第2話 ごみ山の神威(二)
普通の鉄なら、とっくに錆びて土に還っている。
だが旧世界の金属は、そう簡単には朽ちない。
曲がった支柱。割れた透明板。中身の抜かれた球体。ひしゃげた車輪。細いケーブルの束。用途のわからない箱。
その山の中腹に、何かが埋まっていた。
最初に見えたのは、足だった。
黒ずんだ金属の脚部。
動物の後ろ足のように関節が折れ曲がり、先端には爪のような接地部品がついている。
サトは足を止めた。
「……あれ、今、動かなかったか?」
「何が?」
「あの足」
「ゴミだろ」
「ゴミは自分で動かない」
「旧世界のゴミはたまに動く」
「それはもうゴミじゃなくて危険物だ」
サトは慎重に近づいた。
足は、山の下から突き出していた。胴体は金属くずに埋もれて見えない。周囲には古い配管と板材が重なっており、少し崩せば全体が滑り落ちそうだった。
「おい、危ないぞ」
「わかってる」
サトは鞄から短い工具を取り出し、上に乗っている板を一本ずつ外していく。ロッカがため息をつきながら手伝った。
「また拾う気か?」
「まだ何かはわからない」
「わかった時には拾ってるだろ、お前は」
金属片をどかすたびに、埋もれていたものの姿が少しずつ現れた。
四本の脚。
細長い胴体。
背中に折り畳まれた装甲板。
首のように前へ伸びた部分。
そして、獣を思わせる頭部。
ただし、それは生き物ではなかった。
全身が機械だった。
大きさは、大型の狼ほど。
いや、狼に似せて作られた機械と言うべきかもしれない。
外装はひどく傷ついていた。右前脚は途中でひしゃげ、背中の装甲は何枚も剥がれ、腹部からは細い配線が垂れ下がっている。頭部の片側は潰れ、片目にあたる光学部品は部品が剥き出しだった。
それでも、もう片方の目にあたる部分だけが、かすかに青く明滅していた。
「……四足歩行型の…機械狼?」
サトが呟くと、背後から別の作業員が近づいてきた。
「あれ、こいつ…」
年配の男だった。名前はガラ。観測士の古株で、このあたりの古い話に詳しい。
「知ってるのか?」
「歩く案山子じゃないか」
「案山子?」
「このあたりじゃ有名だったんだよ。ずいぶん昔から、山の中をうろうろしてた旧世代の機械だ。畑の端に立ってたり、獣道に座ってたり、夜中に光ってたりな」
「何のために?」
「知らん。獣避けとも言われてたし、道案内とも言われてた。子どもを追い払ったって話もあれば、迷子を街道まで連れてきたって話もある」
「それ、案山子なのか?」
「じゃあ何だ。狼か?」
ガラは興味なさそうに鼻を鳴らした。
「そういやここ数年見なかったけど、ついに壊れたんだなぁ」
それだけ言うと、彼は肩に担いでいた道具を持ち直した。
「おい、サト。そんなもん掘っても金にはならんぞ。中身はもう抜かれてるだろ」
別の作業員が笑った。
「調査員としては優秀なんだけどなぁ。如何せん、多趣味すぎる」
「見ろよ、もうこいつのパーツはぼろぼろじゃないか。溶かしてフライパンにでもした方が役に立つって」
「でも旧世界の金属って溶けないんだよなぁ。どうやって作ったんだよ、これ」
「溶けないなら鍋敷きだな」
「重すぎるだろ」
周囲の者たちは口々に好き勝手なことを言いながら、やがて自分たちの作業に戻っていった。
彼らにとって、それは壊れた機械だった。
昔は少し不思議なものだったかもしれない。
だが、今はただの残骸だ。
サトも、そう思うべきだった。
遺跡調査はまだ終わっていない。午後には排水制御機の修理もある。街に戻れば、昨日預かった小型発電器の調整も待っている。
壊れた四足歩行の大型機械を直す余裕など、どこにもない。
サトは立ち上がろうとした。
その時。
「……きゅぅん」
小さな音がした。
風の音ではなかった。
金属の軋みでもなかった。
それは、ひどく弱々しい鳴き声のように聞こえた。
サトは動きを止めた。
「今の、聞こえたか?」
ロッカが眉をひそめる。
「何が?」
「鳴いた」
「誰が」
「こいつが」
サトは壊れた機械を見下ろした。
青い片目が、ほんの一瞬だけ強く光った。
まるで、こちらを見たようだった。
サトは膝をついた。
頭部の外装にそっと手を触れる。冷たい。けれど完全には死んでいない。奥のどこかで、小さな振動があった。止まりかけの心臓のような、細く不規則な震え。
「まだ……動いてる」
「そりゃあ旧世界機械だからな。壊れてても変な反応くらいするだろ」
「違う」
「何が違うんだ」
サトは答えられなかった。
理屈ではない。
ただ、その音が。
そのかすかな震えが。
まだ終わりたくない、と言っているように思えた。
