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第1話「遺言」

わが国の最重要機密にして特級監視対象者の朝は、未亡人とのふしだらな逢瀬おうせから始まった。


<報告書>

早朝、監視対象の起床を確認。

その後、近隣農家のミランダ夫人宅へ。

しばしのやりとりのあと、夫人から平手打ちを受ける。


補足:前日口説いていた女吟遊詩人との一夜を知られた模様


婦人の家を追い出され、帰路へ。

自室に戻ってからは大きな動きなし――


-----


大国レーヴェンブルクの上級魔導師ライア・ハーミストは、そこで静かにペンを置いた。


深呼吸をひとつ。


(……いったい私は何をしているんだ)。


監視対象者、エイミール・ヴァレン。


国王ヴァルハルトをはじめ、王国中枢の者たちが敵対諸国以上に恐れる男。

上級魔導師以上で構成される特務隊に常時監視を命じていること自体が、その異常性を物語っていた。


そのはずなのに。


いくら報告書をさかのぼってみても、記録されている内容といえば、町の女たちも鼻で笑ってしまうような醜聞ばかりだ。


(ようやく上級魔導師にまで上り詰めたというのに。こんな任務を、あと1年以上も続けるなんて……)


「変わりないか」

背後からレオル隊長の几帳面そうな声が飛んだ。


ライアは慌てて立ち上がり、敬礼した。

「本日も特別な動きはありません」


「そうか。これから対象のもとを、さる御仁が訪れるはずだ。発見次第、私に報告しろ」


「御仁? 王都オルフェリアから、とういことでしょうか?」


「ああ」


ライアは思わず目を丸くした。王都からの訪問者など、自分が赴任してからはじめてのことだった。しかも今ライアの赴任しているダーナ地方までは早馬を飛ばしても四日はかかる。普通の旅程であれば七日は必要な距離だ。


「何者ですか?」


「おまえが知る必要はない」


ライアは黙って頭を下げた。

レオルの返答だけで、かなりの大物であることが伺えた。


どちらにしろ、ライアはその一部始終を監視することになる。

相手が誰かは、すぐに知れるはずだった。


(少なくとも今日だけは、破廉恥な報告書を書かなくて済みそうだ)


