Once a Century
分からないものはわからないし、知らないものは知らないし、出来ないことは出来ない。大半の人の夢は夢のまま終わるのだろうし、金は空から降ってこないし、登校中に曲がり角でぶつかった女の子が自分のクラスの転校生だった。なんてことは絶対にない。みんな誰しもそれは分かっているし、それを望む人達も心の中では諦めている。ただ、もしかしたら…何てことを考える奴は一定数存在している。だが、現実は甘くない。偶然や奇跡なんかを信じて生きている人間に否を叩きつけ、神は努力する者をあざ笑う。才能というものは何においても重要だし、僕はそれがなによりもたまらなく欲しかったが、結局何をどう頑張っても「ほかの人よりはできる」くらいにしかなれなかった。長くなったが結論から言わせてもらうと、つまり僕は、圧倒的に、「ただの人」だった。
◇ ◇ ◇ ◇
カーテンからうっすらと差し込む白い光によって僕、宮野聖賢は目を覚ました。部屋はまだ薄暗く、時計がないこの部屋にも、夜が明けてからまだそう時間が経っていない早朝だということを教えてくれる。そのままなんとなしにぐるっと辺りを見回して、今自分が借りている自分の部屋を確認した。くすんだ茶色をしたぼろいタンスに机、そして自分の枕元に薄汚れた一冊の分厚い本。幼いころから大量の物に囲まれて育ってきた僕には、わずか4畳ほどしかない部屋の狭さに加え、その暗い色の木材でできた部屋のせいでえらく殺風景に見えた。その部屋が何だか、「まだ寝ていろ」と自分に言い聞かせているようにも見えた。僕は、何の気もなく少しの間ベットの上でぼーっとした後、再び暖かい羽毛布団の中へと誘われて、その魔力に抗うことをせずに易々と身を委ねた。
「おい坊主、いつまで寝てんだ?もうとっくに日は上ってるぜ」
突然頭の上に降って湧いた野太い男の声で、僕は微睡から目覚めた。
「…おはようございます、ビリルさん」
「おう、お前がうちに転がり込んできてもう1週間経つが、まさかもう貴族様になった気分でいるとは、やるじゃねえか」
そう言って、彼(身長2メートルはありそうな無精ひげを生やした、全身筋肉おじさん)はにやりと笑った。
そう。僕はついこの間からこの大男、ビリルさんの家に住まわせてもらっている。なぜそのような事態になってしまったのか。それには僕の出身地のことから離さなければいけない。
俺はつい1週間前まで、北海道にある札幌という都市に住んでいた。その日はひどい吹雪で、気温もマイナス20度ほどだったと思う。記録的な大寒波が北海道全域を襲ったのだ。しかし偶然にもその日、家の暖房が壊れてしまい、僕は寒さに耐えながら服を着こみ、大量の毛布と布団をかぶって寝たんだ。
次の日に目が覚めると、僕がいたのはベッドで寝ているビリルさんの腹の上だった。最初は当然混乱した。なぜか自分の下で身の丈2メートル程の大男が寝ていて、しかも自分の部屋ではない場所にいるのだから。
当然、まず最初に今起こっていることは夢だと考えた。こんな意味の分からないことは夢に決まっている、と。しかし、何日たっても一向に夢から覚める気配はなく、ビリルさんと色々と会話してるうちに、自分が地球ではないどこかに…異世界に来てしまったということが分かった…というか理解させられた。その時僕は、友達にお別れも言えなかったなぁとか、まだ高校生活楽しんでいたかったなあとか、大したことは考えてなかったように思う。ただ、漠然とこれから始まる生活への期待感ばかりがあったような気がする。
つい最近自分に起こった夢のようなことを思い返していると、ビリルさんが訝しげな目で俺を見ていたので、慌てて返事を返した。
「許してくださいよ…昨日はちゃんと農作業手伝ったじゃないですか」
「そんなんはなあ、毎日やんなきゃ意味ねんだぜ?二日目でもうさぼってちゃあ3日坊主じゃなくて一日坊主だ」
ビリルさんは家族で農家を営んでいる。生活には結構余裕があるらしく貯金はあると言っていたが、ただ飯ぐらいを養う気はないと言われ、昨日から農作業を手伝っている。農作業は初めてやったのだが想像以上に体は疲れていたらしく、不覚にも二度寝してしまった。なんなら今も眠い。
「すみません、すぐに手伝うのでちょっと待っててもらってもいいですか?」
「その心意気やよし!と言ってやりたいところだが、残念ながら今日は休みだ。昨日は初めての事だったんだし疲れただろう。今日はお前が着る服を町まで買いに行くぞ。俺の服が着れればそれでよかったんだがなあ、お前にはデカすぎるな」
