ひとりでそう呟きながら、扉を開いてランプを灯す。
元より一人部屋なのだから、そこには誰も居ない……筈だった。
「……それ、胸焼けちがう」
「え、えっ……?」
唐突に話しかけられ、頭が真っ白になる。
全く聞き覚えが無い、子どもの声だった。
一体どこから……と、部屋を見回して、ある一箇所に目が留まる。
月がよく見える窓際に設置された、ひとり掛け用の小さなソファ。
そこに腰掛け足を組んだ、小さな人影がこちらを見ていた。




