王子、パイライト
数日後。
星氷神城に、一通の知らせが届いた。
「ルミナリア皇国から、正式な使者が?」
千乃が首を傾げる。
侍従が頷いた。
「はい。皇族の方が、直接こちらへお越しになるとのことです」
「皇族……?」
真銀も眉をひそめる。
「誰だ?」
「パイライト・ルミナリア殿下です」
「……パイライト?ルミナリア?」
千乃が首を傾げる。
「エリシアの弟?」
「はい」
その名前を聞いた瞬間。
真銀の表情が変わった。
エリシア。
かつて真銀に執着し、千乃と敵対した王女。
そして。
千乃が鬼月姫となった後、自らの手で討ち取った人物。
「……エリシアの弟か」
真銀が呟く。
「何の用だ?」
「それが……」
侍従が少し言い淀む。
「パイライト殿下ご本人から、訪問理由を伝えられております」
「なんて?」
「……千乃様との婚姻について、とのことです」
「…………」
静寂。
千乃が固まった。
「……え?」
真銀も固まる。
「……は?」
そして。
「婚姻?」
千乃が聞き返す。
「はい」
「誰と誰が?」
「千乃様と、パイライト殿下です」
「なんで!?」
千乃が思わず立ち上がった。
「私、真銀と結婚してるんだけど!?」
「もちろん承知しております」
「じゃあなんで!?」
侍従は困ったように続ける。
「パイライト殿下は、次期皇王であらせられます」
「うん」
「そして、千乃様を次期皇王であるパイライト殿下の后に迎えたい、と」
「いやいやいやいや!!」
千乃が両手をぶんぶん振る。
「無理だよ!?っていうか、嫌だよ?!」
真銀も立ち上がる。
「そもそも俺と千乃は夫婦だ」
「はい」
「その話、どう考えてもおかしいだろ」
「俺もそう思います」
侍従が即答した。
「なら断ってくれ!」
「ですが……」
「まだ何かあるのか?」
「すでに皇国から正式な親書が届いております」
侍従が封書を差し出す。
千乃が受け取る。
封蝋には、ルミナリア皇国の紋章。
「……」
千乃は封を開ける。
そして内容を読む。
「……次期皇王パイライト・ルミナリアの后として、千乃様を迎え入れたい……」
千乃の眉がぴくぴく動く。
「……なんで?」
真銀が隣から覗き込む。
「俺にも分からない」
「エリシアの弟なのに?」
「ああ」
真銀は親書を見つめる。
「……エリシアとは違う人物なんだろうが」
「でも、よりによって私?パイライトさんにとっては姉の仇でしょう?」
「そこだよな」
そのとき。
城門のほうから声が響いた。
「皇国の使者より、パイライト・ルミナリア殿下がお見えになりました!」
「早っ!?」
千乃が目を丸くする。
真銀が立ち上がる。
「直接来たのか」
「うん……」
千乃は親書を握ったまま、城門を見る。
やがて。
重厚な扉が開いた。
その向こうから、皇族の一団がゆっくりと入ってくる。
その中央にいる背がちっちゃくて、丸くて、個性的な顔立ちの青年が。
パイライト・ルミナリア。
ルミナリア皇国の次期皇王。
そして。
エリシア・ルミナリアの弟だった。
パイライトは千乃を見つけると、静かに歩み寄る。
「初めまして、千乃様」
「……初めまして」
千乃も警戒しながら返す。
パイライトは一度、真銀へ視線を向ける。
そして。
「突然の訪問、失礼いたしました」
「……いや」
真銀が答える。
「それで?」
真銀の声は、少し低かった。
「俺の妻に、何の用だ?」
パイライトは真銀を見る。
そして、静かに告げた。
「本日は、その件についてお話しに参りました」
「……」
「私は、千乃様を」
一瞬の間。
「次期皇王である私の后として、お迎えしたい」
空気が凍った。
千乃は。
「……いや、だから私、もう結婚してるんだけど」
思わず真顔になった。
パイライトは、千乃の言葉を聞いても動じなかった。
「承知しております」
「じゃあ、なんで……」
千乃が困惑する。
パイライトは胸を張った。
「ですから」
そして、あまりにも当然のように。
「離婚していただきたい」
「…………」
「…………」
真銀の表情が完全に消えた。
「……何?」
「真銀様との婚姻を解消していただきたい」
「いやいやいやいや!!」
千乃が即座に叫ぶ。
「なんでそうなるの!?」
「理由は明白です」
パイライトは自信満々に言う。
「私が次期皇王だからです」
「それ理由になってないよ!?」
「そして千乃様ほどの方を、私の后に迎えることは、皇国にとっても大きな意味があります」
「いや、私にとっては真銀が夫なんだけど!」
「ですから、離婚を」
「しないよ!?」
真銀が一歩前へ出る。
「パイライト殿下」
「はい」
「千乃は俺の妻だ」
「承知しております」
「そして、俺も千乃と別れるつもりはない」
「それも承知しております」
