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王子殿下と出会ってから、もう八年経った。今年、ユエラは二十歳になる。

そろそろ浮いた話の一つや二つ持ち込まれてもおかしくはないお年頃――はとうに通り過ぎた。

花盛りと言えば聞こえはいいが、むしろ遅咲きとでも呼ぶべきお年頃だ。花咲か娘が遅咲きとはこれいかに。


「花咲か娘じゃなくて花咲かババア……」

「うん? 何か言ったかい?」


雑草をむしりつつ呟くと、隣で一緒になって同じことをしていた王子殿下が首を傾げた。

ユエラの庭師としての名誉にかけて言っておくが、王子殿下が雑草抜きをしているのは、ご本人たっての希望だからである。間違ってもユエラが手伝わせている訳ではない。むしろ、御手をわずらわせる訳には、固辞したのだが、アクアマリンの瞳を切なげに揺らしながら「め、迷惑、かな?」と問いかけられてしまった。

無理だ。勝てない。ユエラは早々に白旗を上げる羽目になった。

そんなユエラが花咲か娘と呼ばれたのも昔の話。今となっては行き遅れの花咲かババア。はじめてその呼び名を耳にしたとき、なるほど見事に的を射ているといっそ感心したものである。


「いよいよ私も婚期を逃しつつあると、改めて思い至りまして」

「えっ!?」


ぶちっ! と、王子殿下の手元の雑草が途中でブッ千切れた。ああ、雑草は根元から抜いてくださいと何度も申し上げているのに。あとで処理しなくては、と溜息を吐くユエラの顔を覗き込み、王子殿下は今日も元気にどもりながらお叫びになる。


「ユユ、ユ、ユエラ! きみ、結婚の予定があるの!?」

「ないから逃しつつあるのだと申し上げました」


二度も言わせないでほしい。このポンコツ王子め。

年がら年中、行く日も来る日も、朝から晩まで、ほとんどの時間をユエラはこのリファルディの園で過ごす。胸を焦がすような出会いがやってくるはずもない。やってくるのはこの王子殿下くらいなものだ。だが、その王子殿下が結婚相手としてカウントされる訳もなく、結果としてユエラは婚期を逃しつつあるという訳である。

たぶんこのままだと、未婚のまま黄泉路へ立った父と同じ道を辿るだろう。気が早いかもしれないが、孤児を引き取るという手段もそろそろ考えるべきかもしれない。


「私のことよりも、王子殿下。殿下こそ、そろそろご結婚……とまではいかずとも、婚約者となられるべき御令嬢がいらっしゃるのではありませんか?」

「ぼっ僕!?」

「はい。引く手数多とうかがっております」


胸に抱いた青い薔薇になぞらえて、付いた通称である『青薔薇王子』。

そのまますぎやしないだろうかと未だにユエラは思っているのだが、世の中の人々は、老若男女を問わず、麗しの王子のその詩的な響きが込められた通称に胸をときめかすのだという。

幼少期から周囲を悩ませていたどもり症はすっかりなりをひそめ、凛と背を伸ばし、穏やかに、それでいて王族としての威厳に満ちた声音で民によどみなく声をかける様子は、今となっては正に誰もが認める『理想の王子様』であるらしい。

はじめてその話を聞いた時、我が国にはユエラの知らない第二の王子殿下がいるのかと首を傾げたものだ。

だってユエラの知る王子殿下は、昔からちっとも変わらないまま、相変わらずいつも顔を赤らめていらして、どもってばかりいらっしゃる。最近は、ろくに目を合わせてもくださらない。

世の中の御令嬢が噂するような、完璧な『王子様』からは程遠いのがユエラの知る王子殿下だ。


「ぼ、ぼぼ、ぼ、僕なんて、そんな……でも、でも、ユエラも、そう思ってくれ……いやなんでもない」


王子殿下は何かを言いかけたようであったけれど、ユエラが首を傾げてみせると、諦めたかのようにかぶりを振って、いつぞやと同じようにがっくりと肩を落とされた。

せっかくの凛々しいお姿がなんてもったいないのだろう。けれどそれでこそユエラの知る王子殿下だ。赤いお顔でどもってばかりいらっしゃる、誰よりもお優しい王子殿下。

青薔薇を捧げるのが花咲か娘のお役目だ。まだまだ頼りないところのある王子殿下の、少しでもお力添えになれるのならば、まだまだこのお役目を誠心誠意努めてみせる所存である。

