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9話



「大丈夫ですか、遠い目をしてますけど」


「あ、すみません、酔いが回ったみたいで」


急に話しかけられ分かりやすく狼狽える。ビール一本で酔う程弱くはないのだが彼女は俺の嘘を真に受けてしまったようで「そろそろ帰りましょうか」と気遣ってくれた。嘘を吐いた罪悪感…!が、ビールの中身もほぼ空になってしまったし、これ以上彼女とここにいる正当な理由は無くなってしまった。彼女も丁度飲み終わったらしく、ベンチから腰を上げる。空になった缶は各自持ち帰ると言うことになっているため、予め用意していたビニール袋に缶を突っ込んだ。


「次はいつにします?」と訊ねられたので予定が空いている日(本当は毎日暇だがそんなことは言えない)の候補を伝えた。互いの予定を擦り合わせた結果、次は二週間後の水曜に決まった。確かその日は早番だった気がするが…変わる可能性もある。連絡を取る手段を決めていないので、早番から遅番に変更になった場合彼女はここで一人ポツン、と待つことなってしまう。それは駄目だ。


「二週間後の水曜、確か早番のはすなんですけど急に予定が変わった場合どう連絡をすれば」


「ああ、そうですね…その場合手間をかけてしまうのですが私の職場、第一調合室当てに手紙を送ってもらえれば。クラウス・キールバルトさんからの手紙だけは届けて欲しいと検閲の方には伝えておくので」


クラウス・キールバルト「だけ」。やけに強調されていたのは気のせいだろう。それに彼女から(フルネームで)名前を呼んでもらうのは初めてだ。何だがむず痒い。そう言えば女性から名前を呼ばれるのは学生時代以来で、新鮮な気持ちになる。


王城で働く人間に届けられる手紙は全て検閲される。当然ストーカー紛いの手紙、身に覚えのない相手からの手紙は本人に届けられることはない。前もって「この人からの手紙は届けて欲しい」と伝える場合を除いて。自分がその「例外」に入っているという事実に何とも言えない優越感が湧き上がる。王城に勤務している友人は数人いるし手紙を出したこともあるが全員男だ。それ以前に女性に手紙を出したことも届いたこともない。


手紙を出すのは急な用事が出来た時のみだと言うのに、俺は自分の字が人から見て綺麗と言われる程度のものかという不安に駆られていた。字が汚い人間はいい印象を抱かれないという。家族や教師にも綺麗とも汚いとも言われた記憶がない、つまり普通。…付け焼き刃でも綺麗に字を書く練習でもするべきだろうか。


「…分かりました、予定が変わったらすぐ連絡します」


平静を装ってはいるが、普段碌に使われない俺の脳みそは、この時ばかりはフル回転して考えを巡らせていた。この間約10秒。とりあえず書店で「綺麗な字の書き方」でも探そうかと思う。


それから暫くして2人で公園を出る。初めて会った時と変わらず、彼女の家の近くだという住宅街まで送って行った。


「いつもありがとうございます、おやすみなさい」


「おやすみなさい、気を付けて」


ふわりと微笑むと彼女は俺に背を向け歩き出す。やがてその後ろ姿は曲がり角の先へと消える。ああ、心安らぐ時間が終わってしまった。別に仕事に対するストレスを感じているわけでも、人間関係に悩んでいるわけでもない。勿論自分が自覚していないだけで、心身に疲れが蓄積されている可能性もあるが、それがイングリッドさんとの交流で和らいでいるのは確かだ。実際一か月前から調子がいい。寝る前に本を読まないと寝付けなかったのに、最近では12時近くになると自然に眠くなる。寝起きは子供の頃から最悪と言えるレベルで悪かったが、朝になるとスッキリと目が覚めるので自分が凄く健康な人間になった気がする。面倒くさがってサボり気味だった自炊も再開した。


もしかしたら彼女の周囲には人の健康を促進させるオーラのようなものが出ているのかもしれない。いや、そんなことあり得ないけれど。それでも一カ月でこれなら、この先も続いたら俺はとんでもなく健康な成人男性になってしまう。


ん、この先も…。俺は無意識に彼女との交流がこの先も続くと思っていたことに驚く。いやいや、今日で会うの3回目だぞ。どれだけ彼女と交流を心待ちにしているんだ。前のめりすぎて自分でも少し引く。女性慣れしてない男はちょっとばかり優しくされただけでこれだ。行き過ぎた奴が俗にいうストーカーと化してしまうんだろう。


あまり彼女に対し入れ込み過ぎるのは良くない。人間とはすぐに気が変わる生き物だ。これから先イングリッドさんが同僚や他部署の人間との交流が増え、交友関係も広がる。もしかしたら恋人ができるかもしれない。そうなれば。


『友達も増えたし、彼氏も出来て忙しいのでこうして会うのもう止めにしたいんです、彼氏に誤解されたくないので』(幻覚)


この名状しがたい交流も打ち止めになってしまうはず。仮にそうなり、彼女ともう会うことはなくなったとしても恨むつもりは毛頭ない。「たかだか一カ月に数回酒を飲む程度の間柄」に過度な期待をした自分が悪い、と諦めるだろう。



まあ、いつそうなってもいいようにこの数少ない交流を噛みしめることにしよう、と俺は改めて決意した。




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