夢に浮かぶ鎖 #9
「ねえねえ!」
サラは、隣に座っているボロツや、テーブルを囲んでいる傭兵団の面々を一人一人、つぶらな空色の瞳をキラキラさせてジイッと見つめた後に尋ねた。
「みんなは、私の事、好き?」
「もちろんだぜ! 今すぐ結婚してくれ、サラー!」
当然、いの一番にボロツが大声で答える。
「だから、私、ボロツと結婚する気は全然ないってばー。何度言ったら分かってくれるのー、もー。……でも、ありがとう。」
「他のみんなはー?」
サラのその問いに、他の面子は、サラを見ると同時に、チラチラとボロツの様子をうかがっていた。
下手な事を言って、サラに惚れ抜いているボロツの機嫌を損ねてはたまらないと思ったのだろう。
しかし、当のボロツは、皆が慎重に言葉を選ぼうと沈黙していると、ダアン! とテーブルを拳で叩いた。
「おい! サラが聞いてるんだぞ、さっさと答えろ、お前ら!……まさか、サラを嫌いなヤツは、居ないだろうなぁ?」
「も、もちろんだぜ! 俺もサラ団長の事が大好きだぜ!」
「俺も俺も! 強くて可愛いとか、ホント最強だよな!」
「サラ団長みたいな綺麗な女、俺は生まれて初めて見たぜ! その上剣もつえぇなんてよぅ!」
ボロツが(サラを褒めろ!)という圧力を露骨に滲ませるので、傭兵達は慌てて口々に言った。
ボロツの態度から、正直に言ってもいいのだと判断して、先を争うように、サラの事を「好きだ」と言ったのだったが……
「うらあぁー! お前ら、何、俺様に断りなく、サラの事口説いてやがるんだ? ああ?……サラに『好きだ!』って言っていいのは、俺だけなんだよ! 全員黙りやがれ!」
ボロツが癇癪を起こして、ガタンと椅子を倒して立ち上がり、ドカドカと取り巻き達の足を蹴って回り出した。
「……えぇ……ボロツさんが、サラ団長の事を好きって言えって言うからぁ……」
「……メチャクチャ過ぎるだろう……」
横暴だ、理不尽だ、とボロツに脛を蹴られながら、愚痴る団員達だった。
サラは、「ボロツ、やめなよー!」と彼の服を引っ張って止めながらも、嬉しそうにニコニコ笑っていた。
ボロツをはじめとした傭兵団の皆に「好き」だと言われて、とても嬉しかったサラだった。
□
「サラ。」
ティオは、静かに雨が降り続き、青い宵闇に包まれつつある訓練場の大樹の下で、サラに尋ねた。
「逆に聞くけどさ。……サラは、傭兵団のみんなをどう思ってる?」
「え? どうって、好きだよ。みんな結構いいヤツだしー。」
「ならず者、ゴロツキ、犯罪者……中には、人を殺した人間だって居るのに? そういうのって、今までサラにとっては、大っ嫌いな敵だった筈だろう?」
「そ、そうだけどー……話してみたら、なんか今まで思ってたイメージと違うって言うかー。みんな、悪い事をしてきたのには、貧しかったり、親が居なかったり、生まれた環境が良くなかったり、それぞれ事情があってー。……」
「あ! で、でも! 犯罪はやっぱり絶対ダメだと思う! そういうのは、出来ればもうやめてほしい!って言うか、私が団長としてみんなと一緒に居る間は、絶対そういうのさせないからー!」
「なるほど。罪を憎んで人を憎まずか。サラらしいな。」
ティオは、小さな子供が必死に説いた計算式を見るような、微笑ましそうな笑顔を浮かべていた。
「サラにとって、傭兵団は、思ったりずっと居心地のいい場所だったろ?」
「うん! そうだね! 荒くれ者の集まりって聞いてたから、私、もっと酷い所を想像してたよー。ギスギスして、ケンカばっかりして、いつも血が流れてるとかー。」
「ハハ。まあ、そうだよな。」
