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最終話:杏、こっちを向いて

 さすがに疲れたのか、みんな試合後に近くのファミレスに向かう中、俺は悔しさが拭いきれずそのままの姿でバッティングセンターに一直線に向かった。膝も手のひらも消毒してもらったとはいえまだまだジンジンする。でも、今日の悔しさは今日晴らさないと気が済まない。


 カバンを放り投げるようにベンチに置いて、早速回数券を購入し、全部をコインへと換えた。これで12ゲームできる。1ゲーム30球、12ゲームで360球か。それだけ打てば少しはマシになるだろう。


「あ、やっぱりここにいた」


 背後から聞き慣れた声がしてハッとした。

 杏だった。


「長澤今日散々だったもんね。蘭ちゃんが言ってたよ、ここじゃないかって。悔しくて練習してたんでしょう」


「うるせ。冷やかしなら放っておいてくれよ」


 本当は慰めてほしい。労ってほしい。でもそんなこと言えるような立場じゃない。もっと格好良いところを見せたかったんだ。こんなところ見せられるわけがない。


「そうなの? じゃあ、帰るね」


「ああ、えっと……そうだ、今日動画撮ってたじゃん? 俺のも撮ってよ。あの、バットの角度とか? タイミングとか? 見て研究したいなって」


 それらしいことを並べてみるが、本心はそこではない。ただ杏を引き止める。一秒でも一緒にいる時間を作る。それだけのために。


「いやあれ蘭ちゃんの動画用だし。ま、でも、しょうがない。マネージャーじゃなかったらとっくに帰ってるよ?」


 そう言って自分の携帯電話を取り出しセットする杏。俺だけを撮ってくれる準備をこんなにもすんなりしてくれた杏に、徐々に歯止めが効かなくなる。どうしよう。格好悪いところばかり見せてしまって、情けない俺しか杏は知らないと思うし、でも、こんな所まで探しに来てくれているのは単にマネージャーだからだとは思えないし、でも、でも……。考えすぎる俺はいつもタイミングを外している。今回もハズすべきなのか、それとも。


 いや、逃げちゃダメだ。シンクロ打法の奥義は、とにかく相手のことを考えて、相手にできるだけ自分を合わせに行くということ。杏は来てくれた。理由はなんだって関係ない。来てくれたという事実がある。ここで逃げてたら空振りして試合終了だ。一か八か、フルスイングしてみるしか無い。俺は打席に入る前のネットの一歩手前で立ち止まり、杏の方を向いた。


「ビデオは、やっぱいいや」

「え? でも撮ってって言ったのは長澤じゃーー」

「ビデオじゃなくて、俺を直接見てほしい」

「え?」


 ふぅっと一息つき、勢いに任せた。もうどうにでもなれ。


「ごめん、こんな格好悪い俺だけど、付き合ってくれませんか?」


 なんて言ったのか、ここまでどうやって杏と会話していたのか全く頭には残っていない。でもたしかに今俺は杏に告白できたはずだ。高校時代に出来なかったこと、それも一番気がかりだったことを、やっと達成することが出来た。外気は冷たいはずなのに、手汗はものすごいことになっている。


「じゃあ……ホームラン打ってたい焼きもらえるなら付き合ってもいいよ」


「えっ」


 付き合っても良い?

 付き合えるかもしれないチャンスがある?


 このバッティングセンターには2枚のホームランボードがあり、そこに当たれば駐車場にあるたい焼きがひとつ無料でもらえる券がもらえる。しかし投げてボードに当てたらカウントされない。つまり、打ち返して当てないといけないのだ。


 でもやってやる、絶対に当ててやる。杏と付き合えるチャンスがあるならなんだってやってやる。ちょうど良い球速のところを選んで入ると、杏は今度はカメラを一切構えず、俺の方を真っ直ぐに見据えてくれていた。


 まずはコイン一枚目。発射口をよく見て、合わない映像にタイミングを合わせないように振り抜く。空振り。まぁ、最初はこんなもんだ。手のひらの感覚もさっきの擦り傷でだいぶハンデがある。まぁ数球は仕方がない。これからだ。


 しかし何球やっても当たらない。結局、1枚目はボールには当たるようにはなってきたがほとんど前には飛ばなかった。


 続いて二枚目。今度はかすったりする打球は多くなったけど、投手が移されている画面を越えることはなかった。


 3枚目、4枚目ともにボールが発射される場所を超えるようにはなったが、なかなか的には当たらない。ボードがやけに小さく感じてくる。その間も杏はじっと俺だけを見つめてくれていた。ふざけて休憩と言えるような雰囲気でもなく、他にお客さんもいないため、誰も間に入ってくるような人はいない。テレビから流れる雑音、轟々と鳴るマシンの駆動音。それ以外には冷たい風が時折ふく以外になにもない。二人っきりの空間。


 5枚目、6枚目、7枚目とコンスタントに前に飛ぶようになってきたが、なかなかボードには当たってくれない。焦りで空振りも増えてきた。それ以上に、怪我している手のひらに感覚がなくなってきた。あれから連続で7ゲームもしているため、体力的にも限界を迎えようとしている。


 しかし杏の姿勢は変わらない。それ以上に、俺もここで諦めるわけがない。気力勝負。最後は精神力でこの壁を乗り越えてやる。でもやっぱり気力だけではどうにもならなかった。8枚目はもうぼろぼろ。途中からバットを握ることすらできなくなって、一旦休憩を申し入れた。