そんなある日のことだった。

薔薇の世話をひと段落させて、木陰で休憩を取っていたユエラの耳に、このリファルディの園ではじめて聞く、小鳥がさえずっているかのように愛らしい声が聞こえてきた。


「ここが噂に名高いリファルディの園……! なんて美しいのかしら!」


慌てて立ち上がって木陰に身を隠したのは、ほとんど反射のようなものだった。

そっと太い幹の影から顔を覗かせてそちらを見遣ると、鮮やかな青が目に映った。

それは美しいドレスだった。豪奢なそれを気負うことなく見事に着こなした、大層愛らしい、おそらくは大貴族の御令嬢と思われる少女が、身をかがめて薔薇のかぐわしい匂いを堪能していた。

そして、その隣にいるのは。


「パトリツィア嬢のお気に召したようで何よりだよ」


あれは、誰だ。ユエラは呆然と立ち竦んだ。


「この薄紅の薔薇なんてどうかな? パトリツィア嬢の瞳と同じ、とても可憐な色合いだと思うのだけれど」


ユエラは知らない。あんな風に優しく、穏やかに、落ち着き余裕に満ちたご様子の王子殿下なんて。

彼は、王子殿下は、本当はあんな風に、顔を赤らめもせずに、どもりもせずに、薔薇を……御令嬢を愛でるのか。

そんなこと、ユエラはちっとも知らなかった。知ろうともしなかった。

呼吸すら忘れてただその光景に見入ることしかできないユエラの視線の先で、御令嬢が嬉しそうに頬を薔薇色に染める。


「エリク様ったら、お上手なんだから。でも、いじわるでもいらっしゃるのね。わたくしが欲しいのは薄紅の薔薇ではないということを解っていらっしゃるくせに!」

「おや、そうなのかい?」

「もう、本当にいじわる!」

「ごめんね。どうか機嫌を直してくれないかな?」

「じゃあわたくしのことは、どうかパティとお呼びくださいませ。ね、いいでしょう、エリク様?」


ふふ、くすくす。

二人の甘やかな笑い声がどこか遠かった。

そのまま二人が寄り添ってリファルディの園を散策し、去って行っても、ユエラへ動けないままでいた。

そのせいで運悪く風邪を引いてしまって、リファルディの園に一週間ほど行けなくなってしまった。

回復後、ようやく再びリファルディの園にやってきてみると、そこではなんとあの王子殿下が待ち構えていらした。


「ユエラ! 病気になったって、大丈夫!? 僕を呼んでくれればよかったのに……っ!」


美貌を青ざめさせてわやわやと問いかけてくる王子殿下に、ユエラは苦笑した。

いつも通りの、ユエラが知る王子殿下だ。

まったく、一介の庭師風情が、たかだか風邪ごときで一国の王子様を呼び立てられるはずがないだろう。


「もう大丈夫ですから。それより、何か御用があるのでは? わざわざ私を待っていてくださったのでしょう?」

「そ、そそそそ、そう、そうなんだけど」


何やら、いつになく緊張していらっしゃるご様子である。いつもは雪花石膏のように白くお美しいかんばせが薄紅に染まっている。

そんなご様子も確かにお美しい。けれど、あの青いドレスがよく似合うかわいらしい御令嬢の前のこの方は、もっと凛と美しく麗しかった。

花がほころぶように笑う御令嬢に、王族らしい威厳と寛容さ、そして優しさに満ちていた。

風邪のせいで散々熱にうなされたこの一週間、嫌というほど夢で見させられたあの笑顔。

ユエラには絶対に見せてくれない笑顔を、この王子殿下はあの御令嬢に見せるのだろう。これからも、ずっと。


「その、き、き、きみに、薔薇の苗を一株、なんていうか……そ、そう、み、見繕ってもらいたいんだ」

「また青薔薇を御所望でいらっしゃるので? ご入用でしたら、いつものように私が咲かせていただきますが……」

「駄目だ!」


