内戦と傭兵 #10
「……おじさん、じゃなくって、兵士さん。やっぱりすごーく強いね! 今まで戦った中で、一番強いかもー!」
カーン! 木の剣がぶつかり合う音が晴れ渡った春空高くまで響き……
サラは兵士の繰り出してきた攻撃を体の前で横に構えた剣でしっかりと受け止めると、グッと力を入れて、弾くように押し返した。
サラの強い力に押され、「ムッ!」と声を漏らしながら、よろけるように兵士はジリッと後ずさる。
「でも! 私の方が、もっと、もーっと、強いもんねー!……それじゃあ、今度はこっちから……いっくぞー! たあー!」
「……ググッ! ウヌヌヌヌ!」
……カン、カン! カーン! ガン! ガカン! カカーン!……
一旦、静まっていた訓練場に、再び絶え間無い剣撃の音が満ちていった。
サラの剣は、一言で評するなら「傍若無人」だった。
自由奔放に、縦横無尽に、本能の赴くまま放たれているように見えるが、その一撃一撃が恐ろしく速くかつ力強いため、並みの運動神経と腕力では抗いきれない。
型にはまった訓練を長い年月続けて、コツコツと剣の腕を磨いてきた熟年の兵士のそれとは、見事に対照的な剣だった。
むしろ、剣術としては、サラのそれは全く洗練されていない。
剣も握った事のないような子供が、ただ気の向くままにブンブン木の枝を振るっているかのような印象を受ける。
しかし、実際にその剣に対峙すると、感触はその真逆である。
恐ろしいスピードと威力に、ただただ圧倒されるのみ。
そう、サラは、その身に宿るずば抜けた運動神経、反射神経、瞬発力、そして腕力……
そんな、生まれもって天賦の才だけで剣を振るっていた。
長い年月をかけた研鑽によって築き上げられた剣術など、欠けらも持っていない。
まるで磨かれる前の原石のような、まるで洗練されていない、無骨で粗野な一挙一動。
しかし、あまりにも天賦の才が桁外れなために、それだけで十分押し切ってしまえるのだった。
才能だけに頼った、行き当たりばったりのサラの剣の前に、彼女よりずっと年かさの熟練の兵士は、手も足も出なかった。
「てえぇぇーいー!」
「……グッ!……クッ、ウグッ!……」
……カカン! ガゴン! ガン、カン、カンカン! ガカーン!……
最初から目を見張る速さだったが、サラが剣を放つたびに、そのスピードは加速度的に上がっていった。
同時に、一太刀一太刀に込められる力も強くなってゆく。
熟年の兵士は、サラの猛攻を必死に防ぎながら、その常軌を逸した強さにひたすら驚くばかりだった。
そして同時に、その脅威的な剣戟とは裏腹に、幼い子供のように無垢な笑顔を浮かべて楽しげに剣を振り回す、小柄で愛くるしい少女の姿が目に焼きついた。
まだまだ、強さの底が見えなかった。
明らかに、サラは実力の半分も出してはいない。
軽くじゃれている程度の感覚で剣を振るっている気配が感じられた。
しかし、熟年の兵士は、確実に追い詰められ、次第にその動きに対応出来なくなっていった。
全身の力と神経を最大限に振り絞って、防戦一方ながらもなんとかしのいでいるものの、徐々にそれさえも覚束なくなっていく。
やがて、体力と集中力がすり減ってきて、反応が鈍ってゆくのを兵士は自分でも感じていた。
長くは持たない、そう自覚した時、目の前の少女の顔が、ふうっと緩んだ。
「ここまでかな?」という、微かなつぶやきを、激しく剣のぶつかり合う音の中に聞いた気がした。
「せえぇい!!」
「……ガッ!」
一際大きくグンッと踏み込んだ瞬間に、サラの剣が兵士の剣を強く叩き上げる。
カカーン!……木の剣がぶつかる、乾いた音が訓練場の空に響き……
兵士は、気がつくと、頭上の水色の空に、何かがクルクルと回っているのを見た。
それが、先程まで握っていた自分の剣だと気づいたのは、ビュンビュンと空気を切って落ちてきた剣が、ザッと音を立て、数メートル程離れた地面に突き立った時だった。
□
「あっと!」
呆然と立ち尽くす兵士の前で、サラは構えを解き、タッタッと走って自分が飛ばした剣の所へ向かった。
そして、地面に刺さっていた剣を「よっと!」と引き抜くと、それを手に、再びタッタッと戻ってきて、「はい!」と兵士に手渡した。
