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父に署名をさせたその日の深夜。
我がアッカーソン公爵邸には、常にない緊張が走っていた。
本来であれば誰もが寝静まって静かな時間帯。
しかし今、公爵邸には沢山の憲兵が慌しく出入りしていた。
「お兄様、大丈夫ですか?」
「もちろんだよレミア、心配いらない」
心配そうに駆けてくるレミアと私の前には、父だった物体が横たわっていた。
手足をだらしなく曲げた状態で床にうつ伏せになっている。
そしてその周りを数人の憲兵が囲み、現場の検証をしていた。
数刻前、いきなり私の目の前で苦しみ出した父は血を吐いて倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。
そう……、それは奇しくも以前のレミアと同じ状況だった。
だが、私は父のように隠匿することはない。
後ろめたいことなど何もないのだから。
「では、公爵様はこちらのお茶を飲んだ直後こうなったと?」
「ええ…。父とは爵位譲渡の件で話し合っていたのですが、その途中で苦しみだして…」
「なるほど…」
憲兵の質問に答え、私は署名済みの譲渡書を差し出した。
これで私が爵位を狙っての犯行だと思われることはない。
また、父が倒れて直ぐに医師を呼んでいるので、それも問題はないはずだった。
ちなみに母はショックで倒れ、ロビアナは安全の為に王城で保護して貰っている。
お蔭で静かでいい。
「お兄様は飲んでいないのですか?」
「ああ、口を付ける直前に父が苦しみ出したので事なきを得た」
「……良かったですわ」
言いつつ、レミアが苦い顔で憲兵の持っているティーポットを見つめる。
恐らくレミアを死に至らしめたそれと同じ物だったのだろう。
「お茶は誰が用意したのでしょう?」
「父付きの侍女です。既に執事に拘束させておりますので、取調べをお願い致します」
「分かりました。ご遺体と証拠品も一時的にお預かりしますが宜しいですか?」
「もちろんです。父の死の真相が分かるなら幾らでも…」
死の真相など分かっている。
父が侍女に命じて私の命を狙ったのだ。
話があると呼び出された私が、素直に茶などを口にするはずがない。
父もそれが分かっていたからこそ、安全を示すように自分から先に茶を口にした。
侍女に言って、自分の分には安全な茶を用意させていたのだろう。
どうせこんな事だろうと思い、素知らぬ振りで父と私の茶器を入れ替えた。
案の定、その直後に父が倒れた。
毒殺を企むくらいなら、一瞬でも茶器から目を離すなと言いたい。
だが父が間抜けで助かった。
「自業自得だ……」
小さく呟いた私の声に反応する者は誰も居なかった。
その後、父は侍女による毒殺と断定された。
侍女は最後まで父からの依頼だと言って無実を訴えかけたが、その後死罪が確定した。
彼女は前世でもレミアの毒殺に加担した侍女だ。
父に逆らえなかったのなら見逃そうと思ったが、彼女は前世も今回もただ利己的な理由で毒殺に加担したのが分かっている。
前世は金を貰い、今回はこれを切っ掛けに父の愛人となる約束を取り付けていた。
そんな女に、私は慈悲を掛ける気など全くなかった。
そしてその後、父の喪が明け次第、私は無事に公爵となったのだ。
◇◇◇
それから更に半年後、ロビアナがレミュール殿下と結婚した。
子どもはどうやら父の死がショックで流れた事にしたらしい。
そういう知恵だけは回るロビアナに感心しつつ、私とレミアは王都を離れる準備に入る。
本当はもっと早くに離れるつもりだったが、母が余りにも煩くて出来なかったのだ。
母はしきりにロビアナと離れたくないと勝手に資金を渡したりと好き勝手し始めた。
仕方がないので男娼を宛てがい、領地に押し込める。
最初はブツブツと文句を言っていたが、直ぐに若い男に夢中になり大人しくなった。
暫くして落ち着いたら、適当な理由をつけて実家に帰す予定だ。
そしてロビアナはと言うと、前世と同じように王子妃教育が難航しているらしく、毎日のように私へと手紙を送ってくる。
『殿下が勉強をしろと煩くて敵いません。お兄様からも妻を労わるように言ってください。それと、可愛い妹のために茶会費用を用立てて下さい』
前世とまるで同じ内容の手紙に笑いが込み上げる。
ロビアナは全く何も変わっていない。
王族としての責務など気にせず、贅沢だけを享受している。
だが、ロビアナと違い、殿下はかなり焦っているはずだ。
何故なら、ロビアナと結婚した直後、レミュール殿下は王太子の座を下ろされたからだ。
選考のやり直しと言われているので完全に見捨てられた訳ではないが、ロビアナが傍に居る限り、返り咲く事は難しいだろう。
殿下からも我がアッカーソン公爵家の後ろ盾を望む手紙が頻繁に寄せられるが、私がそれを承諾することなどない。
何故なら、
「私にとって可愛い妹は、今も昔もレミアだけだからな」
そんなレミアは、来月ようやくユリアンと結婚する。
結局ユリアンは予定していた伯爵家は継がなかった。
今は一介の騎士という立場で、彼はそのまま私達と一緒に公爵領へと来る予定だ。
ユリアンの実力なら今世でも近衛騎士になれるのに、彼はレミアと共に私を支えたいと言ってくれている。
三人で幸せに暮らそうと言ってくれた。
思わず泣いてしまった私を、レミアとユリアンが慰めてくれる。
ああ、私は本当に幸せだ。
けれどこの幸せが【傲慢】ゆえのものだと私は忘れていない。
なぁ、ロビアナ…
お前は前世と今世の違いに気づいているか?
前のお前にあって今のお前にないものを分かっているか?
「多分お前は一生気付かないんだろうな…」
それを知っているのは私とレミア、ユリアンだけだ。
だから、私達はただ待つだけだ。
それがお前を追い詰めていくのを、ただひたすら、ずっと待つだけでいい。
今日、妹が死んだ。
子どもが出来ないことを苦にした自殺だった。
稀代の愚妃と言われたロビアナ。
それが、私が望んだ妹の最期だった。