力強い否定に思わず肩を震わせると、ますます慌てたように王子殿下は挙動不審となり、そして申し訳なさそうに眉尻を下げられる。そんな顔もやはり大層麗しい。

思えばユエラは、王子殿下にこんな表情ばかりさせてきた。笑顔なんて、本当は、数える程度にしか見てこなかったのかもしれないということに、ふと気付く。

光栄にもそれなりにお付き合いさせていただいてきたのに、そんなことにも気付いていなかった自分が、無性に情けない。

そんなユエラにやっぱり気付かず、王子殿下は、落ち着きなくも懸命に言葉を紡がれる。


「あ、いや、その、驚かせてごめん。けれど、今回は君の力は借りずに、僕が自分の力で咲かせたいんだ。あと、その、そもそも、ええと……実は、欲しいのは青薔薇じゃなくて。えっと、別の品種が望ましいんだ。なんていうかその……もっと女性が好ましいと思ってくれるような……」

「……その薔薇を、贈りたい御令嬢がいらっしゃるのですね」

「ななななななんで知って!?!?」


いや、今の会話の流れで気付かない方がおかしいだろう。

ユエラの脳裏にあの青いドレスの御令嬢の姿が浮かんだが、気付かないふりをしてそっと目を伏せる。

王子殿下は、頬を薔薇色に染めながら続けた。


「本当に素敵な女性なんだ。だから、きみが、僕の想い人に一番ふさわしいと思う薔薇の株を譲ってほしい」


切なる想いがにじみ出るその言葉に対し、ユエラは粛々と答えた。


「かしこまりました、王子殿下」


ありがとう、と、安堵したように、そしてなによりも嬉しそうに微笑む王子殿下の笑顔を、直視できなかった。

そして後日、ユエラは王子殿下に、薔薇の苗を一株、鉢植えに植え替えてお譲りした。

薔薇を育てる難しさを、この八年もの間にユエラから感じ取っていらしたらしい王子殿下は、緊張の面持ちで、「絶対に咲かせてみせるから!」と宣言してくださった。ユエラは、「期待していますね」とかろうじて微笑んでみせた。そうすることしかできなかった。

それからも、ユエラの生活は変わらなかった。

今日も今日とて、薔薇の世話に精を出す。気を抜いたら王子殿下のあの笑顔が脳裏に蘇ってしまうのが嫌だった。考えたくなかった。それなのに、ふと思い立って、剪定したつぼみに、そっと吐息を吹きかけるようにささやきかける。


「『さあ、どうか咲って』」


ユエラの導きに従って、つぼみがほころぶ。鮮やかな青薔薇が咲き誇る。こんなにも美しいのに、なぜだかその青薔薇は、泣いているように見えた。

ただ朝露に濡れているだけだ。泣いているなんて、そんなことはあり得ない。本当に泣いているのは。本当に、泣きたいのは。ほんとう、は。

そうして抱き締めように両手で青薔薇を握り締め、そして。


「まあ!」

「ッ!?」


突然思考に割り込んできた愛らしい声に、ユエラは大きく身体をびくつかせた。

おそるおそる背後を振り向くと、そこには大層愛らしい顔立ちの御令嬢が立っていた。いつかと同じ青の、デザインだけ異なるドレスを身にまとっている。そのドレスもまた、彼女を愛らしく飾り立てていた。


「たかが庭師が、エリク様の薔薇に気安く触れるなんて!」


ツカツカと高いヒールを鳴らしながら歩み寄ってきた御令嬢は、唖然としているユエラの手から、あっという間に青薔薇をかすめ取った。

小鳥がその蜜をついばむように青薔薇を唇に寄せた御令嬢は、嬉しそうに微笑み、ちらりとユエラを一瞥する。


「売れ残りの醜い花が、尊き青薔薇に過ぎた想いを抱くなんて、身の程知らずにもほどがあるのではなくて?」


何も、言い返せなかった。勝ち誇ったように鼻で笑った御令嬢が、青薔薇を持ったまま、颯爽と目の前から、そしてリファルディの園から立ち去って行っても、ユエラは動けなかった。