「……あ、ああ。すまない。」そう言って、剣を受け取った所で、ようやく兵士はハッと我に返り、フウッと大きく息を吐いて、体にこもっていた力を抜いた。
「強いな、君は。正直、私の想像を遥かに超えていて、驚くばかりだ。」
「え?……エヘヘー! でしょでしょー! 私もそう思ってるんだー。私って、やっぱり、超強いよねー!」
サラは、現役の王国正規兵である熟年の兵士にその実力を認められて、嬉しそうに人差し指で鼻の下をこすった。
そして、花のような可愛らしい顔に満面の笑顔をたたえて言った。
「でも! 兵士さんも強かったよー! 私、こんな強い人と戦うの初めてだからー、すっごく楽しかったよー!……あ! ねえねえ! もう一回勝負しない?」
「ハハ……いや、もう十分だ。君の実力は良く分かった。」
兵士は、木の剣を、自分の体に沿わせるように切っ先を下にして持ち直した。
スッと背筋を正し、改めてサラに真っ直ぐに向き合う。
「試験は合格だ。君を我が国の傭兵として迎えよう。」
「え? 試験?……あ、そっかー。そう言えば、これって傭兵の試験だったんだっけー。それでー、私が勝ったから、合格なんだねー?」
「そういう事だ。君の勝利だ。」
「やったぁー!! 傭兵になれたー! うっれしいなぁー!」
サラは、すっかり有頂天になって、しばらくピョンピョン飛び跳ねていたが……
やがて、ズイッと真剣な顔で兵士に近寄ってきた。
「それはそれとしてー……兵士さん、もう一回勝負しない? ねえねえ!」
「いや、もう、本当に、勘弁してくれ。」
兵士は、ビッシリと汗の玉が吹き出た額を腕でぬぐいながら、苦笑した。
□
「君には本当に驚かされた。そんな小さく細い体で、あれ程の速さと威力が出せるとは。まるで魔法でも見ているようだったよ。」
「あ、それ、ティオにも言われたー。私の体格でこんなに力が出るのは、普通はない事だってー。……そんなに珍しいかなぁ?」
「珍しいなんてものじゃない。正直、君の強さは、私では測りきれなかった。まるで次元が違う。」
兵士は、剣の柄に手を重ねて垂直に立て、フッと何かに想いを馳せるごとく、遠くを見つめた。
「私が生涯で、手合わせした相手をここまで圧倒的に強いと感じたのは、これが二度目だ。」
「あの時も、努力の及ばぬ先の世界がある事を知って、呆然としたものだ。自分がいかに凡庸であるか、思い知らされた瞬間だったな。私も長い年月、剣を手に武芸の道を歩んできたが、未だあの境地には辿り着ける気がしない。」
「やはり、才ある者だけが見る事の出来る次元というものはあるのだな。」
「へー、そんなに強い人が私の他にも居るんだー? その人と私と、どっちが強いと思うー?」
「それは、もう、私の技量では判断のつかない領域だな。君が実際に将軍と手合わせしてみなければ分からない。」
「将軍?」
「あ、いや、今は『元将軍』だったな。」
「その将軍ってどんな人?」と、サラが興味津々に聞こうとした時、耳をつんざくような悲鳴が響いてきた。
□
「ぎゃあぁぁーー! 許してー! 助けてー! だーれーかぁー!」
「……ハア、ハア……まったく、延々と逃げ回りやがって! だが、やっと追い詰めたぞ! もう逃げ場はない! 観念しろ!……ゼイ、ゼイ……」
どうやら、サラと熟年の兵士が戦っていた間も、ティオともう一人の若い兵士は、ずっと不毛な追いかけっこを続けていたらしかった。
ティオは、相変わらず、木の剣の柄の先っぽを指先で摘むように嫌々持って、地面を引きずっている状態だった。
一方若い兵士は、剣を構えてそれを追いかけていたが、ティオの逃げ足の早さにずいぶん翻弄されたらしく、肩で息を切らし、体中汗だくになっていた。
しかし、なんとか、訓練場の四隅の一つ、二辺が建物の壁になっている所にティオを追い込んでいた。
これでは、さすがのティオも退路がなく、今や壁に背中をへばりつけて、ヒイヒイ喚くだけだった。
「……ティオ、と言ったか。君の友人、いや、知人は、なぜ傭兵になろうなどと思ったのだね?」
「それは、私が聞きたいよー。あんの、バカ!」