「でも、意外とみんな仲がいいんだよねー。仲間意識が強いっていうのかなー?……ほら、私達傭兵団って、このお城の中では、厄介者扱いされてるじゃないー? せっかく戦のために集まってきたのに、普通の兵士や騎士の人からは、邪魔者って思われてるっぽくってー。バカにされてる、うーん、汚いものを見るような目で見られてる、って感じー?」
「だから、傭兵団のみんなは、一致団結しちゃうのかもねー。偉い人達にバカにされても、仲間が居れば、心強いもんねー!」
サラの答えに、ティオは腕組みをしてウンウンとうなずいた。
「確かに、傭兵団には、どんな人間でも受け入れる懐の深さがあるよな。」
「まあ、俺は、常識もあるし、平和主義者だから、一般社会でもやっていける人間だけどな。サラとか、傭兵団のみんなのような、普通の社会生活からはどうしてもはみ出しちまうタイプも、ここでなら『仲間』の一人として迎え入れられるよな。」
ティオの物言いに、サラは「ティオのどこに常識があるのよー!」とポカスカひとしきり彼の胸を叩いた。
「傭兵団に集まってきてる連中は、普通の社会じゃ上手く生きていけない人間だ。」
と言った後にティオは、「まあ、例外的な人もごく稀に混じってるけどな。」とつけ加えた。
「サラだってそうだろう? ここに来るまで、こんなに周りの人間に、たくさんの人間に、『仲間』として受け入れられた事、なかったんじゃないのか?」
「サラは何も悪くないけど、サラの持ってるその大きな力は、普通の人間達の中で普通に暮らしていくには、目立ち過ぎるからな。」
サラは、ティオに、心の奥に隠していた弱い部分を突かれて、ウッと言葉を飲み込んでいた。
□
ティオは、その後、サラにも分かりやすいように、語ってくれた。
「社会には、ルールってものがある。」
「人の物を盗まない。人を傷つけない。人を殺さない。……などなど。そういうのは、たくさんの人間が一緒に暮らす環境で、揉め事を起こさないために決められてる。」
「その社会に属する人間が、毎日を平和に、安全に、そして幸福に過ごせるように、みんなで決めた『約束』を守る。それがルールだ。」
「でも、その『約束』が、どうしても守れない人間も、中には居るんだよ。」
「なにしろ、世界には、数え切れない程多くの人間が居て、みんな一人一人違っている。人の数が多くなれば、それだけいろいろな人間が居るって事だからな。」
ティオの話では、「社会のルール」を守れない人間には、様々なパターンがあるらしい。
たとえば、倫理観がズレている者。
いくら「他人を傷つけてはダメだ」と言っても理解出来ない人間が居る。
そういう人間も、「ルール」を守る事を知識として学ぶ事は可能だが、「どうして人を傷つけてはいけないのか?」という理由は、分からないままだ。
そして、何か事件が起こった時、その感覚のズレから犯罪を起こしてしまう。
些細な言い争いでカッと頭に血がのぼり、相手を殴りつけ、更には、加減もなく、相手が意識を失ったり、ついには死んでしまうまで、痛めつけてしまう。
もっと即物的な理由でルールを守れない者も多い。
たとえば、その日の食べ物にも困ってお腹を空かせている者は、店先に並んだ売り物のパンを盗んではいけないと理解しながらも、つい手を伸ばしてしまう。
あるいは、生きていくために、自分からルールを破り、積極的に金や食べ物を盗む。
「そして、サラのようなパターンもあるな。」
「わ、私は、ルールをちゃんと守ってるもん! 犯罪なんか起こしてないもん!」
「そうだな。確かに、正義感の強いサラは、社会のルールはきちんと守るし、むしろ犯罪を忌み嫌ってる。でも……」
「社会の輪から外れてる。」
「サラの、その強さが。サラの持っている、身体能力に特化した異能力が。」
「そんな力や能力を持つサラの存在自体が、大多数の普通の人間達で構成された社会の輪から、大きく外れちまってるんだよ。」
「そ、そんなぁ! 私、なんにも悪い事してないのにー!」
