第675話 錬金術師と少女と白犬
――延々と見せられ続けているこの光景が、果たして誰のものなのか。
実を言うと、記憶の視点となっている本来の人物の正体については、ある程度ではあるが想像がついている。
ロキ――メダリオンを生み出し、古代魔法文明滅亡の原因となった正体不明の人物だ。
そう推定するに至った理由はいくつかある。
まず、奴もまたアルファズルの仲間であったにもかかわらず、以前に垣間見た光景はおろか現在の再現世界でも見当たらない点だ。
もっと晩年になってからの友人だという説も否定はしきれないが、それよりも『記憶の視点人物だから本人の姿が映っていない』と考える方に説得力を感じてしまう。
前者の説で考えた場合、ロキでないなら一体誰の記憶なのだという、余計に解決が難しい問題が積み上がってしまうだろう。
そしてもう一つ、アルファズルが俺に『錬金術を学んでいる』と言ったことだ。
もちろんそれは事実に反しているが、実は記憶の視点人物がそうだったのだと考えれば説明がつくし、何よりロキも錬金術を習得していたと聞いている。
これだけの材料が揃えば仮説を立てるには十分だ。
俺が見せられているこの記憶は、メダリオンと神獣を生み出した錬金術師のロキである――今後はその前提で事に当たるべきだろう。
問題は、何故こんな状況に投げ込まれてしまったのか、という根本的な疑問である。
現状の手がかりでは、あれこれ想像することはできても、仮説と呼べるくらいの説得力を持たせることは難しい。
俺個人を狙って引き込んだのか。
誰でも迷い込める状況でたまたま俺が足を踏み入れただけなのか。
訪問者に何らかの影響を与えるつもりで、この世界を『右眼』に仕込んだのか。
偶発的な原因による残留、あるいは深い理由のない記録として残されたに過ぎないのか。
今はまだ何も分からなかった。
ひょっとしたら、事件の犯人が処刑前に手記を残した程度の意味しかないのかもしれない。
その場合は、どうして『右眼』だったのかという謎も残るのだが。
「(……雑音が収まった。視界も晴れてくる……)」
聴覚を乱す不快な音も、視界を塞ぐ奇怪な砂嵐も、次第に薄れて消えていく。
演劇に喩えるなら、一つの場面が終わって一旦降ろされた幕が、次の場面の準備が終わったことで再び上げられていくかのように。
俺は何があっても冷静に振る舞えるよう気を付けながら、次の記憶の再現が始まるのを待つことにした――
「――朝、か?」
夢の中で目が覚めるという奇妙な感覚に襲われつつ、脱力していた体をのっそりと起こす。
まずはぐるりと周囲を見渡して、自分がどこにいるのかを確認する。
どこかの住居の一室だ。
少なくとも寝室ではなく、日常的な生活を送るリビングのように感じられる。
物が少なく閑散としていて、どうにも生活感に乏しい印象だ。
眠っていた場所もベッドではなかった。
単なるソファーに横たわってタオルケットを被せるだけという無精ぶりで、記憶の主の私生活が垣間見える気がした。
「(ロキの自宅……? 錬金術師の割には片付いてるな……研究道具も資料もない……実験室や資料室は別に用意してるのか……?)」
声に出さずに思考を巡らせていると、頭の奥から『そうに違いない』という確信と納得のようなものが浮かんできた。
ご親切にも俺が新たなシチュエーションに混乱しないようになっているのだろうか。
苦笑しながらソファーから下りようとしたところで、足元に一冊の本が落ちていることに気がつく。
眠る前に本でも読んでいたのだろうか。
それに手を伸ばそうとした矢先、隣の部屋から聞き覚えのない少女の声が投げかけられた。
「おはようございます、お父様」
開けっ放しだった扉から声の主が姿を現す。
それは陰気な雰囲気の若い女性――少女と呼べるような年頃の、白い髪を長く伸ばした黒尽くめの女だった。
どういうわけか顔の右半分を仮面で隠しており、垣間見える肌は病的なまでに青白い。
それにしても、お父様とはどういうことだ。
まさか一気に時間が飛んだのかと思い、自分の体の状況を確かめてみたが、さっきの場面と何ら変わりない若さを保ったままだった。
「(いや……ロキが長命なら、二十年くらい飛んでも見た目は変わらないか……)」
ともかく、この少女は記憶の視点人物――ロキと推定される何者かの身内であるらしい。
違和感を与えるような言動は慎むべきだろうか。
だが、そもそも俺はこの少女の名前すら知らないわけで――
「おはよう、ヘル」
――自然と口を突いて出た言葉に、驚愕せずにはいられなかった。
俺自身の意志ではない。体が勝手に喋ったとしか表現できない。
過去の記憶が再現された世界だからこその現象……そうとでも考えなければ納得できそうになかった。
「昨日はお疲れだった様子でしたので、お声を掛けずにおいたのですが……きゃっ!」
陰気な少女の足元をすり抜けて、一頭の白い大型犬が俺のところに駆け寄ってくる。
白い大型犬はひとしきり俺にじゃれついてから、少女の呼びかけに従って、その足元へと戻っていった。
「こっちに来なさい、フェンリル。お父様の邪魔をしちゃ駄目よ」
少女は慣れた手付きで白犬を撫でて宥め、そして俺に微笑みかけた。
「本日のご予定は、まずワイルドハントの方々との打ち合わせとのことでしたね。お着替えの準備は済ませてあります。ご朝食を取ってから出発なさってはいかがでしょう」
「あ、ああ……ありがとう」
今の礼は俺の意志で発した言葉だ。
状況が急激に変わりすぎて、すぐにはついていけそうになかったが、この少女の立ち位置というか役割は何となく分かってきた。
少女は白犬を隣の部屋の奥へと送り出し、くすりと笑みを浮かべてから深々と一礼した。
「私の力が必要でしたら、いつでも遠慮なくお喚び出しください。お父様のためでしたら、どこへでも駆けつけますから」