――売れ残りの醜い花


御令嬢の台詞が、耳の奥で何度もこだまする。

その通りだと思った。売れ残りの醜い花。なるほど言い得て妙である、なんて、いつかと同じ感想を抱いて笑おうとして、失敗した。

代わりに、ぽたりと涙がこぼれた。

父を亡くして以来、もう泣くことはないだろうと思っていたのに、それなのにどうしてこんなにも涙があふれてくるのだろう。

いいや、どうしても何もない。解っている。解っていた。

ユエラは好きだったのだ。ずっとずっと前から、王子殿下が、エリクシル・エナ・ルゥ・アルレイシャ・シャンザイムという一人の少年のことが、好きで好きでたまらなかったのだ。

いつだって一生懸命な彼のことが好きだった。その優しさに何度救われたことだろう。彼がくれたオルゴールは、さびしい夜をいつだって慰めてくれた。

もとより叶うはずのない想いだ。気付くと同時に潰えた恋心だ。

気付きたくなかった。気付かないままでいたかった。気付かなければよかった。そうしてようやく理解する。自分はどれだけ最低な真似をしたのかと。

ユエラは最低な真似をした。

王子殿下に渡した薔薇の苗が咲かせるのは、黄色い花だ。

黄薔薇の花言葉は、薄らぐ愛、飽いた恋、別れの示唆。どれもこれもろくでもない花言葉ばかり。

何が「かしこまりました」だ。自分は結局、王子殿下の恋がこれで台無しになってしまえばいいと思っていたのだ。

すべて御令嬢の言う通り。ユエラのような醜い花は、花咲か娘としても失格の庭師は、恋をする資格なんてない。

ユエラはそのまま、その場にうずくまり、ひとしきり泣き続けた。

それからというもの、ユエラは徹底的に王子殿下を避けるようになった。

避けると言っても、ユエラの行動範囲は自宅とリファルディの園に限られているため、できることはと言えば、なんやかんやと理由を付けては庭仕事に専念しているふりをしたり、あるいは王子殿下をそれとなく追い出したりすることくらいだったが。だが、わざわざユエラがそういう風に動かなくとも、王子殿下の足も、リファルディの園から遠のきつつあったのだ。

以前よりも格段に減った彼の来訪に安堵していたのは最初だけで、自分が手渡した苗の意味に早くも気付かれ、お怒りを買ったのかもしれないと思うと血の気が引く思いだった。

怒りを買うだけならばいい。けれど、この後に及んでもなお嫌われるのだけは嫌だと思ってしまう自分の浅ましさに、ユエラはもう笑うことしかできなかった。


「なにが、『わらって』、なのかしら」


きっともう花咲か娘は、誰のためにも笑えないだろう。そうユエラは自嘲した。

そして、またしばらく。そろそろ王子殿下に渡した薔薇の苗が、うまく育てられたならば花開く頃合いだ。

これでとうとう最後通牒が突き付けられる。あの黄薔薇を受け取った御令嬢はなんて思うだろう。そうだ、よくよく考えてみてみれば、花言葉がろくでもなかったにしても、あの王子殿下が育てた薔薇なんてものを渡されて、喜ばずにいられるはずがない。結局、何もかも、ユエラの独り相撲なのだ。

