目指すこと
数日後。
星氷神城・アストラルグレイシアの庭には、柔らかな日差しが降り注いでいた。
花壇には色とりどりの花が咲き、噴水からは澄んだ水音が響いている。庭を囲む木々は風に揺れ、葉の隙間からこぼれた光が石畳の上に淡い模様を描いていた。
そんな穏やかな庭の真ん中を、ひとりの男が全力で走り回っている。
「ふははははは!! 見よ! この華麗なる復活を!!」
青いマントを翻し、金髪を揺らしながら駆け抜けるカイル。
その走り方は、どう見ても散歩ではなかった。庭の端から端まで走り、噴水の前で急停止したかと思えば、今度は花壇の周りをぐるりと回っている。
「俺は完全復活した!! イケメンで完璧な勇者、カイル!! ここに復活だぁぁぁ!!」
遠くから、庭師の困惑した声が飛んできた。
「カイル様! 花壇には入らないでください!」
「当然だ! 俺は花を愛する勇者だからな!!」
そう言いながら、カイルは花壇ぎりぎりを駆け抜けていった。
その様子を、庭の東屋で千乃と真銀が並んで眺めていた。
千乃は椅子に腰掛け、手元の紅茶をひと口飲む。真銀は隣に座り、走り回るカイルを静かな目で追っていた。
「……元気になったねぇ」
千乃が呟く。
「元気になったというより、元気が余っているように見えるな」
「うん。医務室であんなに寝てた反動かな?」
「それもあるだろうが、あれは元からだろう」
「たしかに!」
二人は顔を見合わせて、くすりと笑った。
カイルは今度、庭の中央で剣を抜く真似をしている。
「ここで一度、華麗に決める!!」
「カイル様、剣は抜かないでください!」
「分かっている! これは素振りの構えだ!!」
「構えだけにしてくださいね!」
庭師の声に、カイルは胸を張って頷いた。
千乃は紅茶のカップを置き、頬杖をつく。
「……平和だねぇ」
「ああ」
真銀も庭を見渡した。
穏やかな風。花の香り。遠くから聞こえるカイルの声。城の中からは、誰かが笑う声も聞こえてくる。
大きな戦いがあったことなど、少しずつ遠い出来事になっていくようだった。
しばらく二人で庭を眺めていた真銀が、ふと思い出したように口を開いた。
「千乃」
「ん?」
「お前は、何か目指していることはあるのか?」
千乃は目をぱちぱちと瞬かせた。
「目指してること?」
「ああ。これから先、やりたいことでも、叶えたい願いでもいい」
千乃は少し考えるように視線を上げた。
庭の向こうでは、カイルが走る方向を間違えたらしく、噴水の周りをぐるぐる回っている。
「……地球に帰ることー」
千乃は、いつもの明るい声で答えた。
「地球に?」
「うん!」
真銀が千乃を見る。
千乃は両手を膝の上に置き、穏やかな笑みを浮かべた。
「住むのはもうここで変えないけど。帰って、地球のみんなに会いたいなぁって。家族にも、友達にも。でも、一旦死んでるからねぇ。」
その言葉には、迷いがなかった。
千乃にとって、今の暮らしは大切なものだ。真銀がいて、子供たちがいて、仲間たちがいて、帰る場所がある。星氷神城で過ごす毎日は、もう自分の人生の一部になっていた。
それでも、地球に残してきたものが消えたわけではない。
懐かしい景色。慣れ親しんだ空気。かつて一緒に過ごした人たち。ふとした瞬間に思い出す声や、何気ない日常。
もう一度、会いたい。
ただ、それだけだった。
「帰って、みんなに元気だよって言いたいし。こっちであったことも話したいし!」
千乃は指を折りながら、楽しそうに続ける。
「あと、地球のお菓子も食べたい! あっちのご飯も食べたい! それから、昔行った場所にも行きたいなぁ」
「なるほど。会いたい人も、行きたい場所も、食べたいものもあるわけか」
「そうそう!」
千乃は大きく頷いた。
「でも、帰ったとしても、ずっと地球に住むつもりはないよ。私はここが好きだし、真銀もいるし、みんなもいるから」
真銀は静かに千乃を見つめた。
「……そうか」
「うん。地球に帰るのは、戻るためじゃなくて、会いに行くためかな」
千乃は庭の向こうを眺めた。
「帰る場所が二つあるって、ちょっと素敵じゃない?」
真銀は少しだけ目を細めた。
「そうだな」
短い返事だったが、その声は柔らかかった。
千乃は真銀の肩に軽く寄りかかる。
「だから、いつか地球に帰る。それが今の目標!」
「なら、叶えよう」
「え?」
「お前が帰りたいなら、俺も一緒に行く。地球に住む場所を変えないというなら、帰って、またここに戻ればいい」
千乃は顔を上げた。
「……一緒に来てくれるの?」
「当然だろう」
真銀は、まるでそれが当たり前のことのように答えた。
「お前の目指す場所なら、俺も隣にいる」
千乃の表情が、ぱっと明るくなる。
「やったぁ! じゃあ、地球旅行だね!」
「旅行というには、少し大きな話だがな」
「いいじゃん! 地球旅行! 帰省旅行! 異世界からの里帰り!」
「最後のは、ずいぶん壮大な響きだな」
「だって本当だもん!」
二人が笑っていると、庭の向こうからカイルの声が響いた。
「千乃!! 真銀!! 見ていたか!? 今の走りは完璧だっただろう!!」
カイルは東屋へ向かって、勢いよく走ってくる。
千乃は手を振った。
「見てたよー! 元気そうでなにより!」
「当然だ! 俺はイケメンで完璧な勇者だからな!!」
「それ、走るたびに言ってない?」
「完璧さは何度でも伝えるべきだ!!」
真銀が静かに口を開く。
「……また走り出したぞ」
「ほんとだ!」
カイルは東屋の前で華麗に方向転換し、再び庭を駆けていった。
千乃はその背中を見送りながら、真銀の手をそっと握る。
「地球に帰るの、楽しみだなぁ」
「ああ。いつか必ず」
庭には、穏やかな風が吹いていた。
目指す場所は、遠い地球。
帰ってくる場所は、この星氷神城。
千乃の願いは、もうひとつの未来へ向かって、静かに動き始めていた。
そしてその横では、勇者カイルが今日も元気に庭を走り回っていた。
「ふははははは!! 完璧な勇者の庭園ランニング!! ふぇぇぇぇぇぇぇい!!!!!!」
「カイル、花壇に入らないでねー!」
「入らない!! 俺は花を愛する勇者だからな!!」
平和な庭に、今日も賑やかな声が響いていた。
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