表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/92

庭園での戯れ



 王宮から外に出ると、柔らかい日差しが美しく整えられた庭園に降り注いでいる。

 背の高い薔薇の壁や、不思議な形をした時計草。艶やかな色をした金魚草。

 植物園のように、様々な花がのびのびと葉を伸ばし、花を咲かせて、光をいっぱいに受けている。


「風が心地いいな、リリステラ。城の中も悪くないが、外もいい。庭園の中には小さな離宮があるんだ。人払いしてあるのでな、君と二人きりになることができる」


「……とても綺麗です、アルベール様」


「庭園も気に入ってくれたか? 幼い頃はよく、この場所で走り回って遊んでいた。ここは広くて、隠れるのにはちょうどいいんだ。小うるさい家庭教師から逃げるのには最適だった」


「逃げるのですか?」


「あぁ。行儀が悪いだの、口が悪いだのと、よく言われてな。俺と一緒にいた男、覚えているか?」


「ジオニス様、と」


「……大変だ。君が、ジオニスと呼ぶだけで、苛々してしまうな。これはまずい」


 庭園の入り口から奥へと、アルベール様はゆっくりと進んでいく。

 陽光の香りと、花の甘い香りがする。

 柔らかい風が頬を撫でて、私は目を細めた。


「俺は、苛々すると口が悪くなる癖がある。今も、ジオニスを罵倒しそうになってしまった」


「何か、悪いことを言ったでしょうか、私……」


「これは、嫉妬だ。君が他の男の名を呼ぶのが許せない。いっそ俺以外の男を全て消し去ってしまいたい。……リリステラ、俺だけを見て、俺だけの名を呼んでくれ」


「アルベール様……」


「あぁ。もう一度」


「……アルベール様」


「ふふ……いいな。落ち着いてきた」


 他の男性の名前は、呼ばないほうがいいようだ。

 フェデルタの後宮に入るということは、きっとそういうことなのだろう。


「ジオニスの話だったな。ジオニスにも昔よく叱られた。口が悪いと言ってな。ここはいい隠れ家だった。だが、本当に迷いやすいから、気をつけて。……とはいえ、俺は君を一人にする気はないから、大丈夫だとは思うがな」


 花の迷路を抜けた先に、立派な神殿のような場所がある。

 三方を壁に囲われていて、正面は吹き抜けになっている。

 長方形の部屋の中には大きくて立派なソファがある。

 テーブルには飲み物や、食事や菓子が、花々とともに飾り付けられて用意されていた。

 アルベール様はソファに座ると、そのまま私を膝に抱いた。

 ソファに座るのかと思っていた私は、思いがけず幼い子供ような扱いをうけて、頬を染めた。


「あ、あの……」


「どうした?」


「私、恥ずかしいです……」


「……可愛いな、リリステラ。照れた顔も可愛い。だから、降ろしてやらない」


 アルベール様は少し意地悪をするようにそう言って、口角をつりあげた。

 私は戸惑いながらも、大人しくしていた。嫌、というわけじゃない。恥ずかしいだけだ。


「リリステラ。俺の名は、アルベールだが、アルと呼んでくれ。その方が嬉しい」


「……アル様」


 あぁ――アル様だ。

 そう呼ぶと、胸に花が咲いたように、あたたかい気持ちになる。

 私はあの学園で、たぶんきっと、アル様に恋をしていた。 

 そして、今もずっと。


「君のことを、なんと呼べばいい?」


「……亡くなったお母様は、私を、リィテ、と」


「リィテ。いいな、リィテ。君の名は美しいが、リィテというのは愛らしい響きだ。リィテ」


「はい」


「好きだ」


「……はい。アル様」


 私も、あなたを好きだと言っていいのだろうか。

 立場を弁えずに、好きだと伝えていいのだろうか。

 アルベール様の優しさに、その言葉に、熱心に私を見つめてくださる――神様みたいな金の瞳に、溺れてしまいそうになる。

 でも――怖い。

 かつてラウル様も、私を婚約者だと優しく扱ってくださった。

 けれどその優しさは、簡単に暴力に変わってしまった。

 アルベール様が信じられないというわけじゃない。ただ、失うことを考えてしまうと、足が竦んでしまう。

 私は、アルベール様の妻にはなれないのだ。

 ひとときの優しさに溺れてしまえば、きっと苦しくなるだけだ。

 覚悟、しておかないといけない。


「リィテ。何か口にしよう。リィテは何が好きだろうか。フェデルタの料理が、口に合うといいのだが」


「ありがとうございます。お気遣い、とても嬉しいです」


「嫌いなものがあれば何でも言ってくれ」


「はい。食べ物の好き嫌いはありません」


「では、これは? これは、クラプフェン。揚げパンだな」


 アルベール様が、お皿に並んでいる丸い形で、砂糖やクリームやチョコレートの塗られているお菓子を示した。クランベリージャムの赤や、粉砂糖の白、アーモンドの茶色が鮮やかで、可愛い形をしている。


「くら?」


 そのような名前の菓子はエルデハイムにはなかったので、発音が難しい。


「クラプフェン」


「くらくえ、ん」


「クラプフェン」


「くらぷ」


「クラプ」


「く……らーぷ?」


 何度もゆっくりと、アルベール様が教えてくださる。

 私は舌の形に気をつけながら、同じように発音してみたけれど、うまく音が出ない。

 不意に、アルベール様がきつく眉を寄せた。

 怒らせてしまったのかと一瞬思ったのだけれど、噛みつくように唇が重なった。


「ん、……ん……っ」


 触れあう唇は少し湿っていて、柔らかい。

 キスをされたのだと理解したときには、私の口の中にアルベール様のそれが入り込んで、舌を絡め取られていた。


「ふ、ぁ……う……」


 こんなことをされたのは、はじめてだ。

 熱くて、柔らかいけれど芯のあるような、分厚くて大きな舌が、私の口をいっぱいにしている。

 奥にひっこめていた舌を優しく絡め取られて、味わうように舐られる。

 私は――男性に触れられるのが怖いと、思っていた。

 路地裏で男性たちに。そして、ラウル様にも、襲われそうになって。

 お父様にも、服を脱げと言われた。

 だからきっと、こういうことをされたときに、それがたとえ好きな方であっても、怯えてしまうかもしれないと不安だった。


 でも、少しも嫌じゃない。

 甘くて、愛しくて、嬉しくて。恥ずかしくて。胸が、いっぱいになる。


「ん……ん……」


 呼吸の狭間に吐息が漏れて、水音が静かな庭園に響いた。

 どれぐらいそうしていたのだろう。

 溶けあってしまうぐらいに私の中をアルベール様は味わって、それから、もう一度軽く優しいキスをして、離れた。

 荒い息づかいが、耳にうるさいぐらいだ。

 繋がった銀糸を舐とって、アルベール様は私の頬を撫でる。


「リィテ。可愛い、俺のリィテ。すまない。耐えられなかった」


「……アル様」


「愛しているよ、リィテ。おかしいぐらいに、君が欲しい。……俺はもっと自分が、落ち着きのある男だと思っていた。恋愛には、順序があるのだろう? ……だが、行儀よく、していられない」


「アル様……私、アル様が、好きです。……アル様の、妾にしていただけるのなら、私は嬉しいです」


 じわりと、涙が滲んだ。

 生理的なものなのか。それとも、思いを告げてしまったせいなのかは、自分でもよくわからない。

 長いキスのあとの熱に浮かされた頭では、言葉を飾ることもできない。

 素直に感情を口にすると、アルベール様は信じられないものを見るように、目を見開いた。




お読みくださりありがとうございました!

評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