第676話 想定外の再会
玄関を出ようとしたところで再び視界に砂嵐が走り、気が付くとまた別の場所に移動していた。
正直もう慣れてしまって、驚く気分にすらなれなかった。
どうやらここは、フラクシヌスが経営するあの店舗のようだ。
到着したのが早かったのか、他のワイルドハントのメンバーの姿はどこにも見当たらない。
今日の仕事とやらが何なのかは知らないが、とりあえず時間を潰しておこうと思い、適当な椅子に腰を下ろす。
「いらっしゃいませー」
従業員の少女が無料の水を注ぎにやってくる。
どこかで聞いたような気がする声だ。
これもロキの記憶の断片なのだろうか――注いでもらった冷たい水で喉を潤しながら、何気なく少女の方に視線を向ける。
「……ぶはっ!」
思わず噴き出して水を盛大に溢してしまう。
「だ、大丈夫ですか!?」
「けほっ……! 大丈夫っていうか、お前、エリカだよな!?」
波打つブラウンのロングヘアに、素朴ながらも愛嬌のある顔立ち。
給仕服を身にまとって働いていたその少女は、紛れもなくうちの店の従業員のエリカであった。
大昔の他人の空似だとか、俺の適当な記憶を元に外見だけ借用されたんじゃないかとか、そんな小賢しい考えよりも先に驚きの声を上げてしまう。
エリカらしき少女はしばしきょとんと瞬きをし、それから驚いたような笑顔を浮かべ、少年の姿のままの俺の顔を覗き込んできた。
「うわぁっ、ルーク店長? あはは……こんな夢見るなんて、あたし変な趣味でもあったのかなー」
困ったように笑うエリカ。
間違いない、この少女はエリカの見た目を借りた何者かではなく、この世界を夢だと思っているエリカ本人だ。
思い返してみれば、最初にこの世界へ引きずり込まれたときも、俺自身や解析を試みたヒルドだけでなく、近くにいただけのガーネットまで巻き込まれていた。
あれと同じことが起きたとしても、何の不思議もないわけだが――
「ちょ、ちょっとこっち来い……!」
「え? な、何なに!?」
エリカの袖を掴んで店の隅へ無理やり連れて行く。
そして物陰にしゃがみこんで額を突き合わせ、自分達が置かれている状況について簡潔に語って聞かせた。
「いいか、エリカ。こいつは夢じゃない。説明は難しいんだが、精神だけ架空の世界に引きずり込まれたと思ってくれ」
「……え? あの……え?」
エリカはほとんど話について来られていないようで、頭の上に疑問符がいくつも浮かんでいるのが見て取れる表情でぽかんとしている。
無理もない。俺だって実体験がなければ理解する気にすらならなかっただろう。
「多分、俺達はこの世界の住人の立場を押し付けられているんだ。周りの人間も違和感を覚えた様子はなかっただろ?」
「ま、待ってください!じゃあここは何なんです! どうしてこんなことになってるんです!?」
「……原因は俺の『右眼』なんだ。前にも同じようなことがあった。魔法で『右眼』を分析しようとしたことが引き金になって……そしてこの世界は、古代魔法文明の再現だ」
「こだい、まほー……」
エリカは譫言のように単語を繰り返し、その場にぺたんと座り込んだ。
「た、確かに、妙だなー、変だなーとは思ってたんです! 想像したこともないような道具がそこら中に転がってましたし! で、でも……私達、ちゃんと元に戻れるんですか!?」
「大丈夫だ。前に引きずり込まれたときは、俺もガーネットもきちんと元通りになったし、今回は妨害するような奴もいないはずだからな。もう少し時間は掛かるかもしれないけど……」
アルファズルが無事を請け負ったということは伏せておく。
さすがにそこまで包み隠さず教えてしまったら、エリカを余計に混乱させてしまうだけだろう。
心の底から安堵した様子で長く息を吐くエリカに、今度は俺が気になっていたことを尋ねることにする。
「いくつか答えてくれ。この世界に引きずり込まれる前、お前はどこにいたんだ?」
「引きずり込まれる前って……えっと、最後に覚えてるところでいいんですよね。それなら……うん、まだお店にいました。後片付けがちょっと長引いてしまいまして」
片手で頭を抱えて首を振る。
最初の一件のように周囲の人間まで巻き込まれたのだとすると、被害者がエリカだけとは到底思えない。
同じ部屋に居合わせていたアレクシアとノワールは、ほぼ間違いなくこの世界にいると考えていいだろう。
この二人はまだいい。最初からここに来ることが目的だったわけだし、今頃どこかで嬉々として見聞を深めているかもしれない。
「……つまり、ガーネットも一緒にいたんだな」
「は、はい! 色々と手伝ってもらってましたから……」
アレクシアとノワールの求めで『右眼』の分析を始めようとしたとき、ガーネットは同じ部屋にいなかった。
これがどこか別の場所だったなら、ガーネットは護衛のため俺と四六時中行動を共にしているのだが、さすがに自宅でもある店内は例外だ。
騎士団の方から招いたヒルドを待たせるわけにはいかないので、俺達は彼女が来た時点で店の後片付けを切り上げ、残りをガーネット達に任せる形になっていたのだ。
だから俺は、今の今までガーネットの安否を気にかけていなかった。
そもそも気にかける理由すら思い浮かばなかったのだ。
けれどエリカと遭遇したことで、この前提が根底から覆されてしまうことになった。
「(この現象にガーネットも巻き込まれている……あり得る、充分にあり得るぞ……くそっ、もっと早くに想像しておくべきだったか……?)」
頭を悩ませていると、玄関の方でドアベルの鳴る音がした。
どうやらまた新たに来客があったらしい。
俺はひとまず考えを纏め、今後の行動指針についてエリカに言って聞かせた。
「いいか、当面はこのまま流れに乗って過ごしてほしい。不用意な行動は想定外の事態を引き起こしかねないからな。事が済んだら、必ず何もかも元通りにする。安心して待っていてくれ」




