魔法学基礎
教室に入ると、他の寮生達も既に席に着いていた。
座席は自由のはずなのだが、既に同じ寮の者達は同じ寮の者達で固まっている。
「どうやら俺たちが最後だったみたいだな」
「ごめんね。つい治癒術について語っちゃったせいで……」
「気にするな。一番後ろの席でもちゃんと教壇は見える」
俺とエドワードが残っていた最後方の席に座ると、ちょうどチャイムが鳴り、先生が現れた。
見覚えがあるな。テンペランス寮監の小太り中年、ニーチャ先生だ。
「はい、それでは授業を始めます。記念すべき一回目の授業は魔法学基礎。世界中の国から集まった君たちを指導するにあたって、魔法の前提をしっかり共有するための大事な授業だ。知っている人にとっては退屈かもしれないけど、基礎は大事だからちゃんと聞くように」
なるほど。確かにニーチャ先生の言う通り、魔法の体系は国ごとに異なる。
ただ一つ火を放つと言っても、色々な方法があり過ぎる。
「魔法というのは事象を書き換える力です。例えば火の魔法だと、無の現実に火という事象を書き加えることで成立します」
全ての魔法にこの原則が適用される。詠唱、歌、踊り、といった何かしらの行動で現実の一部を書き換える術が魔法なのだ。
「では、魔法の強弱というのは一体何で決められるのでしょうか? 分かる人はいますか?」
ニーチャ先生の質問に、赤毛の女生徒がピシッとすごい勢いで手を上げた。
ネクタイの色は赤、どうやらエンペラーオウル寮の生徒のようだ。ちなみにテンペランス寮は緑色だ。学年が上がるにつれて星がついていく。俺たちはみんな一年生だから一つ星だ。
「では、マリオンさん」
「はい、魔法の強さは魔力の強さです。魔力が低ければ事象変換は起きません。事象変換の扉は誰でも作れても、扉を開ける力が弱ければ魔法は弱くなってしまいます。逆に魔力が強ければ事象変換の扉が大きくなり、より強い魔法を引き出せます」
つまり現実離れしたことをしようとすればするほど、魔力が必要となる。
小さい火は簡単に発生しうるから消費魔力は少ないけれど、爆弾のような大爆発は簡単に発生しないから、消費魔力が大きくなるということだ。
その魔力を多く持つ者が俺たち魔法使いという訳だ。
「はい、その通りです。さすがマリオンさんよく勉強されていますね。では、簡単に実演してみましょうか。皆さん今からノートにこの記号を書いて下さいね」
ニーチャ先生が紙に書いた記号を掲げる。
円の中に文字のようなモノが一つだけ書いてある単純なものだ。
「エディ、これは一体?」
「ルーン文字だね。大神オーディンが見出した魔法文字が派生したもので、文字自体に意味があって、紙とかに刻むと魔法の触媒になるんだ」
「なるほど。陰陽術や風水術の符のようなものか」
陰陽術で使う符には漢字や記号などが書き込まれていて、式神や封印術を使う。
それの西央版なのだろう。なら、使い方は何となく分かる。
「ところで、大神オーディンと言ったか? 今のルーン文字と、昔のルーン文字は違うのか?」
「そうだね。神が見出した原初のルーンは強力過ぎて失われているよ。今あるルーンは人が使えるように改良されたものなんだ」
「なるほど。魔力が足りなければ、ただの記号にしかならないってことだな」
「そういうことだね」
エドワードからルーン文字の説明を受けていると、ニーチャ先生は紙をみんなに見えるよう掲げて、注目するよう声をあげる。
「この円は今から魔法を使う範囲を区切ったものになります。円の中にある文字は松明の火を意味していますので、後はここに魔力を注ぎ込めば――」
ボッと紙に火が点き、紙の上でロウソクのような炎がゆらゆらと揺れている。
「このように魔法が発動する訳ですね。そして、注ぎ込む魔力の量を増やせば、こうやって炎を大きくすることが出来ます」
ニーチャ先生の手の中にある炎が巨大化し、メラメラと燃え上がる。
ロウソクの炎くらいだったのが、まるで篝火のような強さに代わった。
魔力の強さで同じ魔法でも、これだけ変化が起きるんだ。
「とはいえ、個人によって適正は様々。文字の魔法が苦手で、詠唱ならすごく得意という人もいますからね。周りの人と比べて自分の炎が小さくても落ち込まないように。では、皆さんも火をつけてみて下さい」
ニーチャ先生の合図で、クラスのそこかしこで火がボンボンと音を立てて点いていく。
隣のエドワードは手の平に乗るくらいの小さな火がついた。
「あはは、小さいなぁ。僕はあんまりこういうの得意じゃなくて――ん? なんだろう?」
「おぉぉ!」
クラスの前の方で歓声が沸き上がる。その中心を見てみるとまるで火柱のような一際大きな炎が生まれていた。
「マリオン様すげえ!」
