灼熱のフェーズと、祭囃子のデッドライン
期末考査が終了した翠鳳高校は、一気に「夏祭り」の浮き足立った熱気へとシフトしていく。
地元の神社で開催される大規模な夏祭りは、校内のカップルたちにとっても、そしてまだ距離を縮められずにいる有象無象にとっても、最大のイベントだった。校内の至る所で「誰と行く?」「椎名さんはどうするんだろ」という騒がしいパケット(噂話)が飛び交っている。
けれど、私の皮膚の下は、連日の「調律」によって、もう外の人間を受け付けないほどに過熱していた。
長袖の制服の下、心臟の真上に刻まれた蓮の噛み痕。それは、動くたびに鋭い痛みを放ち、私が誰の所有物であるかを片時も忘れさせない。
「——柚留」
放課後の下駄箱前。夕日が廊下を赤く染める中、蓮がいつものように清冷な姿で私の前に立った。
彼の右手には、まだ薄い包帯が巻かれている。神条先輩を逆ハッキングで制圧し、自宅謹慎を力づくで撤回させたあの日から、蓮の私に対する監視のアルゴリズムは、より精緻で、より狂暴なものへとアップデートされていた。
「蓮。今日の見回りは、もう終わり?」
「ああ。これからはお前を僕の視界に入れる『専属管理』のフェーズだ。……橘が、今日の夏祭りで何か仕掛けてくるというログ(噂)を掴んだ」
蓮の翡翠色の瞳が、夕闇の中で濁った黒を孕んで細められる。
「橘くんが……?」
「あいつは僕が役職停止に追い込まれそうになったあの日、お前を連れ去ろうとした。……今日の祭り、全校生徒の視線が紛れるあの混雑の中で、あいつはお前に直接『触れる』つもりだ。……絶対に、僕の側から離れるな、柚留」
蓮の細い指先が、私の制服の袖口の奥で、私の手首を骨が軋むほどの力で強く、強く握りしめた。
滲み出る痛みに、私の心臓はトランス状態のように激しく脈打つ。
「うん……分かってる。私は蓮だけのドールだから。他の誰にも、触らせないよ」
私たちは、白日の下で偽りの平穏を装いながら、夜の祭囃子の裏側で待ち受ける、決定的なデッドラインへとログインしていった。
夜の八時。神社の境内は、無数の赤提燈の光と、浴衣姿の生徒たちの喧騒で埋め尽くされていた。
屋台から漂う甘いソースの匂いと、ドン、ドンと遠くで鳴り響き始めた花火の音が、夏の夜の熱気をさらに押し上げている。
私は、蓮に選んでもらった紺色の落ち着いた浴衣を身に纏い、彼の少し後ろを歩いていた。
蓮もまた、普段の制服とは違う黒い浴衣姿。その凛とした立ち姿は、お祭りの雑踏の中でも異常なほどに目を引き、他校の女子生徒たちからも無数の視線を浴びていた。
「——柚留、こっちだ。人が多すぎる」
蓮は私の手を引き、人混みを避けるようにして、本殿の裏手へと続く薄暗い木々の小道へと足を進めた。
提灯の光が届かないその場所は、急に静まり返り、虫の鳴き声だけが不気味に響いている。
「……一之瀬。やっぱりここに逃げ込んだか」
不意に、暗闇の奥から何人かの足音が響いた。
現れたのは、浴衣の胸元をだらしなくはだけさせた、サッカー部の橘 蒼汰だった。彼の後ろには、体格のいい部員たちが三人、蓮の退路を断つようにして立ちはだかっている。
「橘……。校外での風紀違反、および一般生徒への進路妨害か」
蓮の声から、一瞬にしてすべての温度が消えた。彼は私を自分の背後に完璧に隠し、翡翠色の瞳を完全な「キル・スイッチ」へと切り替えた。
「風紀なんて知るかよ! お前、神条先輩を脅してあの処分を揉み消したんだろ? 汚ねえんだよ、やり方が!」
橘が激昂し、一歩前に出る。「椎名さんはお前のペットじゃねえ。……おい、お前ら! あいつを動けなくしろ!」
橘の合図とともに、三人の体育部員が同時に蓮に向かって飛びかかった。
「蓮……っ!!」
「柚留、動くな!!」
蓮は私の叫びを遮ると、浴衣の裾を翻し、一歩で先頭の部員の懐へと踏み込んだ。
弓道で鍛え上げられた彼の身体操作には、一ミリの無駄もない。蓮は血の滲む右手をそのまま部員の顎へと叩きつけ、凄まじい衝撃音とともに一人を地面へと崩れ落ちさせた。
しかし、残る二人が背後から蓮の長い両腕を強引に掴み、木々の幹へと激しく押し付けた。
「ドン!」という鈍い音が響き、蓮の右手の包帯から、再び赤い血がじわりと滲み出す。
「捕まえたぞ! 橘、早くしろ!」
「よくやった!」
橘が狂暴な笑みを浮かべ、蓮の背後から飛び出して、私の手首を強引に掴み取った。
「椎名さん、行くぞ! あんな狂った奴から、俺が——」
「——放せ、橘。その汚い手を、僕の柚留から、今すぐ放せぇーーーっ!!」
蓮の、理性を完全に焼き切った絶叫が、暗い森の中に響き渡った。