――そう、「さる御仁」とやらが女でさえなければ。



§§§§§



マティアス・グラウナーがその森へ入ったのは、陽が傾きかけたころだった。


「こんな森の奥に引きこもっていたとはな」


ようやく見えた家屋を前に、思わず悪態をつく。だが、今のマティアスの顔には、大貴族としての貫禄よりも十年ぶりに会う者への緊張が色濃く浮かんでいた。


「マティアス様」

従者の一人が、不安げに馬を寄せてくる。

「今回のことが陛下の耳に入る心配は本当にないのでしょうか」


「念のため監視隊には話をつけてある。上に報告がいくようなことはない」


「しかし、《《かの者》》を監視しているのは我が国屈指の魔導特務隊です。一人残らず口止めするのは……」


マティアスは笑った。


「言っただろう、『念のため』だと。俺たちが今、誰のもとへ向かっていると思っている。あの男がたかが特務隊ごときに自分の領分を侵させるとでも?」


「それは――」


「実際、俺たちはもうやつの掌の上だ」


森に入った瞬間から感じた閉塞感は、十中八九この家の主の仕業だろう。

特務隊でさえ気づけないほどの微細な魔力が張り巡らせている。

同じ魔導を学んだ者が最新の注意を払い意識を向ければ、外界からの魔導が完全に遮断されていることがわかる。


相変わらず見事としか言う他ない。

顔には出さないまでも、内心舌を巻く。


マティアスはのどかな煙が立ち上る家屋の前で馬を降りた。

周囲に視線を走らせながら扉を叩く。


「俺だ。マティアス・グラウナー――」


「わかっている。さっさと入れ」

言い終えるより早く、家の中から声が返ってきた。


マティアスは従者たちに待機を命じ、一息ついて扉を開けた。


木と茶葉、そして古びた書籍の匂いがした。

棚という棚には大量の本が詰め込まれ、床にも、机にも、椅子の上にまで、あらゆる種類の本が山のように積まれている。


中央のテーブルには、すでに二人分の紅茶が並べられている。

その向こう側に座っていた男が、まじまじとマティアスを見つめていた。


「おまえ……めちゃくちゃ老けたな」


家主であるエイミール・ヴァレンの――黙ってさえいれば――端正の顔立ちが、心底気の毒そうに歪んでいた。


「十年ぶりに会った兄弟子への挨拶がそれとはな」


マティアスはどさりと椅子に座り、目の前の紅茶を一気に飲み干した。


「誰がおまえのだと言った」


「わかっていると言っておきながらよく言う。わざわざ驚いた顔まで見せてくれるとは相変わらずいい性格をしているな」


「直接目にした感想を言ったまでだ。何の用だ」


「遠路はるばるやってきたんだぞ。この十年間の空白を埋めようともしないのか」


「あいにく男と長々話す趣味は持ち合わせていない」


「女には相手にされないか、こっぴどく突き返されるかのどちらかだろう。今日は後者だったようだな」


「どうしてわかる」


「独り身でも鏡くらい見ろ、くっきりと手形が残っているぞ。そしておまえに平手打ちできるのは女だけだ」


「三十五の色男がこうまで拒絶されるとはな……まさに女性は大いなる謎と魅力に溢れている」


マティアスは床に落ちていた本を一瞥いちべつし、鼻を鳴らした。


「その大いなる謎を解明するための文献が『情熱的な一夜のために』か」


エイミールが視線を向けた瞬間、「情熱的な一夜のために」は情熱的な勢いで棚の隙間に吹っ飛び、ぴたりと納まった。


相変わらず見事なまでの無言詠唱だった。

予備動作も一切ない。

しかし使い方は完全に間違えていた。


「……なんの用だ」


エイミールの声があからさまに低くなる。


マティアスは大きく息をつくと、まっすぐエイミールを見つめた。


かつて、その瞳と敵対した者はことごとくほふられていった。


今まさに、マティアスも同じような緊張を強いられていた。

普段より饒舌になっていたのは、十年ぶりに再会したせいだけではない。


――ひとつの時代を終わらせた男。

それが、マティアスの前に座っている者の正体だった。


マスター・フローラが亡くなった」

そう告げても、エイミールに目に見えた変化はなかった。


「――そうか」

一言口にし、夕暮れの空へと視線を投げる。

「逝ったのか、ばあさん」


「一月前のことだ」


「『退屈すると心臓がぎゅっとする病』に、とうとう負けてしまったな」


マティアスは真顔でうなずいた。

「最後は立ち上がることもできなくなっておられた。常に何事かに取組んでいないと気が済まなかったマスターにとっては、さぞ苦痛だっただろう」


「……ここへ来た目的はそれだけか。マティアス・グラウナーほどの重鎮がここへ来ることの意味を、少しは考えてみたか」


「むろんだ。俺は今、久方ぶりに休暇をとって避暑地バルツに滞在していることになっている」


エイミールはいぶかしげに首を傾げた。


「知らせる方法などいくらでもあっただろう……まさか、俺の顔が見たかったなんてことは――」


「マスターの遺言を預かってきた」

エイミールの言葉を遮りながら、懐から封蝋付の手紙を取り出す。

「直接手渡すように言い付かった」


「遺言? 俺に?」


「ああ」


「ろくなことが書いていない気がする」


「おそらくその勘は当たっている」


「死に目には呼ばないくせに小言は残すのか。最後までばあさんらしい」


エイミールが苦笑すると、目尻にくしゃっとしわが寄った。

「老けた」のはお互い様だろうと思った。


「開けんのか」

マティアスが言う。


「すさまじく嫌な予感がしている」


「安心しろ。それも当たっている」


エイミールは諦めたように封蝋を破った。


取り出した手紙に目を通す。

視線が数度、紙面を往復した。


やがて顔を上げたその表情には、困惑という名の感情がありありと浮かんでいた。


「どういうことだ」


エイミールが無言で手紙を差し出してくる。

フローラから話は聞いていたが、マティアスも手紙の文面に目を通すのは初めてだった。


-----


――最愛にして最悪の弟子、エイミールへ。


いい加減、引きこもるのをやめて出てきなさい。

そのために、おあつらえ向きの役目を与えます。


私が創設した私設学府『アルヴェイン』を、あなたに託しましょう。


そこには、まだ自分が何者なのかを知らない若者たちがいます。

世間から見放されてしまった彼らを、エイミール・ヴァレンその人の手で、育て上げてほしいのです。


あなたならきっと、彼らに道を示すことができるでしょう。

私があなたに遺す、最後の授業です。


追記

詳しい話はマティアスに伝えてあります。

二人ともいい歳なんだから、あまり子供じみた喧嘩をしないように。


フローラ・ナイツェル

本作をお読みいただきありがとうございます。

話の区切りがつく20話前後までは毎日更新していく予定です。


「面白い」、「続きが気になる」と思ってくれた方は、ブクマおよび評価で応援していただけたら幸いです。とても励みになります。



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