ああでも、王子殿下は本当にお優しい方だから、黄薔薇の意味を知ったら、きっと傷付き悲しまれるだろう。

そのままユエラはこのリファルディの園をクビになるかもしれない。

それでいい、と思えてしまうから不思議だった。

今となってはもう、花咲か娘だなんて名乗れない、恋に敗れた醜い女が自分なのだから。



――――――――――それなのに。



「これを、受け取ってほしい」

「…………え?」



差し出された黄色い薔薇を前にして、ユエラは文字通り心身ともに凍り付いた。

なんだこれ。どういうことだ。

目の前には、顔を真っ赤にして、緊張にぶるぶると震えながら、どこか縋るような面持ちでこちらを見つめてくる王子殿下がいらっしゃる。

繰り返そう。なんだこれ。


「……この薔薇は、王子殿下が育てられたのですか?」

「そ、そそそそう、そうだよ! きみが譲ってくれた苗の薔薇が、今朝、やっと咲いたから、一番にきみに見せたくて、きみにあげたくて!」

「…………頑張りましたね」

「う、うん! 頑張ったよ! ユエラのためにって、頑張って咲かせたんだ!」


ほめてほめて! と、しっぽをブンブンと左右に振ってせがんでくる仔犬の幻影が見えた気がした。

おかしい、相手はかの青薔薇王子なのに。おかげで、ついつい勢いに負けて薔薇を受け取ってしまった。

淡く優しい色合いの黄薔薇。間違いなく、ユエラが王子殿下に譲った苗から咲く薔薇である。

いやいやいや、おかしくないか。おかしいだろう。なぜ自分に王子殿下がこの黄薔薇を渡してくるのか。

あ、アレか、花言葉の意味を知って、「きみとはもう金輪際、縁を切る!」というやつか。


「ユ、ユエラ!」

「はい」

「この、このリボン! その、覚えていないかな?」

「え? ええと………………あ」

「思い出した!?」

「え、あ、は、はい」


黄薔薇の茎に結ばれているのは、深い紅色のビロードのリボン。

これは間違いなく、昔、王子殿下に渡した、王妃殿下への紫の薔薇に結んだ、ユエラがかつて愛用していたリボンだ。


「は、母上に、返していただいたんだ! きみに、きみに告白するときは、絶対にこのリボンって決めてたから、だからっ!」


ちょっと待て。今、なんと仰った?


「……告白?」

「う、うん!」

「……どなたが、誰に?」

「ぼぼぼぼ、ぼ、僕が! きみに!」

「……何を?」

「だっ! だからっ! 僕はきみのことが好きなんだって……! 待って、なんでこんなこと改めて言わせてるの!? ユエラ、解ってて言ってるよね!?」

「いえ、そんな、こと、は」


それ以上は、言葉にならなかった。なんだこれ。

王子殿下が、私を、好き?

内心でその言葉を反芻して、それからユエラは、ぼぼぼぼぼぼぼぼっ! と、王子殿下に負けず劣らず顔が真っ赤になるのを感じた。その反応に色良いものを見たらしい王子殿下の表情に喜色が走るが、ユエラとしてはそうはいかない。

王子殿下が自分のことを好きだなんて、そんな都合のいいことがあってたまるものか。

好かれる真似なんて何一つしていないユエラが好かれる理由なんてない。この王子殿下、やっていい嘘と冗談の区別もできないのか。青薔薇王子の名が聞いて呆れる。

大体、もし、もしも、本当に、ユエラのことを好いていてくださったとしても。


「お許しください、王子殿下。お気持ちは大変光栄ですが、私などでは身分が……」

「ユフェリオゥラ・フラ・イラ・アマランザイン」

「ッ!?」

「きみの本当の名前だ。アマランザイン侯爵令嬢」


どもることなく、流れるように紡がれたその言葉に、ユエラは息を飲んだ。

なぜ。どうして、それを。

ユエラ自身と、今は亡き父、そしてアマランザイン家の者しか知らないはずの名前を、どうして王子殿下が知っていらっしゃるのだ。

呆然と王子殿下の顔を見上げると、彼は困ったように微笑まれた。


「悪いけれど、調べさせてもらったんだ。そのリボンの端に、魔力の照射で浮かび上がる家紋が刺繍されていたから、そこからちょいちょいと」

「え」


嘘だろマジか。ちょいちょいってなに。そんなの知らない。

父は教えてくれなかった。何一つ教えてくれないまま、死んでしまった。


「れっきとした侯爵令嬢でありながら、花を咲かせる以外の魔力を持たないきみは、八歳の時に放逐された。母君により、王宮付き庭師のランディ・シーヴィスの手に渡ったと聞いているよ」

「~~~~だったら、なおさら解り切っているではありませんか!」


悲鳴のようにユエラは叫んだ。アクアマリンの瞳が驚きに瞠られるが、構ってなんていられない。感情が言葉となってほとばしる。


「わた、私では、王子殿下に釣り合いません……っ! 花を咲かせることができるからって何なんですか、何の役にも立てない私なんて、あなたの隣に立てるはずがないでしょう!」


