黒い蝶の首飾り
◆
ルーゼの記憶を見たという記述は、歴代の皇帝の記録には残っていない。
皇帝の試練でルーゼの神域までの道には、ルーゼの側近ともいえる幻獣たちがいる。
その一体ずつに挨拶をし、対話をする。
対話をするといっても、実際に会話ができるわけではない。
俺が皇帝になることを伝えて、認めてもらう。それが対話である。
幻獣たちの中には、俺を試すように威嚇をしたり、傷つけようとしてくるものたちもいたが、臆せず立ち向かえば認めてもらうことができる。
そしてたどり着いたルーゼの神域には、誰もいない。
悲しみや苦しさや喪失感のようなもの、それから孤独を感じるが──その理由はわからない。
それはきっとルーゼの感情の残滓なのだろうと思っていた。
そしてルーゼの力を身に宿した今は、その飢えはもっと激しく強く心を苛む。
けれどそれはリリステラに出会い、恋に落ちて。
深い懊悩が、消えていった。
乾いた大地に雨が降るように。
雨が大地を潤して、種子が芽吹くように。
リリステラがいれば、孤独は感じない。リリステラが愛してくれていれば。
俺の心の中のルーゼも、それから俺自身も満たされる。
だが──。
ルーゼの記憶の中の少女の亡骸を見た時に、まるでリリステラを失ったような喪失感に襲われた。
まるで、ルーゼが俺に何かを訴えかけているように思えた。
今はまだ、その理由はわからない。
わからないが、リリステラを失うようなことには、きっとならない。
どんなものからも、リリステラを守ことができる。
その力ぐらいは、俺にあるはずだ。
「リィテ。頼んでおいた耳飾りができた。君にも耳飾りをと思っていたのだが、君の耳に傷をつけるのは嫌だからな。首飾りにした」
職人に頼んでいた装飾品ができあがり、俺はそれを持ってリリステラの元へと訪れた。
リリステラは空いている時間には、キルシュたちに請われて勉強を教えている。
そのほかには母上とお茶会をしたり、一緒に刺繍を縫ったり。
母上のいい話し相手になっている。
その他には、レベッカが提案する新しいマッサージを受けたり、図書室で本を読んだり。
礼拝堂で祈りを捧げていることもある。
今日は礼拝堂にいるようだった。
リリステラは城の壁や天井を彩る絵や彫刻が好きだという。城の散策をするのも好きなようだが、礼拝堂の作りは特別好きなのだと言っていた。
「アル様……礼拝堂ですよ。静かにしないといけません」
「礼拝堂に祀ってあるのは、神であるルーゼだ。ルーゼとは俺。だから、俺はここで自由に振る舞っていい」
「そうなのでしょうか」
「あぁ」
「アル様がそうおっしゃるのなら、そうなのかもしれません」
リリステラや、リリステラと共に祈りを捧げていたレベッカたちのためにパイプオルガンで音楽を奏でていたシスターの指が止まる。
独特の音色が響いていた礼拝堂に、静寂が訪れる。
俺に遠慮をしてか、シスターが下がり、レベッカたちも礼をして礼拝堂から出ていった。
二人きりになった礼拝堂で、俺はリリステラを抱き上げると、祭壇の上へと連れていった。
俺の耳にはすでに、リリステラの瞳の色と同じアメジストで作った耳飾りがはめられている。
耳飾りは、耳に細い針で穴を開けて、その中に差し込む。
昔は体に傷をつけることは好まれなかったが、最近は耳飾りもそうだが、体に絵を彫るものも増えてきている。
「アル様、耳飾り、とてもよくお似合いです。……痛くはないですか?」
「痛くはないよ」
「私も……」
「それがどんな傷であっても、君に傷はつけたくない。首飾りは嫌だろうか」
「そんなことはありません。嬉しいです」
手を広げると、そこに宝石箱が現れる。
いつか俺が焼却炉から拾って修復させた髪飾りを、リリステラは大切に自室の宝石箱に入れて保管している。
あの髪飾りはリリステラの宝物で、大切だから頭につけることはしないといっていた。
だから普段から身につけることができるものを、何か贈りたかった。
祭壇の上においた宝箱の中には、繊細な金の鎖に、ペンダントトップとして、オニキスの黒い蝶が輝いている。
「どうかな。優雅で美しい君は、蝶に似ていると思ったのだが、気に入ってくれただろうか」
「はい、素敵です、アル様……本当に、綺麗」
「つけても?」
「お願いします」
リリステラの簡単に折れそうな程に細い首に、金の鎖を巻いて止める。
持ち上げた髪からはほっそりとした白い首と頸が見える。
思わず頸に口をつけて、そのままカリッと甘噛みをした。
震える体が、赤く染まる肌が愛しい。
「アル様……礼拝堂ですから、いけません」
「ここでは俺が神だから、何をしても許される。ルーゼも、喜んでいる」
「いけません、アル様……流されてしまいます、から」
「流されてくれ、リィテ。こちらを向いて」
おずおずとこちらを振り向くリリステラが愛しい。
その首の、浮き出た鎖骨の下で、蝶が揺れている。
「よく似合っている。美しいな、リィテ」
「アル様……」
ふっくらとした桜色の唇に、誘われるように口付けた。
唇は柔らかく、わずかに触れるだけで胸の奥が甘く蕩けていく。
リリステラの腰を引き寄せて、抱き寄せた。
細く頼りない体を腕に抱くと、花のようないい香りがする。
あたたかい。柔らかい。呼吸の音がする。心臓の音もする。
心臓の音が早く、アメジストの瞳が潤んで、頬が上気している。
このまま食べてしまいたいなと思う。
いつだって、触れたい。幾度触れても、足りない。
この感情は情動は、いつか落ち着く時が来るのだろうか。
今は、感情のままに振る舞ってもきっとリリステラは許してくれる。
「リィテ、近々また、晩餐会がある。皇帝となった俺に、貴族たちが十歳になった子供たちを連れて挨拶にくる」
俺はリリステラを抱き上げた。
このまま部屋に戻ろうか。それとも、庭園を散歩しようか。
「君は皇妃として、俺の隣に並ぶ。その首飾りを、つけてくれるか?」
「はい、もちろんです」
「気に入ってくれて、よかった。俺の贈ったもので、君を飾るというのはいいな。俺のもの、という感じがする」
「は、はい……」
リリステラは照れたように、俯いた。
俺は笑いながら、リリステラを抱いて礼拝堂を出る。
「貴族たちはダンスをするだろう? 俺はいつも、ルディとフレアの相手をしていた。でも、今回は君と踊れるな」
「ルディやフレアと踊っていたのですか、アル様」
「あぁ。可愛いと、評判だった」
女性と踊ると、その女性を特別扱いしているようで嫌だった。
好きでもない女性と体を密着させて踊るなど嫌だと我儘を言っていたら、ジオニスに「どこまで夢見がちなのですか」と文句を言われた。
嫌なものは嫌だ。
ルディとフレアの相手をしていたら、皆が可愛いといって喜んでいたし、ルディとフレアも喜んでいたのでそれでいいだろうと考えていた。
しかし、リリステラと踊れるというのは嬉しい。
リリステラは旧エルデハイムで苦しい思いをしていただろうから、フェデルタの晩餐会は楽しんでくれるといい。
俺はリリステラを連れて、庭園に向かう。
せっかく天気がいいのだから、今日はゆっくり二人で歩きたい。
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