「なら、なぜ言う?」
パイライトは少しも悪びれず答えた。
「私の后になっていただきたいからです」
「話が進まないな……」
真銀が頭を抱える。
その後ろでは、カイルが小声で呟いた。
「……またイケメン二人が増えるのかと思ったら、今回はそういうタイプじゃないのか」
「カイル、今それ言わないで」
「はい」
パイライトの後方から、皇国の使者たちが慌てて口を挟む。
「殿下、もう少し慎重に……」
「何を慎重になる必要がある」
パイライトは堂々としている。
そして、その横には皇国の皇帝と皇后までいた。
皇帝は息子を見つめながら、満面の笑み。
「うむ。さすが我が息子だ」
「そうでしょうとも!」
皇后も嬉しそうに頷く。
「立派になりましたわ、パイライト!」
「……」
千乃は二人を見る。
「……親バカ?」
「はい」
侍従が小声で答えた。
「かなりの親バカです」
「聞こえているぞ!」
皇帝が叫ぶ。
「我が息子は素晴らしいのだ!」
「そうですわ!」
皇后も続く。
「次期皇王として申し分なく、そして千乃様は后としても――」
「だから私はならないってば!」
千乃が即座に遮った。
パイライトは少しむっとする。
「なぜだ?」
「だって」
千乃は真銀の隣に立つ。
「私には、もう大切な人がいるから」
真銀が千乃を見る。
千乃は真銀の手を握った。
「それに」
まっすぐパイライトを見る。
「離婚する理由がないよ」
パイライトは黙った。
しかし。
その表情には、まだ諦める気配がない。
「……ならば」
「?」
「どうすれば、千乃様は私を選んでくださるのですか?」
「そこから!?」
パイライトの表情が、少しずつ険しくなっていく。
「……では」
低い声。
「話し合いでは、決着がつかないということですね」
千乃が眉をひそめる。
「え?」
「ならば、別の方法を取ります」
パイライトは真銀を睨みつけた。
「千乃様には、私の后になっていただく」
「だから、ならないって言ってるでしょ」
「拒否権があると思っているのですか?」
空気が変わった。
真銀が一歩前へ出る。
「……何だと?」
「私は次期皇王です」
パイライトは胸を張る。
「この国の皇族であり、未来の皇王。私が望めば、千乃様を后にすることなど容易い」
「無茶苦茶だよ……」
千乃が呆れる。
しかしパイライトは止まらない。
「それに!」
自分の髪を整えながら、鏡もないのに顔を決める。
「私ほどの美男子が、千乃様を后に迎えようとしているのですよ?」
「…………」
千乃は無言になった。
真銀も無言。
カイルも無言。
ララも無言。
ライまで無言。
そしてカミルがぽつり。
「……美男子?」
「そうだ!!」
パイライトが即座に反応する。
「私は皇国随一の美男子だ!」
実際には。
小柄…千乃よりもずっと背が低く、かなりふくよかな体格。
顔立ちも整っているとはとても言えない。
それでも本人は、自分を絶世の美男子だと信じて疑っていなかった。
「そして私は最強だ!」
「…………」
「私に逆らう者などいない!」
その横で。
皇帝が満足そうに頷く。
「その通りだ!」
皇后も続く。
「パイライトは本当に素晴らしい子ですもの!」
「我が息子なら、どんな相手にも勝てる!」
「そうですわ!」
「剣も魔法も一流!」
「頭脳も一流!」
「容姿も一流!」
「性格も一流!」
「……」
千乃は思わず真銀を見る。
「……すごいね」
「ああ」
「何が?」
「全部、親の評価だけだ」
真銀が小声で返す。
「聞こえているぞ!!」
パイライトが怒鳴る。
「私を侮辱するな!!」
顔が真っ赤になる。
「私は次期皇王だぞ!!」
「だからって、人の結婚を勝手に壊していい理由にはならないよ」
千乃がきっぱり言う。
「私は真銀と別れない」
「……!」
パイライトの眉が跳ね上がった。
「なぜです!!」
「好きだから」
即答。
「真銀が大切だから」
千乃は真銀の手を握る。
「私たちは夫婦だから」
「……っ!」
パイライトが拳を震わせる。
「……そんな……」
「パイライト」
皇帝が息子の肩に手を置く。
「大丈夫だ」
「父上……」
「お前なら、必ず千乃殿を振り向かせられる」
「そうですわ」
皇后も笑顔で頷く。
「だって、あなたは私たちの自慢の息子ですもの」
「……そうだ」
パイライトは顔を上げた。
「私は完璧だ」
そして真銀を睨む。
「ならば……」
声が低くなる。
「邪魔な者を退ければいい」
真銀の目が鋭くなる。
「……俺を?」
「ええ」
パイライトは怒りを露わにする。
「あなたが千乃様と離婚しないというのなら」
一歩、前へ。
「強引にでも、離婚させる」
千乃の表情から笑顔が消えた。
「……それ以上、言わないほうがいいよ」