そう言われて、自分がしばらく着替えてすらいないことを思い出す。ありえないくらい寒かったあの日は、服を何枚か重ね着した上に布団をかぶって寝ていたが、ここの気温は初夏ぐらいの暑さのために着れなかったのだ。半袖とスウェットのズボン、そしてパンツが二枚に靴下ワンセット。あとはパーカーやらニットやらでこの暑さではさすがに着るのは難しいものばかりだった。
ビリルさんは、起きたら自分の上にのしかかっていた変な男にたいして質問もすることもなく、親切にしてくれているすごくいいおっちゃんだ。正直、違う世界から来たんですーなんて言っても信じてもらえる筈もないのでありがたい。
「ビリルさんがデカすぎるんですよ」
「それは前々から俺も思ってたぜ」
「ですよね~」
笑い合いながら軽口をたたきあい、階段を下りて居間へ行くと、テーブルの上に置かれた美味しそうな朝食と、それを準備してくれたであろう金髪で美人な女性が一人待っていた。
「おはようございます、マサタカさん。起きてくるのが遅かったのでスープはもうとっくに冷めちゃいましたよ?」
「おはようございます、マイアさん。昨日ビリルさんを手伝ったせいで足腰が痛いんですよ…許してください」
「あら、働かざる者食うべからずって言うじゃないですか。そんなんじゃいい男になれませんよ?」
そういってコロコロと目を細めて笑う彼女は、ビリルさんの奥さんであるマイアさんだ。40歳くらいの見た目をしているビリルさんに比べて、彼女はすごく若く見える。多分歳の差10歳くらいあるんじゃないか?なんてことを考えながら、僕は固いパンをスープに浸しながらモソモソと朝食を食べる
「今日は昨日から話していた通りみんなで町に買い物に行くぞ、マイア。フィルの準備はもう終わってるか?」
ビリルさんがマイアさんにそう尋ねる。フィル、というのはこの夫婦の一人娘で、ちょっと人見知りだけど元気いっぱいな8歳の女の子だ。僕と初めて話したときは目も合わせてくれなかったが、一週間で大分打ち解けて、今ではマサタカにいちゃんと呼ばれている。
「あの子ったら久しぶりの買い物だからってもう張り切っちゃって。とっくに家の外で待っていますよ」
「あんまり買い物には行かないんですか?」
「そうですね。うちはあんまりお金がないので生活必需品も最低限しか買いませんし、家で育ててる農作物や家畜で大体のご飯は賄えますしね。町へ行くのは大体1週間に一回くらいです。今日は3週間ぶりに出かけるんですよ」
どうやら買い物に行く頻度はそんなに高くないみたいだ。とすれば、フィルちゃんを待たせるのも悪いし、さっさと朝ごはんを食べてしまおう。
◇ ◇ ◇ ◇
僕が住まわせてもらっているビリルさんの家は、レーアマタガという町のはずれにあり、そこで農場を営んでいる。「町」へ行くというときは、レーアマタガの中でも店や住宅街が多く並ぶ中心街のことを指すらしい。ビリルさんやマイアさんに色々と質問をしながらしばらく歩いていると、ぽつぽつと建物が見え始め、徐々に人々の喧騒のようなものが遠くに聞こえてきた。それと同時に僕のわくわくメーターも急上昇する。なんせ初めて来る異世界の街なのだ。わくわくしないほうがおかしい。
さらに道を歩いていくと、人々の話声とともに、人以外の生き物の姿も見え始めた。耳が長くて奇麗な顔をしたお姉さんや身長が小さくてぼーぼーの髭を結わえた小太りのおっさん、猫や犬っぽい耳が頭にあり、尻尾を振りながら笑いながら歩く者たち。それらに見とれていると、馬らしき生き物が荷台を引いて僕の目の前を横切って行った。だが、それらと同じくらいに目を奪われるのは木と石でできたカラフルな家や出店が並ぶ大通りだろう。店先には様々な色や形をしたフルーツや野菜が並び、いろんないい匂いが漂ってくる。まるで、本当にゲームの世界に来たみたいだ…。
目の前の景色に圧倒されていると、なにやら香ばしい匂いがどこからか匂ってきた。フィルちゃんはどれを嗅いだ瞬間に目を輝かせ、マイアさんを上目遣いで見つめ始める。おいおいフィルさんや、その歳で上目遣いをマスターするとは、将来きっとモテモテの別嬪さんになるのう。
その様子を見てマイアさんは、やれやれと言いたげな雰囲気で首を左右に振った後、
「ちゃんとよく考えて買うのよ?」
と言って、フィルちゃんに銀色の硬貨を二枚渡した。おそらくあれがここの地域の貨幣なのだろう。そこら辺の常識の話もビリルさんに詳しく聞かなきゃなぁ。と思っていると、くいくいっと服の左の袖を引っ張られた感触がしたので、下に目をやると、フィルちゃんが満面の笑みを浮かべながら、串に刺されている焼かれた肉を差し出してきた。フィルさんや、あんた俺と結婚しません?