彼の翡翠色の瞳は、完全に光を失った「漆黒」へと染まり、全身から狂暴なアドレナリンが陽炎のように立ち上る。蓮は自分の両腕を掴んでいた二人の部員の顔面を、自分の頭突きで強引に破壊し、その拘束を力づくで引き千切った。
「がはっ……っ!?」
部員たちが鼻血を流して地面に倒れ込む中、蓮は床を血で汚しながら、真っ直ぐに橘へと突進した。
「一之……っ、がはっ!!」
橘が防衛体制をとる暇もなく、蓮の拳が彼の顔面の正中へと正確に突き刺さった。
メキッという不穏な骨折音が響き、橘の身体は数メートル吹き飛んで、境内の古い灯籠へと激しく激突した。
「ひ、ひぃっ……!」
生き残った部員たちが、血塗れで立ち上がる蓮の姿を見て、恐怖のあまり橘を回収して逃げるように去っていった。
静寂が戻った森の中。
蓮は激しい排熱のような呼吸を繰り返しながら、ゆっくりとこちらを振り返った。彼の顔には橘の血が飛び散り、その翡翠色の瞳は、完全に狂気と嫉奮のオーバーフローを起こしていた。
「……柚留。あいつに、触られたな」
蓮の沙啞れた声が、暗闇の中に響く。
彼は一歩ごとに、自分の右手から滴る血で地面を汚しながら、私との距離をゼロにした。
「蓮、手が……血が凄いよ……っ」
「うるさい! あいつがお前の手首を掴んだ……! あの男の体温が、お前の皮膚に書き込まれたんだ……っ! 汚い、汚すぎる……! 全て僕の熱で、僕の血で、消去しなければいけないのに……っ!!」
蓮は私の言葉を聞く前に、私の身体を本殿の裏手にある、誰も立ち入らない古い「神輿庫」の重い木製の扉へと激しく押し付けた。
「ドン!」と壁が鳴り、内側から彼が鍵を掛ける金属音が金属音が響く。
完全な暗闇。窓から差し込むのは、遠くで上がる打ち上げ花火の、一瞬の青や赤の閃光だけだった。逃げ場のない、40°C近くまで達している過熱した密室。
「蓮、待って……ここは神社の……っ」
「関係ない! お前は僕のドールだ……僕の、僕だけの最高傑作だ……!!」
蓮が激昂し、私の着ていた紺色の浴衣の帯を、強引に引き千切るようにして解いた。
サラサラと布地が床に崩れ落ち、花火の閃光の中に、私の白い肌と、これまでに彼が深夜に刻みつけてきた全ての赤紫色の傷痕が、生々しく全て曝け出された。
「蓮、あ、っ……!!」
蓮は私の叫びを自分の唇で強引に塞いだ。
「ん、んん……っ! む……っ」
深く、激しく、互いの舌が絡み合い、呼吸の主導権を完全に奪われる。彼の口内からは、橘との乱闘で切った血の味がした。掴まれた両手首からは、彼の右手から溢れ出た赤い血が私の肌へと移り、ドロドロとした熱い液体が腕を伝って床へと染み込んでいく。
蓮は唇を離すと、激しい息を吐きながら、私の胸元、昨日よりもさらに深い、心臓の真上の一番柔らかい皮膚へと、飢えた獣のようにその鋭い犬歯を深く、深く突き立てた。
「あ、ああっ……! 嗚呼……っ!!」
神輿庫の古い木壁に頭を打ち付けるほどの、強烈な激痛。
けれど、その痛みの向こう側から、頭が真っ白になるほどの甘い、ドロドロとした快感が溢れ出し、私の理性を完全に破壊していく。蓮の引き締まった身体が、私の身体を完全に固定し、彼の手が私の浴衣を完全に捲り上げ、細い太ももの肉を、指の形が残るほどの力で強く、強く掐りあげた。
「痛がれ、柚留。その痛みが、お前が僕の所有物であることの証明だ。他の誰にも、お前のこの熱を見せさせない……」
蓮は噛みついたまま、私の肌にじわりと滲み出た血と汗を、愛おしそうに何度も何度も舌先で舐めとった。彼の熱い舌が傷口に触れるたび、私の身体は小さく跳ね、口から「あ、んっ……蓮、蓮ぇ……」という、女神の仮面を完全に剥ぎ取られた、淫らで、哀れな悲鳴が漏れ続ける。
外からは、まだドン、ドンと大きな花火の音や、お祭りの楽しげな雑音が聞こえている。
世界中が夏の夜を楽しんでいるというのに、この最果ての神輿庫の中だけは、世界で一番不条理で、一番濃密な、二人だけの絶対的な拘束の空間だった。
蓮は何度も、何度も、私の肌に新しい痕跡を刻み続けた。
痛みの向こう側で、私はこの少年の狂気に完全に調律されていくのを感じていた。全校生徒が憧れる「高嶺の花」は、この暗闇の中で、一人の少年的ためだけに、甘い蜜を滴らせて完全に飼い慣らされていく。
「うん……いいよ、蓮……。私を、あんたの部屋に、ずっと……閉じ込めて……」
花火の光が消え、完全な闇が神輿庫を支配していく中で。
私たちは、誰にも言えない夜のデッドラインをやり過ごし、二度と引き返せない越境の底へと、互いのすべてをログインさせ続けていた。
二人の狂った同期は、もう、誰にも止めることはできない。