「さすがブリト連合の龍巫女!」
さきほどニーチャ先生の質問に答えた赤毛の少女マリオンに、みんなの注目が集まっている。
クラスの中にいる誰よりも大きな炎を生み出したということは、彼女がこのクラスの中で一番強い魔法使いだと言っているようなものだ。
「ふっ、当然です。私は赤龍の魔女ですもの。炎の魔法は得意でしてよ。今度の星杯戦で龍の炎を見せてさしあげますわ」
どうやらマリオンは龍に縁がある魔法使いらしい。道理で炎が得意な訳だ。
それに彼女も星杯戦に興味があるらしい。
俺が参加すればきっと戦うことになるだろう。
「素晴らしい魔力ですねマリオンさん。さて、これでみんな――、おや? 識君は火が点いていないようですが?」
「あぁ、すみません。西央の文字魔法は初めてだったので、ついついみんなの魔法を見ていました」
「そうでしたね。識君は日原出身でした。西央の術式で分からないことがあったら気軽に質問してくれて構わないからね」
「ありがとうございます。みんなのやり方を見て、俺もやり方が分かったので、やってみます」
ニーチャ先生の言葉で今度はみんなの注目が俺に向けられる。
そして、コソコソと小声で、あいつが全部の寮に選ばれたやつ、とか、あれが日原から来た田舎者か、と呟いている。
やりにくいけど、日原がバカにされないように頑張らないとな。
大神オーディンの文字だったか。外国の神降ろしが出来るか分からないけれど、呼びかけてみよう。
日原では八百万の神を降ろしてきたんだ。同じように自分の肉体を神憑きの器にして――。
(大神オーディン、叡智を貸して欲しい)
そう念じた途端、紙に書いた円の中に火花が走り、生み出された炎が龍の如く天に昇り、天井を貫いた。
「うわあああ!? 何だ!? 下の階から炎が噴き出したぞ!?」
「おい! 誰か巻き込まれたぞ! 治癒術を使えるやつはいるか!?」
上の階から悲鳴と叫び声が聞こえる反面、クラスの中はしーんと静まりかえって誰も言葉を発しない。
「……あのニーチャ先生、俺、何か記号を書き間違えたでしょうか?」
「あ、あぁ、どれどれ……。いや、僕たちと同じ術式ですね……」
「……ですよね?」
ニーチャ先生の書いた紙と照らし合わせても、違う所は全然ない。
確かにマリオンより強い炎を出せて、日原のことをバカにする人が減れば良いと思ったけど、こうなるなんて思ってもみなかった。
「えーっと、というように魔力の強さで魔法の出力は大きく変わります!」
ニーチャ先生が無理矢理本題に話を戻す。
とはいえ、上の悲鳴がいまだにすごくて、誰もニーチャ先生の話を聞いていなさそうだ。
「こらああ! これは誰がやったのですか!? ニーチャ先生! あなたが授業を見ているんでしょう!?」
それどころか、上の階から顔をのぞかせて怒鳴る先生にみんなの注目が集まっていた。
「魔法学基礎でこんな校則違反は前代未聞ですよ! 器物損壊に! 他の生徒への攻撃! 星を剥奪すべきです!」
「きょ、教頭!? い、いえ、別に故意ではありません。たまたま力の制御がうまくいかなかっただけで!」
「ですが、やってしまったことはやってしまったことです!」
「違います。生徒は悪くありません。僕の監督不行き届きで!」
「でしたら、あなたの給料の減給申請を出しますよ!」
「うっ……、仕方有りません」
ニーチャ先生がガックリ肩を落としてしまう。
庇ってくれるのはありがたいけれど、これは俺がやってしまったこと。
「俺がやりました。使用したこの紙が証拠です」
「識君!?」
「ほぉ、あなたですか。正直でよろしい――え? 冗談を言っているのですか?」
俺が紙を教頭に見えるよう上の階に向けて掲げると、ニーチェ先生は青ざめた。
けれど、紙を見た途端、それ以上に教頭の顔が青ざめてしまった。
「それは松明のルーン。松明の火でこのような破壊の炎を呼び出したと? バカバカしい」
「いや、ですが、本当に」
「冗談も休み休み言いなさい! 大神オーディンが使った原初のルーンならともかく、我々人に残されたルーンでこのような威力出ようはずがありません! ニーチャ先生! 減給です!」
教頭はそういうと空いた穴を塞いでしまった。
本当のことを言ったんだが、何故か否定されてしまったな。
減給か。ニーチャ先生には悪いことをした。
「すみません。ニーチャ先生」
「いえいえ、識君の才能を見抜けなかった僕の落ち度です。さて、皆さん授業の続きを始めましょう」
俺が謝るとニーチャ先生は全く気にする素振りもなく、授業を再開した。
けれど、授業の間、ずっとみんなの視線が俺に集まっていて、すごく気まずい気分になったよ。
俺はただ普通に魔法を発動させただけなんだけどな。