無響の檻(アネコイック・ルーム)と、臨界のラスト・セクター
変電室の重い防鉄扉が、外側から激しい金属音を立てて歪み始める。大人の世界が、斧やバールという物理的なハッキングによって、私たちの最後の領域をこじ開けようとしていた。
「——ここも、もうすぐノイズで埋め尽くされる」
古い革製ソファの上で、蓮は私の身体を抱きしめたまま、感情の消えた声で呟いた。彼の翡翠色の瞳は、非常用バッテリーの赤い残光を浴びて、深く、濁った漆黒の底へと沈んでいる。右手首から滴る血は、私の白い病衣を斑点のように赤く染め上げ、私たちの壊れた同期のログ(記録)を刻み続けていた。
「蓮……神条先輩たちが、入ってくるね」
私は彼の首筋に腕を回し、心臓の真上から伝わってくる激しい痛みに身を委ねた。
大人のルール、学校のシステム。それらは私たちを「異常」と定義し、力づくで引き離そうとする。もしこの扉が開けば、私は再び「高嶺の花」という名の無機質なドールに戻され、蓮はバグとして世界から消去されるだろう。
そんなリブート(初期化)を、私のシステムが受け入れるはずがない。
「柚留、最後のプログラムを起動しよう。誰の手も届かない、僕たちだけの永久の檻へ」
蓮はコントロールパネルの前に立ち、血まみれの指先でキーボードを叩き始めた。画面にスクロールされるのは、この地下施設のすべての電力を一箇所に集中させるための、暴走のアルゴリズム。
「うん、いいよ、蓮。世界をすべてシャットダウンして、私をあんたの中に閉じ込めて」
「ガシャーン!!!」と、防鉄扉の鍵が激しい火花を散らして吹き飛んだ。
扉が開き、懐中電灯の鋭い光とともに、神条先輩と警備員たちが室内に雪崩れ込んでくる。その限界の刹那、蓮は私をデスクの上に強引に押し倒し、私の身体の上に完全に覆いかぶさった。
「一之瀬! 椎名さんから離れろ!」
神条先輩の叫びが響くが、蓮の脳内はすでに嫉妬と愛執で完全にオーバーフローを起こしていた。
「僕の柚留に、その汚い視線を向けるなぁぁぁっ!!」
蓮は狂暴な声を上げ、私の病衣を襟元から乱暴に引き千切った。
ブチブチと布地が裂け、懐中電灯の白い光の中に、これまでに彼が深夜に刻みつけてきた全ての赤紫色の噛み痕が、生々しく曝け出される。大人の目の前で行われる、圧倒的な所有権の宣言。
「蓮、あ、っ……!!」
蓮は私の叫びを自分の唇で強引に塞いだ。
「ん、んん……っ! む……っ」
深く、激しく、互いの舌が絡み合い、呼吸の主導権を完全に奪われる。彼の口内からは、これまでの乱闘で切った濃厚な血の味がした。掴まれた両手首からは、彼の右手から溢れ出た赤い血が私の肌へと移り、ドロドロとした熱い液体が腕を伝ってデスクへと染み込んでいく。
蓮は唇を離すと、激しい息を吐きながら、私の胸元、心臓の真上の一番柔らかい皮膚へと、飢えた獣のようにその鋭い犬歯を深く、深く突き立てた。
「あ、ああっ……! 嗚呼……っ!!」
大人たちの目の前で響き渡る、私の小さな悲鳴。
けれど、その強烈な激痛の向こう側から、頭の中をドロドロに溶かすような甘い快感が溢れ出し、私の理性を完全に破壊していく。蓮の引き締まった身体が、私の身体を完全に固定し、彼の手が私の細い腰の肉を、指の形が残るほどの力で強く、強く掐りあげた。
「痛がれ、柚留。その痛みが、お前が僕の所有物であることの証明だ。世界がお前を連れ去ろうとしても、この熱だけは誰にも消せない……」
蓮は噛みついたまま、私の肌にじわりと滲み出た血と汗を、愛おしそうに何度も何度も舌先で舐めとった。
彼の熱い舌が傷口に触れるたび、私の身体は小さく跳ね、口から「あ、んっ……蓮、蓮ぇ……」という、淫らで、哀れな悲鳴が漏れ続ける。
大人たちが私たちを引き離そうと手を伸ばした、その瞬間。
蓮はデスクの最奥にある赤いレバー——「全電力強制短絡」のスイッチを、迷わず強く引き下げた。
「——ログイン、完了だ」
パツン、と。
凄まじい放電の音とともに、地下施設すべての明かりが完全に消失した。
それだけではない。変電室のメインサーバーが内部から高熱で融解し、私たちがこれまで存在していたすべてのデータ、学校の記録、逃亡のログが、ドロドロの液体となって一瞬で消滅していく。
「何だと……!? システムが、完全に焼き切れていく……っ!」
神条先輩の、これまでに聞いたことのないような絶望に満ちた悲鳴が、暗闇の中に虚しく響き渡った。
大人たちの懐中電灯の光が、激しく闇を照らし回る。
しかし、その光がデスクの上を捉えたとき、そこにいたのは、ただ静かに抱き合ったまま、完全に意識を失った(ログアウトした)二人の少年少女の姿だけだった。
蓮は私をその大きな腕の中に完全に閉じ込め、私の首筋に顔を埋めたまま、ピクリとも動かない。
そして私の胸元には、彼が最後に刻んだ、誰にも消すことのできない「一之瀬蓮の所有物」という名の、完璧な赤紫色のスタンプが、静かに脈打っていた。
大人たちが私たちを引き離そうと手をかけるが、互いの指を深く絡ませたその拘束は、死後硬直のように強固で、誰の手によっても解くことはできなかった。
私たちのデータは、この世界からすべて消去された。
世界がどれだけ私たちを異常だと叫ぼうと、この暗闇の底だけは、二人だけの絶対的な楽園だった。
私たちは、大人のルールも、社会のシステムも、すべてのノイズを完全に置き去りにして、二人だけの構築した「楽園の底」へと、永久にログアウトしたのだ。
二人の狂った連鎖は、今、完全な終わり(シャットダウン)を迎えた。
——もう、誰にも、私たちを分かつことはできない。