生きていたい。
動きたい。
誰かの役に立ちたい。
そんなふうに聞こえた。
もちろん、機械がそんなことを思うはずはない。
旧世界機械に意思があるなど、まともな人物なら笑うだろう。
だが、サトは知っていた。
長く使われたものには、何かが残ることがある。
人の願い。獣の恐れ。森の記憶。精霊の気まぐれ。
それが本当に意思なのか、ただの故障なのか。
サトにはわからない。
けれど、目の前の機械を、このままゴミ山に埋め戻すことだけはできなかった。
「……修理したら、番犬代わりにならないかな」
ロッカが目を丸くした。
「本気か?」
「夜、修理小屋の裏に獣が来るだろ。あれ、困ってたんだ」
「番犬が欲しいなら犬を飼え」
「餌代がかかる」
「こいつは修理代がかかる」
「部品は拾えばいい」
「拾った部品で直るような状態に見えるか?」
サトは改めて機械狼を見た。
右前脚は歪んでいる。背中の装甲は欠損。内部の駆動系も怪しい。頭部のセンサーは半壊。電源系も、おそらくまともではない。
普通に考えれば、無理だった。
「見える」
「嘘つけ」
「少なくとも、見たい」
ロッカはしばらく黙ってサトを見ていたが、やがて大きく息を吐いた。
「お前なぁ……」
そこへ、作業に戻っていたガラが振り返った。
「サト、まさか持って帰る気か?」
「うん」
「やめとけ。そいつは昔から変な機械だった。夜中に山で光るし、勝手に歩くし、たまに人の後ろをついてくるし」
「それ、ちょっとかわいいな」
「かわいくはない。まあ不思議と怖くもなかったんだが」
別の作業員が笑う。
「まあ、サトならちょうどいいんじゃないか。変な機械には変な修理屋だ」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めてない」
「運ぶの手伝ってくれ」
「ほら来た!」
ロッカが天を仰いだ。
「調査はどうするんだ」
「後でやる」
「排水制御機は?」
「夕方までにやる」
「小型発電器は?」
「夜やる」
「寝る時間は?」
「考えないことにする」
「観測士としては優秀なんだけどなぁ……」
ロッカは呆れたように言いながらも、機械狼の胴体下に手を入れた。
「重っ。何だこれ、石か?」
「旧世代の高密度合金だと思う」
「だから何でそんなもんで狼を作るんだよ」
「丈夫にしたかったんじゃないか」
「丈夫ならゴミ山に埋まってないだろ」
もっともな意見だった。
サトは苦笑しながら、機械の頭部を支えた。
その時、青い片目がまたかすかに光った。
「きゅ……」
今度は、鳴き声にもならないほど小さな音だった。
サトは思わず手を止める。
「大丈夫」
なぜそんな言葉が出たのか、自分でもわからなかった。
「直せるかどうかは、まだわからない。でも、ここよりはましな場所に連れていく」
壊れかけの機械狼は答えなかった。
ただ、サトの手の下で、ほんのわずかに震えた。
その震えが、少しだけ安心したように思えた。
遺跡の上を、風が通り抜ける。
崩れた塔の隙間から朝日が差し込み、ゴミ山の金属片をきらきらと照らした。誰にも見向きされなかった残骸の中で、古い機械の片目だけが、消えかけの星のように瞬いている。
サトはそれを見て、なぜか胸の奥が少し熱くなった。
名前も知らない。
何のために作られたのかもわからない。
なぜ山をさまよっていたのかも、どうしてここで壊れたのかもわからない。
けれど、ひとつだけわかることがあった。
こいつはまだ、終わっていない。
「よし」
サトは工具鞄の紐を結び直し、機械狼の首元を支えた。
「帰ろう」
ロッカが呆れながらも笑う。
「街まで運ぶの、俺も手伝うんだよな?」
「頼りにしてる」
「そういうところだけ素直だな」
ガラが遠くから声を飛ばした。
「おーい、サト! そいつ直したら、畑の鳥でも追わせてくれ!」
「動いたらな!」
「動かなかったら?」
サトは少し考えた。
腕の中の機械は重く、冷たく、ひどく壊れていた。
それでも、どこか不思議な存在感があった。
まるで、長い旅の途中で倒れただけの獣のように。
「その時は、うちの工房で寝かせておく」
「場所を取るぞ!」
「片付ける」
「お前の工房に、片付ける場所なんかあったか?」
周囲からまた笑い声が上がった。
サトも笑った。
そして、壊れかけの機械狼を抱えるようにして、街へ向かって歩き出した。
背後では、旧世界の遺跡が静かに光っていた。
簡易探査槍の結晶板が、淡く揺れている。
その光が、ほんの一瞬だけ、サトの腕の中の機械へ流れ込んだように見えた。
だが、誰もそれに気づかなかった。
もちろん、サトも。