その騒ぎに、訓練場の中央付近に居たサラと熟年の兵士も、思わず目を奪われて、しばらく呆然と見つめたのち、呆れ顔で言葉を交わしていた。
「これでは試験とは呼べないな。これ以上逃げ回るようなら、不合格を言い渡すとするか。」
「あ、でも、もうすぐ決着がつきそうだよー。」
サラと熟年の兵士は、今しばらく成り行きを見守る事にして、ティオと若い兵士の動向に注目した。
□
「ヒ、ヒイィッ!」
ティオが逃げ込んだ辺りは、一日中建物の影になっているせいか、地面がぬかるんで荒れていた。
元々一番下級の兵士を鍛えるための訓練場で、設備は簡易で質素なものだったが、人手と財源の不足も相まって、最近はほとんど手入れがされていない状態だった。
訓練場の地面は、ある所はカラカラに乾いて岩のように硬くなり、ある所はゴロゴロと石が転がり、また草が生え、あるいは、雨が溜まった跡を放置したせいで、酷い凹凸が見られた。
ちょうど、ティオが逃げたのは、荒れた地面の中でも、水はけが悪くずっと濡れた泥が堆積しているような場所だった。
「これでとどめだ!……やあぁー!!」
と、そこへ、ようやく走り回るのをやめたティオに向かって、若い兵士が剣を振り上げ走り込んでいった。
「うわあぁぁーー!」
ティオは、自分に向かってくる木の剣を目視するのに耐えられなかったのか、真っ青な顔で頭を抱え、クルリと背を向けてうずくまった。
その時だった、まさに奇跡が起こったのは。
離れた場所で見ていたサラと熟年の兵士には、何が起こったのかすぐには分からなかった。
いや、実際にティオに攻撃を仕掛けていっていた若い兵士にも、全く理解出来なかったろう。
サラには、背を向けてその場にしゃがみこむティオの、色あせた紺色のマントがバサリと大きくひらめいた所しか見えなかった。
そして、そのマントが、重力にしたがって、丸めたティオの背中に沿うように被さり静まる時……
……グラリと、剣を頭上に振りかぶった若い兵士が前のめりに倒れていく様子が目に飛び込んできたのだった。
若い兵士の腹には、うずくまったティオが脇に挟む格好で抱えていた木の剣の切っ先が、見事に命中していた。
(……え?……ええぇぇ!?……)
どうやら、若い兵士は、ぬかるんでいた地面で足を滑らしたらしい。
ズルッとバランスを崩して前に倒れこんだ、その場所に、たまたま、うずくまっていたティオが抱えていた剣の先が突き出していた。
そして、倒れた勢いで、自分の体重を、その突き出た剣に思い切り乗せてしまった。
しかも、剣の先が捉えたのは、急所であるみぞおちのど真ん中だった。
結果、腹を剣で突かれたのと同じ状態に陥り、兵士は意識を失って、悲鳴をあげる間もなく、ドッと地面に倒れこんでいったのだった。
(……は、はあぁぁぁー!?……)
サラも、熟年の兵士も、あんぐりと口を開けて、その奇跡のような不幸な事故の有り様を見つめていた。
□
「うわっ! な、何?」
ドシャッと、自分のすぐわきに若い兵士が倒れこんできたのに気づいて、ティオは、ビクッと顔を上げた。
「え? あれ? なんで? んん??」
訳が分からない様子で、おどおどキョロキョロしていたが、ハッと我に返って、サッと、まだかろうじて持っていた木の剣を、視線を逸らしたまま背中側に投げ捨てる。
「……ハー、ハー、ハー……」
木で出来ているとはいえ、剣……刃物の形をしたものに触れていた恐怖からか、しばらくうずくまったまま、真っ青な顔で震えていたが、やがて落ち着いてくると、すっくと立ち上がった。
もう一度、地面に倒れている兵士に視線を向け、彼が完全に気を失っているのを確認すると、一人腕組みをしてウンウンとうなずいていた。
そして、両手の拳をグッと握り締め、それを高々と天に突き上げて、吠えるように叫んだのだった。
「やった! 勝った! これで俺も傭兵になれるぞー!!」
「いやいやいや、いやいやいやいやいや……」と、サラが左右にブンブン首を振りながら、浮かれているティオに突っ込みを入れようとした、その時……
食堂があるとおぼしき兵舎の方から、ザワザワと人の話し声が聞こえ、たくさんの人の気配が近づいてきた。