「人間は、自分と同じような人間に安心感を覚えるんだよ。自分と似た存在、近いと感じる者を仲間と認識する。」
「でも、実際は、世界に生きている無数の人間の中で、誰一人として同じ人間は居ない。」
「だから、なるべく自分と相手を近づけるために、『ルール』を作る。……それは、法律としてはっきり明文化されているものもあれば、誰も口には出さないが皆良く知っているような暗黙の掟もある。」
「ルールは、実は、いろいろな人間が集まって生きていく上で揉め事を起こさないためだけにある訳じゃない。仲間意識を高めるためにもあるんだよ。そして、そのルールが厳しければ厳しい程、条件が難しければ難しい程、仲間意識は強くなる。」
「その最たるものが、『貴族』とか『上流社会』とか呼ばれるものだな。たくさんの厳しいルールを守る事で、仲間意識を超えて、自分達が他の人間とは違う特別な人間だという『選民思想』を生む。『特権階級意識』って言った方が分かりやすいか。」
「……う、うーん?……」
「ああ、悪い。ちょっと横道に逸れたな。……まあとにかく、本来は人間が平和に幸福に暮らすためにあるべき『ルール』も、場合によっては、人間の行動や心を縛って、逆に差別や争いを招いたり、不幸になる原因を作ったりもするって話だ。」
「特に、『ルール』を増やしたり厳しくしたりすれば、それだけ、『ルールを守れない人間』も増えてくる。」
「例えば……ある町に住むには、お金を払わなきゃならないとする。これが、一年間で銅貨一枚なら、まあ、大体の人間は払えるが、一年間で金貨百枚だったら、払える人間はグッと減るだろう? そして、その町は、お金持ちだけが住める『特別な』町になって、それ以外の人間は、ルールを守れない犯罪者として、町から追い出される事になる。」
「えー? それはおかしくない? 犯罪者って、悪い人の事でしょー? それだったら、いい人でも貧しかったら悪い人になっちゃうじゃないー!」
「それは違うな。社会では『ルールを守らない人間』を『犯罪者』って呼ぶんだぜ。悪い人間を『犯罪者』って呼ぶ訳じゃない。まず『犯罪者』の定義が違うんだよ、サラ。」
「それに……」と、ティオは、伸ばしっぱなしの前髪に隠れた眉を少しひそめて言った。
「この世界に、『善』や『悪』なんてものは、元々は存在していない。」
「ルールを守る者を『善』と呼んで褒め称え、守れない者を『悪』と呼んで蔑む。」
「『正義』や『絶対悪』って考え方は、ルールを守る事を正当化するために人間が作り出した、都合のいい価値観でしかない。」
「人間だって、大きく考えれば、動物だ。動物に『善』も『悪』もない。ただ、本能に従って、自由に生きている。それでも、動物達の間に、不要な『争い』なんかないだろう? 自然界には、生きていくための弱肉強食の法則はあっても、動物達は、自分が食べるため以上の過剰な殺戮はしない。『正義』だとか『大義』だとかのために、大量に同じ種の生き物を殺す動物なんて、人間だけだ。」
「で、でも、でもでもでも! 私は、やっぱり、悪い事といい事って、あると思う! やっちゃダメな事ってあると思う!」
「ちゃんと『正義』は、あるよ!」
「私には、私の『正義』があるもの!」
両手の拳を握りしめて真っ赤な顔で叫ぶように語るサラを、ティオは緑色の目を少しばかり細めて、穏やかに微笑しながら見つめていた。
「そうだな、サラにはサラの『正義』がある。俺は、サラの言う『正義』は嫌いじゃないぜ。」
「サラには、これからも、自分の『正義』を信じて生きていって欲しいって、俺は思うよ。」
サラは、精一杯胸を張り、その胸をドンと叩いて言った。
「当たり前じゃない! だって私は『正義の味方』で、『世界最強の美少女剣士』なんだからねー!」




