放浪者とゴーレム
午前七時。
アラームの耳障りな電子音が、俺――酒名楽酒名楽(三十八歳、独身、営業職)の脳を叩き起こす。
酒名楽そんな苗字とは真逆の生活をしているなとふと思う。
だが、そんな事を思うの正直無駄だ。
重い体を無理やり引きずり出し、洗面所の鏡に映る疲れ切った顔を無視して、スーツに身を包む。
駅までの道。満員電車の揺れ。死んだ魚のような目をした同僚たちの群れ。
オフィスに着けば、理不尽な要求をする上司と、無理難題を押し付ける取引先との電話が待っている。
「……はい、申し訳ございません。至急確認いたします」
何度このセリフを吐いただろうか。
午後九時。ようやく終わった事務作業。
コンビニで買った塩辛い弁当と、元は暖かった缶コーヒーが入ったレジ袋。
夜道を一人歩きながら、ふと思う。明日も、明後日も、十年後も、俺はこのサイクルの中にいるのだろうか。
アパートに着き、重い玄関の扉に鍵を差し込む。
ガチャリ、と金属音が響き、扉を開けた――その瞬間だった。
「……え?」
視界が真っ白な光に包まれる。
家の埃っぽい匂いは消え、代わりに冷たい石と、嗅ぎ慣れない不思議な香りが鼻を突いた。
「おお。成功だ! 四人の勇者が現れたぞ!」
聞き慣れない、高く、厳かな声。
目を開けると、そこは中世の城を思わせる豪華な広間だった。
俺の隣には、制服姿の高校生が三人。男子一人が女子二人をかばうように立ち、呆然と周囲を見回している。
「あの……ここは?」
高校生の問いに、玉座に座る王が尊大に頷いた。
「うむ。ここはエルドラド王国。お主らは魔界の侵攻から世界を救うべく召喚された聖勇者である。さあ、自身の『ステータス』をとくと見るとよい。」
促されるままに念じると、半透明のウィンドウが現れた。
高校生たちが「聖剣術!?」「大魔導だって!」とはしゃぎ声を上げる中、俺の画面にはこうあった。
【固有スキル:ゴーレム生成】
【共通スキル:鑑定、アイテムボックス】
『ただし、酒名楽には共通スキルは鑑定のみとする』
神様そりゃねぇぜ……
……ほんでいてゴーレム生成。なんだそりゃ。
傍らに立つ鑑定官が、次々と彼らの能力を読み上げていく。「素晴らしい!」「伝説級ですな!」と広間が熱狂に包まれる。
だが、俺の番が来ると、鑑定官の顔から劇的な色が消えた。
「……シュメイラク、三十八歳。スキルは『ゴーレム生成』。魔力消費の割に、木偶人形しか作れぬハズレスキルですな。そして共通スキルのアイテムボックスがない……?」
その瞬間、広間に冷ややかな空気が流れた。
王が露骨に鼻を鳴らし、吐き捨てるように言う。
「ふむ、数合わせのゴミか。役立たずを置いておく余裕はないのだがな……」
ゴミ、か。
会社でさんざん言われてきた言葉を、まさか異世界に来てまで聞くとは思わなかった。
だが、同時に俺の脳は冷徹に状況を整理し始めていた。
(……待てよ。ここで英雄扱いされて戦場に送られるより、好都合じゃないか?)
俺は営業スマイルを顔に貼り付け、一歩前に出た。
「――あ、失礼いたします。陛下、一つよろしいでしょうか」
あまりに場違いな、落ち着き払ったビジネス口調。王が怪訝そうに眉を寄せる。
「私のような凡庸なスキルを持つ者が、英雄の方々の足元を乱すのは、この国にとっても本意ではないかと存じます。それ故、数日分の当面の生活費さえ工面していただければ、私は本日をもって速やかにお暇させていただきます。」
「……何?」
「以後、この国に一切の迷惑をおかけしないことをお約束します。私を無駄飯食らいとして飼い殺すコストを考えれば、今ここで解決金を支払って放流する方が、官僚的な手続きも省けて合理的かと存じますが、いかがでしょうか?」
王も周囲の貴族も、呆気にとられている。
勇者召喚という儀式を、まるで「ミスマッチな人材の早期退職交渉」のように扱われたのだから無理もない。
「……よかろう。死にに行くというのなら止めはせぬ。金貨十枚、これを持ってすぐに消えるがいい」
「ご配慮、痛み入ります。それでは、皆様のご武運をお祈りしております」
俺は革袋に入った金を受け取ると、一度も後ろを振り返ることなく、スタスタと広間を後にした。
社畜生活、これにて終了。
あとに残ったのは、数枚の金貨と、わけのわからないスキル、そして「自由」だ。
「さて。まずは、キャンプ道具と……ゴーレムの動作検証だな……」
俺は足早に、城下町へと向かった。