 残り4枚。あと4ゲームでなんとかしてボードに当てないと。杏は俺と付き合ってくれない。その杏本人は、俺の挑戦が一旦休止したのを見て、無言で今度は自分の番と言いたさげに受付で数枚コインを買って、仕事帰りにいつもしているのだろう、一番端っこの一番遅い球でバッティングを始めた。無言で淡々と打ち続ける杏。杏だってさっき試合に出ていて疲れているはずなのに。まるでお手本を見せるように、ただ淡々と打ち続ける。


 シンクロ打法はこうやるんだよ。

 そう言いたさげに。


 杏が何ゲームか打ち終わって、俺もちょうど手の感覚が戻ってきて呼吸も落ち着いてきたので、再チャレンジすることにした。俺も意地を張ってしまって無言で打席に入る。杏はやはりじっと俺の方を見続けている。


 あと4ゲームしか無い。焦りで空振りが積み重なっていく。高く上げようとアッパースイングになり、自分の打撃フォームを見失った。引きつけるのをやめて、前で捉えることで距離を近くする作戦もやってみた。でも当たらなかった。あと3ゲーム。


 前で、前で。高校のときに教えられた通りの打撃で。いつしかシンクロ打法なんて忘れて、高校時代のフォームで打ち続けていた。前には飛んでいる。惜しい当たりもあった。でも、当たらない。当たったら鳴るはずの音がぜんぜん出ない。あと2ゲーム。


 もはや体力勝負、気力勝負になっていた。すでに体は柱を失い、力強さはその欠片も感じられ無いようなスイング。前に飛んだとしても、画面の中の投手に命中するだけ。的が遠く、小さく感じられる。もうダメかもしれない。一瞬それがよぎった。あと、1ゲーム。


 最後の一枚だから、もうこれで決めるしか無い。ここで決められるかどうかがこの半年間の成果に直結する。高校時代にやり残した青春を謳歌するための半年。修学旅行もやり直し、高校野球もやり直し、あとは恋愛をやり直すだけ。今はその真っ只中にいる。俺は全神経を集中させた。

 あと30球。前に飛ばない。

 あと20球。打球が上がり始めた。

 あと10球。的をかすめた!

 あと5球。自分のフォームがどうなったかなんてもう関係ない。

 あと3球。やばい、もうチャンスがない。

 あと1球。ボールは的を大きくハズした。


 俺は勝負に負けた。ダメだった。杏になんて言ったら良いのか分からず、とりあえず体力の限界になったので、その場にしゃがみこんだ。すると杏が無言のまま打席に入ってきた。本来一人しか入れない打席に、杏が入り込んできたのだ。


「ここにもう一枚あるよ。一緒にもう一回チャレンジしよう」


 まさかと思った。さっき俺は12枚しか持っていなかったはずなのに。なんで。

 それは、杏がさっきコインに変えたうちの一枚だった。杏はしゃがみこんで俺と同じ目線になって、ポケットからそれを取り出し、優しく微笑んできた。


「シンクロ打法で引きつけて」


「でもこの映像合わないから……」


「良いから! マネージャーの言うことを聞く!」


「はい!」


 俺はもう一度気を取り直して、コインを入れ、13回目の挑戦に向かった。


「シンクロ打法で、惹きつけて」


 もう一度杏がそう言った。しっかり手元に来るまで引きつけてから打つ。焦って早く振ってしまったり遅れたりしてタイミングが崩れてしまう俺がいつも言われること。それに加えて、それは野球にとどまらず、杏を惹きつけることにもなるんだ。それにやっと気付いた。杏は俺にずっと暗号を送ってくれてたんだ。なんだか打てそうな気がした。いや、打てる。


「はい!」


 画面の中の投手が足を上げる。俺も足を上げる。投手がテイクバックに入る。俺も始動する。投手が投げ込む。そして俺が踏み出す。あとはボールを良く見て振り抜くだけ。杏が手当してくれたガーゼが手のひらの傷口に食い込む。でも痛みを感じる前に、ボールに集中した。


「そこだ!」


 打球はまっすぐボードに向かって飛んでいった。パーンと跳ね返り、質の悪い安っぽい音が静まり返った空間に響き渡る。まさか。打てた。本当に打てたんだ。杏の方を見ると、くすっと笑って頷いてくれた。


 そしてわかった。杏と俺がシンクロすることが、本当のシンクロ打法だったのだと。


「杏、俺!」

「うん」

「俺と、付き合ってくれませんか!」

「うん、よろしくおねがいします」


 杏はそう言って、一足先にもらっていたたい焼き無料券を俺に差し出してくれた。それは、俺と杏がはじめて一体となって手に入れた幸せの証になった。


「私がいないと打てないでしょ?」


 もしかしたら杏は、俺が試合で打って格好良いところを見せてから告白しようとすることまで予想がついていたのかもしれない。だからこそ、こんな風に打てたら付き合うというゲームをあえて挑戦させてくれたんだ。男にちゃんと格好をつけさせてくれる。まさにマネージャーらしい、杏らしいやり方だ。


「お腹空いたし、たい焼き一緒に食べようか」


 そう言えばまだ昼飯を食べていなかった。杏も俺を探しに来たくらいだから食べていなかったのだろう。俺は杏と一緒に、たい焼き無料券を挟んで手を繋いだ。冬空の下、手汗がじんわりとたい焼き無料券に染み込んでいく。でも決して破けない紙切れ。ゆっくり歩いたはずなのに、駐車場のたいやき屋までがやけに早く感じた。


             完

最後まで読んでくださりありがとうございました。

また他の作品でお会いできることを楽しみにしております。(柿原凛 2019.3.21)

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