だからユエラは、ユフェリオゥラ・フラ・イラ・アマランザインは、アマランザイン家から捨てられた。

アマランザイン家に生まれた者は誰しもが強力な魔力を生まれ持ち、王子殿下の癒しの魔力ほどではないにしろ、さまざまな奇跡を行使する。

花を咲かせることしかできないユエラは、役立たずの烙印を押され、アマランザイン家の恥とされた。

だからもうアマランザイン家なんてどうでもいい。ユエラの父は、後にも先にも、庭師だったランディ・シーヴィスただひとりだ。

そう思っていたし、これからもそのつもりなのに。それなのに王子殿下ときたら、そんなユエラの決心を、簡単に揺るがせてしまうのだ。


「僕は、怪我や病は癒せても、心は癒せない。でもきみの咲かせてくれる花を見た者は、誰もが嬉しそうに笑ってくれる」


そんなこと、どんな庭師にだってできることだ。ユエラだけの特別じゃない。アマランザイン家が求めた特別を、ユエラは持ち合わせていない。


「きみは今までいろんな花を僕にくれたね。青薔薇だけじゃない。この心に、たくさんの花を咲かせてくれた」


それなのにこの王子殿下は、そんなユエラを特別にしてくれるのだ。


「うっかりものの花咲か娘さん。黄色い薔薇の花言葉は、『あなたを恋します』。きみは本当に、素敵な薔薇を選んでくれた」

「ッ、あ、だって、そんな、そんなつもりじゃ……っ!」

「うん。違うんだろうなあと思ったし、正直僕の気持ちなんてバレバレだと思ってたからショックだったけど、母上がこの花言葉を教えてくれてね。だからこそ、僕はこの花をきみに捧げたい。そして、その代わりに、欲しい花があるんだ」


青薔薇王子と名高い王子殿下は、いつかの夜と同じようにユエラの前にひざまずく。


「きみが嫌なら、ユフェリオゥラとしてじゃなくていい。ただ僕は、ユエラという花が欲しい。僕の隣で、きみに、その花を咲き誇らせてくれないかい?」


やめてほしかった。勘弁してほしい。なんなのだこの王子様は。

いつものどもり癖はどこへ放り投げたのか。いつもだったら適当に言いくるめることだってできたのに、今はユエラの方が言いくるめられてしまいそうだ。

これはいけない。まったくもってよろしくない。


「私、花を咲かせることしかできません」

「花の絶えない国なんて素敵じゃないか」

「ずっと庭師だったんです。今更マナーも何もろくにできません」

「僕も下手くそだから一緒に練習しよう」

「アマランザイン家が内政に今以上に干渉してくるかも」

「うーん、それは困るなぁ……と、言いたいところだけれど、これでも僕は優秀なんだ。今更大きな顔はさせないよ」

「……私、二歳も歳上ですよ」

「年上の妻は金の靴を履いてでも探せという格言が東方にはあるよ」

「…………私で、いいのですか?」


王子殿下は、愛を意味する赤薔薇がほころぶかのように、顔を真っ赤に染めて、それは美しく笑った。


「きみじゃなきゃ、だめなんだ」


だったらもう、そんなの、ユエラの答えなんて、たったひとつに決まっている。


 

***



後日、青薔薇王子と名高い王子殿下が婚約されたと発表された。お相手はとある貴族の御令嬢である。

王子殿下よりも二歳歳上であるという彼女のことを何者かと訝しむ声は少なくはなかったが、かねてより王子殿下のあの青薔薇を用意し続けてきた御令嬢であると知れると、「なるほど、なるべくしてなったのか」と誰もが納得したという。


「ユエラ、今日も頼めるかい?」

「――はい、エリク様」


そして花咲か娘は、今日も王子殿下の隣で、立派にお役目を果たしている。

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― 新着の感想 ―
[一言] ステキな物語をありがとうございます。 薔薇のお世話は大変ですが、お話を読んで 私もお庭の手入れを頑張りたくなりました。 草引きひとつも大変な仕事。 庭師さんを尊敬しています。
[一言] 魔法使いの婚約者からきましたが、ステキなお話しをありがとうございました!
[良い点] 凄く良かったです。 ユエラ可愛い!王子がもっと可愛い‼ [気になる点] 青薔薇持っていった令嬢。王妃の為の薔薇を国王の許可無く持っていったら、高位ほど罪状重くなりそうですよね。 国王&王妃…
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