古の記憶
神殿の祭壇の上に、翼のある大きな獣が寝転んでいる。
その傍に、四枚の翼のある蝙蝠のような獣や、炎を纏った鳥、岩を寄せ集めたような巨獣。半透明の肉に包まれた光る骨を持つ空を泳ぐ巨大な魚であり、翼を持つ獅子であり、氷を纏う狐の姿だ。
「……幻獣たちだ。ルーゼの力により使役することができるもの。だが……知らない姿があるな」
「これは、一体……」
ルーゼも幻獣たちも、私たちの姿には気づいていないようだった。
「これは……記憶か? ルーゼの……」
「遙か昔の、ということでしょうか」
「あぁ。恐らくは、ルーゼが幻獣の王として君臨していた時代の。今のルーゼは、フェデルタ皇家の血の中にだけ存在している。かつてはルーゼの神域に、幻獣たちの住む大地をおさめる王として――神として、存在していた」
私たちに、ルーゼが記憶を見せてくれているのだろうか。
「火の鳥フェニス、岩石の獣グラウロック、空の魚スフォルドに、翼のある虎エゴル、氷の狐コルフォル」
アルベール様が幻獣の名前を教えてくれる。
「他にも幻獣はいるが、ルーゼの傍に侍るとりわけ力の強い幻獣たちだ。しかし、四枚の翼ある蝙蝠は知らないな」
「見たこともないのですか?」
「あぁ。全ての幻獣はルーゼの配下であり、幻獣の名を俺は記憶している。だが、あの姿は……」
アルベール様はまだ警戒をしているのか、私を抱きしめている。
黒いマントの中に隠れるようにしながら、私は幻獣の姿を確認した。
確かにアルベール様の言うとおり、エルデハイム平定戦の時に見たことのある幻獣の姿だ。
エゴルにはジオニスさんが乗っていたのを覚えている。
『王よ。何故、人間などを助けるのか』
蝙蝠が言う。それは恐らく私たちには聞き取れない言葉なのだろう。
地響きのような声で、聞き取ることはできない。けれど、頭の中に文字として言葉が浮かんでくるようだった。
『人間は賢い。けれど弱い。弱い故に、私たちの魔力からうまれる魔獣に怯えて過ごしている。哀れだからだ』
ルーゼがこたえる。
よく晴れた日、草原にふきぬける風のような静かで透き通った声音だ。
この声と同時に、ルーゼの感情が伝わってくるようだった。
ルーゼは人を哀れみ、人を好んでいる。
幻獣の支配する土地で細々と生きている、知恵と愛を持つ人間たちと、共に生きたいと願っている。
『あのような、虫けらどもに心を砕くなど馬鹿げている。すぐ死ぬがすぐ増える。下等種族だ』
『ネクロム。お前とは、我らが産まれたときより共にいるが、どうして弱いものを哀れむことができないのだ』
『ルーゼこそ、我らの土地に無断で住みつく人間たちを哀れむなど、どうかしている』
蝙蝠の名前はネクロムという。
他の幻獣たちはルーゼの味方をし、ネクロムは徐々に孤立していった。
場面が変わり――幻獣たちの姿は消えて、ルーゼはひとりで神殿に寝そべっている。
そこに、銀の髪に紫色の瞳をした少女が迷い込んできた。
「……リィテに、似ているな」
「髪の色と目の色が似ていますけれど……」
顔立ちも、どことなく似ている気がする。
少女はルーゼの前で膝をついた。
「……森で、迷ってしまって。気づいたら、ここに。あなたは……神様ですか」
『私はルーゼ。幻獣の王』
「はじめまして、ルーゼ様。お休みの邪魔をしてしまってもうしわけありません」
『別に構わない。退屈を紛らわせるために、寝ていただけだ』
少女はルーゼを怖がらず、明るい笑顔で挨拶を交わした。
ルーゼは帰り道が分からないという少女としばらく共に暮らすことにした。
本当は家に帰すことができたのだけれど、少女と話しているうちに、人間と仲良くなりたいと願っていたルーゼは、少女を帰すことが惜しくなってしまったのだ。
「ルーゼ様は、ふかふかですね。とても可愛らしいです」
『君は、家に帰りたいとは言わないな』
「ルーゼ様の傍にいれば寂しいとは思いませんから。他の幻獣の方々も、よくしてくださいますし」
ルーゼが大切にしている少女のことを、ルーゼに従う幻獣たちも敬った。
そうして穏やかな日々が続いたある日――。
ルーゼが目覚めると、少女の遺体が目の前に転がっていた。
『人間を傍に置き、共に暮らすなど。それでも幻獣の王か。神と崇められたあなたは、人間によって堕落し、乱心した!』
『ネクロム、なんということを』
『人間の姿をした愛玩動物が欲しいのなら、我が人間に命を吹き込んでやろう』
ネクロムの力がそそがれて、少女の遺体が起き上がる。
瞼が開き、生前と同じように微笑んだ。
「――ルーゼ様、愛しております」
『ネクロム……』
それは、少女の姿をした操り人形だった。
『なんて、残酷なことを』
怒りに満ちたルーゼの声は、嘆きは、幻獣の聖域である森中に響き渡った。
ルーゼの炎がネクロムを焼き、そして人形と成り果てた少女も焼いて、形も残さず消してしまった。
それから――ルーゼは少女の家族を探した。
彼女の兄は、彼女を探し続けていた。元々少女は──贄のために産まれた。
十五になると、少女が産まれた村では贄をささげていた。
贄をささげれば、魔獣の脅威が去ると信じられていたのだ。
贄に捧げられる日、彼女は逃がした。兄が逃がしたのだ。
そして兄は──村のものたちや、家族たちを全て、殺めた。
ルーゼは彼女の兄の元へ姿を現すと、その血を彼に渡した。
『私はあの子を愛していた。けれど――殺してしまった』
『私の力をお前に渡そう。お前は私の力を使い、王となり人を守れ』
『私はお前の中で眠りにつこう。だができれば――もう一度、彼女に会いたい』
そう言い残して、ルーゼは消えた。
そうしてルーゼの力と共に、ルーゼの悲しみや、餓えや、渇望が――初代フェデルタ王の中に植え付けられた。
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