「ありがとう、フィルちゃん。僕のために買ってきてくれたの?」
「うん!二ほんあるから、はんぶんこね!」
そういって自分も横から肉にかぶりついた。ほかほかの湯気が立ち上って肉汁がしたたり落ちている、香ばしい匂いのする串焼き肉を前に我慢できずに、俺も思わずかぶりつく。その瞬間にじゅわあっと肉の旨みと香ばしい香りが口の中いっぱいに広がった。
「おいしいね、フィルちゃん。これって何のお肉なの?」
ハフハフと暑そうにしながら一生懸命お肉を頬張っていた彼女が、急いでゴクンと口の中のものを飲み込んでから僕の質問に声を弾ませて答える。
「これはね、とりさんのおにくなんだよ!おっいしいよね~!」
「へ~、そうなんだ!フィルちゃんってものしりだねえ」
「うん!マサタカおにいちゃんがわからないことでも、わたしは何でもしってるからね!」
口の端に焼き鳥のタレつけながら、をまだ膨らみかけてもいない小さな胸を精一杯そらす彼女は、大変可愛らしく、道を行き交う人たちも暖かい目で彼女を見ていた。
ビリルさんとマイアさんも実の娘の愛くるしい仕草を見て、思わず笑みを浮かべている。と、用事を思い出したのかビリルさんが話し始めた。
「ここからは別行動だな。俺とマサタカは服屋に行って服を買ってくるから、マイアとフィルは調味料とか、他にも必要なものがあったら買ってきてくれ。それじゃあ時計台の鐘が鳴る頃に噴水広場で待ち合わせしよう」
マイアさん達と別れた後、僕は割と大きめの服屋に来ていた。しかし、大きめといっても建物はそれ程奇麗でもなく、別に売っているものもそれほど高価なものではないようだった。というか、ここに売っている服、町にいる人たちがいっぱい着てたぞ?もしかしてこの店は、町のGU的存在だったりするのだろうか。早い!美味い!安いの3拍子そろったファストファッションの店だったりするのだろうか。…僕は何を言っているんだ。
「いらっしゃいませー。本日お探しの品はどういったものでしょうか?」
店の中にいた一人の店員が僕たちに営業スマイルで話しかけてきた。なぜかジロジロと僕のことを見てくる…というところで、自分の服装はこの町では大分浮いているということにようやく気が付いた。あれ、そういえばなんで僕はこの人たちの言葉がわかるんだろう。
「今日は、横でぼーっとしてるこの坊主の服を買いに来た。上下セットで三着用意してくれ」
よく考えたら不思議だよなぁ。やっぱり夢なのかなあ。
「分かりました。それではそちらの椅子でご休憩なさっていてください。すぐ商品をお持ちいたしますので」
あれ。いつの間にか店員さんがいないぞ。と思ったら両手に服を抱えて戻ってきたな。
「お待たせいたしました。こちらの商品はどうでしょうか」
そう言って服を広げて見せてくる、が正直この世界のファッションなんてわからんし、動きやすい服であればなんでもいい。となれば先人に知恵を求めよう。
「僕はこの3セットでいいと思うんですけど、ビリルさんはどう思います?」
「俺もこれで問題ないと思うぞ。おい、これ全部買いたいんだが、いくらだ?」
ビリルさんが尋ねると、その店員はおもむろにポケットからそろばんらしき物をだして計算し始めた。
「今なら五点以上商品をお買いあげた方は、お会計総額から1割引きさせて頂いてますので…合計120ベルになります」
ビリルさんが店員にお金を支払い、ビリルさんと僕は店を出た。と、そこでこの通貨の価値が気になってくる。服が上下合わせて6着で120ベルということは、この店が特別安いと仮定すると、一着20ベル。1ベルは日本円あたり100円ってとこか?となるとさっきの店は服を一着2000円で売ってたってことになる。もしそうだとしたらそりゃ人気でるわ。安すぎるもん。
後はフィルちゃん達と合流するだけだけど、まだ少し時間がある。何をしようかとビリルさんに聞くと、武具屋に行きたいと言ったので一緒についていくことにした。武器か。日本ではそんなもんリアルで見たことないし、どんなんなんだろ。フルメタルアーマーとかあんのかなー。楽しみだな。