庭園での戯れ
王宮から外に出ると、柔らかい日差しが美しく整えられた庭園に降り注いでいる。
背の高い薔薇の壁や、不思議な形をした時計草。艶やかな色をした金魚草。
植物園のように、様々な花がのびのびと葉を伸ばし、花を咲かせて、光をいっぱいに受けている。
「風が心地いいな、リリステラ。城の中も悪くないが、外もいい。庭園の中には小さな離宮があるんだ。人払いしてあるのでな、君と二人きりになることができる」
「……とても綺麗です、アルベール様」
「庭園も気に入ってくれたか? 幼い頃はよく、この場所で走り回って遊んでいた。ここは広くて、隠れるのにはちょうどいいんだ。小うるさい家庭教師から逃げるのには最適だった」
「逃げるのですか?」
「あぁ。行儀が悪いだの、口が悪いだのと、よく言われてな。俺と一緒にいた男、覚えているか?」
「ジオニス様、と」
「……大変だ。君が、ジオニスと呼ぶだけで、苛々してしまうな。これはまずい」
庭園の入り口から奥へと、アルベール様はゆっくりと進んでいく。
陽光の香りと、花の甘い香りがする。
柔らかい風が頬を撫でて、私は目を細めた。
「俺は、苛々すると口が悪くなる癖がある。今も、ジオニスを罵倒しそうになってしまった」
「何か、悪いことを言ったでしょうか、私……」
「これは、嫉妬だ。君が他の男の名を呼ぶのが許せない。いっそ俺以外の男を全て消し去ってしまいたい。……リリステラ、俺だけを見て、俺だけの名を呼んでくれ」
「アルベール様……」
「あぁ。もう一度」
「……アルベール様」
「ふふ……いいな。落ち着いてきた」
他の男性の名前は、呼ばないほうがいいようだ。
フェデルタの後宮に入るということは、きっとそういうことなのだろう。
「ジオニスの話だったな。ジオニスにも昔よく叱られた。口が悪いと言ってな。ここはいい隠れ家だった。だが、本当に迷いやすいから、気をつけて。……とはいえ、俺は君を一人にする気はないから、大丈夫だとは思うがな」
花の迷路を抜けた先に、立派な神殿のような場所がある。
三方を壁に囲われていて、正面は吹き抜けになっている。
長方形の部屋の中には大きくて立派なソファがある。
テーブルには飲み物や、食事や菓子が、花々とともに飾り付けられて用意されていた。
アルベール様はソファに座ると、そのまま私を膝に抱いた。
ソファに座るのかと思っていた私は、思いがけず幼い子供ような扱いをうけて、頬を染めた。
「あ、あの……」
「どうした?」
「私、恥ずかしいです……」
「……可愛いな、リリステラ。照れた顔も可愛い。だから、降ろしてやらない」
アルベール様は少し意地悪をするようにそう言って、口角をつりあげた。
私は戸惑いながらも、大人しくしていた。嫌、というわけじゃない。恥ずかしいだけだ。
「リリステラ。俺の名は、アルベールだが、アルと呼んでくれ。その方が嬉しい」
「……アル様」
あぁ――アル様だ。
そう呼ぶと、胸に花が咲いたように、あたたかい気持ちになる。
私はあの学園で、たぶんきっと、アル様に恋をしていた。
そして、今もずっと。
「君のことを、なんと呼べばいい?」
「……亡くなったお母様は、私を、リィテ、と」
「リィテ。いいな、リィテ。君の名は美しいが、リィテというのは愛らしい響きだ。リィテ」
「はい」
「好きだ」
「……はい。アル様」
私も、あなたを好きだと言っていいのだろうか。
立場を弁えずに、好きだと伝えていいのだろうか。
アルベール様の優しさに、その言葉に、熱心に私を見つめてくださる――神様みたいな金の瞳に、溺れてしまいそうになる。
でも――怖い。
かつてラウル様も、私を婚約者だと優しく扱ってくださった。
けれどその優しさは、簡単に暴力に変わってしまった。
アルベール様が信じられないというわけじゃない。ただ、失うことを考えてしまうと、足が竦んでしまう。
私は、アルベール様の妻にはなれないのだ。
ひとときの優しさに溺れてしまえば、きっと苦しくなるだけだ。
覚悟、しておかないといけない。
「リィテ。何か口にしよう。リィテは何が好きだろうか。フェデルタの料理が、口に合うといいのだが」
「ありがとうございます。お気遣い、とても嬉しいです」
「嫌いなものがあれば何でも言ってくれ」
「はい。食べ物の好き嫌いはありません」
「では、これは? これは、クラプフェン。揚げパンだな」
アルベール様が、お皿に並んでいる丸い形で、砂糖やクリームやチョコレートの塗られているお菓子を示した。クランベリージャムの赤や、粉砂糖の白、アーモンドの茶色が鮮やかで、可愛い形をしている。
「くら?」
そのような名前の菓子はエルデハイムにはなかったので、発音が難しい。
「クラプフェン」
「くらくえ、ん」
「クラプフェン」
「くらぷ」
「クラプ」
「く……らーぷ?」
何度もゆっくりと、アルベール様が教えてくださる。
私は舌の形に気をつけながら、同じように発音してみたけれど、うまく音が出ない。
不意に、アルベール様がきつく眉を寄せた。
怒らせてしまったのかと一瞬思ったのだけれど、噛みつくように唇が重なった。
「ん、……ん……っ」
触れあう唇は少し湿っていて、柔らかい。
キスをされたのだと理解したときには、私の口の中にアルベール様のそれが入り込んで、舌を絡め取られていた。
「ふ、ぁ……う……」
こんなことをされたのは、はじめてだ。
熱くて、柔らかいけれど芯のあるような、分厚くて大きな舌が、私の口をいっぱいにしている。
奥にひっこめていた舌を優しく絡め取られて、味わうように舐られる。
私は――男性に触れられるのが怖いと、思っていた。
路地裏で男性たちに。そして、ラウル様にも、襲われそうになって。
お父様にも、服を脱げと言われた。
だからきっと、こういうことをされたときに、それがたとえ好きな方であっても、怯えてしまうかもしれないと不安だった。
でも、少しも嫌じゃない。
甘くて、愛しくて、嬉しくて。恥ずかしくて。胸が、いっぱいになる。
「ん……ん……」
呼吸の狭間に吐息が漏れて、水音が静かな庭園に響いた。
どれぐらいそうしていたのだろう。
溶けあってしまうぐらいに私の中をアルベール様は味わって、それから、もう一度軽く優しいキスをして、離れた。
荒い息づかいが、耳にうるさいぐらいだ。
繋がった銀糸を舐とって、アルベール様は私の頬を撫でる。
「リィテ。可愛い、俺のリィテ。すまない。耐えられなかった」
「……アル様」
「愛しているよ、リィテ。おかしいぐらいに、君が欲しい。……俺はもっと自分が、落ち着きのある男だと思っていた。恋愛には、順序があるのだろう? ……だが、行儀よく、していられない」
「アル様……私、アル様が、好きです。……アル様の、妾にしていただけるのなら、私は嬉しいです」
じわりと、涙が滲んだ。
生理的なものなのか。それとも、思いを告げてしまったせいなのかは、自分でもよくわからない。
長いキスのあとの熱に浮かされた頭では、言葉を飾ることもできない。
素直に感情を口にすると、アルベール様は信じられないものを見るように、目を見開いた。
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