静かな声。
けれど。
その声には、明確な怒気が混じっていた。
千乃は、ふとパイライトの両親へ視線を向けた。
「……一つ、聞いていい?」
皇帝と皇后が顔を向ける。
「なんだ?」
「パイライトさんのお姉さんって、エリシアさんだよね?」
「そうだ」
皇帝はあっさり答えた。
千乃は一瞬だけ黙る。
「……私、エリシアさんを殺したんだけど」
空気が止まった。
真銀も、ララも、ライも、アイシィも。
誰も口を挟まない。
千乃は続ける。
「それなのに、娘さんを殺した相手と、息子さんを結婚させようとしてるの?」
普通なら。
怒る。
憎む。
少なくとも、簡単に受け入れられる話ではない。
だが。
皇帝は少し考えたあと。
「……ああ」
それだけだった。
「え?」
千乃が目を丸くする。
皇后も、特に気にした様子もない。
「エリシアは……まあ」
「いらなかったからな」
「ええ。別に気にしておりませんわ」
あまりにも淡々としていた。
千乃は言葉を失う。
「……いらなかった?」
「そうだ」
皇帝は頷く。
「我々が期待していたのは、次期皇王となるパイライトだ」
「娘より、息子のほうが大事だったということですか?」
「当然だ」
皇后も当然のように答える。
「パイライトは我が国の未来ですもの」
「エリシアは?」
「……娘でしょう?」
それ以上でも、それ以下でもない。
まるで。
最初から存在していなかったかのような言い方だった。
真銀の表情が険しくなる。
「……酷いな」
パイライトは、その会話を聞いていた。
だが。
「まあ、そういうことだ」
気にしていない。
「姉のことなど、今の私には関係ない」
そして、自分の胸を指差す。
「私は次期皇王だ」
千乃は静かにパイライトを見る。
「……そう」
少しだけ目を細める。
「じゃあ、なおさら無理だね」
「なぜです?」
「私は、真銀と結婚してるから」
千乃は真銀の隣に立つ。
「それに」
パイライトをまっすぐ見据える。
「誰かを大切にできない人の后には、絶対にならない」
パイライトの顔が歪んだ。
「……っ」
皇帝と皇后は、なおも息子だけを見ている。
「大丈夫だ、パイライト」
「ええ。あなたなら必ず勝てますわ」
「……そうだ」
パイライトは拳を握った。
「私は……負けない」
その瞳には。
決意の色が宿っていた。
そして、パイライトは、ゆっくりと千乃へ向き直った。
「……では、こうしましょう」
「?」
「千乃様が私の后になるまで、私は帰りません」
「えぇ……」
千乃が露骨に嫌そうな顔をする。
「ここ、私たちの国なんだけど」
「知っています」
「じゃあ帰ってよ」
「断ります」
即答だった。
真銀がため息をつく。
「パイライト殿下。何度言えば分かる。千乃は俺と別れるつもりはない」
「ならば、あなたが離婚を承諾すればいい」
「しない」
「なぜです!」
「千乃が嫌がっているからだ」
その言葉に、千乃が真銀を見る。
「……真銀」
「何?」
「ありがと」
「当たり前だろ」
パイライトの頬が引きつった。
「……当たり前?」
「そうだ」
「私が次期皇王なのに?」
「関係ない」
「皇国の未来を担う私が!」
「関係ない」
「私ほどの男が!」
「それも関係ない」
「私のほうが優れている!」
「だから?」
「……っ!」
パイライトは完全に頭に血が上っていた。
「なんなんだ、その態度は!!」
声が城内に響き渡る。
そのとき。
「パイライト様」
千乃が静かに口を開いた。
「ここは星霜王国だよ」
「……」
「私たちの国」
そして、真銀の隣に並ぶ。
「勝手なことをされるなら、客として扱えなくなるよ」
パイライトが睨みつける。
「……私を追い出すと?」
「必要ならね」
「私を?」
「うん」
千乃は即答した。
「次期皇王だろうが何だろうが、関係ないよ」
真銀も頷く。
「千乃の言う通りだ」
パイライトは拳を握り締める。
だが、その横から皇帝が口を挟んだ。
「待て」
「父上?」
「ここは一度、引くぞ」
皇帝は息子の肩を叩く。
「お前なら、まだいくらでも手はある」
「……そうですわ」
皇后も微笑む。
「我が息子なら、必ず千乃様を手に入れられますもの」
パイライトは少しだけ落ち着きを取り戻す。
「……そうだ」
そして。
「私は、次期皇王だ」
自分に言い聞かせるように呟く。
「私は……何でも手に入れられる」
千乃はその背中を見送った。
「……絶対、諦めてないよね」
「だろうな」
真銀が答える。
千乃は小さくため息をついた。
「面倒なのが来たなぁ……」
その頃。
廊下の角から、カイルがひょこっと顔を出していた。
「……俺より面倒な奴が来た」
「そこ?」
千乃が振り返る。
カイルは真顔で頷いた。
「そこだ。」




