救世主?
「お嬢さん、どしたんよ?」
涙も枯れ、すっかり疲れ切ってしまった頃。全身は完全に冷え込んでしまっており、指先に至ってはとうに感覚など失われてしまっていた。
「・・・・・」
顔を上げるのも面倒だったが、ぼんやりと足元より少しばかり前を見ると、誰かの脚が五、六本ほど見えた。
「寒いやろ、そんな恰好じゃ」
先程とは違う、別の人間の声だった。その主らしい人物は、そう語り掛けるなり何かの布を、鑑奈の背中に優しく掛けてきた。コートだろうか。ほのかに温もりが残っており、わざわざ彼女のために脱いで渡してくれたのであろうことまでは理解できた。
「もしかして、家出でもしたん?」
また別の声がした。どの声も、男のものだったが、どうやら同世代ではないらしい。少なくとも、若々しいものではなかった。
「・・・・・」
「大丈夫かい?」
その時、一人が鑑奈の前にしゃがみこみ、彼女の頭をそっと撫でた。気持ちが完全に沈んでいた分、大して抵抗があったわけでも、その行為に癒されたわけでもなかったのだが、ふと鑑奈は顔を上げてしまった。
「ありゃ、ずいぶんと泣いとったんやなぁ。
せっかくの可愛い顔がぐしゃぐしゃになっとるばい」
顔にかかった前髪を耳の方へと掛けながら、その男は言った。彼は、二十代半ばくらいだろうか。頭はオールバックにしており、こめかみ辺りには何やら大きな傷跡が目立っていた。鼻にも耳にもピアスがごてごてと付いており、一目でもまともな人間でないことは見てとれた。
「大丈夫かい?
立てるかいね?」
しかし見た目に反して、彼の言葉や口ぶりはとても優しかった。だが、鑑奈にはそれが逆に恐ろしく感じた。彼の特徴をひとつひとつ確認するごとに、呆としていた頭が段々と明瞭さを取り戻していき、しかしそのころには既に彼女は立ち上がり、彼に手を引かれ始めていた。
「ほら、ここじゃ寒いけ、どっか屋内にでも入ろうや。
上手い飯でもおごっちゃるけん」
「ぁ・・・・・、・・・・・ぅ」
脳内で急激に増幅する恐怖が、彼女の声帯を麻痺させた。手を引く男以外の二人も、見るからに繁華街の住人らしい格好をしており、いつの間にか彼女を囲うように立っていた。
「ほら」
相変わらずの優しい口調で、しかし彼の手を引く力は次第に強くなっていった。それでも彼女は「痛い」とすら発音することもかなわず、前から手を引かれ、後ろから背中を押され、弱々しくも必死の抵抗もむなしく、段々と元いた場所から離れ始めていた。
(いや・・・!
誰か、誰か助けて・・・・!)
心の中では、絶叫すらしていた。しかし、不思議とそれが声になり発信されることは無かった。思いは枯れたはずの涙となって流れるばかりで男たちの力も強く、逃れられる術も希望も、皆無に感じられた。
そうして、諦めかけたその瞬間のことだった。
一台のバイクが、手を引く男目掛けて突っ込んできたのである。
「ぅわッ⁉」
そのバイクは一切の容赦もなくやってきたため、慌てて男たちは咄嗟に鑑奈を手放し、転がるように回避した。一方で、鑑奈は動くことすらできず、ただただ目をぎゅっと瞑って顔を逸らしていた。
すると、そのバイクは鑑奈の目の前でドリフトをするように止まった。
「・・・・???」
恐る恐る目を開けると、バイクは鑑奈と三人の男との対角線上に、鑑奈に背を向ける形で男たちと対峙していた。それはさながら、彼女を庇っているようにも見えた。
「てめぇ‼
ぶつかったらどうするつもりなんやゴラァ‼」
「危ねえやろうがちゃ‼ あぁ‼」
青筋を立て、威勢よくオラつく男たちを前に、そのライダーはヘルメットを取らないままゆっくりとバイクを降りた。その所作に一切のおびえは感じられず、背中からもその堂々たる気勢は伝わってきた。
「おい、どけや。
そこのお嬢ちゃんが寒がっとるけ、暖かいとこに連れてっちゃろう思うただけや」
「邪魔ッち言いよんや、早よどけ!」
眉を歪め、首を前に突き出しながら脅迫する男たちに、鑑奈は思わず目を逸らした。逃げなければ、本当に危ない。そう頭では分かっていたのに、彼女の脚はがくがくと震え、まるで足裏から地面へと太い根が張っているかのように、全く動く気配がなかった。
そんな中、顔を見せないままのライダーは不意に、自らのライダージャケットの袖を、片腕のみ捲し上げ始めた。
「?」
無言で捲し上げるものだから、男たちも、その怒声につられやって来た野次馬たちも、皆が彼に注目した。
そうして彼が見せた、彼の腕は。
「ぅっ・・・・」
思わず、息をのんだ。別段太いわけでもなければ、刺青があるわけでも、傷跡が残っているわけでもない。
しかし確かにその腕からは、何か恐ろしいものが滲み出ていた。何かは分からない。人間に第六感があるとすれば、恐らくそれによって感じられるものだろうか。そういった類の、抽象的な感覚だった。
それでも、周囲を黙らせるには十分すぎた。男たちも、やはり喧嘩の経験などから人一倍察したのだろう。忌々しそうに舌打ちだけをその場に、どこかへ立ち去ってしまった。
「・・・・・」
それを見届けながら、ライダーは袖を元に戻し、それと同時に集まっていた野次馬たちも残念そうに解散していった。
そして、恐怖からの解放で思わずその場にへたり込んでしまった鑑奈の方を振り向いたライダーは、少し彼女を眺めるなり、荷台に載せていた買い物袋を何やら漁り始めた。
「晩飯は食ったんか?」
袋を漁りながら、遂にライダーは声を発した。そのことにびっくりし、すぐには答えられなかったが、鑑奈は力なく返事をした。
「なら、これ飲んでさっさ家に帰れ」
ぶっきらぼうにそう言って、ライダーは座り込んだままの彼女に、袋から取り出した何かを手渡すなり、さっさとバイクに跨り、そのまま走り去っていってしまった。
「・・・・・」
呆気にとられたまま、ぼんやりと手の内へと目をやると、それはほうじ茶の入ったペットボトルだった。それもまだ買ったばかりなのか、熱いくらいに温まっていた。
「・・・・あったかい」
そっとお茶を頬に擦りつけながら、彼女はフラフラとした足取りで帰路についた。




