第720話 浮遊島上陸作戦
アガート・ラムの拠点と思しき街がある浮遊島は、名前の通り第三階層の空中に浮かんでいる。
第三階層の地表は蒸気と熱気に覆われているが、その厚みは階層全体の縦方向の広さに対して一割あるかないかで、その上には晴れ渡った空間が広がっている――それが事前に偵察をしたサクラ達の報告だ。
そして浮遊島は、そんな遮るもののない空中に浮かんでおり、地上からも天井からも全く支えられていない。
すぐ真上の第二階層から流れ込む複数の水路も、俺達がいる地表にまでは達しておらず、浮遊島に上陸する経路は全くないように思われた。
「普通に人間が住んでる土地なら、使い終わった水を排水する経路も必要なんだろうけど。住人が生身の肉体を捨てたせいで、水の用途も工業用水や冷却水くらいになっているんだろうな」
上陸の下準備が整うのを待ちながら、第三階層の様相について改めて考察する。
四大属性でいう『風』に相当する階層だけはある、というべきだろうか。
島が浮遊し続けている原理といい、なかなかに謎めいた環境をした階層である。
「つってもよ、昔は魔王軍もあそこに住んでたんだろ? アガート・ラムの連中も生身の人間だった時代はあるんだし、排水用の水路なり配管なりあっても不思議じゃねぇと思うんだが……」
「魔王軍の話だと、当時はあったんだけど撤去されたんじゃないか、ってところらしい。メンテナンスにも手間が掛かってたらしいからな」
使い終わった工業用水は、色々と処理をしたうえで島の縁から地表に落とされている。
それらの水も蒸気の一部になっているわけだが、全体としてはごく一部で、大部分は使われることもなく素通しになった水路の水のようだ。
「連中が下を警戒しねぇのも納得だぜ。魔王軍は第二階層に逃げたはずで、第四階層はドラゴンまみれの無人領域、しかも下からよじ登れるような足場は撤去済みと来たもんだ」
「だけど、そのお陰で付け入る隙ができた。俺達としては好都合だ」
「全くだぜ。油断してるっていうなら、そこを突かせてもらおうじゃねぇか」
魔物の討伐を目的とする冒険者パーティーも、ターゲットを射程に収めるまでは余計な戦闘を避けるものだし、あちらに油断があるようなら容赦なく隙を突くものだ。
ガーネットと声を合わせて気合を入れあったところで、遂に浮遊島への上陸作戦が幕を開ける。
――数名の冒険者が、白い蒸気の帳を突き破り、高く上方へと舞い上がる。
先陣を切ったのは【縮地】による瞬間的な移動が可能なサクラだ。
サクラは他の冒険者に先行して浮遊島に取り付き、上陸作戦のための装置設営に必要な道具を運ぶ役目を担っている。
次いでセオドアを始めとする、空中の移動が可能な冒険者や魔法使いが、それぞれ担いで移動できるだけの荷物を背負って上昇していく。
彼らは最も低高度に位置する浮遊島の周縁部、それも可能な限り市街から離れた場所に集まって、そこから何本ものケーブルを地層へと垂らし始めた。
地表では別の冒険者達がスタンバイし、垂らされたケーブルを地表側の装置に連結固定。
浮遊島と地表の間に何本ものケーブルの『橋』を斜めに架ける。
もちろん橋というのは比喩であって、ケーブルの上を歩いて渡るわけではないし、ましてや自力で掴んでよじ登っていくわけでもない。
このときのために、機巧技師達に用意してもらった装置がある。
「よし、それじゃ、俺達が先陣を切るとするか。あれこれ命令する側が最初に挑戦しなきゃ、他の奴らもついてこれないだろうからな」
「お前にしかできねぇ仕事も待ってるしな」
浮遊島と地表側に設置された装置が稼働し始め、垂らされたケーブルをゆっくりと回転させていく。
仕組みを簡単に説明するなら、円形に繋いだケーブルを細く伸ばし、その両端を浮遊島側と地表側の装置に通し、装置を使ってケーブルの円を巡回させるというものだ。
後は身につけた安全帯の固定具をケーブルに噛ませれば、ケーブルの運動に従って浮遊島まで引っ張られていく構造となっている。
「いいか、皆。正直に言ってこの装置は、安全性やら確実性はまだまだ不十分な試作品だ。けれどケーブルの下には魔法使いが待機しているから、落下しても魔法で受け止めてもらえる手筈になっている」
俺は耐熱装備を脱いで安全帯を身に着けながら、周囲の隊員達に改めての訓示を述べた。
もちろん、誰一人として戸惑いを浮かべたりはしない。
前々からこの装置を扱うための訓練をこなし、危険性についても幾度となく教えてきたのであり、今こうして語っているのは念の為の再確認に過ぎないのだ。
「万が一怪我をしても、命さえあれば俺が【修復】する。だから安心して無茶をやってくれ」
「腕が取れてもちゃんと繋いでくださいよ! 右と左で間違えたりせずに!」
隊員の一人が冗談めかした揶揄を飛ばしてきて、他の面々も愉快そうに笑った。
これはなかなかいい傾向である。
上陸を目前にしても緊張に飲まれることなく、普段どおりの態度を保っているのだから。
「まず俺から行く! 人数と重量の制限にくれぐれも気をつけて、どんどん上がってきてくれ!」
ゆっくり回転するケーブルに安全帯の固定具を噛ませると、体がぐんとケーブルに引っ張られ、足が地表から離れてしまう。
俺はすぐに両腕でケーブルを掴み、変な姿勢で宙吊りになるのを回避しながら、さり気なく周囲に視線を巡らせた。
――雲海のように地表を覆う白い蒸気。
視線を上げれば、幾つもの浮遊島の底部が視界を塞ぎ、そのうちの一つが一秒ごとにどんどん近付いてくる。
冒険者精神がくすぐられずにはいられない絶景だ。
思わず口元に笑みを浮かべ、笑い声まで漏らしそうになってしまった。
しかし刺激的な空中散歩もすぐに終わり、浮遊島の縁に辿り着いたところでタイミング良く固定具を外す。
ここで外し損ねたら、ケーブルを回転させている装置と正面衝突だ。
転びそうになりながらも地面に降り立って、先に到着していたサクラの方に駆け寄る。
「ルーク殿、こちらをお早く!」
「ああ、任せとけ!」
俺はサクラから差し出されたケーブルの束を握り締めた。
これは昇降用とはまた別に、各巻き取り装置に連結させられているものだ。
「スキル発動――【修復】開始!」
ケーブルの束にスキルの力を流し込む。
効果対象は浮遊島側と地表側の双方の装置全てと、隊員達を吊り上げて引き上げていくケーブル全体。
一連の装置はまだまだ試作段階。
こんな大人数を急ピッチで運ぶことなど構造的に不可能であり、試算の上では一割も運べないうちにどこかが壊れてしまうとのことだった。
しかし、それを覆せるスキルが俺の手の内にある。
使っているうちに確実に壊れるモノを、壊れる前から【修復】し続ける――魔力結晶からの供給前提の壮絶な力技であり、俺を今日まで生き残らせた応用技術の筆頭であった。




